椿荘日記

椿荘日記

犬とマリ


ですから、マリが物心つく以前から「犬」は家にいました。
覚えている最初の犬は「ジョニー」(♂)、ワイヤーヘアードの雑種です。
マリが二,三歳の頃飼っていまして、事情は忘れたのですが、父の山梨の実家(お米の卸商でした。大きな精米機がお店の奥にありました)に、姉の最初の練習用のピアノ(西部劇の居酒屋においてあるものと似た音がしました)と一緒に送られました。
その後、遊びに行くと、お店の脇の消火栓に繋がれ通しで、子供の私は可哀相で仕方なく、連れて帰ると駄々をこねたこと薄っすら覚えています。
その頃父と叔父が狩猟に凝っていて、父の実家には兄弟二人が共同で買った狩猟犬のポインターがいました。シーズンになると猟銃を背に山に出掛けて行きました(マリも姉と一緒に一度だけ雉打ちに連れて行ってもらったことがあります)。
明るい茶のおとなしい犬で、子供達(従兄妹です。総勢六人いました)で寄って集って残り物の鶏肉や豚肉をあげたら、父にひどく叱られてしまいました。
狩猟犬は(特にポインターは)、鼻が利かなくなるので獲物以外の鳥獣の肉はやってはいけないとのこと。
その間もジョニーは大人しく、消火栓に繋がれていました。
ポインターは数年後、盗まれてしまいました。

その次に飼ったのは、スピッツ(♀)です。名前は「ポピー」、ふさふさした白い毛の、スピッツらしい綺麗な顔をしていました。居間の隅に寝床にしているバスケットがあり、よくその中におもちゃや靴下を隠していました。
利口でしたが母が躾に失敗して、たまに人を噛むようになってしまい、スリッパや靴下を取り上げるのにとても苦労していました。
家族の背中に負ぶさるのが好きで、その後次々に飼った雑種の犬とスパニエルの上に君臨する女王様でもありました。
庭で通行人に吠えている最中に突然倒れ、急死した時は本当にショックを受けました。未だにどうしてなのかは判りません。マリは六年生、ポピーは五才でした。 

スパニエル(♂)は正式にはイングリッシュ・スプリンガー・スパニエルと言い、家にやって来た時はもう一頭の子犬(姉?です)と一緒で、姉の犬は毛艶も良く、体も大きかったのですが、弟犬は艶のない体毛と、姉犬よりひとまわりも小さい体格で、どうみても姉犬の方が健康そうでした。
二頭のうち、一頭を最初から知人に譲る予定だったので、父母は「良い方」を、知人に渡し、「残り物」となった弟犬は「ナポレオン」(命名者は姉です)と名付けられ、先住犬のスピッツに威嚇され、気の良い小父さんといった感じの雑種の「ごんべ(♂)」(その頃家によく来ていた父の会社の人が命名、マリは嫌でしたけれど)に面倒をみてもらい(よく可愛がっていました。体をなめたり、夜は一緒にぴったりと体をくっつけあって寝ていました)姉に猫可愛がりされて暮すようになりました。

結局毛艶が悪いのは、皮膚病とわかり、獣医さんに特別に出してもらった薬用のシャンプーで体を洗ったり、薬を付けたりと治療続けていましたが、中々良くならず、いつも硬い背中を痒そうにしていました。
優しい犬で、目があうといつも筆のような尻尾(本来ならこの犬種はボクサーと同様、尾をカットするそうなのですが、時期を逸してしまい諦めました)をふりふり飛んできます。
育ての親である「ごんべ」が出奔(もともと放浪癖があったので)し、帰って来なくなった時は、何時までも鼻をならして探していました。
この犬も短命で、家族で連休の旅行中に預け先の獣医さんのところで急死(後で分ったのですが、この頃の川崎市~田園都市沿線~はフィラリアの巣窟だったのです。予防注射も間に合わなかったようでした)しました。
看取ってやれず、家族全員で本当に悲しい思いをしました。
四歳でした。

マリが中学二年生の時から飼い始めた白のトイプードル(♀)が一番の長命でした。
三頭を立て続けに失くし(うち一頭は家出ですが)、ようやく痛手から立ち直った母が、父に懇願(父はもう動物は死ぬから嫌だといっていました)してやっと許可を得、ある暑い夏の日、やはりプードルを飼っている母の友人の誘いで、愛好会の集まりに子犬を見に行きました。
「パーティ」だというのでお召かしをさせられ、嫌々向かった目黒雅叙園の宴会場には大勢の着飾ったご婦人達と、沢山の刈り込んだ大中小のプードルがいました。足元には生後一、ニヶ月の子犬達もいます。中学生のマリが黒の子犬をかまっているうちに、母は白の子犬に決めたようです。

数日後、母の友人が件の子犬を連れて来ました。
掌に乗るくらい小さい子犬は、猫のような鳴き声をたてていました。
子犬の様子を繁々と見ていた母が、子犬の耳を不信そうに摘んで、選んだ子犬と違うような気がすると言い出しました。「選んだ子はもっと耳の位置が低かった」、と言うのです(プードルは低ければ低いほどいいらしいのです)。
よく見ると確かに、頭の上のほうにプードルらしからぬ短い耳がちょこんと垂れています。
でも、母をはじめ、二人の娘はもうこの変な子犬に情が移ってしまい、コンテストに出す訳じゃないからと、もっともらしい理由で受け入れることにしました。

ロージーと名付けられた(命名者はマリです。今思うとちょっと恥ずかしい名前ですね)子犬は、犬の掌大の牛肉の赤身で手厚く育てられ、またもや躾に失敗した母の手に思いきり噛みつき、可愛いらしい顔で我侭に成長しました。
ロージーも自分の寝床にスリッパや靴下を確保し、取り上げようとすると、愛玩犬らしからぬ形相で威嚇(プードルという犬種は、元は狩猟犬だそうです)し、母を嘆かせていました。

何歳頃からか、お腹に腫瘍めいたものが出来始め、主治医(この犬は耳が高いだけでなく、先天的に心臓も悪かったようです。よく自家中毒もおこし、獣医さんが一ヶ月中十日は往診に来ていました)である獣医さんは、乳腺炎が悪化(子供を産まないとなりやすいそうです)し、本当は手術したいが心臓に負担が掛かるので出来ないと仰いました。
ロージーは死ぬまでゴルフボール大の腫瘍をお腹にぶる下げ、それでも十三年生きました。

老いとお腹の腫瘍の為、衰弱したロージーは家族が見守る中、息を引き取りました。
動物霊園でお骨にしてもらい、骨壷に移す時、ゴルフボール大のカリフラワーそっくりのものがあるのに気が着きました。腫瘍が石灰化(?!)し、焼け残っていたのです。
母は泣きながら「これもローちゃん(犬の愛称)の一部だから」、と一緒に入れてやっていました。母は顔にベールを垂らし、黒尽くめで一週間、喪に服していました。

現在、母は黒のトイプードルを二頭飼っています(母子です)。
母犬はマリの友人が、飼う直前になって不可能になり、何とかならないかと泣きついてきたのを、母を説得(というより安心させて。白いプードルを亡くして以来ずっと飼いたがっていたのですが、年齢的な事情で、犬を後に残していく可能性を心配ばかりして中々踏み切れずにいたので)し、代わりに引き取ることにしたのです。

福岡から飛行機でやってくる子犬を羽田にかの友人と受け取りに行きました。
ゲージから出てきたのは、またもや姉と弟(!)。
でも彼女の犬は姉の、毛艶の良い方でした。一回り小さい弟は他の友人の分だそうで、昔遭遇したような光景に思わず笑いそうになりました。
「シェリ」(マリが母の依頼により命名。フランス語の「ダーリン」です。やはり少し恥ずかしいです)と名付けられたこの黒いトイプードルは、イギリスのチャンピオン犬が両親で、今までのうちで最も毛並みが良いようで、母の躾も以前よりはましになったようです。
「ヴィヴィ」(これもマリが命名。本名はヴィヴィアンですが、「リー」の方です。「スー」ではありません)という娘も生まれ、元気で母と父と暮しています。



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