わたしのこだわりブログ(仮)

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2014年01月23日
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最初に・・ 公式の正式名称はRoyal Museums of Art and Historyです
厳選された骨董価値のある逸品が飾られている見応えのある美術館でした。

美術館の善し悪しは、もちろんどれだけのお宝を収容しているかで左右されますが、その見せ方も大切な要素です。
つまりそこの学芸員の腕次第で、それほどの展示物でなくても、素晴らしく価値のあるコーナーを造る事が可能なのです。

昔と違い、最近どこの美術館もただ並べるだけの展示から、コンセプトを持った展示に切り替わって来ているのでかなり面白くなってきています。
知らなかった新しい世界を提供してくれる展示は、ワクワクします。
それこそ学芸員の知識とセンスのたまものでしょう。

今回は特に目を引いた逸品を載せて見ました スマイル

サンカントネール美術館 1 (ローマン・グラス 他)

サンカントネール美術館(musée du Cinquantenaire)(Royal Museums of Art and History)
ローマン・グラス(Roman Glass)
古代エジプトコーナーから

ブリュッセルでは王立の美術館があり、絵画部門と工芸博物館とに別れています。
サンカントネール美術館は、 王立の美術史博物館であり、ベルギーの工芸品だけでなく、世界五大陸からの美術工芸品など35万点が展示されている大規模美術館です

pict-サンカントネール美術館 1.jpg

しかしもともとハプスブルク大公の所有だった高価なコレクションのほとんどは 1794年ハプスブルク家当主となった フランツ2世(1792年~1835年)の時代にウィーンの帝国の博物館に移送された ようです。
(※ フランツ2世(1792年~1835年)は初代オーストリア皇帝フランツ1世となる。)

pict-サンカントネール美術館 3.jpg

ベルギー王室2代目の レオポルド2 (Léopold II)(1835年~1909年)(在位:1865年~1909年) の時に公園造園と共に計画され、 寄贈されたコレクションや王のプライベートコレクションなどが集められ始まっ ようです

1912年王立サンカントネール美術館(musée du Cinquantenaire)となり、
1922年~ 1926年正式名称は王立美術歴史博物館(Royal Museums of Art and History)になる

その後、 大戦でストップするまで、 国王の植民地政策の他、博物館には研究機関が組織され、エジプトやアフリカ、イースター島にまで行ってコレクションの収拾を計った
(それが現在の幅広いコレクションの発端になっているようです。)

pict-サンカントネール美術館 2.jpg
入場は5ユーロ

入ってわりとすぐ左手にあるお土産コーナー
pict-サンカントネール美術館 4.jpg
お土産も多いが、美術関連の書籍、リアルに近い複製の工芸品もたくさん販売されている。

入り口より右手の方は中世のたたずまいを持つ室内装飾になっている。
pict-サンカントネール美術館 7.jpg
所々置かれて居るのはアンティックの聖水盤

中庭
pict-サンカントネール美術館 6.jpg

古代のローマン・グラス
pict-サンカントネール美術館 9.jpg
左から4つが宙吹き
   ・・宙吹きの技法でガラスは薄く透明に近づいた。
写真右のゴブレット
   ・・たぶん「型吹きアーモンド杯」2世紀のシリア産。同じ物が大英博物館にもあるようです。

ローマン・グラス(Roman Glass)
広義には古代ローマ時代に造られたガラス製品を指す言葉 で、欧州では昔から使われてきたガラス器の呼称だそうです。

古代ローマとは紀元前8世紀(ローマ建国)から始まって5世紀の西ローマ帝国滅亡までを指すのが妥当だと思いますが、 狭義のローマン・グラス(Roman Glass)として考える時は、紀元前1世紀から5世紀に造られた製法のガラス製品をさしています
なぜなら ローマ時代に発達したガラス造りの転換期が紀元前1世紀に起ったから です

pict-pict-サンカントネール美術館 16.jpg

紀元前1世紀、資源調達国であるローマ帝政期のシリアで吹きガラスと言う新しい技法が誕生。さらに進化して透明ガラスになるとガラスの価値も一変。

従来は細かいガラスをつないだモザイク技法やパートドベールなどの手間のかかるガラス細工は装飾的なお宝でしかなかった。
それが大量に生産できるようになってサイズも大型化、そして値段は200分の1にまで落ちて製品として実用化にまで発展。
ローマ帝政期の1世紀~3世紀のローマン・グラスは、ローマ市民のポピュラーな実用品となり市民の生活の中にも浸透 して行ったそうです。

「ローマではガラスの瓶や杯が銅貨1枚で買えるようになった。」
by ストラボン(Strábôn)・・・古代ローマ時代のギリシア系の地理学者・歴史家。

初期のガラスの存在は金や宝石に匹敵する高価な存在だたようですが、技法が確立され、生産性があがり安価になったローマン・グラスはローマ帝国の交易にのって世界に広まった。

そして、最初に紹介したようにベルギーおよびオランダ、ルクセンブルク含む一帯が古代ローマのガリア・ベルギカ(Gallia Belgica)州であった為にそうしたローマ時代の遺物も結構出るのでしょう。

ところでローマ時代のガラス職人の地位はかなり高かったらしく、名工は、作品に名前を刻んでいたそうである。
今で言うブランドの走り・・でもあるようですね。

コア・グラスとラスター彩色のミニボトル
pict-サンカントネール美術館 8.jpg
フランス語解説ではまとめて紀元前6世紀~3世紀となっているが・・
これらは、おそらく香油ビン​(Perfume bottle)と思われる。

左2点がコア・グラス
     ・・解説は無いが、たぶん紀元前15世紀ぐらいの古代エジプト時代のもの。
右の3つは宙吹きのラスター彩色のローマン・グラス
       あくまで私の推定で、古代ローマ時代、3~4世紀のシリアか?

ラスター彩色はイオン交換着色と言う金属酸化物を吹き付けて化学反応により光沢を出す高度な技法。

なぜ古代ガラスを載せたか? と言えばこのラスター彩色の小瓶があったからである。
小さいし、そうは見えないかも知れないけど、これはなかなかの宝なのです スマイル
薄くて小さくて、壊れやすいガラスが現在まで残っている事自体奇跡なのですから・・。

collier en perles de verres(トンボ玉のビーズ・ネックレス)
pict-サンカントネール美術館 15.jpg
Iran Amlash(イラン アムラッシュ) 紀元前10~8世紀 
Fouilles de Ramat -Abat(ラマシェィド発掘)

こんな完品はおそらくお墓からの出土では?
俗にトンボ玉と呼ばれるガラス玉は紀元前2000年にはすでにあったようです。
ガラスは宝石級の扱いだった事がわかります。

因みに・・近年、シリアで売られていたレプリカの土産用ガラスの小瓶
pict-シリア・グラス 1.jpg
なぜこんなに小さかったのか?
古代、最初は炭火でガラスを成形していたからだろうか?
やはり希少品・・と言うプレミア以外に目的がなかったからだろうか?

シリアにはガラスの博物館があります。今の内戦で破壊されていないか心配です。

ガラスに関してはティファニーランプなどいろいろ過去ログに書いています。
このブログ内検索で「ガラス」と入れて検索してみてください スマイル

古代エジプトコーナーから
pict-サンカントネール美術館 17.jpg
研究チームがエジプトから持ち帰ったものだろう。まだ1900年初頭には出回っていたのかもしれない。

誰もいない部屋で一人で見学するのはちょっと怖かったしょんぼり

ミイラに巻く亜麻布
pict-サンカントネール美術館 19.jpg
巻く順や部位で変わるようである。
今まで布まで展示している所は見た事がなかった。

キャップストーン(Capstone)冠石
pict-サンカントネール美術館 18.jpg

ピラミッドのキャップストーン? あるいは形状からするとオベリスクのキャップストーン?
いずれにせよ今までお目にかかった事がなかったかも・・。

次回フランドル・タペストリー予定
リンク ​ サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他)






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Last updated  2020年10月22日 06時47分03秒
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