唐招提寺




唐招提寺 は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。

多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地を下賜されて、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。


当初は「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まりました。




唐招提寺




金堂↓は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。



現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。



金堂




この日は東京へ行っていた千手観音様が戻ってこれられ元の位置にお座りになられるための工事の真っ最中でした。



千手観音


戒壇です。
僧となるための授戒が行われる場所だそうです。


戒壇



講堂です。
平城宮の東朝集殿を移築・改造したものだそうです。
内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されています。


講堂



醍醐井戸です。




醍醐井戸



ここで蓮が育てられているのですね。
県立博物館に『唐招提寺の蓮』というのがあったのですが、ここで育てられて持って行ったのかもしれませんね。





蓮






鑑真大和上は唐の揚州に生まれ、14歳で出家し、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、江南第一の大師と称されました。

天宝元年(742)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡、普照から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意しました。

その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりましたが、天平勝宝5年(753)、6回目にして遂に日本の地を踏まれました。


以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。


鑑真大和上様のお力で日本の仏教も大きく飛躍したのですね。



鑑真和上御廟


私はこの道が大好きです。
唐招提寺に来て良かったと一番心揺るがされた場所です。
鑑真様の思いが伝わってくるかのようでした。



↓は開山御廟(鑑真和上の墓所)です。。
現在は御廟前に和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。




鑑真


時間がなくなってきたので大慌てで次の目的地へ急ぎます。
次は、薬師寺です。




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