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フランス(France)パリ、(Paris)
オルセー美術館(Musee d Orsay) part 2
オルセー美術館 2 (印象派・・マネとルノワール)
印象派とは?
アカデミーとは?
ルノワールの彩色
エドワール・マネ
ここは、2月革命(1848年)から第一次世界大戦が起きるまでの1914年までの作品が展示されています。
19世紀の後半にパリを中心に立ち上げられた大きな芸術運動(改革)
で、
従来の アカデミーの仕切る絵画論に立ち向かう
(反抗する)べく、 新しい絵画スタイル
を発信した画家達の一団のスタイルを総じてこう呼びます。
それは従来の絵画のスタイルである 写実主義から、想像性を交えた様々な表現を駆使した絵画(何でもありの絵)への移行期の序章
で、それ自体 「革命的な絵画への挑戦
」だったと言ってよいでしょう。
特徴は 「暗から陽へ」・・薄暗がりの中の絵が、明るい光の下の絵・・に
変わった。
絵は、おもいっきり、陽の光を浴びて光輝く、明るい絵画として表現されたのです。
太陽光、電球の明かり・・・それら光のマジックを画家のインスピレーションで表現した作品
でもあります。
ただその為に 絵は、リアルではなくなり、画家の想像力が大きく左右
される作品になりました。
ちょうど、産業革命で電気が導入され、夜の街も明るくなり、 計らずも
、一般庶民の生活にも明るさが芽生えてきた、そんな社会を表現した技法かもしれません
。
スタイルは様々ありますが、 彼らは主に戸外で作品を描いています
。
時間による光のマジッックを描き出した第一人者は
クロード・モネ
に代表されますし、
女性の肌を光輝く艶で表現したのは前回紹介した
オーギュスト・ルノワール
で 、
電球のスポット・ライトの光に照らされた女性を描いたのは
エドガー・ドガ
です。
後期に入りますが、 光を印刷の粒子のように分解して点描と言う特殊な手法で緻密に描き上げたのが
ジョルジュ・スーラ
です。
彼らは光に焦がれて、自然に焦がれて積極的に動き回り、自由に発想して見たまま、感じたままをキャンパスに描いた挑戦的画家達でした。
アカデミーとは?
アカデミーは、簡単に言うと、芸術の管理団体です。特に 国家対策として芸術家の地位と育成に力を注ぎ、表彰や展示までを仕切っていた・・特権団体
です。
それは 創始目的が、宮廷お抱えの芸術家の育成と言う所からスタートし、伝統や保護、保守が優先
されているので、それはそれなりに必要な部署なのです。
ただ、19世紀になると庶民の文化の中の芸術界にまで仕切り出し、権力をかざし、アカデミーにそぐわない芸術家を認めず、締め出し、展示さえもさせないような強行スタイルをとっていたので、 一般の芸術家にとっては敵対者
でした。
印象派のような新しい改革者達とは水と油ほど考えが違っていた
わけです。
前回に引き続き
オーギュスト・ルノワール( Pierre-Augustê Renoir)(1841年~1919年)
の作品から・・。せっかくなので額縁も入れてあります。額縁も絵画の一部だと絵の先生に言われた事があります。
額縁が豪華だと絵も良く見える・・と言うマジックを自分の作品でやっています
ブランコ(1876年)
モンマルトルのアトリエの庭で描いた作品だそうです。
ルノワールの彩色
ルノワールは 影を描くのに黒ではなく、青色を使っています。青を意識して、細部の配色も計算
されて黄やピンクが置かれています。
前回もその色彩表現が非難されたと紹介しましたが、 絵の具を混ぜて色を創り出す事をほぼやめて、絵の上でうまく色がからむような構成
にしているのです。
読書する娘(1875年~1876年)
読書する少女の左からライトが当たっている事が強調されている一品です。そして、その 光の中で少女の高揚する感情を表現
しているようです。
拡大
遠目に見るとそれなりに違和感はないけれど、近くで見ると輪郭もぼやけて消えている。(特に光の当たる部分は・・。)デッサンはどうなんだ? とも思いがちですが・・・。
彼らの
絵は、遠く離れて初めて良さが見える
というわけです
この絵はアカデミーの巨匠達の絵とは明らかに別物ですね。彼らには全く経験がないので理解できなかったろう・・・。
ピアノに寄る娘たち(1892年)
この絵は複数見かけます。赤が基調になっていて、幸せな家庭のリビングに飾るのに象徴的な絵ですね。
エドワール・マネ(Edouard Manet)(1832年から1883年)
司法省の高級官僚の家に生まれた彼は18才で画家のアトリエで勉強しています。
父の多額の遺産を相続した彼は他の画家のように食べるのには困らなかったようです。 印象派の友を支持しながらも、彼自身はアカデミーで認められる事を願ってサロンの出展を重視し、1881年にレジョン・ド・ヌールの勲章をもらっています
。
印象派に組み込むには無理がありますが、明らかにアカデミーから脱した開拓者です。
バルコニー(1869年)
サロンに出品されたこの絵は グリーンの手すりと白いドレスの対比が見る者を釘付けにする
のである。
女性はベルト・モリゾー。マネに戸外で描く事を勧めたのは彼女だと言います。マネの弟と結婚するまでは度々モデルをしたとも言います。
マネの作品でよく引き合いに出されるのは娼婦を描いた「オランピア」ですが、それに比べると確かにアカデミックではあります。
写実的ではあるけれど、従来にはない構図は、むしろフォトのようです。どうも自分の中の面白さ・・思いつきに忠実に描きたがる人のようです。
決して悪くない作品です。来歴不明ですが、バルコニーより後だと思います。
どうもマネの作品は、初期にサロンで酷評された「草上の昼食」や「オランピア」が引き合いに出されますが、酷評以降の作品の方が、マネの良さが出ていると思います。
つづく
リンク オルセー美術館 3 (ジョルジュ・スーラ)
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