椿荘日記

椿荘日記

「別れの曲」~その一



*シューマン「ピアノコンチェルト」第一楽章

薄らと陽の射し始めた寝室で、醒めかけた夢の端にいたマリの耳に突然、電話の呼び出し音が響きました。
昨夜は然程寝苦しい夜ではありませんでしたけれど、何故か少しも眠れず、安らかな寝息を立てる夫の傍らで、一晩中寝返りを打っていて、やっと落ちた浅い眠りは、一本の電話で容易く破られてしまったのでした。

夫に、間違い電話でしょうと半眠りの声を掛けつつ出て貰いながらも、微かな不安は胸にあり、早く電話を切ってくれることを、ぼんやりとした頭で願ったのですけれど、幾つかのやり取りの内にそれは裏切られ、悪い予感は現実のものとなりました。
夫が電話を切るのを待つのももどかしく、慌しく問いただすと、実家の母からの電話で、父が死んだというのです。
余りに意外な言葉に、起き上がった寝台の上で呆けた様になっておりますと、夫の、直ぐ出るから支度をしなさいとの言葉にやっと体が動き出し、機械的にクローゼットの中の衣服を取り上げ身に着け、息子も連れて行こうと思い立ち(中学二年生ながら頼りになりますので)、寝ぼけ眼の息子を、先程マリも衝撃を受けた言葉で無情にも目を覚まさせ、目を擦りながらもやはり呆然とした面持ちで起き上がる息子に着替えを即し、一旦は実家に向かいましたが、救急車は呼びましたか?との夫の問いに、慌てて119に電話した母から、搬送先を携帯電話で聞きだして、直接救急センターに向かうことになりました。道中、心配した夫が、運転しつつマリの手を握ってくれましたけれど、実感は殆ど無く、母や姉との何回もの遣り取り(互いにかなり動転しているらしく、言い落としや情報の混乱が目立ちましたので、何度も確認が必要でした)の後、病院への道筋を車窓から只ぼんやりと眺めておりました。

目的地も間近の交差点で信号待ちをしている最中、激しいサイレンの音にはっとして前方を見詰めますと、目の前を救急車が赤色灯を回転させ、猛スピードで大学病院付属の救急センターに向かって走り去って行きます。夫と二人で、父を搬送中の車と直ぐ気付き、今直ぐに追い掛けて行きたい気持ちで、堪らなくなりました。
救急車に数分遅れで到着しますと、センターの受付に母の姿が見えます。息子と共に駆け寄りますと、母もやはり呆然とした面持ちで、「○○ちゃん(マリの本名です)、パパが死んじゃったの。どうしよう・・」と呟くばかりです。待合室のソファに座らせ詳しい状況を聞きますと、五時少し前に、母より先に起き出して、ダイニングの椅子に腰掛けていた父が、「ママ、来てくれ・・」と母を呼び、慌てて置きだした母が父の傍に近寄った時は既に大分ぐったりとしていて、ニトロペンやワーハリンなどの何時もの薬を飲ませ、パッチ状のニトロも張ったのですが、手当ての甲斐なくその侭心停止し、それこそ母の細腕で体格の良い父の胸部を、救急隊員が来るまでマッサージしたり、人工呼吸も試みてみたりしたのですが、結局蘇生しなかったと言うのです。

今はまだ集中治療室にいるとのこと。蘇生は十五分間が勝負で、救急車はそれまでには間に合い、直ぐに蘇生術が始まったそうですが、母が言うのには、電気刺激が加えられても心電図には変化がなく、母は既に諦めている様子です。それでも「でも、もしまた元気になってくれるなら・・」と希望を捨てきれずにいるのは、母だけでなく、マリも夫も息子も同様です。
担当医師の何度かの説明(蘇生治療~強心剤のチューブに依る投与など~を続けていますので、もう少しお待ち下さいとのこと)を受け只ひたすら待ち続け、ふと時計を見ますと、父が倒れてから一時間半が経過しようとしていたその時、「ご家族の方はこちらに・・」という言葉が掛けられました。
微かな望みを絶たれ、覚悟して皆で向かいますと、そこにはストレッチャーに載せられ、口に管を差し込まれ、血だらけになった父が横たわっておりました。担当医師から詳しい説明を受け、皆で同意し、宣告された死亡時刻は六時三十五分でした。
それまでは実感がなかった父の死が、現実の、最も辛い形を帯びて目の前に現れた時、思わずマリの口からこぼれたものは言葉ですらなく、殆ど悲鳴に近いもので、血まみれの可哀想な顔は、父の物に相違ないのですけれど、とても正視できる物ではなく、夫の引き寄せようとする手を思わず振り払ってしまうほどの衝撃でした。

心臓は以前から悪く、大分以前に手術もして、ここ一ニ週間は特に調子が悪いとも聞いており、覚悟は常に出来ていたつもりなのですけれど、やはり不甲斐ないもので、いざ直面しますと泣き叫ぶしかないのでしょうか。夫に支えられ辛うじて治療室から出て、やはり泣き腫らし、うつろな表情の母と共に、病院の担当の方から、今後の流れを聞きながら、マリの頭には葬祭場に連絡することがやっと浮かびました。
母は完全に意気阻喪し、マリの質問に辛うじて答えられるくらいですから、以降のことはマリと夫が取り仕切らねばなりません。後少し待てば、東京に住む姉が義兄と共に駆けつけてくれるはずですので、それまでは夫と二人で頑張ろうと思い、早速母が入会している互助会の名前を聞きだして(勿論急なことなので、証書などは持って来てはおりません)連絡先を調べるなどの作業を夫と息子に依頼し、安置所に移動した父の遺体の傍で、確認と事情聴取の為に来る警察の方を待つことに致しました。今は冷房の効いた部屋で白いシーツに包まれ、顔に白い布を被された父は、物も言わず身動ぎするでもなく、只の物体のように横たわっています。
白い覆いを取り除け、父の頬や額に触れていた母の、「段々冷たくなってきて・・」との嘆きを耳にしながら父の顔を見やりますと、そこには確かに何かが「飛び去ってしまった」後の、残滓のような悲しく虚しい抜け殻がありました。

中々来ない警察の方を待ちながら、母と交代で外に煙草を吸いに出たマリは、出勤時間になり、慌しく交差する大学病院の職員と患者さん達を呆然と見遣りながら、強い日差しと爽やかな秋の風の中で、やはり乏しい、「父の死」という現実認識は未だに受け容れ難く、違和感を持って立ち尽くしておりましたが、ふと今日は日本画の先生のアトリエにお伺いする日と思い出し、ご報告方々お電話することに致しました。
何時ものおっとりとした調子の先生の声に、思わず胸が詰まり、やっとのことで今朝の出来事を告げますと、先生も電話の向こうで声を失っているのが携帯電話越しに伝わってきます。
先生と父は昨年の演劇「夕鶴」公演の際に一度だけ会ったことがあるのですけれど、父のことは平素からよくお話しており、同じ音楽好き、絵画好きとして親近感さえ抱いて下さっていた様で、とても残念がられ、同時に、気を落とさないようにねと、一心に慰めて下さいました。電話を切った後、新たに涙が流れるのを感じ、人に話して初めて「ああ、パパは亡くなったのだ・・」と認識出来たのでしょう、マリの気持ちに少しばかり変化と「勇気」が湧いて参りまして、兎に角母を支えて、きちんと葬儀を挙げなければと思い、安置所に戻りますと警察の方が、遺体確認と事情聴取の準備を始めています。

確認作業の間、廊下で待つように言われ、携帯電話で互助会の職員と、遺体の搬送の打ち合わせをしている夫を有り難く眺め(やはり交渉ごとは、仕事柄得意なのでしょうね)、不安な表情の母と共に終了を待ちます。確認が終わりますと、今度は母の事情聴取なのですけれど、自宅で死亡し、救急車に拠る搬送の来院の末の死亡ですので、この後遺体の検案があるとのこと。今回は恐らく簡単に済みます(明らかに心臓発作ですので)と警察の方の説明でしたが、ケースによっては解剖等で二三日掛かることもあるそうで、その間は勿論何も出来ません。別の意味合いで、人が一人死ぬことはつくづく大変なことと思い、母と思わず顔を見合わせてしまいました。
警察の方に、簡単な家の中の見取り図を求められながら、一生懸命話す母も、その為に冷静になったのでしょう、詳細を極める質問に思った以上に明確に答えており、マリをほっとさせ、自宅での現場検証の為、同道を求められ、パトカーに乗って出掛ける母と入れ違いに、姉夫婦がやっと遣って参りました。

「おじいちゃんに会いたい」と、どうしても一緒に行くと聞かなかった甥(小学4年生です)を連れた、緊張した面持ちの姉と義兄と共に安置所に戻りますと、変わり果てた姿に思わず堪えきれず涙を流す、何時もは気丈な姉と、只目を見開いて、冷たくなって行く大好きだった祖父の顔を凝っと見詰める、小さい甥の姿に、再び涙が溢れます。
警察の方に依る確認が終わりますと、次は法医学室での検案です。係りの方の案内に従い、今度は霊安室で待機の為車ごと移動し、広い敷地内の片隅にある法医学室のある病棟の一階に、夫々区切られた個室に案内され、ひとまず安置された遺体に再び皆で手を合わせます。夫は午後に大切な会議がありますので、姉と義兄に交渉を一先ず任せ、出社の為、単身車で帰り、後に残ったマリと姉と義兄と甥(体調不良の為、息子は義母のお迎えで一足先に帰りました)は、なす術もなく、説明に従いそのまま待機です。ふと皆でお腹が空いている事に気が付き、浅ましいことですけれど、こんな時にも体は普通に機能しているのだと思い知らされ、義兄に至っては「不謹慎だけれど、麦酒が飲みたいね」との正直な言葉を洩らし、一同で同意を表しながら(苦笑)思わず噴出してしまいました。

*この項続く




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