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2021年10月20日
敢国神社 伊賀一之宮
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伊賀市一之宮 敢国神社 表参道
『延喜式』に記載され国史に「敢国津神」とあるように「敢(旧阿拝郡一帯)の国津神(あえのくにつかみ)」が本来の祭神であったと見られています。
明治以降、大彦命 おおひこのみこと 併せて 少彦名命 すくなひこなのみこと ・ 金山比め(口+羊)命 かなやまひめのみこと 、の三神を祭神としています。
しかしこの人達は神話の中の神々とされ現在の学説では存在自体否定されています。
安倍氏は伊賀の国の阿拝(あえ)郡を中心に居住した為、阿拝氏を名乗るようになり、後に敢・阿閉・阿部・安倍と呼称されました。
壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に加勢し後、天武天皇の後ろだてを頂き伊賀国の統治者となったと思われます。
10世紀から11世紀初頭までに一般化した一之宮という社格制度時に敢国神社を一之宮としたのではないかという説が有力です。
当時、阿閉氏が伊賀一の勢力を誇っていたのでしょうがその阿閉氏も大海人皇子に付いて奈良に行き官吏になり、服部氏に、この敢国神社の祭祀権も渡しました。
裏参道
祭神の大彦命を信仰する勢力は北陸地方から岐阜地方、東海地方に見られますのて阿閇氏の先祖もこの道を辿って伊賀国に来たのでしょう。
しかし、阿拝郡は以前から居住する渡来人の秦氏が居住していました。
秦氏は協調性のある氏族で、阿閇氏を受け入れて、共同で伊賀の地に暮すことにしたのでしょう。
秦氏は2km西に既に神社を構える服部氏の先祖の一族だと見られます。
斉明天皇4年(658年)に南宮山より少彦名命を降ろして、大彦命との2柱で現在地に
社を建てたのが敢国神社の創建とされています。
芭蕉句碑
書は三重県文化財委員、村治圓次郎(芭蕉研究家・郷土史研究家)。
(句意)花盛りの梅の傍らで、無造作に手鼻をかむ音がする。そんなはしたない音さえも、野趣を感じさせて快い、静かな山里の春である。
貞亨5年(1688)春。『笈の小文』で郷里伊賀で年を越して、いまようやく春になり
この句碑に刻まれた『卯辰集』では、
手鼻かむをとさへ梅の匂ひかな 「手はなかむ おとさえ梅の にほひかな はせを」
「手は奈可む 於と左へ梅乃 耳本ひか那 者世越」
『笈の小文』では
「手鼻かむ音さへ梅の盛り哉」と匂いでは余りに俗とし「梅のさかりかな」としています。
市杵島姫神社 ( いちきしまひめじんじゃ )市杵島姫命いちきひめのみこと
市杵島姫神は仏教の弁才天と習合したことから、社寺の境内に末社として祀られる場合も多い。
天孫降臨にあたり、三女神は瓊瓊杵尊(ニニギ) アマテラスの孫にあたる神で、宮崎
の高千穂に降臨した天孫降臨伝承は有名。 名は「天地が豊かに賑わう神」を意味し、
降臨の際、稲作をこの地上にもたらし農の神とされる。その降臨を市杵島姫命(いちきひめきひめのみこと)
が無事に見届けた神話の伝承から、子供の守護神(子供神社)として祀ることもある
敢国神社鳥居 奥に参道階段と拝殿
桃太郎岩
古伝によりこの桃太郎岩ももたろういわは、今を去る五百五十年前、南宮山頂
(前方に聳える山)からお遷し申し上げ、安産及び子授けの守護の霊岩。
九所社(くしょしゃ)
九所社 祭神不詳 以前は甲賀三郎を奉っていた
六所社(ろくしょしゃ)
六所神社(ろくしょじんじゃ)・六社神社(ろくしゃじんじゃ)
令制国の総社の中には「六所神社(六所宮)」という社名のものがいくつかある。これはその国の一宮から六宮までの祭神を勧請して総社としたことによるものである。
若宮八幡宮
社名の通り「八幡宮の若宮」という意味で、多くは宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮
などにある若宮を勧請し、八幡神・応神天皇の御子神である仁徳天皇(大鷦鷯尊)を祀るもので源氏、ひいては後の武家全体の守護神たる八幡宮から分祀され、日本各地に存在する。
子授け神
文字通り子授けの神 祭神不詳
明神社
天照大神または伊勢内外宮の神を祀った神社
大岩明神
敢國神社南方200メートル付近に大岩(「黒岩」とも)が存在したことから、これを磐座(いわくら、信仰の対象となる岩)として南宮山を遥拝する形の祭祀が行われたものと推測されている。この大岩は現在は失われているが、付近には大岩古墳があり、古墳時代の祭祀の存在が指摘される。同地にはかつて大石明神(大岩明神)が祀られ、これがかつての祭祀の根本であったと見られるが、同社は現在は敢國神社境内に遷され「大石社」として祀られている。
楠社
その名の通り、大楠公(楠正成)を祭神とする楠社の創建は、創建されたのは藤堂藩三代目藩主の藤堂高久の代・ 1700年頃
結社(ゆいのやしろ) 磐長姫(いわながひめ)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)が、大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘・木花開耶姫(このはなのさくやひめ) 桜の如く華やかに咲いて、桜のように儚く散った絶世の美女。まさに美人薄命を絵に描いたような神様です)を娶られる時、木花開耶姫の母は姉の磐長姫(いわながひめ)も共に奉ろうとなさいました。
しかし、尊は木花開耶姫だけを召されたので、磐長姫は大いに恥じて、「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」と言われてこの地にお鎮まりになりました。
大岩社
付近には大岩古墳があり、古墳時代の祭祀の存在が指摘される。同地にはかつて大石明神(大岩明神)が祀られ、これがかつての祭祀の根本であったと見られるが、同社は現在は敢國神社境内に遷され「大石社」として祀られている。
拝殿
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Last updated 2022年11月22日 19時19分45秒
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