箸墓から大神神社



まず、卑弥呼の墓だと言われている箸墓に行くことにしました。

桜井からJRで、巻向まで行きました。
電車はとってもローカルで、駅に改札がないので「切符は運転手さんに渡してくださいと」放送が入りました。
一番前まで行って運転手さんに切符を渡して無事電車を降りました。
駅を降りて、10分ほど歩くとこんもりとした小高い山が見えてきました。
写真で見たとおりの箸墓。

箸墓

ちょっと感激。
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ),7代孝霊天皇の皇女で、大物主の妻にもなっている姫命の墓といわれています。
日本書紀には「昼は人が作り、夜は神が作った」とあります。
大阪の二上山から人の手で石を運んだそうです。

卑弥呼


箸墓の後、ホケノ山に行ってみました。
箸墓は中を掘り出すことが出来ません。
箸墓より少し古いホケノ山の出土品に卑弥呼の鏡のようなものなどたくさんありました。
それで箸墓が卑弥呼の墓ではないかと言われるようになったと聞きました。

念願の箸墓を見ることが出来たので、途中になりますが山の辺の道の方へ行くことにしました。
田んぼは稲刈りが終わっていました。


途中、三輪そうめん研究所がありました。
覗いてみると三輪そうめんを作っているとことでした。
三輪そうめんは大物主の神裔、穀主が大神の啓示を受け、創始したと伝えられています。

三輪そうめん

箸墓の直ぐ近くにある研究所らしく品の良い瓦、外壁など、周りの風景にマッチしてるねと話しながら、山野辺の道を目指します。


本当は桧原神社に行く予定だったのに道に迷ってしまって、いつの間にか玄賓庵の前を通り過ぎてしまいました。

桧原神社は天照大御神と、崇神天皇の皇女豊鍬入姫宮を祀ってあります。
姫宮の墓と言われるホケノ古墳まで行ったのに、桧原神社に行けずにとても残念でした。


そしていつの間にか狭井神社の前に来てしまいました。
薬井戸より湧き出る御神水は万病に効くといわれ遠近よりいただきにくる参拝者が絶えないそうです。
とても綺麗な神社でした。

狭井神社

もう、大神神社は目の前です。
見えてきました。
神聖で、荘厳な雰囲気です。
大神神社は大物主神をお祭りしています。
境内には大きな杉の木がありました。
この木の元で白い蛇を見た人がたくさんいるといわれています。

みわさん


参拝殿の奥に三輪鳥居(三ツ鳥居)があると聞いたので神主さんに案内してもらいました。
本当に綺麗な三ツ鳥居でしたが、写真を撮ってはいけないといわれたので少し残念でした。
その分しっかりと目で見ておくことにしました。

その後平等寺へ行きました。
かつては大神神社の神宮寺として栄えた寺です。

平等寺

次は金谷の石仏を目指します。
金谷の石仏は今は建物の中を覗くと確かに石仏が二体ありました。

蘇我氏が仏教を広めたいので大きな塔を建てました。
神教を信じる物部氏は怒って塔を壊し、尼を三人捕らえて裸にし見せしめのためにこの、金屋の仏像のところで縄で縛り、鞭打ちにしたといわれています。
その後、尼は助けられたのですが、蘇我氏の思い道理物部氏の評判はすこぶる悪くなったと言われています。

金屋の石仏

次に目指すのは海柘榴市あとです。
山の部の道と初瀬街道、さらに横大路が交わる要所。
日本最古の市が開かれ、また求婚の場として歌垣が行われていた。
現在は名残の観音像と道標がたたずむ。

つばいち観音


最後に仏教伝来の地とされる碑の方に向かいます。
大和川の側です。
コスモスも咲いていました。

仏教伝来の地

そういえば、海柘榴市が大和川から近いと言うのは納得できます。
昔はたくさんの品々を船で運んだので、川の近くに市が立ったのは理にかなっていますね。

三輪山と大和川

そろそそ、帰らなければならない時間です。
名残惜しいので何度も何度も三輪山を見ます。
目の奥に焼き付けて桜井駅に向かいます。


今回の箸墓、大神神社、その他の素晴らしいところを見ることが出来て本当に楽しかったです。

心残りなのは道に迷ってしまったので、桧原神社に行けなかったことです。
でも、また来よう。
他にも生きたいところはいっぱいあるし。

次は天理駅から歩いてみたいです。
石上神社、大和神社、衾田陵(手白香皇女陵)、黒塚古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵、なんかも行ってみたいです。
その時には、道に迷わないようにして、桧原神社へも行こうと思います。
楽しみは後に残しておくこともまた良いです。

次に行くときにはまた、違った花も咲いていることでしょう。
そんなことを考えながら、桜井駅に向かいました。



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