苦労した大学時代…


逃げたかった。父からも母からも、、、
当時、姉は4歳の子供がいた。
しかし、ほとんど家には寄りつかない状態だった。それは、19歳の時に産まれた子供が障害児だったからだ。ダウン症だったのだ。
産まれてきた子供を見て、父はこう言った。
『親の言うことをきかないから天罰があたったのだ。あの時におろさなかったから…』と、、、
『勝手に産んだんだから、勝手に育てろ!』と…

兄はというと、高校受験に失敗した後、大学受験も失敗し専門学校へと進学したのだ。
これを快く思わない父親…
そして、女であるσ(=^‥^=)ミィが大学へ進むことを毛嫌いしたのだ。女には学歴はいらん。就職してお茶くみとコピーとりしてろ!と…
そんな家から飛び出して、早十数年である。

母は父に内緒で1年間の学費を手渡してくれた。
σ(=^‥^=)ミィは当時、共同風呂と共同台所がある6畳の部屋をかりた。もちろん暖房器具もなければ電話もない。当時の家賃は3万8千円だった。
それでも家にいるよりは良かった。
学費と家賃代を稼ぐ為に、昼間は大学に通い、夜は学校からの推薦で某臨床検査会社でアルバイトをしていた。
日曜日はガソリンスタンドで働き、夏休みの昼間は近くのプールの監視員をし、夜は臨床検査会社にそのまま直行する毎日だった。
昼も夜も働いている状態だった。
それでも学費と家賃が精一杯だった。夜はいつも某臨床検査会社の夜食のおこぼれのおにぎりを貰って食べた。最後の頃には、σ(=^‥^=)ミィの分まで用意してくれるようになったが…( ̄▽ |||)アハハ、、、
ラーメンの汁にご飯を入れて雑炊をして食べた事もあったし、塩でご飯を食べたこともあった。昼間は学食で1杯180円の素そばを食べた。菓子パン1つと牛乳なんて事もあったっけ?本当にひもじい学生生活だった。
それでも、友達には恵まれたていた。
σ(=^‥^=)ミィの誕生日プレゼントになんとお米10kgなんてあった事も・:*∵ゞ(∇≦* )ウ゛ァヒャヒャヒャ

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