::手作りDays::

::二度目の流産(繋留流産)::



サクも2歳になって2ヵ月後の7月。
そろそろ二人目が欲しいねなんて
話していた矢先、妊娠が発覚。

私の場合、1日に何倍も飲むコーヒーが一滴も飲めなくなることが
妊娠の兆候なのか生理予定日を過ぎた辺りからコーヒーを
口にしなくなりました。

検査薬でチェック。やっぱり陽性!

友達や妹に、陽性だったと報告したら喜んでくれました。
・・が、この時点でまだ言わなきゃよかったと後悔することに・・。


***

散々、いい産婦人科はどこか口コミで探して、選び抜いた産科へ。

確か、6週頃だったと思います。

先生曰く
「このくらいの大きさだともう卵黄嚢や胎芽が見えていい頃
・・なんだけど、見えなくてもおかしいことではないから来週また
来てくださいね」

もしかしてまた流産だったりして・・・

不安になったものの、「きっと大丈夫よ!」と言ってくれる友達の
メールなんかに励まされながら一週間をすごしました。

そして一週間後。

いつもなら内診台に上がったときにすぐ目の前にあるはずの
モニターがカーテンで隠されているのに嫌な予感がよぎりました。

先生の

「うーん、、赤ちゃん、見えないね~」

という声を聞いた途端、涙が溢れ出しました。


良く見てない感じがしたし、
誤診じゃないか?、だったらうれしい誤診なのに・・・。


処置する日を早めに決めて連絡するように言われ
帰宅する私の心の中は半信半疑のままでした。
その日のうちに、妊娠を知らせていた友達に結果を知らせながら
これからはもっと安定期に入ってから告げるようにしよう、と
強く思ったのでした。

電話で結果を知らせていた旦那はその2時間後には帰宅してくれ
一緒に泣いてくれました。
そしてその日、1人の友達が「家に行くよ!!」と電話してくれたことが
とってもうれしかった。

***

前回の流産のように痛みも出血も全くない為、
全く実感がわかず、出来ることならこのままお腹の中に
赤ちゃんを留まらせておきたい・・

処置の前に、モニターに赤ちゃんが映ってくれますように・・・

もし駄目でも、今度は絶対、赤ちゃんにさよならしよう。

そう決めて病院へ向かった7月13日。
旦那も仕事を休んで付き添ってくれました。

そしてモニターに映った帯嚢は、やっぱり真っ黒なまま。

でも私は落ち着いて、

「赤ちゃん、ごめんね。ありがとう、また会おうね」

とお別れすることが出来ました。

***

思えばこの日、処置をすると知っている友達が
何通も励ましのメールをくれたり、術後も気遣って電話してくれたり
したのに、どうしても返事を送れなかった。

それどころかそれからの私は
「何で私ばっかりこんな目に遭わないといかんの?」という
思いばかりが募り、周りの人の素直な優しさや思いやりに対して
疑ったり、平気で人が傷つくような事をしたりと
とんでもない事ばかりしていました。

みんなが優しくしてくれるのが当たり前だとすっかり甘えていたのです。

***

天国へ逝ってしまった赤ちゃんは私に

もっと強くなるように。周囲の人たちをもっと大事にしてね。

と伝えにきたのかもしれない。

私って本当に年甲斐もなく、子供なんだなぁ・・・。




→三度目の流産



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