新薬師寺


少し山の方へ登って行くと新薬師寺に着きました。


新薬師寺は聖武天皇眼病平癒のため、 天平十九年三月勅願により光明皇后によって建立された名刹です。





新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味なのだそうです。




当時東大寺と共に南都十大寺の一つに数えられ、四町四方の境内に七堂伽藍甍をならべ、住する僧一千人と記録にあるのだそうです。





門





宝亀一一年落雷により災上、現本堂のみが焼失をまぬがれ現存し、鎌倉時代には解脱、明恵両上人が一時同寺に住して現在の東門、南門、地蔵堂、鐘楼(各重文)を建立したそうです。





この堂の構成は遠くギリシャ建築を偲ばせるものがありまさにシルクロードの終着点と云えますね。





新薬師寺




本堂の中には、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財がありました。


御本尊の薬師如来様は母のような慈愛に満ちた御顔をされていました。
十二神将像は一体一体それぞれ迫力のある素晴らしいものでした。







門を出た所に、神像石がありました。


神像石とは、大友皇子・十市皇女から淡海三船までの4代とそれぞれの妃を祀った石です。




神像石





神像石の反対側に、鏡神社がありました。




鏡神社







鏡神社は、遣唐使派遣の祈祷所だったところに、平城天皇の時代、大同元年(806)に新薬師寺の鎮守として奉祀したのが始まりなのだそうです。




また、藤原広嗣は叛乱を起こし、肥後国で斬殺された広嗣の怨霊を鎮めるたま肥前国の鏡神社(唐津市:松浦明神を弘法大師が鏡神社と改名と言う。)から勧請したと言われています。



こちらの一の宮は神功皇后、二ノ宮が藤原広嗣です。





鏡神社・拝殿



さて、このあと新薬師寺をあとにして、白毫(びゃくごう)寺へ向かいました。

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