椿荘日記

椿荘日記

駅伝と腸捻転




朝八時半、先生を迎えに行きました。
昨日、お出でになる時間の打ち合わせの為電話したところ、朝から持病の腸捻転(日本画家の職業病だそうです)の発作で動けなくなってしまったとのこと。今はやっと薬が効いて(飲んでも何度となく戻してしまったそうです)、何も食べられないので「飴を舐めている」という言葉に、マリは吃驚してしまいました。
先生は事情があって今はお独りで、お側でお世話をする人がいないので(ご高齢のご両親はお近くにお住いなのですが)何かあったら、必ず連絡を下さるよう、あれほどお願いしておいたのにも関わらず、だからです。

腸捻転は恐ろしい病気で、ひどい場合は腸閉塞を起こし、最悪の場合、死に至ります。
先生が昔(十年程前?)お寺の襖絵を一人で修復している時、やはり強い発作に襲われ、自分で救急車を呼び(雪のひどい日で、雪に阻まれ側まで来れない車の近くまで這って行ったそうです)そのまま最寄りの病院に運ばれ緊急手術、ニヶ月、点滴で暮したそうです(「水栽培」と表現されて笑っていました~嘆)。

「ひどい時は運ばれるから」と人事のように仰る先生を少々叱って一旦電話を切り、その後も何度が容態の確認の為電話をして、少なくとも「運ばれる」ほどひどい状況は切りぬけたようなので、看病(?)の為翌朝我家にお連れすることにしました。

お正月の三が日は道路が混むので早めにと家を出た時、国道1号線沿いに黄色のコートを羽織った見慣れぬ人々に気付き、はっとしました。そうです。今日は箱根駅伝の最終日、箱根から東京への復路です。おそらく1時間もしないうちにこの辺に到達するでしょう(去年は偶然交差点での信号待ちの際、駅伝のトップランナーが走り去るのに遭遇し、その弾丸のような速さに驚いたことがあります)。急がねばとマリも車を走らせました。
西湘バイパスを過ぎ、平塚の辺りは、各大学の幟旗がばたばたと風にはためき、関係者、警察官、小旗を手にした人が集まり始めていました。先生に仕度して待っていて下さる様、携帯電話で連絡、お宅に着いて、すっかり青ざめて幾分やつれた先生を乗せ、直ぐ引き返しました。

思ったよりは混雑のまだない134号の平塚付近を通過(先生のお宅から出発する時は丁度トップが小田原中継所に到着した頃でした)、西湘に乗って(その時先生は、助手席でテンシュテットのマーラー七番を面白そうに聴いていました)大磯のインターで下りる時が一番微妙です。前を走っているバンのサンルーフから子供達が応援のための小旗を覗かせています。逆方向から伴走し応援するのでしょう。
信号が変わり1号線に入ると流石に上り車線は警備中の警察車両でノロノロ運転になっています。マリの右折したい交差点の向うは既に信号が点滅しています。微かに先導車の赤色灯が見え、一瞬このまま行ってしまおうと(応援に?)思ったのですが、第一の目的を思ってやめ、そのまま迂回コースで自宅に辿り着きました。

早い到着に喜んだ息子に、今日はかじりついては駄目と厳命、ソファで休んで頂き「心安らぐ音楽を」と自分の好きなCDを聴かせて接待する夫に任せ、マリは何も食べていない先生の為に考え考え、食事の用意をしました。良く噛めば大丈夫との先生のお言葉を信頼して、詰め直したお重と、母屋から貰った巻き寿司(勿論義母のお手製です。穴子が入って美味です)を並べ、お雑煮(関東風のお澄ましですが白醤油を使います。病人用は野菜抜きです)を出して、燗酒で新年のご挨拶です。
確認する様に少しずつ咀嚼している先生を見てちょっとほっとしました。
ゆっくりと歓談しながらの食事の後、近くの神社(小さいですがとても由緒あるお宮で、元旦には行列が出来ます。マリが夫と式を挙げたところで縁が深いのです)に皆で車でお参りに行きました。何時もの様に冗談を言ったり、息子とふざけている先生を眺め、やっと安心しました。

家で寛いで、音楽を聴いたり、楽しいお話しで、先生もすっかりお元気に(まだ細くなっている個所が疼くようですが)なられたようでした。最良の師であり、実の兄とも慕うマリの心を汲んでくれる家族に感謝しています。

平成13年 1月3日(木)記



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