神功皇后




神功皇后は実在の人物ではないということになっているのですが、御陵はちゃんとあるのです。


仲哀帝の皇后で、応神天皇の母ということになっているのに、架空の人物というのもまた面白いですよね。




神功皇后





神功皇后は別名を息長帯比売(おきながたらしひめ:古事記)と言う。
古代には、息長(おきなが)という名前の付いた皇族が何人も出現する。
注意して「記紀」を読むと、この名前の付いた人が結構登場するのだ。
これは一体何を意味しているのだろうか? 
滋賀県に今も息長という地名の残る場所があり、ここに息長氏が隆盛を誇っていたという説がある。
滋賀・京都南部から奈良北部・大阪東部にかけてこの息長氏の勢力圏は広がっており、継体天皇の大和入りを助けたのはこの一族だという説もある。
神功皇后もこの一族の出身だという意見もあるが、また反面、そのあまりに超人的な行動や、神懸かり的な故事の故に、神功皇后は実在の人物ではないという意見も結構根強い。直木孝次郎氏は、神功皇后物語は新しく七世紀後半に成立したとしている。



実在の人物ではないのかもしれないのですが、神功皇后の伝説は日本各地にたくさんあります。

福岡には、神功皇后が新羅征伐に行く時に作った船の帆を作った帆柱はここの木で作ったらしい、と言われている場所は今でも残っています。
神功皇后が通った皇后道とうのもあります。



黒岩重吾さんの『女龍王・神功皇后』を読むと、まるで実在していたかのような息遣いまで聞こえてきそうな気がしてしまいます。




女龍王・神功皇后


神功皇后がは実在しないとしても、モデルになった何人かの女性がいたのではないかと思っています。

最後の卑弥呼(卑弥呼は敬称で名前だはない、数人いたという説)だったのかも知れないという説まであります。

色々想像するのも、楽しいですね。

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