自分らしく生きる

2016.12.09
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私が初めて油絵を描いたのは、60歳の冬(現地の冬で、日本では夏)のことだった。私は14年前(1986年頃)から毎年オーストラリアへ行くのが慣わしになっていた。

 そもそも油絵の最初のキッカケは5年前の1995年に遡る。私が長期滞在していたオーストラリア、ニューサウスウエルズ州の保養地、ポートスチーブンスのホテルでのこと。ふとした偶然から私はあるオーストラリア人の女流画家Lea Kannarと知り合った。
ふとした偶然とは、その女流画家がホテルのランドリー室で、腰にタオルを巻いてスカートにアイロンをかけていたところへ、私が突然現れて鉢合わせしたのだった。そのときはお互いに「目のやり場」に困ったのだが、不思議にザックバランになれるのが、保養地の常である。
因みに5年後の2000年にこのホテルに泊まったときは、アイロンはシドニーのシテイホテルのように、各部屋に備えられるようになっていた。今だったら、リーと私は会わずにすれ違っていたに相違ない。「運命の不思議さ」を感じる。
 その後、私は彼女の部屋の前を通りかかったときに、彼女はドアを半開きにして絵を描いていた。ごく自然に、中で描いている絵が私の視野に飛び込んできた。そこには、この風光明媚な保養地の風景が、まことにみごとに描かれていたのである。
 私が『すばらしいですね』とほめると、彼女は素直に喜んだ。それから、彼女の名前がリー・カナー、シドニーに住み、将来はプロの画家を目指しているが、当時は仕事をしながら、休暇を取って絵を描きにきていることなどを話してくれた。
数日後、彼女がシドニーに帰る際、自分の電話番号と住所をメモしてくれたのである。

 それから1年後の1996年私はリーと再会した。このとき彼女は自宅に私を招いてくれた。かなり広い庭のある家に、彼女は一人暮らしをしていた。芸術家を目指している人の家― というイメージからすると、はるかに小奇麗に片付けられていた。が、壁には所狭しと彼女の作品がかけられていた。つまり、家中が『小美術館』という感じだった。

 私は彼女を夕食に誘った。最初彼女は自宅で手料理を食べさせるつもりだったようだが、「日本食を食べたことがある?食べてみたい?」と聞くと、「食べたい」というので結局外食することにした。場所はシドニー高島屋のなかにある日本食レストラン鴨川。

 食後二人は近くのダーリングハーバーをツーショットで歩いた。名前のとおり若い恋人たちのデートスポットとして有名な、ロマンチックな海辺のデートコースである。
歩きながらリーは『あなたは、佐紀子、私は彼のイメージを心に描いて歩きましょう』といった。佐紀子は私の妻の名前である。初対面のとき電話番号と住所を教えてくれた彼女は、オーストラリア風の奔放な生き方をしている女性かと思ったのだが、このときのせりふで、ずいぶん私の妻に対しても気を使っていることがわかった。

次の年、1997年の冬、私はリーに「あなたが絵を描いているところを見たい」といった。このときまでは、まさか自分が油絵を描くなどとは夢にも思っていなかった。次の日の朝、リーは私のアパートまで車で迎えにきてくれた。誘われるまま、私は彼女の車に同乗した。トランクには、イーゼル、キャンバスなど画材が所狭しと並んでいた。
30分ほどドライブして、シドニー郊外のある浜辺についた。その浜辺はロングリーフビーチといい日本人はもとより、冬の海には現地の人さえほとんどいなかった。マンリーやボンダイという、シドニー近郊のビーチは冬でもサーファーで賑わっている。しかし、ここにはほとんど人影が見当たらないのだった。
ある程度できあがったところで、私にも「描け」という。描けといわれても、どうしていいかわからない。しかし、みようみまねでスケッチし、彼女の真似をして描いてみた。
「いい、いい」と、彼女は励ます。そして、絵の中の岸壁の部分に茶色のタッチを入れた。私は『鳥肌の立つ』感動を覚えた。このタッチで岸壁の影がまるでほんもののように浮き上がったからである。さらに、空と雲の光と影をいれた。これが本当に自分の描いた物だろうか、とわが目を疑った。が、まさに、自分が描いたのである。

一通り出来上がって我に返ると3時をまわっていた。急に空腹を覚えた。リーは籠からりんごとオレンジを1こずつ出して、どちらかを選べといった。私はリンゴを選んで夢中で齧った。ワイルドな、しかし充実したランチだった。それから彼女はジュースも取り出してすすめてくれた。彼女の分は?とたずねると「私はこれ」といってコークを飲んだ。(写真右)
「外で絵を描くときは飲み物はコークにしている。これにすると、トイレにいかなくてすむ」と彼女は笑った。そういうことがあるのかどうかわからないが、いずれにしても女性には切実な問題のようだ。
 野趣あふれる昼食が終わり帰り支度をし始めたとき、彼女は私の生まれてはじめの作品を丁寧に梱包してくれた。
マンリーに戻り、御礼を込めて夕食をご馳走した。食後、彼女は私のアパートの駐車場まで送ってくれた。別れの挨拶が切なかった。

こうして持ち帰った私の最初の作品を妻に見せると「これ、ほんとにあなたが描いたの?もし、そうなら、なかなかのできよ」とめったに人を誉めない妻が誉めてくれた。かねてから還暦祝いに娘と息子がプレゼントしてくれた、額縁に入れてみると、我ながら「まんざらでもない。」と思った。


その年の秋(南半球の春)リーから一通の手紙と写真が届いた。
あの時描いた冬のシドニーの海の絵が、現地のメジャーのコンテストで第2位(銀メダル)を取ったというのである。そして、その銀メダルと、あの海の絵の前で微笑んでいるフォーマルスーツに身を包んだリーの写真が同封されていたのである。賞をもらったのは彼女の絵で決してわたしではないのだが、我がことのように嬉しくなった。(写真)

 彼女は確かに私の中に眠っていたものを目覚めさせてくれた恩人である。
これで、どれほど私のシニア・ライフが豊かになったかわからない。






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最終更新日  2016.12.09 16:30:00
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