健全な男女共同参画を考える!

健全な男女共同参画を考える!

男女共同参画基本法は根本から見直せ 2

男女共同参画基本法は根本から見直せ!
―これでは家族の絆や地域再生など遠い夢だ―

昨日にひき続いて、紹介する。(別冊正論7月号、稲田朋美)

ジェンダーの意味(P245)

 このようなわが国において、 政府が基本法に基づいて「ジェンダーの視点」を強調することは、かえって、たとえば信念に基づいて家庭で主婦業に専念し子育てをしている女性に対し、それがつまらない仕事であるような偏見を生むことにつながる危険がある
 例えば、政府がまとめた「平成18年度男女共同参画社会形成の状況」の冒頭に「日本の女性の社会参加は、国際的に見ても全般的に低い水準にある」とまるで家庭での子育てに専念することが「社会参画」ではなく、そのように主婦業に専念することは「社会参画」しないことであり、「社会参画」しないことが遅れているといわんばかりである。
 しかし、 家庭で子育てに専念している女性も立派な社会参画 である。なくなった私の母は専業主婦だった。学校から帰るといつも母が待っていてくれて、母とおやつを食べたり、テレビを見たりすることがとても楽しみだった。私はそういう母に育てられたことをとても感謝しているし、主婦に専念していた母を尊敬している。すべての女性が家の外で賃金という対価を得て働きたい(労働者でありたい)と思っていると決め付けるのは傲慢にすぎる。
 また、 家庭内で夫婦が家事をどのように分担するかは、夫婦の問題であって、国が、どこの家庭でも妻が家事をすべてしているという前提に立って「夫も家事をするべきである」と陣頭指揮するというのは別の意味での意思付けであり、ある種のファシズム である。
 そして 何よりも「ジェンダー」という概念を認めることがすなわち社会的に男女が平等に扱われていない、支配者たる男と被支配者たる女の階級闘争というイデオロギー運動 なのである。
内閣府がいくら取り繕おうとも、 「ジェンダーの視点」とは「ジェンダーフリー」と同じ意味であり「男女の抑圧装置としての社会体制(性別役割分業)や社会規範(女らしさ・男らしさ)から自由になり、男女が自由に個人の選択と責任において生きていけるようにしようとする考え方 」(ナカニシヤ出版『ジェンダーを科学する』より)なのである。



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