今朝の黙想11



「耳が聞えず、口のきけない人をみもとに連れてきて…そこでイエスは彼ひとりを群衆から連れ出し…」マルコ7:32-33 
耳も口も不自由なこの人は、社会的に見れば弱い人でした。実力、戦力重視の社会からは放り出される人です。しかし、キリストは見捨てませんでした。彼一人を連れ出し、一対一で関わり、癒してあげました。たとえ今日、世の中全ての人があなたを見捨てたとしても、キリストだけはあなたを見捨てません。大丈夫!

はいっ!あーめんっすー!!
私は、いつもいつも思う。
夫の兄は障害者なのだが(てんかんによる、知的障害)兄は我が家の「光」である。彼が存在しているだけで、私たちは照らされる。
神様が目的をもって、神の作品として兄をつくられたという意味がよくわかる。兄は大きな使命をおって、この世に存在している。
兄は皆に愛されている。私も、子どもたちも、教会のみんなも、私の実家の家族も、兄をとても尊敬し愛している。
しかし、それは神様が私たちに、「兄の存在の意味」を教えてくださっているからこそだと思う。何故なら、まだ神を知らない夫の家族は(5人男兄弟のうち、兄は四男、夫は五男)障害者の兄を重荷に感じ、他の3人の兄たちは、全員、家を出て行った。この世的には賢くて、社会的には所謂勝ち組の兄たちだ。しかし、私は、負け組みの夫を尊敬する。他の3人の兄たちは、大切な視点を失ってしまっている。四男の兄の病院に、兄たちはお見舞いに来たことが無い。少なくとも、わたしが嫁に来てからの20年、兄たちは、自分のことしか考えていない。
しかしながら、聖書には「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」という約束が書かれてある。
私たち夫婦の、生涯をかけての最終的な使命は、この勝ち組兄3人に、福音を伝えることにあると認識している。
正確に言うと、勝ち組なのは二人の兄たちであり、長男は蒸発してしまった。神を知らないがゆえに、重荷に潰されてしまったのだ。

しかし、これまた、私の人間的な視点であり、案外神様が、兄たちをこのような状態にしてるのは、私たち夫婦を訓練するためであるのかもしれない。
うん、きっとそうだ。だから兄たちに感謝しなきゃなんだ。そうだそうだ。
にーちゃんたち、悪役ご苦労様です。
感謝します~~!!


2月1日(火)

「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」(ヤコブ1:12)
聖書は「人生はテストである」と言っています。毎日の生活の大小様々なの出来事に、あなたがどのような反応を選び取るかというテストです。それによって私達が人格的に成長することができるのです。あなたは今日の出来事にどのような反応を選び取りますか?

はい・・・主よ。。
今回のテスト、何を選び取ったら主が喜ばれるのか、まだわからないでいます・・・。ちょっと心の中を整理してみようと思います。
今の私の反応(自分を惨めに感じる、なんだか泣きたい気分、あの人たちと別れたいと思ってしまう・・・etc)全部、否定的な思いですね・・・。
この状態を神様が喜ばれるはずがないこともわかります。
この否定的な思いを、どう肯定的に焼直したらよいのかが、わからないでいます。
お金の力が、教会の中のイニシアティブを握っていくことが嫌なんです。
主よ、これが、私の偽りのない思いです。
ここを主に祈って、おゆだねしたらいいのでしょうか・・・
彼らは、教会の各器官のひとつの、「お金係り」と考えればいいのでしょうか・・・。しかし主よ、この数年間、混乱の原因となるのは、いつもここでした。お金の力は大きかったです。。
教会の頭は主ですから、主よ、主の御思いを教えてください・・・。
主が、「彼らと一緒に歩きなさい」と、私に命じておられるのは、よくわかっています。そして、一緒に歩いて行こうと覚悟しております。
起こってくる出来事ひとつひとつに対しての選び取りなんです・・・。
今日一日、じっくりと静まって、祈りつつ、聖書を読みながら考えてみようと思います。聖霊様、どうか教えてください。バカな私がわかることの出来る方法で教えてください。
待ち望みつつ、主の御名によって祈ります。あーめん。


2月2日(水)

「私のこれらの言葉を聞いて行う者を、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることが出来る」マタイ7:24
人は3通りの人がいます。「何もしない人」「何かをする人」「しようと思っている人」です。「しようと思っている人」は、本人は「する人」と限りなく近いところにいると思っていますが…実は、「しない人」と同じなのです。事実は「する」か「しない」かのどちらかしかありません。思いを行動に移しましょう。


(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
なるほどなぁ~。
私は、思いがきた事柄に対して、行動を起こすタイプの人間なので、こういう例想は大好きだが(笑) この御言葉に対してだけ黙想した時、ある場合には「沈黙」とか「神様に委ねきって、何もしない」という行動を迫られる時もある。
主が今何を語っておられるのかを悟り、それに対して応答するということが、このマタイ7:24なんだろうと思う。
私が今、主に迫られていることは、「仕える者になりなさい」ということだ。
現在私は、いっぱいいっぱいの状態にある(笑)
自分がこの状態になったとき、私は、理解者、励ましを与えてくれる人が欲しくなる。(笑) そして、たいていの場合、それを夫に持っていって、砕け散る(爆)残念!(ギター侍)「励まされるどころか、ケンカになっておしまいですからぁ~~!!」といったところか(泣き笑い)
ってな感じで、昨夜は夫とケンカになった。お互い成長過程にあるので、ケンカで終りにはならず、互いの理解をしたというところか・・・(笑)
これを書いている最中に、友人から電話が入った。
友達っていいね~♪ 何を話したわけでもないのに、バカ話しただけなのに、さっきまでの憂鬱がちょっと軽くなった。
主がこのタイミングを与えてくださったんだわ~!
感謝しますー!!
おーーし、今日も目の前にある山積みの仕事、やっつけてやっからなっ!!(注 やっつけ仕事という意味ではありません、自分に気合を入れてるんです
爆)


2月3日(木)

「天国は、ある人が旅に出る時、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。」(マタイ2514)
聖書は『人生は預かりものである』と言っています。時間、命、才能、チャンス、財産など全ては、神様から一時的に預けられたものです。私達はそれらを正しく管理することが求められているのです。自分のためだけでなく、他者の幸せのためにどれだけ使用したかが大切です。あなたはどうですか?

(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
あーめんっ!
私の所属している教会は長年牧師不在の教会だった。
云わば、「セルチャーチ」「家の教会」といったところか。
前に、日記のなかで少し触れたが、一番最初の始まりは、開業医のお宅がクリスチャンだったことから、そのお医者さんの自宅の蔵を改装して礼拝堂を建てられたところが始まりである。
そして、何故か、この教会には、日本有数の超一流の牧師の協力が与えられてきた。肯定的にこのことを捉えた時には、「神様がこの教会を愛され、哀れみを注ぎ続けてくださっている」ということである。
また、ちょっと見方を変えて、意地悪にこの事を見たとき、
「お医者様の奥様のブランド志向がこれを成してきた」というところか(笑)
そして、人々が集まり出しては、分裂するということが繰り返されてきた。
お医者様の教会が、一回目の分裂をし、その後、有名な牧師の協力が始まった直後に、私は救われた。だから、メッセージ(説教)は、いつもご馳走を食べさせて頂いてきた。二回目の分裂の際、私はお医者様の教会に留まった。当時の私は、日記にも記してきたように、試練の真っ只中にあって、教会云々どころでなかったのである。お医者さまの奥様の言うことを聞いていれば大丈夫だと思っていた。そして、三回目の分裂・・・。これが3年前の出来事である。この三回目の分裂の際、私たちはお医者様の教会を離れた。
積極的に離れたわけではない。断腸の思いで、そうするしかなくて離れた。
そして、私の出した結論は、「私たち羊を牧する牧者が必要である」ということだ。そして、「我らの教会の専任の牧師を与えてください」と神様に祈り続けた。そして、今、その祈りが成就しようとしている。

っで、何が言いたくてツラツラと書いたかと言えば(笑)
私たちの強みは、信徒一人一人が「献身」ということにおいては、こういう状況の中で育ってきたので、しっかりしているということだ(笑)
この「献身」とはどういうことなのかを、お医者様ご夫妻の生き方を通して肌でわからせていただいてきた。この良きところをしっかりと継承しつつ、失敗の中からも学び、「牧師よりも信徒が力を持つ」ことだけは、やめにしなければならないと肝に命じている。
専任の牧師をお迎えする準備を、現在している訳だが、ここ数日間の私の混乱状態というのは、「同じ失敗を繰り返さないためにはどうしたらいいのだろう。。」ということで、悩んでいる。
お医者様の教会から分離しての3年間、既にこの兆候が見られている箇所において(金持ちがイニシアティブを握り、牧師より権限をもつこと)どう立ち振る舞っていくべきなのかを、悩んでいる。この金持ち夫妻と私たち夫婦は密接な関係にある。関係の薄い他の信徒たちは、既に彼らに対して信頼を失っている。ここをどうクリアしていけばいいだろう。信頼の回復は、私たち夫婦の立ち振る舞いにかかってきているという自覚がある。そのあたりで、毎晩、夫と議論になり、ぶつかりあっているという次第だ。
祈っても祈っても、答えがでない。
主は、きっと、私に、「存分に悩みなさい。実感として私が聖書で言っていることがわかるために、このレッスンのなかで学びなさい」と言っている。
はい、主よ、わかりました。あなたに従います。
これしかないな(笑)

ってなことで、ドツボにはまってますが、頭痛がするほど苦しんでますが、肉体も霊も元気ですから、ご安心を(笑)
長文の独り言黙想、勘弁してd(゜ー゜*)ネッ!


2月4日(金)

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)
人は皆天国受験生です。死後、神様の前で入国試験があります。でも安心して下さい。神様は前もって試験問題を聖書を通して教えてくれています。質問は2つ。
1、あなたはイエス・キリストを救い主と信じて生きてきましたか、です。この質問は天国か地獄かを決定する最も重要な質問です。神様はあなたに合格して欲しいと願っていますよ。

あーめんっ!
今朝1ってことは、明日パート2があるってことねっ(笑)
今朝、このことを思い巡らしながら、歴史のなかで、何故宣教師たちが命をかけて伝道してきたのか、何故ギデオン協会の方々が必死に聖書を配布する働きをするのか(ホテルに泊まると必ず部屋に一冊聖書があるっしょ、あれあれ)、何故教会があるのか、何故私が私生活の暴露をしながら必死こいて、ギャァギャァー言ってるのか(笑)
答えは一つ!一人でも多くの人に天国に行って欲しいから。これのみである。
前にも書いたが、死んで終りなら、勝手気ままに生きればいいだけ。
いるかいないかわからない神様を信じるなんて、天国地獄なんてあるかないかわからないじゃん。。等々、信じない理由はたくさんあるだろう。
しかし、逆説的に考えた場合、もし、天地万物を創られた創造主なる神が存在し、聖書がまぎれもない神の言葉であったとしたら、どうするんだろう・・・と問うてみたい(笑)
ちっぽけな人間がどう頑張っても、神様にはかないっこないのよ(笑)
だって、あなただって、必ず死ぬんだぜよ?
っと、ここで、「何で今朝の私はこんなに乱暴なんだろう」と立ち止まった(笑)
自分の心を点検したみた。わかった(笑)
こういう、救いそのもの、ズバリそのものの聖書箇所が出てきた時、私はついつい、屁理屈をこねて信じない理由を並べ立てる人々を頭に思い浮かべながら黙想していることに気がついた(笑)
ま、あれだ。どんなに屁理屈並べ立てても、そんなあなたさえ、神様の愛を受けてますから~残念!(笑)

いかんいかん・・・
たぶん、あたしは今、ナチュラルハイの状態にある(笑)
たった今、こみさんから本が届いた。こみさんはクリスチャンでないくせに、あたしに牧師の著書を送ってくれた(笑)
ありがとんっ♪じじぃも、はよ、素直になって、洗礼うけれよっ(笑)
ということで、掃除機をかけたら、この本を読み、心を静まらせようと思います。
主よ、どうか、私に平安を与えてください。
主が、この本をとおして、私に語りかけてください。
主よ感謝します。


2月5日(土)

「わたしたちの国籍は天にある。」(ピリピ3:20)
聖書は『人生は一時的な務めである』と言っています。私達はこの地上で永遠に過ごすわけではありません。ですからこの地上のものを大切にしつつも、執着しすぎてはいけないのです。何故なら地上の財産や栄誉はあの世に持って行けないのですから。人生の価値はこの地上だけでは決まりません。神様の目に富んだ生き方こそ永遠に価値ある人生です。


あーめんっ!
私はこのことを信じて生きている。
そして、第一のものを第一にする、イエス様を主と信じて生きることを、自分の子供に継承することが務めとだと思っている。それが一番の財産であると堅く信じている。
子どもは親の背中を見て育つ。私たち夫婦が、どこまで主に従って生きることが出来るかによって、この財産をこどもたちに残すことが出来るかが懸かっている。そして、それは失敗しないように生きることとは違う。失敗したときどこに帰るのか・・・それを伝えたい。たとえ失敗したとしても、悔い改めてイエス様の元に帰ったとき、そこから先がどう変わるのか・・・。
この道程が大切なのだ。
この文章を読んでくださったそこのお父さん。
お父さんにかかってまっせー!(笑)
家庭の祭司は、どうあがいても、宇宙の法則により、父親でっせー(笑)
アダムが先につくられ、その助け手としてエバがつくられましたのよんっ。

我が家のお父さんが、益々このことに目が開かれ、私自身が、アゲマン人生に徹することができるように、主よ力をくださいっ。
尊敬できない日にも意思と信仰によって尊敬する。
主よ感謝します~~!!

© Rakuten Group, Inc.

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