減らないお財布を持ってフィナンシャル・インディペンデンスをめざす仲間のコミュニティー

減らないお財布を持ってフィナンシャル・インディペンデンスをめざす仲間のコミュニティー

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

toms2121

toms2121

Favorite Blog

(第63回)習志野… New! kaitenetさん

モールの定理とは?… New! ミカオ建築館さん

夏の和食 New! slowlysheepさん

2026~27ポートフォ… New! みきまるファンドさん

征野ファンドの運用… New! 征野三朗さん

Comments

toms2121 @ Re:ご苦労様でした(12/30) bouz3907さん  こちらこそ、来年もよ…
toms2121 @ Re:一年間ありがとうございました。(12/30) greenglass1956さん    いつも読んで…
bouz3907 @ ご苦労様でした 師匠のおかげで夫婦で楽しみながら投資を…
greenglass1956@ 一年間ありがとうございました。 いつも石川さんのプログを楽しみに拝見さ…
toms2121 @ Re:今年も1年ありがとうございました(12/29) ハヤザキさん  こちらこそ、ありがと…

Category

Calendar

2007.01.31
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 今日は尊敬する内田樹先生のブログから、ご紹介させていただきます。

 正直に言って、私もサラリーマン時代は先生のご批判にあるような態度をとっていたと思います。会社で生きていくためには会社の掟に逆らわないで生きていくのが無難です。そして何か起こったときは「私は、ちっとも知りませんでした。」という誤魔化しポーズをとることも多々ありました(汗)

 自分の仕事に忠誠を誓ったのも、自分の仕事をきちんと守っていかないと、とんでもないはめに追い込まれることも多かったからです。いるんですよ、世の中には、やらなければならない大切なことが出来ないと、机の中に隠しちゃう人が。そんな人が部下になったら、後で大変なことになります。

 「ヤバイ」ということに気がついたら、身を守るためには、すぐ上司に報告をしていました。だってずぐ、何かあったら、「ワシは知らなかった」という人ばかりが多かったですから。すなわち責任を取らされるのが怖くって、さっさと報告していたわけです。それだけ上司を信用していなかったことになります。

 人の仕事の穴は見なかったことにしていました。「ちくった」といわれてひどい目にあうからです。

 不二家の事件にしても、私と同じような思いで、会社にしがみつく(⇒生活費を稼ぐためには会社にしがみつくしかないと思っている)必要があって、世間では許されないと、悪いとは思っていても、目をつぶっているしかないと思っていた人も多かったと思います。

 だって日本の会社や社会では内部の掟のほうが法律に優先することを、肌身に感じて知っている人が生き残れているわけですから。

 でも、その場合は、問題が表ざたになったときは、潔く、ともに責任を取らなければいけないと思います。責任を取れなかったら、その仕事から逃げ出すしかないと思います。でもそのためには生活費を稼ぐ手段を持っていないと、途端に生活が苦しくなります。だから私のように、問題に目をつぶって会社の掟に生きている人も多いと思います。

 だから会社にしがみつく時は、覚悟を決めて、バレた時には潔く責任があると認めることが必要だと思います。ただし無責任な人間を逃がさないようにしっかり責任は一緒に取ってもらおうと思っていました。ここが私のセコさです(汗)



『「言い訳上手になりました」

NHKが01年放送の「女性国際戦犯法廷」のドキュメンタリー番組で政治的圧力を受けて番組内容を改変した事件について、東京高裁がNHKに賠償命令を下した。

隣の記事は関西テレビの「あるある大事典」の捏造問題の中間報告。

テレビメディアの中立性やフェアネスに対する社会的信用はずいぶん低下したようである。
まあ、身から出た錆である。

でも、「テレビの言うことならほんとうだろうと思っていたのに・・・裏切られた気持ちです」というようなナイーブなコメントを新聞が掲載しているのを見ると、「嘘つきやがれ」と思う。

テレビが虚偽を報道したのを知って「裏切られた気持ちです」というようなことをしゃあしゃあと言ってのけるという「市井の無垢(で無知)な視聴者」のポーズそのものが「テレビ化された定型」に他ならないからである。

「テレビ底なしの不信」というような新聞の見出しはまことに「テレビ的」である。

そのことに気づいているのであろうか。

今さら「不信」というようなことを言い出すところを見ると、新聞人はそれまでテレビで報道している情報がすべて真正だと信じていたであろうか。

まさかね。



知らないはずがないにもかかわらず、知らぬふりをして毎日毎夕テレビ欄に「あらすじ」や「今日のみどころ」など、TV局が送ってくるプレスリリースをノーチェックで掲載して、テレビの「垂れ流し」を下支えしていたのは新聞自身ではないのか。

「私は何も知りませんでした。へえ~、そんなことがあったんですか」という「とってつけたような無垢(で無知)な面つき」はテレビが日本社会にもたらした最悪の贈りものの一つである。

テレビの構造的腐敗についてどうして新聞は正面から批判をしないのか、ということを私は以前に毎日新聞の外部紙面研究会の場で問いただしたことがある。

反応はきわめて鈍いものであった。

一人の編集委員だか論説委員だかが、うんざりしたような口調で、「そうおっしゃいますけどね。新聞がテレビ番組を『俗悪だ』と批判すると、結局その番組の視聴率が上がっちゃうんですよ」と皮肉な笑いで答えた。



これはひとりテレビへの不信ではなく、メディア全体に対する不信が「日常化」しつつあることの予兆である。

マスメディアは「驚いたふり」をするのを止めた方がいいと私は思う。

その修辞的な「驚いたふり」は、要するに「私はこの不祥事にぜんぜんコミットしていませんからね。だって、何も知らなかったんだから」という言い訳のために戦略的に採用されているのである。

だが、メディアの先端にいる人間にとって「こんなことが起きているとは知りませんでした」というのは口にすること自体が恥ずべき言葉ではないのか。

けれども「こんなことが起きていることを私は前から知っていました」と言ってしまうと、「じゃあ、どうしてそれを報道しなかったのか」という告発を引き寄せることになってしまう。

無知を装うことによって責任を回避する。

「知りませんでした」「聞いていない」「情報が現場からから上がってこない」「訴状をまだ読んでいない」「調査委の答申を待って」・・・この間に見聞きしたすべての不祥事で、すべての組織の管理者たちは、「自分は組織を管理できておらず、組織内で何が起きているかを知らなかった」とみずからの無能を告白することで責任を逃れようとしている。

私たちの社会はこの種の遁辞に対してかなり寛容である。

だから、人々は争って「自分は無知で、無能で、だから無罪です」という言い訳にすがりつく。

私がメディアに期待するのは次のような言葉である。

「テレビがこんなふうに構造的に腐敗していることを私は熟知していたが、それをあえて咎めなかった。なぜなら、テレビのようなメディアはどれほど腐っていても、ないよりましだからだ。『正しい報道・中立的な報道以外のものはなされてはならない』というルールが適用されたら、メディアは死ぬ。だから、視聴者は90%のジャンクの中に10%の貴重な情報が含まれている程度の含有率に耐えてテレビを見るべきなのだ。『裏切られた』などというせこいことを言うな。黙ってテレビの嘘を凝視して、その行間からしみ出るわずかな真実を読み出せ。」

頼むから、誰かそう言ってくれないか。』






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.01.31 15:40:59


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: