今朝の黙想20



「すると彼(エリシャ)は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。」(2列王記6:16)
エリシャの家が敵の軍隊に包囲された時、従者は震えおののきました。しかしエリシャは神の現実を知っていたのでこの言葉を語ったです。彼は自分の味方の力強さと多さを知っていたので動揺しませんでした。私達にも同じ天の軍勢が味方にいることを覚えましょう!


はいっ!あーめんっ!!
昨夜、町田に住んでいる親友と、長電話をした。
私は彼女を通して、主と御出会いした。
彼女は幼稚園の時から、ずーっと一緒の親友である。
今おかれている状況や、近況、神様に示されていることなど語り合った。

今朝の箇所を黙想して思った。
例想にある「神の現実」
そうそう、これこれ。
私達家族は、「神の現実」によって、今日まで生かされてきた。
私の卵巣癌が癒され、呪いから解放され、今住んでいるこの家は神様が半額で与えてくださった。
このように、私達に良くし続けてくださったお方が、共にいてくださる。
夫の転職において、必ず主が最善の仕事を与えてくださることを信じます。

主を待ち望みます。


4月5日(火)

「キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。」ロマ15:7
水面上に見える氷山の姿は全体の八分の一に過ぎないように、私達の目によく映る人々の言動もその人のほんの一部であるかも知れません。目に映るところだけで決めつけず、人の隠れている良さに目が開かれますように。


あーめんっ!
昨夜、夫と祈っている時に、「私達の心に、苦い根が残る事がないように・・・」と切に祈った。
夫の仕事を祈り求めているわけだが、これは、良い意味で、教会を建て上げるために、主にあっての兄弟姉妹として共に主の御用にはげんでいくために、職場においての「上司と部下」という関係から解き放たれる必要を感じているからだ。私も夫も罪深い弱い人間だ。そして、この世的に見たら、今回の選択はある意味「逃げ出す」ということかもしれない。今までお世話になってきた社長に対して、恩知らずな、ひどい人間なのかもしれない。
っと、こんなふうに、毎日のたうちまわって苦しんでいる。しかし、この苦しみを通らなかったら、朝晩、夫婦で心を合わせて本気で祈ることもなかったと思う。
客観的にみた夫の弱さや欠点は、私が一番よく知っている。何故なら、私が一番被害を受け傷ついてきたのだから・・・。
そして、この2年間、私自身が主からの取り扱いを受けたなかで悟ったことは、「夫を悪者にして、私も夫を責めていたが、そこからは何も良いものが生み出されないどころか、自分自身も弱り果てていった」という事実のなかで、聖書の視点、牧師先生が私に言い続けたこと「赦すのです。あなた自身の祝福のために赦すのです。彼(夫)のために赦すというより、あなたのためなのです」
という、この意味がわかった。
もちろん主は夫をも取り扱った。
そして、先日夫がこう私に語った。
「やっとね。。やっとなんだけどね、今まで自分は『ようこの信じる神様』を信じてきたんだと思う。そして、今やっと、自分と神様が直結したって実感があるんだ・・・」
私はこの言葉の重さをかみ締めた。
彼の心の暗闇は「存在否定からくる自己否定」というところから発生していた。そこが、癒され、神様によるアイデンティティが確立されてきたのだと思う。
そして、神様は、私達に新しい季節をもたらそうとしてくださっているように思う。
主がご用意してくださっている祝福を存分に受け取っていきたい。


先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたはそれを知らないのか。
確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。(イザヤ43:18~19)

hallelujah!!主よ感謝します!!
主に信頼し、主に期待します!!


4月6日(水)

「わたしが来たのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」(ヨハネ10:10)
私だけが幸せになっていいのだろうか?って思ったことありませんか。幸せを望んでいるのに、幸せになることに罪責感を抱いてしまうのです。心根が優しすぎる人ほどそう感じてしまいます。イエス様は私達を幸せにするために来られました。幸せになって大丈夫。イエス様から本当の幸せを頂きましょう。


今朝の御言葉。今の自分の状況に対して、ストーンとそのまま受け取り、「主よどうぞよろしくお願い致します」と、そのまま素直に信じることが出来る。

しかし、例想にもあったように、御言葉をそのまま受け取るというところにたどり着くまでに、主によって錬られ取り扱いを受けてきたからこそだな~と思った。
今朝の例想に・・・以前の自分に思い当たる節がある。
悪魔によって、ここを惑わされてきたように思う。
「クリスチャンは、こうあるべき」とか「清く貧しく美しく」とか、そういう人間が勝手に作り出したイメージや概念に、案外わたしも縛られていた。
私は本来、型破りのパッパラパ~な人間だ(笑)
しかし、自分で言うのもなんだが(笑) 性根が真面目なのよん(笑)
今朝の例想、いい表現だったわー、これこれ「心根が優しい」
ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆

だから、以前は、自分を可愛がること(例えば洋服を買ったり、化粧品を買ったりすることや、自分の時間を持つことなど)に、罪悪感があった。
そして、「聖書はこんなこと言ってないのに・・・おげじぃ・・なんかちゃう・・・」と心のなかで感じていた。
そして、聖霊によって、自分自身との和解、解放が成され、縛りから解き放たれてきた。
聖書がいっている「聖化」というのは、「聖霊によってなされる成長」なわけで、人間側のイメージの押し付けや、概念によって、「こうあるべき」「べき、べき、べき」っていうのとは違うと私は思う。人間には、「原罪」があるので、自分で清く(聖く)なることなんて出来ない。神様によって、聖霊の働きによって、御言葉を食べてそれを受け取る、そういった神様と直結していくということでしか、きよめられない。
もっと直接言えば、「イエスキリストの十字架」が自分のためであったのだということを知らずして、聖くなることは出来ない。

また、ムキになったわ(爆)

わたしはイエス様の十字架によって、罪赦され悪魔から解き放たれ、目の前から問題や試練がなくなることはないが、とても幸せである。心の一番底が平安である。
そして、地上での生涯が、主によって、「栄光から栄光へつくりかえられていく」という中に招き入れられていることを感謝します。

主よ、弱くてバカなわたしですが、これからもどうぞよろしくお願いしますー!!


4月7日(木)

「熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。」(箴言19:2)
テスト範囲をきちんと聞かずに、関係ないことを勉強したことはありませんか?熱心さはとても大切なことですが、物事をきちんと把握して行動しないなら大変なことになることがあります。正しい目的であっても、感情だけで行動する前に、冷静に必要なことを見極めましょう。大胆さが必要な時もあれば、慎重さが必要な時があります。


アーメン!!
ほんと、そうなのよ~。
人の長所と短所は裏表だって言われるように、「熱心さ」はとても大切な事だし、また「冷静さ」もとても大切だ。
何事もバランスだわー。
私は、どちらかというと、熱心さが空回りして急ぎ足になるタイプだ(笑)
そして、この点に対しても、若い日に、訓練をされたな~と実感する。
多くの失敗をとおして、訓練を受けたわ~。
私はこの自分の熱心さを、まず肯定的に捕えるようにした。
そして、自分の内側から、何か、こう・・・フツフツと思いが起こされたり、直感的に「これだ!」と思わされたりする際、気をつけることは、「聖霊の先に自分がいってないだろうか」ということだ。
そして、その思いに対して祈って、御言葉の裏づけをとるようにしている。
これは、失敗から学んだ。
賜物が活かされるためには、「これは自分の良いところなんだー」と認識した上で、その良さが尚も活かされる為にはどうするべきか・・・という視点で物事を見るように気をつけている。
神様は、私のこの長所であり欠点である「熱心さ」を用いてくださった。
ただただ主の哀れみである。
時には、突発的に、「判断がどうのこの」とか「これは御心だろうか」とか、考えてる余地のない場面に出くわす。
そういう場合は、主に信頼して、「とにかく行動する」ことを選択する。(笑) 結果を主に委ねる(笑)

とにもかくにも、主を信頼し、信仰によって行うならば、たとえそれが失敗したとしても、その失敗さえも主は用いる。
本質はこれだと受け取っている。
今朝の箴言の箇所も、先生の例想も、「心構え」という点においてだと受け取る。心構えにばかり目を向けて、本質を見失うことがないようにと、今朝思った。
そのためにも、普段の生活のなかで主と直結していなければと、また心を新たにされた。
主よ、感謝します。
どうか今日も主が共にいてくださいますように。
私が主の前に出る事がないように、守ってください。また、怠惰を慎重さに置き換えて自己正当化することがないように守ってください。
私の良きところが主によって用いられますように。また私の欠点が主によって守られ、錬られきよめられ、日々成長することができますように、どうか助け導いてくださいっ!!
尊きイエス様の御名によってお祈りします。あーめん。


4月8日(金)

「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」詩1:2-3 
タンスに○○。ゴホンと言えば○○○。駅前留学○○。もう幾つ寝ると○○○。苦労せずに思い出せましたね。意識する、しないにかかわらず反復した結果、記憶の倉庫にストックされたからです。御言葉も反復しましょうよ。


はーぁーいっ!!あーめん!!
「声に出して反復する」
これは、すごく大切なんだそうだ。
小さい子供が音感を習得していく過程は、「耳から聴いて声にだす」ことの繰り返しのなかで身についていく。
小学低学年の子供たちに、国語の教科書の「音読」をさせるのもそうだ。英会話でもそうだ。
これは大人になってからでも効果がある。
ピアノで、スケールなんかの早いフレーズを弾けるようになるためには、口でドレミ読みでインテンポで言えると弾けるようになる(笑)
これ、マジマジ。
人間の脳みそって、自分が口から発している音を、骨や耳をとおして、すごく鋭敏に察知して聴いてるのよっ。

だから、自分の口が何を語るかは、とても大切で、自分の口が、自分を否定したりするような言葉や、他者を呪う言葉を発していると、脳みそにそれが刻み込まれていってしまう。

私にとって、ワーシップソングは、御言葉の暗誦に役立っている(笑)
今朝の詩篇の1篇も、すぐあのメロディーが頭に浮かんでくる(笑)
教会学校の、12弟子の名前を覚える曲。子供たちはスラスラ~っと弟子の名前をすぐに覚えた。メロディー効果なんだろな~♪
私は大人のくせに、12弟子の名前をメロディーにのせないと、全部言えない(笑)
教会学校でも、子供たちが毎週「暗誦聖句」をするように、わたしも、御言葉を蓄えていきたいと思う。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる(ローマ10:10)

信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです(ローマ10:17)


主よ、どうか、もっともっと聖書の言葉を受け取ることが出来るようにしてください。そして聞くだけでなく、御言葉が自分の血となり肉となって、私の霊に宿って、成就していきますように。
主よ、感謝します。
尊き主イエスキリストの御名によって祈ります。あーめん


4月9日(土)

『主を喜ぶことはあなたがたの力です。』ネヘミヤ8:10
サタンは私達から救いを奪うことができないので、私達を倒す一つの方法として喜びを奪おうと働きます。それは、私達の力である喜びが奪われると、人生に輝きがなくなるからです。周りの人への影響力もなくなります。そこで喜びを回復する2つの方法を紹介しましょう。まず絶対に変わらない神様の愛に目を向け続けること、もう一つは、喜ぶことを決断することです。今日も主の喜びに満ちあふれる勝利の一日でありますように。


アーメン!!
hallelujah!!
主よ、私も夫も弱い人間です。主よ、どうか夫に最善の仕事を与えてください。そして、今を踏ん張ることが出来るように、天からの励ましを彼に与えてください。夫が疲れきって、力をなくしています。聖霊さま、どうかあなたさまの霊で夫を満たしてください。
主よ、我らを哀れんでください。一人で祈るより二人で祈ることが、どんなに大きな力になるかを、今朝思い知らされています。ここ数日、来客や総会資料の準備等で忙しく、夫婦で祈りをあわせる時間がとれないでいました。
一人の力を1としたとき、二人の力は倍の2になるということではないのだと感じます。何十倍何百倍にもなるのだということを実感しています。
「二人三人わたしの名によって集まるところにわたしもいる」という御言葉の意味を大実感しています。
様々な状況が毎日我らを襲ってきます。
主よ、今日は、わたしが主に、夫のためにとりなす日だと思います。
主よ、夫を支えてください。力付けてあげてください。具体的に彼に仕事上での助け手を与えてください。彼は良いボスに忠実に尽くしボスを支える賜物をもっていますから、どうかその賜物がいかされますように。
マタイ6:33~34の御言葉を感謝します。
主にあっての平安で我らを包み、守ってください。
夫の支え手となりとりなしてとなる力を天から与えてください。
主よ感謝します。主により頼みます。
尊き主イエス様の御名によって祈ります。あーめん。

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: