2015/05/31
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テーマ: たわごと(26793)
カテゴリ: カテゴリ未分類
アメリカ時代はほとんど学生の就職のことなんて心配したことなかったワタクシですが
日本に戻ってきて就職委員やらされたりキャリア形成何とか委員会とかに入れられて
嫌でも耳にいろいろ入ってくる情報、そして自分の周りにいる学生の多少の特殊さも含めて
「この子たちマジで大丈夫かいな?」と思うことが増えました。

アメリカ時代にそんなこと考えなかったのは、専門分野のせいもありますが
かなりの学生が自発的に将来のことを見据えて動いていたこと、日本のように一定期間の就活があるわけでないということもあって
相談に多少のったり、レジェメやカバーレターを見るぐらいでした。
ある意味やりたいことが大体みんな決まっていて、自分で情報収集してくるので
私たち教員がどうこうすることもなかった。


日本に戻って、うちの学部に来て、日本人学生に関してはあまり心配したことがなかったです。
就活の時期は嫌でもみんなやってるし、とりあえず売れていく。
問題は私の周りにこの「売れる日本人学生」以外が多いってこと。
もっと言えば、不良ガイジンに近いのが多いってこと。
それもアメリカ人な(溜息)。

こんなの日本でも就職無理だろうし、アメリカでも無理だろうなぁと最近は遠い目で見ておりますが
それでも相談報告されて「んなこといったって、私にどうしようもないでしょう」という気分になる。

じゃ、自分はどうだったんだろう?と振り返ってみると
まぁ結構危ない橋を渡ってきていた(笑)。
アメリカの大学では「広報」という専攻で当時日本にはそんなものはなく、
4年たってまだアメリカに残ろうかと思ってそのままMass Communicationという分野で修士課程へ。

そのままストレートに修士課程に進みました。
一番やっちゃいけないパターンだったな(苦笑)。

修士課程のときにとったリサーチメソッドのクラスが思ったより楽しかったのと
指導教官(あんまり指導してくれなかったけど・・・いまだにコンタクトはあるけど・・・)が
リサーチに強い人だったのもあって、「研究職も悪くないかな」と思い出し

若かったし、あの分野で実践経験のないものが大学の先生とかになっても仕方ない、といわれて。
さっさと博士号取って就職と思ってた私にとっては、待ったがかかったのでちょっとがっくりしたけれど
振り返ってみるとあの時の指導教官の言葉は本当に正しかった。

そして20代後半で日本に戻り就職活動。
新卒の普通の就活なんてものは最初からやらず、第2新卒か経験者採用ばかり狙っていきました。
あんまり経験なかったのに(笑)。
大企業なんてのも狙わず、外資中心。
結局イギリス系のPR会社に入って、そこからアメリカ系のソフトの会社でマーケをやって
「とりあえず実務経験はこんなもんでいっか」という時点でPhDに出願しました。

またアメリカに戻ってPhDをやるわけですが、これが修士とは全く性質が違うもので
死ぬかと思った(苦笑)。
1年生の1学期目、日本からたまたまうちの大学に来てた大学の先生に、初対面でいきなり
「あなたには日本で就職口はありません」といわれて
「なんで初対面のあなたにそんなこと言われないといけないわけ?
日本の大学出てない私は何も日本の大学の先生になりたいと思ったわけじゃないんだけど?」と
むっと来たのを覚えています。
ただ、そんなときに私の恩師は毅然とした態度でその先生に
「この子には日本で就職させる気はありませんから、ご心配なく」と対応してくれましたけど。
でもね、あの頃は毎日のことで必死で卒業後どうするなんて考えてもいなかったというのが事実です・・・

で、4年目に入り博士候補生になって就職市場に出ていくわけですが
これも楽ではなかったな。
コースワーク終わった、博士論文のプロポーザル通った!まではよかったのだけど
その間にあちこち飛び回って面接に行きつつ、博士論文を仕上げるというのがしんどかった。
でも私には退路がなかったから必死でした。
博士号取って日本に戻るにもつても何もない。
私のネットワークはアメリカだけにしかない。
博士号取っても仕事ないという状況だけは絶対嫌だった。
だから、どんな大学でもいいからTenure Trackに乗ると決心してた。

幸い、指導教官はそういうところも細かいところまで指導してくれて、
おかげさまで4つ面接いって3つの大学からAssistant Professorでのオファーを貰いました。
まだ面接のお呼びはかかっていたのですが、もういい加減に疲れてきたのと
第一希望のところからオファーが出た時点で就活終了。
残りは必死になって博士論文を完成させるだけでした。

運もあったと思います。でもサポートもあった。
そして自分で言うのもなんだけど、本当に必死だった。
アカデミックな世界においては自分は幸運だったと思います。
でも、これだけは言いたい。仕事を得るために努力はした、と。
それは、最初にサラリーマンになった時も同じでした。
何とかなるさ、とはあまり考えなかった。
大学院まで行って仕事ないなんて状況にはしたくなかったから。

私のミシガン時代の先生の一人がこういったのを思い出します。
「どんな面接も、全てオファーを取ってきてやるという気持ちで行って来い。
あれがいやだ、これが気になるなんていうのはオファーを貰ってから初めて考えられることで
競争に勝たなければそんなことを考える権利さえない」と。
これを聞いて目が覚めました。今でもこの言葉は肝に銘じています。
転職するにしても同じ。オファーを貰って初めて交渉できる立場に立つわけで
それまで何を心配しても仕方がない、と。

同じことを学生にも言うようになりました。
ただし彼らは最終面接にたどり着く前にいろいろ文句を言うから
「そんなのはオファー決まって初めて言えることだ」と毎回言っています。
そして案の定、そういう風にぐちゃぐちゃいう学生に限って決まらない(苦笑)。

結局、思うのはすべて自己責任だということです。
うちのアメリカ人院生とかもまぁ文句ばっかり言ってますよ。
大学院に、教員に、日本での周囲の環境に対して。
でもね、自分で選んでやってきたわけで、我々「ぜひ来てくれ」って呼んだ覚えない(爆)。
就活真面目にやるのも、インターンをやるのも自己責任なわけです。
だから仕事が取れないからといって人のせいにするのはお門違い。
すべて自分で責任取るというのが、大人ですから。
だから、私は最近こう思うのです。

母国でそれなりにできない学生は、外国に行っても何もできない、と。
これは何も日本に来る留学生だけではなく、日本から外に出ていってる留学生でも一緒なような気がします。

何をやってもいいでしょうが、自分の選択には責任を持ちましょうね。










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最終更新日  2015/05/31 06:51:02 PM
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