今朝の黙想4



「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3)
私達は好きな人の話を聞きたいですし、自分の事も話したくなります。神様も私達にご自分の事を知ってほしいと願っておられ、語られます。もし私達が耳をふさぐなら神様はどんなに寂しいでしょう。神様はあなたに愛の言葉を語りかけようとしてくださいます。意識して聞いてみましょう。


聖書の一番最後の、「黙示録」には、繰り返し繰り返し、「耳のある者は聞きなさい」と語りかけの言葉が書かれている。
私の家の玄関に、ひとつの絵が飾られている。その絵は、イエス様が、戸の外に立って、入り口の戸をノックしている絵だ。
黙示録3:20~21にこう書いてある。
「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」
そして、22節でまた、「耳のある者は聞きなさい」と書かれてある。
私はこの絵を見るたびに、イエス様に自分の心の扉を開き、お迎えすることができてよかったぁ~っと、つくづく思うのである。
クリスマスコンサートの際、牧師先生のメッセージの後、牧師先生が毎回招きの時をもつ。会衆全員に目を閉じさせ、神様にだけ意思表示しましょうと、「今日、心の扉を、イエス様に開いてみようと思われた方、神様に手を挙げて、意思表示してみませんか」と牧師は招く。これは、人にではなく、神様への意思表示なので、土曜日のコンサートの時にも、多くの未信徒の方々が、神様に対して、意思表示の挙手をされていたようだ。
hallelujah!!主はそのお一人お一人を覚えていてくださる。
この福音をどうかどうか、多くの人が知り、多くの人が救われますように。


12月14日(火)

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24:35)
私達が目にしているもので不変不滅というものはありません。倫理観も価値観もファッションもあっという間に変わってしまいます。何を信頼したら良いのか分かりにくい世の中で生きる私達に、「わたしの言葉は決して滅びない」とイエス様は語られました。ここに、絶対に変わることのない希望の約束があります。

(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
アーメン!
日々の生活の中で、様々な問題に取り囲まれ、悩んだり苦しんだりするが、最後に戻ってくるところは、聖書の御言葉だ。
そして、この御言葉は、神様から私たちへのラブレターであり、良き知らせである。イエス様がご自身のことを「わたしは、命のパンである」と言われた。御言葉は食物であり、祈りは呼吸であるという。
この世で生活しながらこの世の価値観に流されないで生きる時に、様々な葛藤が生まれる。しかし、このことも、聖書にしっかり書いてある。
私にとって、本当に聖書の御言葉を実感し、神様に自分自身が取り扱われてきたことは、「命を育む」というなかにおいてであった。
「子育ては親育て」とよく言われるが、まさしくそうだと実感している。
そういえば、昨夜、夫がしみじみ言っていた。
「子どもたちをさ。。なんてかなぁ~、倫理道徳的な意味でないよ、あれだよね、神様がいるんだってことを知って、それを子どもたちも自然とわかって、そうやって生きていけて、俺たち、ほんとに幸せだよねー」
(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
夫の実感のこもったこの言葉に、私も深くうなずいた。
夫も私も、多くの失敗を繰り返してきた。しかし、主の愛のなかで赦され、癒され、これからも共に歩んで行く。
主が土台に据えられて、主と共に歩むことのできる幸いを、心から感謝致します。


12月15日(水)

「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」(ロマ5:20)
人生には失敗はつきもの。失敗はあなたが人間であることの証明です。また、失敗はあなたが何かにチャレンジした勇気の証明です。問題は事後処理です。クリスチャンとは、『悪い失敗』を、キリストを信じることによって『良い失敗』に変えることのできる人々です。キリスト信仰は失敗を無駄しません。


アーメン!!hallelujah!!
本当に私は幸せである。
悪い失敗を良い失敗に変えることができるのは、自分の力でするのではないからできるのだ。
自分がもし発揮するとしたなら、それは信仰の部分だ。
このような取り返しのつかない悪い失敗を、どうしたらいいのだろう・・・と人間は悩む。しかし、全能のお方が私と共にいてくださって、この全てのことを良いものに変えてくださるという信仰を発動した時、神様が働いてくださる。
なんと幸いなことであろう。イエス様の十字架は、贖罪のためだけに留まらず、悪魔への勝利のためであった。
しっかりとこのことを握り締め、大胆に力強く信仰によって歩んで行きたいと、今日また切に思った。
hallelujah!! 主を褒め称えます!!
主よ感謝します!!


12月16日(木)

「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。」(エペソ2:10)
「へのへのもへじ」は関東。「へのへのもへの」は関西。名古屋は「へのへのもへ」。金沢では「へめへめくこひ」(「ひ」は最後にぐるりと顔を囲む)。実際に描いてみると、いろんな顔ができるものです。見ていると、誰も同じ人は一人もいない。皆大切な神の作品だと言うことが心に迫ってきませんか?


あーめん!!
(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
誰ひとり同じ人はいない。全部神様のオリジナルだ。
スマップの「世界にひとつだけの花」がヒットしたのは、このことを歌っているからだろう。マッキーやるなっ♪
第二コリント5:15~16に、
「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。」とある。
私は、人間関係の基本は、まず個人と創造主なる神との関係。そして、その次に夫婦の関係にあると思っている。そして、その夫婦から生まれた子どもとの親子関係に繋がっていくと思っている。
私が心がけようと決めたことがある。それは、相手の欠けているところを見ないで、相手の、神様から頂いたオリジナルの賜物、長所を、大きく評価していきたいということだ。特に夫婦間において、そのことが出来るようになりたいと願っている。しかし、明らかにNOと思うとき、それは違うと思うとき、とことん真正面からぶつかっていく(笑)
我ら夫婦は、色々なことがあったからこそ、幾多の試練を通らせていただいたからこそ、最高の夫婦になれると思っている(笑)
マイケル(夫)の、賜物である、穏やかさ、仕えることのできる柔軟さ、人の痛みを知ることのできる優しさ、この沢山ある賜物が益々磨かれて、主によって用いられていくことを信じます。
そして、何よりも、このように心から思うことができるのは、主よ、あなたの十字架の愛を知ったからこそです。
主をほめたたえ、主に感謝します。hallelujah!!

12月17日(金)

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」(創世1:26)
あなたは神様をどのようにイメージしていますか。実は神イメージと自己イメージは正比例するのです。あなたの神イメージが良ければ良い程、あなたの自己イメージも高くなります。聖書は神様は徹底的に良いお方であると証言しています。この良いお方があなたを愛して下さっています。あなたは神様から幸せを受け取る資格があります。


私が今のような強い女になったのも(笑) (本来の私は繊細で傷つきやすい人間だったのだ)徹底的に、神様との関係のなかで、神からくるセルフイメージという視点で、自分をやき直ししたからだと思う。
幾多の試練の中で、足がすくんで前に進めない時に、「神様からみた私」という視点で自分を見なければ、立ち向かうことが出来なかった事だらけだ。
今でも、様々な問題に取り囲まれている。しかし、この問題の一つ一つは、全て良いことに繋がっていると解釈し、最後には神様が帳尻を合わせてくださると信じることができるから、今日も笑顔で生きることができる。
この視点は、問題から目を背けることとは違う。
問題のなかで、翻弄され、のたうち回るからこそ、神様の視点が理解でき、また、自分自身が聖化されていく。
もし、自分が信仰をもっていなかったら・・・と、ちょっと想像してみた(笑)
きっと、今頃、自己憐憫の王者だっただろうなー(笑)
とっくに離婚はしてただろうし・・・(笑) 子どもたちも、めちゃくちゃだっただろうなぁ・・・。
もしくは、自己憐憫に陥っている自分を隠す為に、自分を演じて、自分らしく生きていなかっただろうなぁ・・・(笑)

心の底から笑うことができ、心の一番奥底に平安があることの幸いを思い、感謝に溢れた朝であった。
主よ感謝しますー!


12月18日(土)

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれる」(マタイ1:23)
いよいよXMAS。XMASにプレゼントを贈る方も多いでしょうね。でも、人に最も必要なのはプレゼント以上に、プレゼンス(存在)です。神様はキリストというプレゼントを通して、神様のプレゼンス(存在)を贈って下さいました。あなたはもう一人じゃないよ。神様があなたと一緒におらます。


(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
クリスマスになると、街じゅうが華やいで、クリスチャンでない家でもケーキを食べたり、クリスマスの飾りつけをしたり、この雰囲気、好きだ(笑)
きっと、人々は、無意識的に「神様からの贈り物(プレゼンス)」を感じて喜びがくるのではないだろうか・・・。
明日日曜日は、クリスマス礼拝を行う教会が多いことであろう。
世界中のクリスマスが主の祝福で溢れますようにっ!
hallelujah!!


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