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伊賀市でおこなわれた三重県観光ボランティア協議会 地元の伊賀市のボランティアも入れると100人以上が出席した、協議会です。 市長も出席して盛大に開かれました午前中は来賓の挨拶と愛知淑徳大学・奈良大学・ 中部大学等非常勤講師、早川由美さんの講演「三重での芭蕉さん」がおこなわれました。 午後は市内案内をしました。 その案内道の寺町です。 藩主藤堂家の代々の墓所がある上行寺、伊賀越仇討で知られる河合又五郎が 弔われている万福寺、重要文化財に指定されている本尊阿弥陀如来坐像がある念仏寺 大津事件の犯人警官、津田三蔵が眠る大超寺など七つ寺院があります。 この通りは電線が地中化されていて電柱がないので雰囲気が違います。 その後通った武家屋敷(旧赤井邸) 重厚な外観の長屋門は江戸末期のもので、上野城下でも数少なくなった武家住宅の遺構 となっています。 赤井家は元丹波黒井城主でしたが明智光秀の来攻で落城したあと藤堂高虎に千石で 召抱えられたが明治維新時には70石になったようです。 この家自体は寛永7年(1854年)の絵地図には友田岩男320石の屋敷になっていて 規模としては中級から下級武士の屋敷のようです。 いがうえのかたりべの会案内申請はこちらから http://igaueno-guide.org/volunteer/
2014年12月06日
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伊賀市、伊賀鉄道上野市駅前伊賀鉄道、上野市駅前の松本零士さんの「銀河鉄道999」の主人公、星野鉄郎とメーテルをモチーフにしたモニュメント。ブロンズ製で鉄郎が約52cmメーテルが約90cm高さ1mの台座の上にマント姿の鉄郎と、帽子の下から長い髪をなびかせたメーテルが並んで、たたずんでいる。ブロンズ像の左には「時間は夢を裏切らない」という例の槙原敬之さんとの盗作問題で有名になった言葉が記されている説明板がある。松本零士さんは伊賀出身ではないのですが忍者列車(忍者塗装)のデザインをしていて伊賀鉄道の前身、近鉄の幹部と姻戚関係にありその縁のようです。いがうえのかたりべの会案内申請はこちらからhttp://igaueno-guide.org/volunteer/松本零士氏が2023年2月13日お亡くなりになりになりました。松本零士さんは伊賀出身ではないのですが忍者列車(忍者塗装)のデザインなどをしていて伊賀鉄道とは関わりがありますので書き書き添えさせて頂きたいと思います。伊賀鉄道との関わりは伊賀鉄道の前身、上野高校出身の当時の近畿日本鉄道専務取締役(後に副社長就任)と姻戚関係にありその縁のようです。1997年忍者列車デザイン伊賀線の松本零士氏がデザインされた忍者列車は1997年に運行が始まりました。1997年(平成9年)10月、上野新都市(ゆめぽりす伊賀)の街開きを記念して、近畿日本鉄道が漫画家の松本零士氏がデザインした忍者塗装(青色)にエンジ色から変更した。その後、ピンク色(くノ一)の編成が追加され、青色の忍者列車は緑色に変更された。1998年モニュメント銀河鉄道999のモニュメントは新都市「ゆめぽりす伊賀」の1998年、ゆめが丘の町開き1周年記念として総合スポーツ施設「県立ゆめドームうえの」の芝生広場に、設置されました。2009年12月には旧車両の老朽化により新しい「忍者列車」青色の列車を加えピンク、緑の新車両出発式と試乗イベントがあり、松本零士さんも式典に出席されました。また201号の運転台側乗務員用出入口のドア横に松本零士の直筆サインが書かれている。200系はステンレス鋼製であるため、フィルムによるラッピングとなった。2013年銀河鉄道999モニュメント上野市駅前に移設2014年銀河鉄道999太陽系モニュメントを茅町駅構内移設
2014年12月03日
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お城の真東に位置する外堀としては東北に残っている外堀跡です。 古地図には新七町とあるところから撮っています、 堀は幅十二間(約21.6m)水深四尺(約1.2m)高さ水深より四間(約7.2m) とありますということはここは堀の底だったということになります。内堀よりは小さいですが かなりのものだったようです。 そこから北に目を移すと鳴ヶ坂という坂が、城下内外の生活排水か゛いつも流れ落ちていた 音により鳴ヶ坂という名前が残っています。ここは排水溝口ということか 明かり採りの家、鳴ヶ坂から数十メートル南にあります。 昔はこの辺りは侍屋敷が並んでいたはず、その名残でしょうか。 いがうえのかたりべの会案内申請はこちらから http://igaueno-guide.org/volunteer/
2014年11月29日
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伊賀市玄蕃町にある武家屋敷、と言うより多分、武家長屋です。 子供の頃はこの前の神社や細道は恰好の遊び場所でよく遊んでいました。この武家屋敷も 同級生が住んでいましたが武家屋敷跡と気づいたのはだいぶ大人になってからでした。 藤堂玄蕃の下屋敷があったので玄蕃町と名付けられました 玄蕃は伊賀では家老(七千石)の次の役職侍大将(五千石)でした。松尾芭蕉はもう一人の 侍大将藤堂新七郎家に十八歳から料理人として仕えこの前の道を使い毎日300mほど通い ました。その前から嫡子良忠の近習として仕えていたという説がありますが資料がはっき りしないので定説にはなっていません。 いがうえのかたりべの会案内申請はこちらから http://igaueno-guide.org/volunteer/
2014年11月22日
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伊賀市の服部川堤防にある「くれは水辺公園」です。 先日の俳句王国がゆくで服部川が別名「くれは川」というのを聞いて数十年前読んだ芥川賞作家金達寿氏の 「日本の中の朝鮮文化」のなかで書かれていたことを思い出した。 服部は、呉機織(くれはたおり)が 土着した土地とされ呉織「くれはとり」は「呉服」とも書かれ「くれ」 は高句麗「くれ」の国を意味し、「はとり」は 「はたおり(機織)」の変化した語。「服部」を「はっとり」 と読むのも、「はたおり」に由来するとしています。 金達寿氏はすべてを朝鮮半島由来にする傾向がある人ですがこれは信憑性があると思います。 呉服も 起源が中国の呉という説と高句麗のくれからという説があります。 どちらにしても大陸から渡ってきた人達がもたらした物、技術、が由来に間違いないでしょう。 忍者装束の色もクレ色と言いますが夕暮れ時の空によく似た色になることから「暮れ色」と呼ばれたという説 が有力ですが忍者の頭領だった服部氏のクレとも関係が有るのかもしれません。 いがうえのかたりべの会案内申請はこちらから http://igaueno-guide.org/volunteer/
2014年11月15日
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行ってきました。NHK俳句王国がゆく、Eテレでの放送で予定は12月21日午後3:00~4:00です。 U字工事の司会で興味深かいものでした、収録は約二時間半、放送は59分どれだけカットするの 入場券のハガキに俳句を投稿するようになっていたので書いてみましたが、見事にかすりもせず落選でした 会場の「ふるさと会館いが」の目の前が霊山でした、この山は壬申の乱の際には大海人皇子が平治の乱の 際には源頼朝が拝んだといわれる山です。とくに頼朝は「伊賀町史」(旧伊賀町編集)によると幼少時に 平頼盛の従者平宗清に捕らわれ伊豆に流される直前伊勢参宮の途中、霊山山頂からのご来光を拝し、 そこを「拝野」と呼ぶようになったとか。 それらを踏まえ霊山寺境内には県指定天然記念物のお葉付きいちょうの木があるので もみじ越し 聖なる山の 里俯瞰(さとふかん) としたのですが余りにも狙いすぎたので意味不明になってしまいました。 ちなみにこの源頼朝を捕らえた平宗清は平家一門が滅んだのち、平治の乱のあと幼少(12歳)の頼朝助命嘆願を おこなったことや手厚く保護していたことなどにより伊賀の柘植を与えられ柘植姓を名乗った。 そして長男を日置、次男を福地、三男を北村としたとある。その福地家の分家筋が松尾芭蕉の先祖とのことで 福地城跡を芭蕉公園にしています。 この福地家系図には「松尾芭蕉」阿部喜三男氏著によると芭蕉の父松尾与左衛門は慶長年間(1596年~1615年)に 上野に移住したとあるらしい藤堂高虎が上野城主になったのが慶長十三年(1608年)なのでそれを機会に移住した のでしょう。 そうすると芭蕉は1644年生まれなので、柘植生誕地説には無理があることになります。 いがうえのかたりべの会案内申請はこちらから http://igaueno-guide.org/volunteer/
2014年11月09日
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「まゆはきを俤にして紅粉の花」(まゆはきをおもかげにしてべにのはな) 芭蕉が奥の細道のなかで詠んだ句の碑です。 いがうえのかたり部の会事務局の在るだんじり会館前にあります。一番最初に教わりました。 伊賀は江戸時代までは紅花日本有数の産地でした、直射日光に弱い紅花は霧の多い盆地の伊賀が 適していたようです。山形で伊賀を思い出し読んだ句でしょうか。 ドナルド・キーンの英訳(They make me recall A lady's powder puff These saffron blossoms) が添えられていますドナルド・キーン氏といえば昔は唯一と言っていい外国人の 日本文学研究家で川端康成氏や三島由紀夫氏と交友があり大江健三郎氏とも交流が ありましたが後に疎遠になり原因が話題になりましたがキーン氏は 今でも原因が分からないといっていますので大江氏の方にこだわりかあったのでしょう。 まゆはきをパウダーパフ、紅花をサフラン、という苦心の訳ですおそらく眉刷毛という おしろいをつけた後、眉を払うものが存在しないのでアイブロウブラシという言葉も無い のでしょう、そうなるとサフランの花でパウダーパフを連想するのも難しいように思うのですが いがうえのかたりべの会案内申請はこちらから http://igaueno-guide.org/volunteer/
2014年11月06日
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