今朝の黙想27



「天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある。」(伝道3:1)
すべての問題は、他人や状況や出来事によって起こるのでしょうか。いいえ、「人生の主役」はあなたです。自分がそれをどのように捉え、受け止めるかによって変わってくるのです。どんな時も「必要、必然、最善」としてとらえることです。そうする時に、人生に意味を見出すことができます。


!!!!
まさしくwww
主は私の心の中をお見通しだわー!!
私のために今の試練がある。泣きたくなったり、嫌になったり、晴れたり曇ったり雨が降ったり嵐になったり・・・色々な季節を通るけれど、「必要、必然、最善」これなんだわー!!

主よ、私は彼らを反面教師にします。誰からも評価されない誰の目にも見えないところを喜んで出来る人になりたいからです。
この世では貧乏くじばかりに見えても、主は見ていますから感謝します。
自己実現や自分のテンションを上げるために、自分を真ん中において神様を振り回すのではなく、神様を中心において、自分がそこに従うことが出来るようになりたいからです。
主よ、今、なかなか祈りに集中できないでいます。
私に平安を与えてください。騒ぐ心を静めてください。
人を見ないで、状況を見ないで、主の御言葉にだけ心を向けることが出来るようにしてください。
主を待ち望みます。
主よ感謝します。イエス様の御名によって感謝してお祈りします。アーメン。


5月24日(火)

「たとい死の影の谷を歩むとも、災いを恐れません。あなたが私と共におられるからです。」詩23:4
人は誰でも不安や心の傷を持っているものです。その部分を避け、触れられたくないと思い、自信が持てない場合もあります。でもいつかそれらと向き合い乗り越えることが要求されるでしょう。キリストがあなたと共にいてくださいます。キリストと共に不安と向き合い乗り越えましょう。


アーメン!!hallelujah!!!
ここよ、ここ!!
人生を豊かに生きるキーポイント!!
「避ける」のではなく「乗り越える」
ここ!!
神様に信頼していたなら、ちゃーんと神様が一番良い時に、一番良い形で、一番良い方法で、その人の心の傷(内面、無意識の領域)に触れ、癒し、克服させてくださる。
私達の成すべき事は、神様に信頼して、真正面から自分自身を見ることなのだと思う。避けるのでなく乗り越えることを目指すことなのだと思う。
それには時があり、神様に信頼するなら、必ず最善が与えられる。
私は今日もここに信頼して、目に見ることは出来ないが、御言葉を通して神様がご自身を顕してくださるゆえに、そこに希望と期待をもって、生きようと思う。

夫と昨夜共に祈っている時、夫が幻を見た。
夫が言った。
「イエス様が、俺たちのために祈ってくださっている。イエス様ご自身が祈っておられる」
hallelujah!!!
私は感謝で涙が溢れた。
イエス様が祈ってくださっているのだ。
これは事実なのだ。
主は生きて働いておられる!!
主をほめたたえ主に感謝します!!
栄光は主のもの!!
アーメン!!


5月25日(水)

「私の神は、ご自身の栄光の富の中から、あなた方のいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」(ピリピ4:19)
神様に不景気はありません。神様には無尽蔵の富があります。私達がキリストを信じ祈り求め続けるならば、必ずいっさいの必要を満たして下さいます。無いことに嘆き、やっかむことはありません。さあ、信じて祈り始めましょう。この神様があなたのお父ちゃんです。


はいっ!!
アーメンですーー!!
hallelujah!!!
ここ最近、私が神様に示されているのは、「信仰のダイナミズムとシンプルさ」ということだ。
聖書に書かれてあること。
それは「神の愛」
その神の愛を知って自分のものにするには。
それは「信じるだけ」「信じるだけで、恩寵によって救いが与えられる」
聖書に書かれてあることが、自分にも起きるには。
「祈りによってのみ始まる」「自分の力でないことに気が付く」

わかっていたようで、わかっていなかったように思う。
いや、わかった分だけ、私の人生の中に神様の御業が顕されたのだと思う。
そして、今朝祈っていて示された御言葉は、
「権力によらず能力によらず、わたしの霊によって」ゼカリヤ4:6
ここだ。

神様に全てを明け渡して、主権は神様にあることを認め、全能なるただお一人の天地を造られ全ての被造物を造られたお方を信じて祈る。
わたしたちの側の自分自身の罪、自分のなってなさ加減、そこに目を留めるのではなく、その全ての罪を「信じる」だけで贖ってくださったお方に目を留るのだ。それはあまりにもスケールの大きな神様の愛ゆえに、ちっぽけな自分のものさしや価値観や人生観の中ではおさまることなど出来ない事である。だから、神様に明け渡すのだ。
私たちがすること。
それは「信じる」これのみだ。

夫の仕事の事、経済的な心配、教会内の不一致さ。
これは、あってあるべくしてあるのだ。
そして、必ずや、ここに神様の栄光が現われると信じます。
人間の側に、栄光はまったくない。
それをわかるために、神様は光をあてて一人一人を照らす。
あえて神様は我らを泥沼の中に投げ込む。
それは恵みでしかない。それは愛でしかない。
hallelujah!!
主よ感謝します。
主をほめたたえます!!

「祈る」
これがどうやら一番の近道だ。


5月26日(木)

「私の神は、ご自身の栄光の富の中から、あなた方のいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」(ピリピ4:19)
さあ、紙と鉛筆を用意して…。「私の必要は○○です」と書きましょう。有形無形に関わらず具体的にね。お金なら金額も指定しましょう。遠慮せずに全て書き出しましょう。そして「神様、これらが私の必要です!」と祈り始めるのです。求め続けましょう。祈りと共に神様は働き始めます。


なんでだろ・・・、すごくこういう事になると消極的になる自分がいる・・・。hallelujahとかアーメンとか言えない・・・。
頭はわかっているんだけれど、霊がわかっていない・・・。
私は、こと、こういう具体的な、例えば「神様、お金がこれだけ必要です」とか、そういうことを言うのはご利益信仰みたいで申し訳ないみたいに感じて、神様の前でいい子ぶってしまって、求めないでいる、そういう自分が存在するなぁ・・・と気が付きました。
そして、ここをよく思い巡らせてみました。
私には、お金に対しての傷があることに気がつきました。
それは、私の父の親戚が、私が高校生の頃、大きな借金をし、その保証人になっていた父が、それを全部ひっかぶってしまったところからきている傷だと思います。
主よ、どうか私のそこを、癒してください。
あぁ・・・そっか・・・
多分、私の無意識下は、この事件によって受けた様々な傷がありますね・・・。そっか・・・。
私は多分、この頃、母が泣いている姿が悲しかったり・・・父が自分が良い人でいるために家族を犠牲にしたと受け取って、父を赦せないでいたり・・・。
遊びほうけて借金を父にかぶせて、私達家族を苦しめた親戚を、多分、私は今も赦せないでいる・・・。
ここ、主に差し出さなきゃ・・・。
あぁ・・・ここだわw
だから、あたし、早く結婚したかったんだわw
そして、無意識に突き動かされて結婚し、嫁ぎ先でこの傷の追体験をしたんだわw
あたし、めっちゃくちゃ、「金」に傷ついてるんだわw
それと「男の優柔不断さ」ってことに傷ついてるんだわw

主よ、今朝、このことに気づかせてくださり、感謝します。
私のこの傷を主の前に差し出します。
どうか癒してください。
そして、今朝の御言葉を握り締めて、具体的に紙に書き出して、主に必要を与えてくださいと祈ることにします。

既に聖霊が先立って働いておられ、それゆえ私に気づきが与えられ、我が家の経済的な心配を具体的に祈るところに導かれました。
主よ、心から感謝致します。
主を待ち望んで、主に期待して、主に信頼して祈ります。
hallelujah!!


5月27日(金)

「私の神は、ご自身の栄光の富の中から、あなた方のいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」(ピリピ4:19)
神様は「贅沢」ではなく「必要」を満たして下さるお方です。必要とは生活の「必要」と共に果たすべき役割の「必要」も含まれます。あなたは自分の弱さや不足に嘆いていませんか。主に期待して下さい。主に祈って下さい。主は必ず与えて下さいます。


アーメン!!
「生活の必要」と「果たすべき役割の必要」
なるへそー!!
今朝は、この「果たすべき役割の必要」を考えてみよっと。
私の役目は、ウチの教会の最強とりなし戦隊隊長なんだと思う(笑)
そして、牧師先生の片腕となって、信徒を建て上げていくことなのだと思う。
教会のためにとりなし、牧師先生ご夫妻のためにとりなし、信徒のためにとりなし・・・これが、私の役目なのだろうと思う。
主よ、私の弱さは、「嫌いな人、自分を傷つけた人」のために祈ることが出来ないところにあります。
主よ、自分の力では全く出来ない箇所です。上からの力によってしか出来ません。聖霊で満たされることでしか、ここを出来るようにはなれません。
主よ、主に期待します。出来るようにしてください。
目に見えるところによらないで、見えない主により頼みます。
早天祈祷を続けることが出来ますように・・・。
いつもいつも、途中でくじけてしまった早天です。
どうか、し続けることが出来るようにしてください。
主を待ち望みます。
hallelujah!!


5月28日(土)

「明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。」マタイ6:34
今日に心を込めて生きるということは、取りも直さず、その24時間を構成している「今」を大切にするということです。今の心と書いて「念」という字になるように、念じながら、祈りながら生きることは、次の瞬間を、またその積み重ねの一生の充実をもたらすことになるでしょう。


アーメン!!
本当に心からアーメンと思う。
後になって、全部繋がっていたんだーって気づく。
13年前、病院のベッドの上で声を出して祈ることができないから、ノートに呻きの祈りの言葉を毎日毎日書いた。ノートに書いて祈った。
死にたくなくて、どうしても生きたいって、神様にお願いした。
そして、今日、こうして生きている。
神様に出会ってから、今まで見えなかったものが見えるようになり、私達夫婦は、いわゆる現代の社会の典型のような、機能不全の家庭だということに気づいた。そして、家族の回復、家庭の回復、夫婦の回復を毎日毎日呻いて祈った。神様はその祈りを聞いてくださったからこそ、様々な試練を通らせた。その試練を乗り越えるたびに、今まで知らなかったこと、今まで気づかなかったこと、今まで見えなかったことが、わかるようになってきた。
あぁ、だから聖書は、「試練がきたときには親友がきたように歓迎しなさい」というんだと、この意味もわかった。
私の信じている唯一まことの神様は、私達を恵みから恵みへ祝福から祝福へ導いてくださるお方。自分にとって、苦しいことつらい事嫌なことがもたらされても、それはただ祝福へ恵みへ向かうための道。
詩篇103篇は、私にとってのレーマ。
主よ、感謝します。感謝します。
hallelujah!!


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