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上高地へのあこがれというのはなかった。十数年前、大正池から河童橋まで歩く夢をみてそれを正夢にするのが目的で、今日、上高地へ向かった。松本から大糸線で30分。新島々駅でバスに乗り換えて1時間の山道。電車から見た林檎園に感動した。バスからは梓川だと思うが、信州の川は実に美しいと思った。大きなダムもあったがダムは福岡で見なれてるのでどこも同じだと思った。眠っていた。目が覚めたら大正池に着いていた。バスを降りて写真を撮った。そして河童橋まで1時間半かけて歩いた。ゆっくり歩くこと。なにも考えないこと。石段があったら薬だと思うこと。これだけが目標だった。あこがれていた大正池も河童橋も夢でみたほうがはるかに素敵だったとういうのが結論である。
2014.10.01
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朝早く職場のまわりをサイクリングしてたら松林から蝉の鳴き声はるか昔大学生の頃オサム君(仮名)と二人でもちろんオサム君の運転で酒屋の軽トラックで虹の松原を通ったとき二人でセミの鳴き声に驚いたことがあるんだ。あの日以来の五月のセミの鳴き声を聞いた朝でした。
2011.05.09
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友達の拾った猫先週の土曜日に道路の隅の植え込みから子猫を拾いました。連れて帰り、先週から猫5匹との生活。子猫は血尿と右足大腿骨骨折してました。この一週間で、子猫の血尿も治り、だいぶ歩けるようになりました。里親さんも無事見付かりました。と、いうことで一安心。タマの食べれないキャットフードを送ることにした。埼玉まで。名前のない猫
2010.06.06
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友人&ハートフル詩人梅野安美さんから1ヶ月前くらいに届いた贈り物。今、玄関の壁に飾っているよ。彼女の詩集は弱気になった心を励ましてくれる「何か」をもっている。安美さんの作品や詩はここで少し読めるよ!ゆめふうせん
2010.05.17
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5月4日は「福岡ラブストーリーの日」と今日決めました。まだ読んでない「埋もれ火のアンソロジー」の新しいファンは名作「福岡ラブストーリー」を是非お気に入りにして読むべきでしょう・・・福岡ラブストーリー「ビンちゃん物語」からスタートしたのが6月5日でした。やがて、「福岡ラブストーリー」と改題して18話で完結した不朽かつ腐朽の迷作です!読んだ人も読んでない人も、もう一度読んでみたい人たちのためにそして僕自身のためにここにまとめておきます。第1話 運命の出逢い第2話 同棲式第3話 エレベーター第4話 ポスターモデル第5話 プロポーズ第6話 春りんどう第7話 波打ち際第8話 クマモトへ第9話 熊本の夏・1第10話 熊本の夏・2第11話 辞表第12話 秋の童話第13話 冬のソノ他第14話 他愛もない会話第15話 夜の電話第16話 結婚するの?第17話 26才の頃第18話(最終話) ビンちゃんの結婚
2009.05.04
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フォトムービーの作り方・その3だれかWinndowsムービーメーカーで作るフォトムービーをわかりやすく説明してくれないかなあ~ところでフォトムービーというのは写真が動くことをいうのかな?そういう基本的な言葉すらわからないんだよね・・・ぼくって・・・
2008.12.19
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フォトムービーの作り方・その2
2008.12.19
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フォトムービーの作り方・その1
2008.12.19
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ゲーマーおまるちゃんのyou tube2曲目の作品です。クリスマスが過ぎても
2008.12.17
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おまるちゃんのyou tubeデビューは想定外だった・・・おまるちゃんとは中村章三の記事で出会って以来ぼくの影でyou tubeの検索をして次々にyou tubeを紹介してくれていたのがおまるちゃん=お~い中村君だったのだよって俺もおまるちゃんもyou tubeを鑑賞するだけでしあわせになったり興奮したり懐かしさに浸っていたわけよ・・・you tubeをアップしてくれる方々に感謝するそれだけで十分だったわけね・・・ところがさ~なにかよくわからないうちにさあ~鳥栖のうまぽけさんがいきなりyou tubeデビューその少し前にmixiで知り合った梅ちゃん(ゆずら梅だったかな?)が詳しくyou tubeについて説明メールをくれてたんだ。でも、チンプンカンプン理解不能だったわけね。そしてうまぽけさんの超簡単な説明でぼくの中にyou tubeができるかもと思ったわけね。おまるちゃんはコックンファンでコックンのことが大好き熊本美人でゲーマーで負けず嫌い大昔少女&処女だから虎視眈々とyou tubeデビューを狙っていたのだろうと想像するわけさ。とにかくおまるちゃんyou tubeに登場!なんだかyou tube仲間がたくさんできてブログ依存症からyou tube依存症に病歴が変わりそうな気配だよ・・・では紹介します。おまるちゃんのyou tubeデビュー作品。「冬京」by風どうぞ~~~~~~~!冬京
2008.12.14
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ぼくにyou tubeを最初に紹介してうれたのはblue roseさんなんだ。「ピアノと少年」か「少年とピアノ」かだった・・・これさこのタイトルはblue roseさんがつけたものででもこんな動画がパソコンで見られるなんてとえらく感動して何度も見たものさ・・・・2年前くらいのことだと思う。そのblue roseさんがぼくより2週間遅れて今日you tubeデビューした。JAZZだけれど俺は見に行くんだ・・・・・まだ俺と同じド素人だから詳しい人、教えてね!blue rose、you tube処女作品
2008.12.10
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4年目に突入する「埋もれ火のアンソロジー」だが管理人が「ブログ更新病」(ブログ更新依存症)という病になりお気に入りの人たちのブログに訪問しない「ほかのブログ見てない病」を併発しているためこんなにたくさんのお客様に来ていただきながらレスを書けない「レスレス」という病にもかかっていて家庭性活では「セッ○スレス」なんです。20 posted by (C)コックンそこでここでお気に入りの皆々様方や「埋もれ火のアンソロジー」をお気に入りにしてくださってる方々に深く深く挿入・・・もとい深く深くお詫びしなければならないのです。この性活習慣病はなかなか治らないとのことなのでたまには私書箱に「見に来なさい!」などと書いてもらえたら飛んでいきます。また、「埋もれ火のアンソロジー」やコックンと縁を切りたい方々はどうぞこんな失礼な奴ですからお気に入りから抹殺してくださって結構ですから。たぶん抹殺されたことにも気づかず相変わらずのペースで「埋もれ火のアンソロジー」を更新してると思います。たたり茶屋 posted by (C)コックンでもね、中には仕事してて忙しい人ばかりじゃなくて何かの事情で僕の「埋もれ火のアンソロジー」と波長が合って一度もコメント書いたことがないけどこっそり病院のベッドの上でコックンのことを密かに想っている美少女がいると君は思わないか?僕は思うんだよね・・・・妄想でもいいんだ。僕の更新リズムに感覚が合う人が世界のどこかにひとりかふたりはいるような気がする。そんな人のために・・・「埋もれ火のアンソロジー」は終われませんね。タックンと4 posted by (C)コックン以上4年目をスタートするにあたっての「埋もれ火のアンソロジー」の管理人からの懺悔・お詫び・ごめんなさいでした。おしまい。山吹水源 posted by (C)コックン
2008.11.04
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JAL川柳 posted by (C)コックンあさちゃんがJALカード川柳コンテストで賞をとっちゃったよ~!俺はあさちゃんやありんこちゃんたちの作品で応募してたんだがやはり人のフンドシで相撲をとっちゃいけなかったみたいで落選でもあさちゃんが賞をとったことが自分のことのようにうれしいのだ!あさちゃんの作品は子のケンカ曽祖父でてくる高齢化ペンネームはソレトナーク・オネダリー 神奈川県 40代ここで読めるよちなみにグランプリや準グランプリは、ここでグランプリ posted by (C)コックン
2008.06.09
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行方不明だった岩田和樹君が無事保護されただ!(喜)あさちゃんが教えてくれた。blueさんも記事にしていた。ネットの悪質性ばかりが報道されるし事実そういう悪用されているのが実態なんだろうが、岩田君の行方不明から学んだことはネットという仕組みをいいことに使う努力をしてみよう。特に我が「埋めれ火のアンソロジー」は世界的人気ブログでエッチな人もたくさん訪問してくれてるようだけど役に立つことをブログも考えるときなのかもしれないね。
2008.01.08
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Stickamの音が聴けなくなってしまったよ・・・誰か原因わかる人教えて!頼むよ!
2008.01.02
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「どちらからですか?」「埼玉からです」声をかけたのは僕のほうだった。八つの言の葉からその小さな物語ははじまるんだ。その日、何かと彼女と隣合わせになったり昼食の場所が同じだったり何か気になる女性だったんだ。ジーンズに短めの黒のブーツ。決して派手ではない表情や服装なのに言葉では表現できない美しさ。ある事情で10年前頃から僕はこの町に来るようになった。大船と北鎌倉の中間地点のこの町に。それも今日が最後かなという感傷からいつもは大船方面に歩くのを北鎌倉駅方面に向かって久しぶり歩くことにした。北鎌倉駅の手前の花屋さんの前で花をながめている彼女の姿を見つけた。黒い小さなリュックが短い土色のコートによく似合っていた。手には二つの紙袋を持っていた。北鎌倉の駅には彼女が先にはいった。僕は裸のスイカカードなのだが彼女は赤い手帳のようなもので通っていった。北鎌倉駅の二つか三つの石段をあがったプラットホームで僕のほうから声をかけたんだ。そのあとの会話は・・・「どちらからですか?」「福岡からです」「え~~~~!」埼玉と聞いてtoshiさんのことが頭をよぎった。埼玉の人には九州の西の果てから鎌倉界隈まで出てくる丸々肥えたブタ君が不思議だったんだろう。彼女は埼玉の大宮という町に住んでること、1時間半かかることなど話してくれた。福岡からは1時間15分で僕のほうが近いじゃないですかと言うとうすいピンクの花びらのような明るい表情で笑ってくれた。電車がきた。大船までのわずかな時間の間に彼女はこの町に来るようになった2年間のことそれ以前のことを話してくれた。僕がシャーリーマクレーンの話をはじめたとき彼女の視線が僕を驚いたように見つめた。と、その時大船に着いた。僕らはそこで会話をやめて電車をおりた。そして、「じゃあ、また」と挨拶を交わしてそれぞれの乗り場にわかれていったんだ。なんだか山川方夫の短編小説の主人公になったような夕暮れだった。北鎌倉はたくさんの物語の舞台になったりフォークソングになったり映画になったりしているようにこの細長いプラットホームにはいくつもの恋が生まれたり消えたりしたんだと思う。僕らはいつも小さな物語の主人公を演じて生きているそんな気がした。そんな気がしない?埼玉の美女がそういう気持ちにさせてくれたのかもしれない。石嶺総子「もう一人の私」をどうぞ!蒼空さん推薦曲です。追記:ブルさんへ。うまく書けないよ・・・。そのままありのままに書くことしかできない。期待に応えられなくてごめんね。空想のほうがステキだったかもね。君だったらもっと素敵なドラマにしてくれるんだろうな・・・。さあ、そろそろチェックインしようかな。今日は格安チケットでスカイマークなので乗り場が端っこなんだ。それにバックの中には鎌倉寿司が入っている。夕食用に買ってきたんだ。さっき、そばを食べたのでお腹はすいてないんだけどね・・・。福岡には22時に着く。家に着くのは22時半頃だな。では今日のブログ記事はこれだけにしとくよ。じゃあね。
2007.03.05
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少し疲れた。冬眠するよ。春眠になるのかな?突然の冬眠or春眠でごめんね。ただ人には「岐路」なんてものがどうもあるらしい。俺にとっては「今」また何回目かの「岐路」ってやつがきてるみたいなんだ。落ち着いたら今の状況を話すかもしれないし、落ち着いても話さないかもしれないけど、みんなそれぞれ「悩み」かかえてんだよね。俺はうそつきホラ吹きだから明るいふりしてきたけど実はそうじゃなかったんだ。もうこれまでのような20更新、30更新なんてできなくなると思うけど1日1記事更新だったら大丈夫だと思うんだ。気持ちが固まるまでブログから離れてみるよ。しぶとく「卒業」はしないよ。「留年」が好きなんだ。学生時代から。じゃあね。みんな、愛してるよ!
2007.02.15
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視聴はここで
2007.02.14
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まずは小田君ファンは「小田和正いろんな曲」を見て聴いてよ。もう見たかな?聴いたかな?もう見たよね・・・。見た人は俺の書いたのを読んでよ。小田和正 いろんな曲楽天ブログで小田和正、オフコースファンとたくさん出会った。最近出会った長七さんは熱心な小田ファンだし、はるのひさんもオフコースや小田ファンだよね。でも、僕がブログの中で出会った一番の小田ファンが「お~い中村君」なんだ。お~い中村君はブログは開設していないらしいけど、現在ホームページを開設する準備をしているそうだ。俺が小田君のYou TubeをUPしている影にはお~い中村君の情報提供があるんだ。実は・・・。お~い中村君との出会いは、みんなほとんど誰も知らない中村章三についての記事を書いたときに検索で飛んできてくれた人なんだ。今夜も情報を提供してくれたのがこの2曲です。 名前の「お~い中村君」を見たとき俺の頭に浮かんだのは三橋美智也だった。昭和30年代を生きてた人ならおぼえてると思うが、「お~い中村君」という歌があったよね?カラスがクルリと輪をかいた・・・とか。だから、俺と同年代か少し年上の片思い失恋フォークソングファンを想像してたんだ。中村章三は小田和正と永井龍雲とブレバタと松山千春と細坪基佳と天野滋とコックンを足して10で割ったような声と歌なんだ。お~い中村君が美女?だと知ったのはずいぶん時間が過ぎてからのことであった。
2006.12.14
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福岡界隈のラーメン宣伝マンのコックンです。福岡ラーメン講座の2回目は久留米ラーメン「魁龍」を紹介するぜ!いや、久留米ラーメンについては話が長くなるかもしれない。とにかく書いてみよう。天才的味覚の持ち主?コックンの舌が直感したことがあった。それは長浜ラーメンよりも久留米ラーメンが歴史が古いのではないかということだった。で、コックンのラーメン歴史も長浜ラーメンよりも久留米ラーメンとのつきあいが長いのである。そう、久留米、船小屋方面の友達が多かったということもあって久留米ラーメンともはやい時期に出会ったのだ。国道3号線沿いにあった「丸星ラーメン」が出会いの最初かもしれない。萱島君のスカイラインジャパ~~ンで食べに行ったのが最初だと思う。その後、原5丁目の森アパート時代(わかりやすく言うと「福岡ラブストーリー時代」)には、原にあった店の名前は忘れたが久留米ラーメンばかり食べていたのだ。その後、大砲ラーメンなどもたべた。見た目は白濁のスープと癖のある香り、強烈な豚骨スープは関東系ラーメン(醤油ラーメン)ファンにはなじまないと思う。しかし、この長浜ラーメンなどより遥かに癖の強い久留米ラーメンにはまったら抜け出せなくなるのも事実なんだ。実際、ここ数年間の俺は魁龍ラーメンにはまっている。定期的に食いたくなるということは一種の中毒症状なのかもしれない。ウィキペディア百科事典を読んで理解納得したことをかいつまんで話そう。●長浜ラーメンの源流は久留米ラーメンであること。●久留米ラーメンの源流は長崎ちゃんぽんであること。(これは知らなかった)●久留米ラーメン「魁龍」が北九州にいったということ。参考資料:地図俺は、魁龍ラーメンの本店が北九州であるということが納得できなかったんだ。しかし、バス釣りをする俺だからこそ、久留米と北九州が実は国道200号線で一直線に結ばれているということに気づいたわけだ。(この表現は正確ではありません!)福岡市に住んでいると、久留米は高速で30分で近い。北九州は1時間以上で遠い感じがする。しかし、昔の道路状況と産業状況がラーメン歴史に大きくかかわっているというのが、今の段階での俺の推理推測なんだ。国道200号線の久留米と北九州を結ぶ真ん中に飯塚(ビンちゃんのふるさと)と直方という町があるんだ。かつては炭鉱町で巨万の富を得たのが外務大臣をしている麻生君の地元だ。(今後「筑豊ラーメン・山小屋」についても語る予定)話をまとめよう。久留米と北九州は近いのだ。交流が多いのだ。筑豊ラーメンも久留米ラーメンから生まれた子どもラーメンだと考えていいだろう。つまり、北九州の鉄鋼業と筑豊の炭鉱が盛んな時代は、久留米から北九州へと人々は向かったことを、福岡に住んでる俺らは知らないのだ。まるで、これは五木寛之が大昔に書いた「青春の肛門」のようなスケールの大きな話なんだ。久留米ラーメン物語は小説にも映画にもなるぞ!ちなみにコックンが今日、国道200号線に新しい名前を付けることにする。国道200号線=ラーメン街道「ラーメンシルクロード」というのも考えたが「シルク」がつくのはおかしいし、「ラーメンロード」じゃ、インパクトが弱い。「ラーメン街道」・・・いい響きだ。どこかの誰か、福岡県内のラーメンの歴史を調べなさい。そういうサイトがあったら教えて。つづく。追記:「魁龍」店長は、「埋もれ火のアンソロジー」の愛読者=お~い中村君と同級生らしいのだ。熊本県本渡の人だそうな。(写真に写っている人が森山君という店長らしい)つづく。今「国道200号線」をウィキペディア百科事典で調べてわかったことがある。国道200号線は北九州と筑紫野市を結ぶ道路であった。ま、筑紫野市は久留米と隣のような???ものだから「ラーメン街道」は撤回しない!
2006.12.13
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ラーメンの話をはじめる。40年間の話をはじめると長くなりそうだけど、時代を無視して話したいところから話をはじめる。 先日、うまぽけさんが山木LIVE物語最終回で載せた写真をかりてきた。そう!今夜は「元祖長浜屋」の思い出を語ろう。全国の「埋もれ火のアンソロジー」ファンの諸君に「元祖長浜屋」のラーメンを捧げよう!ここを見て食べた気分になってくれ。これを食べた人々の感想がこれだ!もちろん19歳で福岡に住み始めてはじめて食ったわけで、最初の印象は店の印象は「汚い」(失礼!)「臭い」(失礼!)「感じ悪い」(失礼!)であった。そりゃあ、伊万里の田舎でおばちゃんがラーメンスープの中に親指をいれて「はい、おまちど!」という環境で育ってきたのだからそのうえ育ったところは小さな漁村であり炭鉱町なんだから「汚い」「臭い」「感じ悪い」にはなれているつもりであったが・・・。なにせ根が「オボッチャッマ」育ちの俺には「元祖長浜屋」は強烈な印象だった。だれかにつれていってもらったのだろうけど忘れた・・・。寒い今のような季節だった。入り口のドアもガタガタで店はせまく、赤いテーブルにはぎっしり人がすわっていた。表から吹き込む冷たい隙間風と豚骨スープの生あたたかい空気がまざってオボッチャマの俺にはなじめない空気だったことは確かだ。下の地面が黒土で多くの歴史を物語るかのように硬くなりそれがでこぼこなので、あの安物椅子にすわるとゆらゆらするのだ。その上、ガラスのコップに「お冷」など運ばれてこないんだぜ。赤いテーブルの上に胡椒やゴマや紅生姜などよりも威張って大きな黄金のヤカンがあるのだ。その満杯の時の重さは、オボッチャマ育ちの俺には持てないくらいの重さなのだった。(うまぽけさんは軽々と持ってた・・・)そしていかにも安っぽいことを誇ってるかのようなうすい黄色のコップ(学校給食用のようなもの)何人でも来やがれ!といった感じで置いてあるのだ。お茶はなまあたたかく、それをふらふらしながらついでいると「かためん」の場合はもう「は~い、かためん」といって出てくるのだ。お茶をつぐよりも、ラーメンができるのがはやいのが「元祖長浜屋」だと思ってもらっていいと思う。最近は店の前に自動販売機などを置いちゃって、あれは商売上便利なのだろうが「長浜屋」には似合わない。俺らはなじめない。東京界隈の駅の立ち食いそばと同じ自販機なんだ。※ ちなみに、うまぽけさんといった店(写真の店)は2号店。俺の話は本店なんだ。この2軒はすぐ近所にある。福岡の人間が路上駐車を堂々とするのは、あの「元祖長浜屋」でラーメンを食うためからはじまったのだと俺は思う。食うためには縦列駐車がうまくないと食べれないし、駐車違反にビビッテいたら食べれないのだ。そんな根性無しは来るな!といった感じだった。(昔の話だ)昔の「長浜屋」には女性客の姿はほとんど見られなかった。2号店ができてから、カップルや家族の姿も見るようになったし、最近はミニスカートの女の子二人で俺の横に座ってきたのを見て、「長浜屋も変わった!」と正直感じたさ。味?最初は美味しいとは思わなかった。魅力は値段だったんだ。昭和50年頃は250円だったと記憶している。(200円だったかな?)替え玉50円をして300円でまあまあ満足幸せ気分になっていた。吉野家の牛丼が350円だったから、マージャンしててお腹がすいた俺たち(誰たちだ???)は長浜ラーメンか吉野家の牛丼だった。値段が400円になったときは俺は長浜屋と離婚しようと思ったが、その時には、すでに時遅く「長浜屋中毒」になっていたのだ。替え玉は常識だった長浜ラーメン。実は、45歳を過ぎた頃から「替え玉」をしなくなったのだ。しても「半玉」(替え玉の半分の麺)で十分になった。50代。食べたいと思わなくなってきたのだ。しかし「長浜通り」を車で走ると「おやつ」代わりに店に入るが・・・。「長浜ラーメン」にはいろんな「長浜ラーメン」があって実のところ、どれが本当の「長浜ラーメン」なのか俺はわからないのだ。ラーメン好きだからいろいろ食べたが、どこでもそこそこに美味しいのだが、俺の「長浜ラーメン」は最初に出会った「元祖長浜屋」を「長浜ラーメン」と呼ぶことにしてるんだ。博多ラーメン、長浜ラーメンについてもっと詳しく知りたい人はここを読むとおもしろいよ。「元祖長浜屋」のことが詳しくかいてあるぜ!では次回は久留米ラーメンについて語りたい。読者諸君よ!しっかり予習をしておきなさい。とりあえずはここで。ラーメン大好きな人は多いと思うので、ラーメンネタを書いたときはコメント、掲示板を開くよ。美味しい店を教えてくれ!最後に「元祖長浜屋」に捧げた俺のTANKA(1991年作)を紹介しよう。●替え玉の五十円が好きなんだこんな価値ある五十円なし●好きなしこ入れておくれよ胡麻生姜胡椒もお茶も持ってけドロボー●寒い夜の寒い心にひとくちめすするスープよしみわたれ愛●飯もないギョーザもないただ飢えた胃袋が並んで座る●「みそ」「しお」も「ごま」も名前につきはせぬただのラーメンされどラーメン●ちょっとした仕事の合間立ち寄って替え玉をするしあわせもどき
2006.12.11
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今日はじめての今日のショッピング半年近くブログを書いてきましたが、少しお休みします。ブログのネタも切れたし、疲れました。(飽きやすいタイプなんです)ブログで出会ったたくさんの人たちに感謝しています。いろいろなことを教えてもらいました。しかし、親しくなるにつれて・・・無礼なこともたくさんコメントや掲示板に書いてきました。これまで不愉快な思いをさせてきたことを深く反省しお詫びいたします。またそのうち、図々しく現れますから・・・気持ちをRESETして!しばらくは、みなさんのブログを読んで楽しませてもらいます!
2006.05.07
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