** 長島便り **

2004年の経過




2004年3月
計画を始めて10ヶ月、妊娠する気配無し。
階下に住む友人Carolに婦人科を紹介してもらい、予約を入れる。

2004年4月1日(木)
9:15am婦人科検診へ。
East Northport Office、Dr. ゴールドマン
待合室で偶然キャロルに会い彼女の妊娠を知る。
同い年の彼女は2人目を身ごもっている、羨ましい。
初診なので書類の記入が多い。
診察時に付き添いが要るかの問いにはNOを選択。
Dr.以外の人がいたら余計気を使うのは私だけか?
昨年グリーンカード申請書類のために受けた
健康診断のコピーを取り寄せておいたのでそれも一緒に提出。
尿検査、血液中の鉄分を診る検査は中指の先に針を一刺しするだけ。
問診、内診の結果、子宮に異常は無いとの事。
Mammogram(乳がん検査)も一応受ける。
Consultation(カウンセリング?)にて、タイミング法で
7月まで様子を見るようアドバイスされる。
生理終了後5日目、7日目、9日目、11日目、13日目、
念のため15日目もintercourse をするように指導される。
「たまたまですが夫がIVF(不妊治療医院)勤務で
Andorologist(人工授精士)である」ことも告げる。
名刺を一応渡す。「まだ29歳なので、
You can have babies as many as you want」 と励まされ、
その気になって帰宅する。

2004年4月15日
JFK空港で勤務中のクリスに会う。
「パパになったんだ」と息子の写真を見せてくれる。
未婚なのに子持ちか。とにかく羨ましい。

2004年5月6日まで 韓国と日本へ帰省
帰省中、中学時代の同級生達が「ママになった」
もしくは「二人目」という話を耳にするたびに
不覚にも落ち込む。

2004年7月
7月になるも結局妊娠の兆候無し。
再び医者に予約(7/13 8:00am)を入れる。

OB GYNより郵便が届き、7/27の予約を変更して欲しいとの事。
電話して8/2 5:15pmに変更。

2004年8月2日(月)
妹とその友人が泊まりに来るがその日の夕方
予約のためHuntington Officeの方へ行く。
待合室の子連れ黒人妊婦がにぎやがで羨ましい。
Dr. ゴールドマンにはNot pregnant yet?と首をかしげる。
初めてのCulture test(感染性微生物検査)を受ける。
膣内組織サンプルを取り、培養して
感染性微生物の有無を調べる検査。

2004年8月7日(土)
空港勤務時代の友人が遊びに来る。
新しいご主人と、もうすぐ1歳になる坊やをつれて来た。
生まれる前からずっと過程を聞いてきたが
実際に子連れの彼女を見ると、つくづく羨ましい。
色んなことがあった彼女なだけに、幸せそうだ。


OB GYNより電話。行き着けのPharmacy(薬屋)の連絡先を聞かれる。
病気知らずで行きつけの薬屋など持っていないため最寄のCVSを教える。
理由は説明されず電話を切る。

数日後
こちらから電話をするもDr.が多忙なため話を出来ず、
電話待ちと留守番電話を残す作業で数日が過ぎる。
留守中留守番電話が入っており掛けなおすと、
pharmacyを聞いた理由がCipro(抗生物質)の処方のためと判明。
それ以外の事は受付の子は分からないとのこと。

数日後
何度も留守番電話を残す
Culture test を受けたが結果も分からずに
薬を買いに行く事は出来ない旨を伝える。

数日後
ようやくナースと話が出来る。
Culture test の結果はNegativeだったとのこと。
非常に急がしそうで、すぐに電話を切られる。

数日後
予約を入れる

2004年8月22日(日)
NJの友人が子連れで遊びに来てくれる。
長男5歳、次男生後2ヶ月。
思う存分、私達に子供の相手をさせてくれる。
夫と共に非常に癒される、とにかく可愛いくて楽しい。
夜9時を回っても、夫は子供達を帰したくない様子で
「泊まっていってもいいんだよ」を繰り返す。
子供達のパパにビールを勧め、運転不能にさせようと試みるも
10時過ぎに帰ってしまう。夫のためにも早く授かろうと思う。

2004年8月末
East Northport Officeへ。
内診台に上がったが、「Ciproは飲み終わったか?」の問いに
「検査結果がNegativeと聞いたので薬は飲まなかった」旨伝える。
ナースのresultの読み間違いであることが判明。
Resultを見せてもらう
M.hominis/ Ureaplasma Cult
Result:
No Mycoplasma Isolated.
Ureaplasma Urealyticum Isolated
と書かれている。ナースはNo Mycoplasma Isolated.
の部分だけ見て私に「negativeだ」と言ったらしい。
私はUreaplasma Urealyticum Isolated
(ウレアプラズマ属)という微生物に感染しているらしい。
Ciproを飲んでいないのでその日は検査はせずに、処方箋をもらう。
そのままConsultationへ。
次の検査HSGテストへ進むことに決まる。
HSGテスト(hysterosalpinogram)は
子宮から卵管にカテーテルでdye造影剤を流し入れ
卵管の詰まりを見る検査。

2004年9月頭
HSGの予約を入れるも、妊娠してないことを確認のため
生理の初日に予約の電話をかけ直すように指示を受ける。
9/5再び電話、9/13に予約を取る。
HSGを受けるにあたってのinstruction.
Use enema one hour before your visiting.
You can have unprotected sex until that day.

2004年9月13日(月)
Hysterosalpingogram当日
非常に大変な思いをする。。。
当日朝は言われた通りenemaで腸内を空に。
アメリカの浣腸はデカイ。半分にしておいて正解。
それでも予想の時間以上にトイレから離れられず
時間がせまり慌ててシャワーをして9:00am、BAB Radiology到着。
待合室で1時間待つ間に冷房で歯の根が合わぬほど体が冷える。
名前を呼ばれた頃には、指先足先の感覚は無く、爪は紫色状態。
歯をガチガチいわせながら、脱衣してガウンを着て
検査台に横になると、その検査台がアルミ製の
銀色の冷たい台でさらに凍える思いで待つ。
子宮口を開いたまま固定されDyeを流し入れる。
左右の卵管をモニターで見る。
右は全く見えない、心配になる。
体を動かされながらX-rayを撮られる。
だんだん腹部が痛くなるが我慢する。
そのうち痛みが増し、遂に 顔をしかめていないと我慢できない。
「腹痛がするけどnormal reactionか?」と問うとそうだという。
続いて吐き気が襲う。
寒さと痛さとおう吐感が重なって、全身鳥肌がたつのに
わきの下と手の平に冷たい汗をびっしょりとかく。
Dr. に「Tylenolを服用してこなかったのか?」と聞かれるが
そんな指示は受けていないと言う。
「大丈夫か?」の問いに「痛いが大丈夫だ」と答えてしまう
日本人気質の自分が恨めしい。
しかしそれも「I’m ok but it’s getting worse」になり
しまいにはあまりの寒さに毛布をくれるように頼む。
検査終了時、器具を抜かれた時は、余りの激痛に
うっと唸って、鉄の台の上で飛び上がってしまう。
よろよろになりながら、ドアの向こうのトイレに
連れて行ってもらい個室内で半分気を失いかける。
ドアの向こうでナースの「大丈夫?!」という声には
既に返答不可能。
心配したナースが入って来た時、私は便座に腰掛けたまま
壁に頭をつけて、白目をむいていた。。。
とりあえずその状態で血圧を計られる。
血圧は100 over 50で普段と変わらない。
トイレから出ると、暖かい紅茶とクラッカーをもらう。
着衣を手伝ってもらいながら迎えを呼ぶように言われるが、
腹痛が治まる4~50分ほど椅子に座って休ませてもらい
自力で帰宅。
建物の外に出て、温室状態の車内に座るとかなり快復。
帰宅後「お礼と無事帰宅」の電話を入れる。
自宅では尾てい骨あたりが脈打ち、子宮も痛い。
蒸しタオルをお尻とお腹に当て唸りながら
「今日は早く帰って来てもいいよ」と夫に電話。
今日の検査結果が待ち遠しいが、素人目にも卵管閉鎖が伺えた。


2004年10月1日(金)
Dr. ゴールドマンに会う、HSGの結果を聞く。
「Your left tube is open, which is a good news」と言ってから、
右の卵管が完全に閉鎖していることを知らされる。
やはり、という思いになる。
レントゲン写真を見ても、右側には全くdyeが見られない。
このため、妊娠の確立は通常の半分に。
毎月交互に左右の卵巣から排卵されるため、
1年に6回しか妊娠のチャンスは来ない。
左の卵管も、本で見るnormal tubeの半分くらいの細さしかない。
Dr.はにこやかに「不妊治療に進みましょう」と言ってくれる。
私も躊躇する事なく「I will」と答える。
CultureはIVFで続けて受けるよう指示を受ける。
夫の勤めるIVFのDr. ブレナーに紹介状を書かれる。

2004年10月12(火)
職員優待で割り込み予約を入れてもらう。
顔見知りのDr. ブレナーの患者になってしまった。
3pm、夫とLI IVF Melville officeへ。
夫の仕事仲間達に暖かく迎え入れられ、何とも不思議な気分。
この期に及んでは、もう「恥かしい」だの
なんだの言っている場合ではない。
あいにく、Dr. Brennerの急用のため、明後日に予約入れなおし。

2004年10月14日(木)
再び夫とうちから近いMelville Officeへ。
まずはDr.ブレナーとConsultation(カウンセリング)。
本来ならConsultationは$400の所が無料。夫の職場に感謝。
「妊娠を計画し始めてどれくらい?」の問いに
「1年半」と答える夫に、改めて計画当初の月を思い出す。
最初は妊娠検査でnegativeと出ると大げさにがっかりしていたものが
今ではすっかり慣れた。あの頃妊娠していれば今頃7ヶ月か8ヶ月の
赤ん坊をこの腕に抱いていたはずだ。

他の質問は
以前に結婚していた事はあるか?
以前に中絶した事はあるか?
以前に妊娠したことがあるか?
薬物を使用したことがあるか?
タバコは吸っているか?そして吸っていたか?
両親、祖父母に不妊患者はいたか?

なるべく自然妊娠に近い形で授かりたいので、
今度、閉鎖している卵管をキャセライゼーション
という手術で開きしばらく様子を見ることに。
処置は私が全身麻酔で眠っている間に行われるらしい。
まずは、先日陽性とでたウレアプラズマ属という細菌を治療してから。
ウレアプラズマ属は夫婦間でtransmitするので
夫婦でCiproを服用することになる。

Mammogramと内診、触診とソノグラムで経膣超音波検、
この時左の卵巣が右より大きいことから、
今月は左から排卵と分かる。
タイミングをよくみて頑張るように励まされる。
内診後、着衣し血液検査には4本だけ採血される。
ウレアプラズマが治ったらDay 3 blood
という検査をして卵が正常か否かを診るらしい。
Day 3 bloodとは、生理3日目に血液検査をする(腕の血管から)。

2004年10月21日(木)
Ciproの服用が終わったので、Melville officeに
2度目のCulture testを受けに行く。
女医のDr.と1st year Residentの女医がテストしてくれる。
彼女はウレアプラズマがいったいどういうものかを説明してくれた。
STDでは無い。誰にでもある菌で心配は要らないが
医者は念のため治療しないと妊娠させられないことになっている、との事。

2004年10月末
Culture test result 2度目も再びPositive。

2004年11月1日(月)
別の抗生物質zithromax 250mgを飲み始める、夫婦で。
この薬の副作用には参る。胃のむかつき、めまい、
服用中は外出出来なくなる。

2004年11月8日(月)
階下のキャロルが昨日、帝王切開で女の子を産んだので
病院へ面会に行く。未熟児の女の子だけど、キャロル、
よく頑張った。夫は集中治療室で沢山のチューブに
繋がれた小さな命に感無量の様子で写真を撮っていた。
そういえば4月に産婦人科でCarolに会って
妊娠したと聞いてから、もう7ヶ月が過ぎたんだ。
私には何か進歩があったかな。

2004年11月10日(水)
近所の親しい友人が妊娠の報告をしてくれる。
おめでたい事なのに、私に気遣って彼女は
非常に申し訳なさそうに話す。
きっと今までも気を遣ってなかなか言い出せなかったの
だろう思うと、申し訳なくなって自己嫌悪。

別の友人が、皆のいない所で「気休めだけど」と言って
そっとクリスタルの子宝のお守りをくれる。
彼女も5年間不妊に悩んだ不妊経験者。
モノ知り顔で「○○が不妊に効くわよ」という言葉より
彼女のくれた「気休め」が嬉しくて不覚にも涙する。

2004年11月16日(木)
薬を飲み終わり、Melville Officeに行く
Dr. ブレナー に3度目のCultureをしてもらう。
今日はバーバラが働いており、しばらく話をする。
普段親しくしている彼女の顔をみて安心する。
バーバラはキャセライゼーションのアドバイスをくれる。

2004年11月23日(木)
3度目のCultureの結果、まだpositive。
抗生物質zithromax 250mg×4錠をOne doseで処方される。

2004年12月3日(金)
Day 3 blood 受ける。
「生理3日目にcheck your bloodします」
と言われたら生理の血を検査するのかと思ったのは私だけか?
腕の血管から採血してホルモン検査をしただけだった。
行きしな通勤途中のOZパパに会う。

先日処方されたzithromax 250 mg4錠をOne doseで服用。
20分後くらいにまた前回同様激しい吐き気が始まる。
胃がムカムカして、生唾が出る。
気持ち悪いがなんとか吐かずに持ち堪える。

2004年12月7日(火)
4度目の正直、Cultureを受ける。
ウレアプラズマ、どうか全滅してて下さいな。
夫休暇中だけど一人でMelville officeへ行く。
今日はDebbieに検査してもらう。
昨日からtension headache(偏頭痛)、帰宅後寝る。

2004年12月15日(水)
Dr. ブレナー より電話。
4度目のCultureの結果もなぜか再びPositive.
Dr.ケニンスバーグにsecond opinionをもらう。
Dr. ブレナー、私達夫婦も含めて三者合意で次のステップへ
進む事に決定。もうウレアプラズマは無視。
これでもう強い抗生物質を飲まなくて済む、助かった。。。

2004年12月27日(月) 11:30
夫もDr. ブレナーもLake Success勤務日なので
私は雪の中運転してLake Success officeへ。
2度目のConsultationの結果、次のサイクルの時に
Tubal catherization(卵管を開く手術)をLIJでして
Clomid(排卵誘発剤)を飲み人工授精することに決まった。
自然な妊娠に近い方法でと思っていたが人工授精に踏み切った。
「授かる」から「作る」になった。
私としてはまだちょっと複雑、そして裏腹に早く欲しい。
ジレンマである。
Clomidの服用で双子の可能性が出来るけどいいかと聞かれ、
構わないと答える(本当は困る)。次の生理が始まったら
Jamellaに電話して本格的な治療を開始。
来週辺りからまた検査と薬漬けの日々が始まる。
もし次のサイクルで妊娠できたら、来年の10月生まれの子が出来る。
暖かい5月生まれの子供希望だったのは遠い昔の夢のようだ。
一人目は29歳で産もうと計画していたのも今となっては叶わぬ夢だ。
しかし、一人目は男の子、二人目は女の子が欲しいと
思う希望だけはまだ密かに持っている。叶う日が私にくるか。

2004年が終わる。
今年、結局子宝には恵まれなかったが、
不妊治療を始めたことは大きな進歩だと思うようにしよう。
来年の目標は「妊婦になる」。もしできたら「出産する」。
気長に明るく頑張ろう。


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