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2026.04.22
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今日はリュウちゃんの記事の紹介(コピペ)になります(*^-^*)

こちらの最新記事も盛りだくさんで素晴らしくぜひみなさんにも見て頂きたかったので

リュウちゃんにいただいてきました(#^.^#)

リュウちゃんいつも(人''▽`)ありがとう☆ございます


8年ぶりに見た上野恩賜公園の桜、
寛永寺・清水観音堂の
「月の松」と桜のコラボ、
久々に観られて大感激!


3月 30 日から4月1日にかけて、リュウちゃん夫妻、
7年ぶりに孫姫ちゃん達が住んでいる 群馬県沼田市
に、2泊3日の小旅行に行って来ました。
この旅行計画は3月上旬に女房殿が立案し、リュウ
ちゃんが新幹線の切符などを、その時に予約購入
したのですが、出発直前の32月 29 日に調べた
関東の「天気予報」は、
3月 30 日~4月1日の天気は、
雨・雨・雨、
アチャ~、最悪の天候だ!
でも、行くしかないのだ。
3月 30 日、午前8時に奈良の家を出発、
残念ながら、新幹線の車窓から富士山を観ることは
出来なかったのです(残念!)
高崎駅で、下の孫姫2人と、孫姫のママ(リュウ
ちゃん夫妻の娘)が車でお出迎え、高崎市にある
リュウちゃんの妹夫妻の家に立ち寄り、そこから
約1時間掛けて沼田の家に夕方に到着したのです。
翌日の3月 30 日も雨、
天気が良ければ、近くの 「沼田城跡」 「吹割の滝」 「川場村の道の駅」 などに遊びに行こうと思って
いたのですが、雨で全てパ~(残念!)
なので、近隣の「イチゴ園」で、 「イチゴ狩り」
に行ってきました。
ちょっと狭い「貸し切りテント」
だったが、
充分楽しめたようだ。










「イチゴ狩り」の後、以前、沼田に来た時には必ず
寄っていた そばグルメ「花咲」 に7年ぶりに立ち
寄りました。



店の前には、店名のように、様々な花が咲いて
いました。






店に入り、 「天ぷらざる蕎麦」 と瓶ビール(2本)
を注文し、昼食、
プファ~、ビールが旨い!
この店で覚えた「舞茸の天婦羅」も美味!
7年ぶりの「舞茸の天婦羅」、
その美味は今も健在なのだ!


翌日の4月1日は、早くも帰郷の日。
連日の天候不良で、全く近所の散策が出来なかった
のですが、この日の朝だけ、少し晴れましたので、
散歩に出掛けてみました。
以下の写真はこの時撮ったものです。
まだ梅の花が咲いていた!





「薄根川」 沿いのソメイヨシノは、まだ「蕾」
(残念!)


近所の名峰 「戸神山」 (三角山)です。



同じく近所の名峰 「三峰山」 です。下の2人の孫姫が
通う小学校は、この山の麓にあるのです。



「ぐんま百名山」に選ばれている 「子持山」 です。
2泊3日の旅で唯一の晴れ間、
貴重な瞬間だったのだ。



午前8時、沼田を出発、午前 10 時ジャスト、
「上野駅」に到着、
天候は「曇天」だが、
傘をささずに
「上野公園」の満開の桜が見られそうだ。
「上野駅」の3 F にある 「パンダ橋」 から公園に
入りました。


以下の図は 「上野恩賜公園の散策マップ」 です。

リュウちゃんは下図中央下の「パンダ橋」から
公園に入り、先ずは左側にある 「清水観音堂」 から
動物園の手前にある 「上野東照宮五重塔」 まで歩き、
そこから引っ返して左側の 「上野駅」 をゴールとする
コースを辿ったのです。


(散策マップ)
<清水(きよみず)観音堂>

清水観音堂の前の桜、
満開だ!










<月の松>
清水観音堂の舞台に登ります。
舞台の目の前にある
「月の松」と桜のコラボ、
8年ぶりに見ることが出来た。感激!










<「月の松」について>
「清水観音堂」 は、京都の 「清水寺」 になぞらえて
寛永8年( 1631 年)に創建されました。
「月の松」 は、何時頃植えられたのかは不明ですが
江戸時代の浮世絵師・ 歌川広重
が幕末の安政3年( 1856 年)~安政5年( 1858 年)にかけて制作
した 119 枚の図絵から成る 「名所江戸百景」 の中で
「月の松」を描いた浮世絵を2点制作しています。


上野清水堂不忍ノ池)


(上野山内月のまつ)
広重が描いた「月の松」は、明治 20 年の台風に
よって失われてしまい、現在見られる「月の松」は
平成
24 年( 2012 年)に復元された 「2代目」 なの
だそうです。
「初代月の松」は、
不忍の池の畔にあった。
「2代目月の松」は
不忍の池から離れた所にある

この不思議、
清水観音堂が移築された為なのかな?
「清水観音堂」を後にして 雨模様の公園を散策
します。
雨模様の天候なのに、
さすが「上野恩賜公園」、
凄い人出だ!






















<上野東照宮>

石造りの鳥居を潜って 「上野東照宮」 に入ります。



「上野東照宮」に入った目的は隣接する 「五重塔」
(正式名称:旧寛永寺五重塔)
と桜のコラボを
見ることです。
「五重塔」の前の鉄柵の下は、既に桜の花びらが
散っていました。



「五重塔」のエリアに入ります。
桜は「終りかけ」だったが、
まずまずのコラボを見ることが出来た。
かなり満足。










<閑話:上野の五重塔の謎>

歴史音痴のリュウちゃん、これまで上野の五重塔は
てっきり 「上野東照宮の
五重塔」 だと思っていた
のですが、改めてネット調べをしました所、
現在は、「上野東照宮」の施設ではなく、
東京都が管理 している重要文化財であることが
判りました。
「上野の五重塔」の現在の正式名称は
「旧寛永寺五重塔」 です。
以下に、この五重塔について詳述しているサイト
を貼り付けます( 興味のある方はクリックして
ご覧下さいね)
<上野東照宮・五重塔(旧寛永寺五重塔)>

上掲のサイトの 「五重塔の歴史」 の部分を以下に
要約してみます。

★寛永8年( 1631 年) 「上野東照宮の搭」 として
建立、寛永 16 年、火災で焼失するも、同年に再建
現在の五重塔は、この時に再建されたものです
(「五重塔」は、本来は 「仏塔」 であり、仏教寺院
にしか建立されない筈ですが、江戸時代は、
いわゆる 「神仏習合」 の時代でしたので、神社
にも五重塔が建立されたのです)

★明治時代初期、政府は 「神仏分離令」 を発布し、
神社の仏教施設を禁止しました。
それにより上野東照宮の五重塔は、 「寛永寺」
管理することになりました。

★昭和 33 年、「寛永寺」が管轄していた五重塔は、
「寛永寺」の財政難から、東京都に寄贈され、以後
正式名称が 「旧寛永寺五重塔」 となったのです。
上野の五重塔、
正式名称が「旧寛永寺五重塔」だが、
「旧々上野東照宮五重塔」
と呼ぶべきではないのだろうか???



――閑話休題―――
「五重塔」を出て、上野駅に戻ります。
下から見上げた「月の松」、
どうやら、
松の枝は完全な円形に作られている!



最後に、西郷さんの銅像に挨拶、




御徒町の 「スシロー」 に入り、昼食。
プファ~、ビールが旨い!
今回の旅はずっと雨に祟られたが、
最後に上野公園の桜を見ることが出来た。
まあ、「いい旅」だったのかな?






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Last updated  2026.04.22 06:00:00
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