KINTYRE’S   DIARY~旧館

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過去の日記より~私の好きな曲2

2004.5.23
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━VOL.5▲△▲△▲
■私の好きな曲5、~イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
【アーティストの略歴】
今ではアメリカの国民的バンドとして定着した「イーグルス」は、1971年に結成されて翌年にアルバム『EAGLES』でデビューした。'71年8月にリンダ・ロンシュタットのバック・バンドとしてグレン・フライ(ギター)、バーニー・リードン(ギタ)、ランディ・マイズナー(ベース)、ドン・ヘンリー(ドラムス)の4人でツアーの終了後に結成された。'76年にジョー・ウォルシュが加入して5人編成となった。
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【この曲について】
○この曲は1976年に発表されたアルバム『HOTEL CALIFORNIA』の冒頭に収録されている、今ではロックの代表的な曲としても知られている。日本でもこの曲は人気が高くてこの曲を聴いてカリフォルニアに憧れた日本人も多いだろう。但し、皮肉なことに彼等にカリフォルニア出身者はいない。カリフォルニア=青い空、見たいなイメージを連想する我々だがどこか醒めた感じのする曲でもある。

●曲の構成は大まかに分けて三部構成となっている。(6分31秒)
1部(0~0分52秒):どこと無く哀愁を含んだ寂しそうな雰囲気のアコギのイントロが、この曲のこれからの展開を何となく象徴している。ドン・ヘンリーのドラムスのトントンという音とともに彼のボーカルが入る。
2部(0分53秒~4分19秒):ドン・ヘンリーのボーカル・パートはこの間。ドン・ヘンリーのどこかしゃがれた声がこの曲のイメージに良くフィットしている。タンタンとリズムを刻む彼のドラムスと、ギターがメロディーを引っ張り、バック・コーラスが絡む展開だ。3分30秒で再びイントロのアコギの音色が聞える。この辺の演奏面でのメリハリもバッチリ利いている。
3部(4分20秒~ラスト):イントロとは違ってここではエレキ・ギターの共演がこの曲をグイグイと引っ張っていく。見方によっては冒頭とラストの演奏とボーカル・パートがサンドイッチになったような曲構成だ。

□この曲は実は歌詞もとてもよく出来ていてカッコいいのだ。メロディーばかり注目されるが歌詞にもスポットを当ててみたい。
冒頭の ON A DARK DESSERT HIGHWAY,COOL WIND IN MY HAIR
ここからしてカッコいいではないか。この歌詞を聴いてその風景が浮かぶようだ、え、浮かばないって。それはないでしょう!。ではこういう意味です。 「暗い砂漠の高速道路をクールな風に髪がなびく」 どうです理解出来ますか?。
本当は他にも紹介したいパートはありますがここだけは紹介したいので行きます。2分37秒からのパートです。
SO I CALLED UP THE CAPTAIN,"PLEASE BRING ME MY WINE"
HE SAID "WE HAVEN'T HAD THAT SPIRIT HERE SINCE 1969"
ここのパートを訳してみると、 そう、俺はキャプテンに「ワインを飲ませてくれよ」と言ったのだが、キャプテンはこう言ったんだ。「ここには1969年からワイン(酒)は置いておりません」とね。 ここで出てくるSPIRITという単語は『気持ち、精神』と共に『酒(アルコール)』という意味も含む。歌詞の中の『お酒』と『精神』をかけているのだ。
詳しく解説すると全ての歌詞を掲載しなければならない。字数制限の中では無理なので、CDやLPを持っている方は歌詞カードを読んで欲しい。最後の YOU CAN CHECK OUT ANY TIME YOU LIKE,BUT YOU CAN NEVER LEAVE. これでボーカル部分を閉めるがこの歌詞の意味は簡単だ。 「何時でもチェックアウト出来ますが、貴方は決して立ち去れないでしょうね」 こういう言葉がラストに来ているのだ。よく出来た歌詞だと私は思う。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【ヒット・チャート、賞】
この曲は当然といえば当然シングル・チャートで1位を1週間獲得し、年間では19位となった。アルバムの方は通算8週間1位を獲得し、年間では4位となった。このアルバムからは他に第一弾シングルとして、「NEW KID IN TOWN」がこちらも1位を獲得している。個人的にはこちらの曲も大好きで、今回の企画ではこちらにするかどうかかなり迷った。
1977年のグラミー賞では、「HOTEL CALIFORNIA」が最優秀レコード(シングル)を獲得した。更に、「NEW KID IN TOWN」が最優秀ヴォーカル・アレンジメントを獲得した。授賞は逸したが最優秀アルバム、最優秀ソング(楽曲)にもノミネートされいた。
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【最後に】
この曲は是非この1曲だけではなくて、アルバム単位で聴いて欲しいと思う。「ホテル・カリフォルニア」だけではなくて、アルバム全体が一つの流れになっているのでそういった楽しみもこのアルバムから感じる事が出来る御薦めの一枚だ。
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【編集後記】
デビュー当時はカントリー・ロック・バンドとして活動していた彼等だが、このアルバムではそういったカラーは薄まりロック・バンドとしての姿勢が感じる。そのあたりも含めて味わってもらいたい。
ロックの名曲をこうして限られた字数で解説するのは、やはり難しいですな~。
最後まで、お付き合い頂きありがとうございました。

2004.5.30
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━VOL.6▲△▲△▲
■私の好きな曲6、~クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
【アーティストの略歴】
クイーンはイギリスで結成された4人組だ。メンバーはフレディ・マーキュリー(ヴォーカル、ギター)、ブライアン・メイ(ギター、キーボード)、ロジャー・テイラー(ドラムス)、ジョン・ディーコン(ベース)だ。ご存知の通りグループの象徴でカリスマ的な存在だったフレディが、エイズで亡くなりグループは永遠にピリオドを打った。1980年に「地獄へ道連れ」「愛と言う名の欲望」が1位に輝いた。力強い拍手が鳴り響き野球場でもお馴染みの「WE WILL ROCK YOU」もクイーンの曲だ。
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【この曲について】
○この曲は1975年のアルバム『オペラ座の夜』に収録されていた。曲はフレディ・マーキュリーによる作詞作曲で今ではこの曲は、クイーンだけでなくてロックの名曲としても記憶されている。
昨年の12月に英国の大衆タブロイド紙の「THE SUN」が読者投票で応募した好きな曲のランキングで見事に1位に輝いた。因みにジョン・レノンの「IMAGINE」は4位だったので凄さが理解出来るのでは?。
●曲の構成:複雑に入り組んでいるが構成はしっかりしている。(5分52秒)
0~:いきなりイントロ無しで4人のコーラスが入る。
0分55秒~:Mama Just Killed The Manからパートが始まる。フレディのどこか切なそうに聴こえるヴォーカルにひかれる。フレディのピアノもやはり切なそうだ。このパートではまだ力強さは発揮されない。母に語りかけるように歌う。
3分02秒~:この曲を特徴付けているオペラ・パートに移行する。フレディがヴォーカル・パートを引っ張り、コーラスが後追い的に付いてくる。この辺の絡みの構成は見事だ。それに負けないリズム・パートの演奏も見事である。
4分06秒~:ギターが入り再びバンド演奏形式になり、フレディの力強いヴォーカルがスピード感満点に繰り広げられる。何かから解き放たれたかのようにフレディは歌いまくる。フレディのヴォーカル・スタイルの幅広さが伺える。
4分55秒~:一気に登りつめたフレディのヴォーカルもここを過ぎてから、徐々に終わりへと向かう。最後のヴォーカル・パートは再びフレディの優しい声に戻る。歌詞の最後は「ANYWHERE THE WIND BLOWS...」で終わるが、フレディの声もまるで風に消え入るように終わる。そして銅鑼が鳴って曲は終わる。
□名曲とは歌詞と旋律が一体になって始めてそう呼ばれるが、この曲はまさにその典型である。
曲はこの歌詞の男がある男を銃殺した所から始まり、それを母に告白する形で終始する。罪を感じるが立ち去らなければならない自分の気持ちの葛藤を吐露している。作った当時は当然1975年なのだが、聴いていいるとまるでフレディのレクイエムにも聴こえる。更に、彼の人生そのものを死の直前に振り返ったようにも聴こえてしまう。
■2分08秒~:Good-Bye Everybody I Got To Go(みなさんにはサヨウナラと言わなければならない、私はここを去るのだ)
Gotta Leave You All Behind And Face The Truth(そうそして僕は厳然たる事実に立ち向かっていくんだよ)
まるでフレディが死を前にした時の様な心境を歌っているようにも感じる。その直後には以下のような歌詞が続く。
2分28秒~:I Don't Wanna Die,I Sometimes Wish I'd Never Been Born At All(僕は死にたくないよ、時々僕は生まれなければ良かったとも思うよ(そうすれば苦痛を味わう事も無いとの意味では?))。この歌詞の意味は大きいと思う。そう言うことで母を悲しませないし、自分もこんな苦痛を味わうこともないのだと言い聞かせているように聴こえる。これもフレディの死の直前にはこう頭をよぎったのだろうか?。フレディはこの時点で既に辞世の句を書いていたかのようだ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【ヒット・チャート、賞】
発売当初は全米チャートでは1976年に9位に留まったが、フレディの死後の1992年には再度ヒット・チャートを駆け上がった。そして何と発売当時を上回る2位を記録して底力を見せた。米国では残念ながらこの曲では1位を取れなかったが、母国英国では当時は9週連続1位を獲得している。
グラミー賞では、最優秀ヴォーカル・アレンジメント賞と最優秀ポップ・グループ賞にノミネートされたが授賞は逸した。
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【最後に】
キムタクのドラマでフレディのソロ作品の「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」が取り上げられて、日本でも今再びクイーンがブームを迎えている。
フレディはデビュー当時から何だか中性的な?風貌と、その独特のヴォーカル・スタイルが注目を浴びていた。自分が丁度高校生の頃に人気があって、当時はFM放送でも頻繁に彼らの曲がかかっていた。当然この曲もかかっていたが長い曲で大袈裟な曲というイメージだった。
こうして振り返るとフレディの魂は今でも彼らの曲の中に生きている。
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【編集後記】
女王陛下の即位50周年記念コンサートでジョン・ディーコン以外の二人がクイーンの曲を演奏していた。でもやはりフレディの持つエネルギーはそこには無かった。フレディ・マーキュリー偉大なり。
最後まで、お付き合い頂きありがとうございました。





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