折れず曲がらず良く斬れる

折れず曲がらず良く斬れる

2010.10.25
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 刃長71.5センチ、鎬造、庵棟、身幅広めで腰反り高く踏張りがあり、中鋒猪首風となる。鍛えは板目に杢混じり、総体に肌立ちぎみで乱れ映り鮮明に立つ。刃文は丁字に互の目を交えて変化に富み、裏は一般と大模様に乱れる。匂主調で小沸つき、足葉入り、僅かに金筋かかり、匂口よく冴える帽子は、表のたれて大丸ごころに返り、裏乱れ込み尖りごころに返る。茎は生ぶであるが、尾を切り詰め浅い栗尻、鑢目浅い筋違、目釘穴三、内一つ埋。

 拵えの全長は104.2センチ、柄長は23.0センチ、鍔の無い合口拵えで、上杉家刀剣に特徴的な様式である。

 備前一文字派は、鎌倉初期の古一文字、中期の福岡一文字、末期の吉岡一文字があるが、これは福岡一文字の代表的名品として知られる。

 上杉謙信、景勝の愛刀と伝えられ、「上杉景勝自筆腰物目録」には「上秘蔵 ひめつる一もんし」とある。

 明治14年(1881年)東北、北海道を巡幸された明治天皇は、米沢市の上杉家に立ち寄り休憩したが、帝は無類の愛刀家であり、伝来の名刀の数々の閲覧に夢中になるあまり、翌日の予定をキャンセルするという事件があった。中でも、この姫鶴一文字を特に気に入り、押形(刀身の拓本)を持ち帰った。

 また、名の由来として、以下の伝承がある。

 ある時、謙信は、この太刀が振るうに少々長すぎると思い、研師に磨り上げて短くするよう命じた。預かった研師が夜に夢見たところ、美しい姫君があらわれて「どうか切らずにお願い致します」と嘆願するのであった。翌日も夢に姫君があらわれ、名を聞いたところ「鶴と申します」と言ったところで目が覚めた。不思議に思い、腰物係(刀剣管理役)に相談したところ、腰物係も同じ夢を見たという。そこで二人は謙信にこの不思議を言上し、磨り上げは中止されたという。もっとも、天正16年(1588年)に上杉家中の某が採ったという押形本が存在するが、この押形と比べると2センチほど刀身が短くなっているようである。江戸時代中に上杉家当主の誰かが研がせたらしい。

 第二次大戦後、多くの旧大名家と同じく、上杉家からも伝来品の多くが離れることとなった。この太刀も例外ではなかったが、平成に入り米沢市が8000万円で購入し、上杉博物館に所蔵され、再び米沢の地に戻った。

 平成15年(2003年)の米沢市長選挙では、革新系候補により「8000万とはあまりに高すぎる無用の長物」と、前市政批判の争点の一つとなり、不況の世相もあいまって当選の一因となった。現在も博物館展示品の目玉の一つではあるが、評価の難しい文化行政に費用対効果の観点から一石を投じたもの、との評価もある。








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最終更新日  2010.10.25 13:21:30
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