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http://www2.roken.or.jp/member/download/goin_pamph.pdf 読んでくださった方ありがとうございます。 コメントくださったチルスさんごめんなさい なぜかというと、 もう少し推敲しようとましたが 操作ミスで 全部消えました。 神経の難病とされていなくても 認知症 脳出血のあとの麻痺の残る方など に 分りやすく 図でまとまった パンフレットが ダウンロードできます。 お時間のある方は ぜひ目を通しておくと 自分の長寿のためになるでしょう。
2009.11.24
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22日と23日 午後に母のショートステイ先にお見舞いに行ってました。 今日も午後たずねて 無動になっている足と左の腕を動かしたり 筋肉のジストニア(つったまま元に戻せない状態)をすこしでも緩和する為に マッサージや指圧をまねて 肩をさすったり しております。 また足にむくみが来てしまうから 其れをさすったりしてます。 昨日は午前中は犬の散歩で丘に登ってしまったから 午後出かけるのが億劫でしたが出かけたら まあまあ、 時々足がふらついたりするけれどバスで 途中 土砂降りにあって・・・・乗った後だったので助かった ワンのことは余り見て居られなくて 今日はだいぶお部屋に(マーキング)してあり、留守中はサークルにはいってますが、 帰って寝るときは自由にしていたのが間違いだった 飼い始めは夜はサークルでしたが 夜しか居ないから、 自由にしたのが 一寸 間違い?? (この先は 私の防備録です。 気分になる危険性ありなのでスルーして いいのです。) には入っていないけれど 自分では認知度が下がっているから一人では リハビリが出来ない母。 日により かなりの差があり また 相手や場面(家の外かうちか)でもそのときの認知度がとてもかわります。 22日は居る場所が 何処の部屋かわからなくて、 口の周りの筋肉がコントロールできなくて だらんとしてしまっていましたから 夕飯が食べられるか心配なほどでした。 言葉も 単語のみで 脈絡がつながり難いからこちらで言葉を補って 言い直して あってますか?とききなおしていましたが、 10パーセントもつうじませんでした。 23日は 別人のように 言葉が文章で表現できて吃驚します。 でも良くなっているのではなくて、 その様に まだらに いい状態と 悪い状態が出るのが 特徴なようなのです。 肉親ですと 脳が興奮するのか 顔をちかずけると 意思を汲み取るような感じで意思疎通ができますが、 誰とでもとはいきません。 動きもその日によってかなり違い・・・ 気分を上げてあげて リハビリを して、 自分で食べられる時間をこれから 先もなるべくこの状態が維持できるように 毎日やってもらうしか方法がありません。 薬はきいているのか はっきりしないといわれていましたが 飲まないで1週間したら 先週は 認知度もとても 下がり兄さん家族は混乱したようです。 そのことは 本人も ある程度は 認識しているから 自分をどこかに 移動させる と言う話があるのにきずき 21日には いやいやながらの入所(ショートステイですが)だったと、表現しています。 まったく分らないのと違って 本人も”分らなくなっている”日と 分る日が あるから いろいろ 状況が難かしくなっているので 娘が頼りになってきていて昨日は わたしに自分の家帰り 一緒に暮らそうといわれて 複雑な思い。そう表現してもらって 認知度が上がっていて嬉しい反面 其れが実現できそうもないとこれから どのようにしたら、 分ってもらえて 病状に障りがないように 出来るか思案中です。 昨日は 歌をうたって夏祭りの踊りのふりを リハビリに取り入れてやっていたようで、 私がたずねたときが ご機嫌でした。 一寸間の 平和な日でした。 盆踊りの東京音頭で もりあがったようでした。 これからも 母と 踊りで盛り上がるのがよさそうです。
2009.07.24
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茂木先生 (テレビ番組 プロフェショナル)のなかで、 達成感を感じると脳がホルモンを出して そして やる気が出ると聞きました。 ほめて育てるというのは本当だと テレビのなかで 学びました。 それで、 今日は一寸自慢させてください。 前の週に 花の国の中のハーブ園にいきとってもいい気分だった母は また、 いきたい と 喜んでくれました。 はっきりと気持ちを言い表せない日もあることを知る兄にとっては とっても嬉しいことだったから 翌週の10月19日も花の国の今度はコスモス花畑のほうに 行くことになったのでした。 少し寒くて 当日は先週より調子の悪い母はレストランで 食事を取るのが無理そうでしたが 用意していた おにぎりと カボチャの柔らか煮 などを 食べながら広い コスモス園 の中で 2時間ぐらい 過ごすことが出来ました。 お若い 家族ずれの中で かわいい子供たちも眺めたし 介護する私や兄も 気分転換になりました。 でも 疲れているとその喜びは その日のうちに感じることが出来なかったりして、 帰ってきてから やっぱり いってよかったなぁ・・・って感じています。 今日は 雨ですが こんな日は 少し前のことを振り返るのもいいですね。兄さんは大阪に単身赴任中なので たぶん帰り道の新幹線の中で 母や私のことを考えているようです。 2回いっても 1回は調子が良くなくてはっきりしませんでしたが、ハーブ園があるので、 ラベンダーのソフトアイスクリーム を 3人で食べたときはとっても 大きく 口をあけて 食べてました。 ソフトクリームを手で握っていられるのが調子のいいときだけですから 貴重な時間を 兄が私にくれたのだと 思いました。 でも 面と向かっていると かぼちゃの皮のむき方が お嫁さんと違う! とか、 いろいろいわれてしますのですよぉ
2008.10.24
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同居の家族(兄のところ)と、 妹の私の意見の食い違いではなくショートステイ が 長引くと 筋力が落ち、 薬の助けはありますが、其の量を増やしても動きが少ししか出来ない 右手も使うのが、薬を朝飲むと昼ごろにきき、 リハビリで体を温めると 何とか一人で手を使い食べながらリハビリという原則をまもり、 一時間かけて、自分でスプーンをもち、たべます。 食べる面では何とかやっていますが、 本人の気持ちを聞くと、それだけで”やっとこさ 頑張って やっとこさおわった”と 食後に言います。 一番良い面をとって 表現するとこんな感じなので、 徐々に進行していましたがこの先に 来るものは 全く動けないということがまっていると、頭に入れて行動しなければならない時期になりました。 神経の難病は薬を増やしている間に筋力をつけるように努力をしてもらうのです。 だけれど、一人では出来ないので、 家族がやります。 歯ブラシは 食後の前にもやると、 お口の感覚を覚醒させるので 誤飲が減るそうです。 それで、 食前食後に歯ブラシをします。 それもリハビリ。 あと、トイレは自分で立ち上がれますが 便秘が・・・筋力が落ち始めているので、色々な薬と 食べ物の工夫でやってきましたがそれでも、 なってしまいます。 最悪 腸閉塞をおこすこともあるので、其の前に座薬をつかうのだそうです。 そんなことを兄からきいたり、 それに、保健施設の中での様子や、 本人の状態など、いろいろ、 深刻になってきました。 すいません、 2月1日よんで、 一緒に考えてくださって有難うございました。自分の親の情報も なかなか掴むのが難しいのは、 母が自分のまわりのことでも、分かるところと、 分からないところが 1:4ぐらいになってしまいました。 それでも ”雲が厚いからまだ雪は降るよ”など、 私の帰宅を心配してくれる面がのこっている。 兄に聞いたら、それは 母親の自覚で戻ってきているので、いつもはそうでないから、 思い出を作っておけるように、 出来るだけかよってといいます。 具体的なケアの仕方が参考になればいいのですが、 歯ブラシが大切というのは教育テレビの健康番組でやっていますのと同じです。 誤嚥を防ぎアルツハイマーなどの病気があるときには、 参考になるかと思います。 今日の話題は重いので、 この辺で 読んでくださって有難う
2008.02.04
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いつも、 読みにきてくださって有難うございます。 母の様子が難しいので、 しばらく老人保健施設に面会にかよい、 精神の面だけでも進行するのをゆるくするために かよいます。 座っているだけですと 体が温まらず自分で動かすことが殆ど出来ないので、 動かしにいきます。 まだラッキーをおぼえていますが、 それはお客さんがいるときの 精神が高揚しているときだけですぐに疲れて、 分からない部分が増えています。 兄さんは関西方面に赴任で、通える人が私だけなので。
2008.02.02
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母は、このごろは、 病気が出て慌てふためいた時期をすぎ、 そして、 兄の家にもなれて、痛みが出ると、私より先に 兄嫁さんに 言うようになりました。 6ヶ月まえは、不満もおおくて、 大変でしたが。 いろいろなことが ふわっとしている様になったので、それは、衰えのひとつなのですが、 でもまだはっきりしているところも あります。ショートステイしているときに 母のおばたちがお弁当をもって 10時から、5時までいてくれて、 其のときの印象で残るのは着ることだからかなって思いましたが、兄嫁さんに聞くと、 左が悪いので、 右側から腕を通していたら、右側の肩が痛いから、 ゆるいサイズの アウターがほしいそうです。 母のところに言った後、 頼まれるのは、 嬉しいなって.... そのあと、午後に自分の病院の検査結果を聞いて、 先生に食事に注意と いわれ、 体重の負荷だけでなく、 コルステロールが高いと 関節周囲炎に なりやすいと いわれ ”わかったね”と 諭すようにいわれ。 本当に しばらく肉と卵はだめといわれ ました。 血液検査の2時間前に けーきを食べていたこともありますが どう見ても どこから見ても、 摂取オーバー でもちゃんとした お医者さんは データが出てから 本人が理解できる時間を与えました 初めて言われてから 1週間たちまして、 結果も先生の予想どうり。。。。。歳が少し上の先生なので話がすぐ通じて 通っていましたが、 治さないと 許さないモードになりつつあり、 サボらないで 通います。
2008.01.19
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先週、 一日おきに 母のいる、介護老人保健施設に3回つずけてかよい、 自分が予想していた以上に、 母の判断力や、記憶や 体の動きが悪く なっているのに気がついた。 兄さんが タクシー代を気にしないでいいから できるだけいってほしいという意味が見えました。 兄弟でもなかなか、はっきりとは いえないですね。 自分の親の悪口を言っているようになりますから。 つずけてでかけると、家の中はごちゃごちゃです。 でも、 少しでも刺激を 与えていないと、 自分という人格が分からなくなりつつあるので、 口の体操だけでも いっしょにやろうとおもいます。 今日は兄の家にいるので 早めに出ます。 いつも、 自分に腰痛があるので あさ 体が重いのですが、 そんな時 ブログのお友達のことばをおもいだし、 かんば♪ルンバ!るんぱ♪!!とうたって、 腰をゆっくり動かすと、 血流がよくなり、 痛みが少し軽くなります。 これが本当の ケツ流ですね
2007.10.23
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兄から、母が天気がいいので、外で散歩をするというので、一緒に出来たラと、出かけました。 母は、転倒することが多くなってしまったので、外に出るときには、車椅子になりました。 公園の中は、スロープがたくさんあり、レストランもありますから、母と、2人でお昼を食べました。 左手と左足が動かなくなってきていますが、りぞっとや、ラザニアなど、水分の多いものは、食べやすいようでした。 お昼だけでしたが、ははと食事ができて、嬉しいクリスマスなりました。 マンションのそばの公園は、管理事務所が入っているので、バリアフリーなので、とても助かりました。 おみせで、休憩室を借りるときは、そばにいた、お子さんズレの若いかたが、手伝ってくださって、とっても、嬉しい気分でした。 そして、お店で、その方と別れるときに、小さな、女の子が、母のことをとても心配して、"あたしは、この上にすんでるの”と、自己紹介してくれたのが、とってもかわいらしかったです。 そして、母の家があるご町内に、お歳暮を届ける宅急便やさんになるよう頼まれ、やってきました。 暖かい日でしたから、助かりました。 家に着くと、娘は、でかけ、主人は外で、食事とするというので、ばらばらなのですが、仕事なので、しょうがな~ぃ。 でも娘が、出かける前に、お茶とケーキで、クリスマスをちょっと付き合ってくれました。 わんは、ケーキのビニールをかぶってました。
2006.12.24
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手紙を書いたりして、気軽に頼んできてもらえるように、しましたら、明日美容院へ行く母に付き添うことになりました。 今、離れて暮らしていますから、どのくらいの体力が見えないので、気にしすぎるのかも知れませんが、電話の様子では、少し口の動きが変わったようで、水分を取るのがおっくうになってきているように感じました。 1週間前に、くず粉や、香りつきのこうちちゃや、ハーブの紅茶を送ってみたから、それで、楽しみながら、水分を取って欲しいなと。 7歳のときのラッキーは、言葉を良く覚えました。 実家で、母やおじいさん(父と一緒にすごスことが多かったから)、”おいしいねぇ”や、”いくよ”、”サンボはやめた。” この”やめた”を覚えさせた時は、便利でした。 いまは、犬のほうが回転が速く”さんぽへいこう”、 といっても、それに似合う格好をしていないときは、[例えばパジャマか伸びるスラックスだと、相手にしてくれません。) 着替えると”あんたホントに行くのね!”みたいに、眼が輝き始める。
2006.12.07
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時間をかけてるとひどくなりそうでした。 たまたま、母の住所が私の町内に残っているので、一人住まいしていた、時の、民生委員の方が月末お弁当を届ける活動をされていて、其の関係で、よその方がどうやっているのかを、聞くことが出来ました。 一代前は、もっと大変でした。 民生委員のSさんの母宛の手紙を持って、兄のところに行く機会をえて、 とにかくごちゃごちゃになっているのが嫌で、日暮れまえにとりあえず、行ってみました。 お宅は留守で、いなかったけれど、とにかく、其のお手紙と、私の手土産は、うけとってくれました。 30分ぐらい、近くの喫茶室、でめーるをうったら、同文が返信されてきたから、まだダメなのかしらと思っていたら、たまたま、ケータイを、姪っ子にわたしてあって、間違って、私に、送信されたきたようでした。 こんなまちがいが、 運をよんできてくれて、兄が父親であることを思い出して、冷静になったから、 私のいっていたことを、理解してくれました。 ここで、色々聞いて、教えていただいたから、また自分で、母の性格を理解できたようにおもいます。 どこにも、あることなんですね。 とほ。 母は、ストレートに表現しないし、若いときは、男女平等で、 そだてるからね。といっていたけれど、そうも行かない段階になったんだけれど、 まだ、私の気を引くようなことも、言ったりして、結構知能犯なのか。。。。。ゆれてるのかな。いろいろなことを、教えてくださって」有難うございます。 もしも会社なら 済 のマークがくるけれど、 自分は、忘れないようにします。
2006.11.06
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ぎゃング時代をボスで、過ごした兄さん[やくざじゃない。念のため)と、犬とばっかり遊んでた あっけらかん私。 兄さんと私は、こどものときと、お互い30歳だいまで、とても仲がよかったです。 でも、いま、揉め事が起きてしまいました。 なんで、かって、にいさんの家に、母が移動しましたが、兄の方針で、自分で介護をするつもりで、 妻には、負担をかけないという方向で、やっているので、介護保険を最大限に使わせていただき、 毎日ひるは、へるぱーさんがしゅうに4回[4日)、 デイケアが、週に水曜日と、土曜日のあさ9じから、5時まで。 コレだけ入っていれば、母は、まだ室内で手すりを使い動けるから、 悪くはナイのですが、 あには、しごとから、かえると、食事をするとすぐに、母をお風呂に入れなくてはと、おもい、ゆっくり食事が出来ないといっていました。 それに、昔の話ばかりするから、 自分の娘ほうは、しらけて、せきをたってしまうそうだ。 でも、 余り介入できないわたしは、”そうか、そうか”と兄の休みのひに、ファミレスで、聞いてあげていると、 母が、怒るのです。[お前たちは、密会している] だから、やめてしばらくしていました。 この2ヶ月は、それをやめてから、変な方向にいってしまいがちです。 単発で、今日時間があるから手伝うというのを、認めてもらえないから、 事前に行ってくれと いわれるのですが、 にいさんが、このごろ情緒不安定です。 大体理由は想像付くけれど。 私はなんとなく自分から、私は門前までになっています。 それに、頑固になってきたにいさんは、定年前の、悩みもある、”勉強したい”といっていたから、兄さんに協力して、レストランにつれだすと、 ”母が、あたしのご飯は、作ってないのかな”、とおっしゃいます。 そんなこと気にしないよう、 ”おごりだから、そこまで考えてなくていいじゃない?” というつもりで、あにから 3時間持たせてくれということだったから、 お昼とお茶と天気がいいから、犬と一緒に、レストランのテラスに、 いましたが、母は、兄といるほうが嬉しいのか、あとで、機嫌が悪くなるのか。 とにかく、裏を考え、周りの 人間関係を自分なりにチェックするのです。 まだまだ元気でいいんだ。と思って感謝しているのがいいのか。 具体的に、話し合いをもって、連休のときは、母が あにといつも、そばに居たがって、あには、ちょっと、やせ我慢しているようなのですが。 やせ我慢して分だけ、 私に、わざと、門前払いをします。 ぱわーはらすめんと。 昔も、よく ”しっし!あっちいけ”、といわれていたから、慣れてるけれど。 だから、 犬の写真とっている自分も、だんだん、 ”どんなもんかなぁー”、 可愛いから、魔法にかけられてる 赤ちゃんのように、犬をかわいがっても、いぬは、いぬ。 あっちも結構、ちゃっかりしていて。 いつもそばにいたけれど、このごろ、かってに、一番いい席をとって、ひなたぼっこしてる。 何だかちょっと、違う路線にきちゃったかなぁ。 [年取ると、息子が恋人のようになるのかな?) わからぬ。 もっと男性を勉強しようか。 老人をやればいいのか? 自分が変わるのがいちばんはやいか? ホカに手はないか。 美人娘に変身すれば母も振り返るか。コレは無理だから、お花を栽培して、持参するか。 なんかいい方法。 ご意見を御願いいたします。
2006.11.05
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今週に入り、難病指定の病気を減らすという。 難病は、普通の病院では、なかなか発見が出来ない。 色々な病院を回り、何年か経過観察を経て、そのためには入院して、日常の動作などを、事細かに徹底して、検査して、特定する。 本人の精神的な負担とともに、交通費や、時間経費費もかかる。難病と特定してもらうには、母の場合2.5年かかりました。難病は、専門医でも一人では、判断が付きにくい。 近所では、"何だか分からない”と、本音で、言って、大学病院紹介してくれた。 しかし、老人の場合、誰でもそうなのですが、いろいろな、病を併発している場合も多く、検査をするのに、順番待ちも含め、とにかく、特定するには、時間がかかる。 余命、平均発しょうから、2-7年と診断されているが、自分で、症状に気が付いても、じかくをするのに、"何だかへんだなーー、年齢的な老化現象か”と、諦めてしまい発見が遅れることもある。 それに、今は、一人住まいの方の多いですし。日本は、難病のようなくらい話題は、なかなかT.V.では、とりあつかわない。 BBCほうそう、は、科学的な話題をすぐに取り上げ、一般に放映する。 医療に関してのガガク的発見があると、すぐ番組にしてくれる。パソコンを入手して一番役に立ったのは、病気についての情報収集です。[今も))、萬有製薬の家庭の医学についてのサイトを、ぜひ、体について疑問に思ったら、いちど、見ることを、 おすすめします。 このごろ、医療について、新聞が誤えんについての肺炎があると、やっと取り扱ってくれました。 老人性アルツハイマーについての理解が遅いからというので、NKHが、一般向けに健康番組で取り扱うようになったのも、製薬会社が、チェックシートを新聞に載せてから、2年ぐらいたったあとでした。 遅いと思うし、内容もあさかった。知り合いについてソノ疑いを感じていたわたしは、どうして、もっとはやくしっていたらとおもった。知らないから、薬ができたじてんで、話題になり、それをきっかけにしか、老人性アルツハイマーというものがあるのをしった。 もう少し早くしっていたら、父は、まだいたかもしれない。 幸私の、同窓生のお母様の様子と父が似ていて、ソノ人からの情報で、私には分かっていた。 でも、兄の家族に理解をしてもらえず、とてもざんねんだった。今は、薬があるから。核家族が増えているので、 それに、 病気のかたの尊厳に関わることなので、テレビの放送では、やりにくいのなら、ドキュメントの手法で番組を作り、 それを、 生活科のなかで、そのような病があることを、取り扱うかしたらいいかとおもう。
2006.10.19
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