橘寺


橘寺は聖徳太子がお生まれになったところです。

聖徳太子は欽明天皇の第四皇子である後の用明天皇(推古天皇の弟)の皇子であり、厩で生まれたので厩戸皇子(ウマヤドノミコ)とか、たくさんの人の話を一度に聞くことが出来たので豊聡耳皇子(トヨミミノミコ)などと呼ばれていた。

橘寺2

日本書紀によると、第十一代垂仁天皇の命で中国に不老長寿の薬を求めに行った田道間守(タジマモリ)は十年の長い間、苦労してようやく秘薬を捜し求めて持ち帰ったところ天皇はすでに亡くなっていました。
このとき彼が持ち帰ったものを「トキジクノカグノコノミ」といい、この実をまくとやがて芽を出したのが橘(ミカンの原種)だったので、この地を橘と呼ぶようになったそうです。。
また彼は、黒砂糖をも持ち帰り、橘と共に薬として用いたので、後に、密、薬、菓子の祖として、崇めれれるようになりました。
菓子屋に橘屋の屋号が多く用いられるのはこの縁によるものだということだそうです。。

橘寺には二面石と言う石がありました。
前と後ろに顔があります。
人の心の善悪を二面表したものだといわれています。

二面石

橘寺には往生院という建物があり、阿弥陀三尊を本尊としています。

往生院

天井には華の天井画が206点も奉納されたいました。
写真はごく一部ですが、大変美しいものでした。

天上画

今日は、橘寺について記憶をたどってみました。
明日は、飛鳥にある大きな石について考えてみたいと思います。






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