唐古・鍵遺跡




唐古・鍵遺跡2

上の写真は、唐古・鍵遺跡です。


唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央、初瀬川と寺川に挟まれた沖積地に営まれた弥生時代の環壕集落の跡です。

環壕遺跡としては近畿地方では最大、全国的にも佐賀の吉野ヶ里に次ぐ30ヘクタールの広さを持っているといわれています。

相当な人数の人達が弥生時代全般に渡ってここに居住していたものらしいです。

昭和11・12年に行われた、末永雅雄博士を中心とした調査団による発掘調査とその報告書は、その後の我が国の弥生研究の教科書的存在となりました。

その後長らくこの遺跡には調査の手が入らなかったが約40年を経て調査が再開され、平成9年3月までに63次に及ぶ発掘調査が行われ、ムラを取り巻く五重の環濠や、縦穴住居跡、青銅器の鋳造炉跡(平成10年)などが発見されました。

そして、調査は現在も継続中です。
また、土器、木製品、糸魚川産のヒスイなど、弥生時代の遺物の殆どが出土している。

この遺跡の名を有名にしたのは、平成3年に発見された「楼閣」の絵が描かれた土器の破片からです。


「邪馬台国」の楼閣に結びつくというのでマスコミが飛びつき、唐古・鍵遺跡の名前は一躍全国的になりました。
問題となった「楼閣」の絵は、二階建ての高層建物を現した、全国的にも類例のない建物絵画です。

しかも屋根に描かれた渦巻き状の飾りは我が国初の装飾屋根であったため、ことさら「邪馬台国」の「楼閣」と結びつけて報道される事になりました。


さて、もしかしたらここに卑弥呼がいたのではなどと考えている方もおられるようです。

私はこのあたりは周りをぐるっと山に囲まれていて、大きな集落もあるので、卑弥呼がいてもおかしくないかもと思わせるものがあるようにも思われました。

あなたはいかが思われますか。

馬見ヶ丘のナガレ山古墳と百済寺は次回にさせていただきます。



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