椿荘日記

椿荘日記

画家の溜息(日本画の深い闇??)


「失敗しちゃった。文殊菩薩、線描き全部終わって、水張りして、さあって始めようとしたら、ドーサが抜けてて・・」
ああ、何と言うこと!!(嘆)
ドーサとは、日本画の用紙(鳥の子、美濃紙などの和紙)に、滲み防止と絵の具が乗るように、予め塗布しておくもの(明礬と膠の混合液)です。
いい機会ですので今回は、簡単に日本画の描き方をご説明しましょうか。

まず、描く物(花、動物、風景など)を決め、克明に写生(鉛筆描きの後、顔彩で着色)します(先生の写生帖には色や形、大きさ、光線の具合、方向などの詳細も記してあります)。
次にそのスケッチを元に下図を起すのですが、当然構図なども決めますので、この段階が一番大事かもしれません(絵の良し悪しはほぼここで決まってしまいます)。

色紙でしたら、トレーシングペーパーに鉛筆で下図を移し、裏を濃い鉛筆でカーボン紙状に塗りつぶして色紙(透過しない厚い紙なども)にあて、なぞって下図を転写、薄い和紙でしたら直接下図にのせて、墨で線描きするのですが、この墨も摺るだけでは済まないのです(説明は割愛させて頂きます。口伝なので。←うそです~笑)

さあ、色を塗りましょう、と直ぐには塗らせてもらえないのでした(笑)。
その前に、胡粉(白色の絵の具です。主に牡蠣などの貝殻が原料です)を練り(百叩きという物騒な呼び名が付いています)、絵の具(水干、岩絵の具、染料、朱、金属等)を溶かなければなりません。

紙に挟んで押しつぶして粒子を細かくした絵の具を、電熱器で暖めた膠(夏は直ぐに腐り、冬は固まるやっかいな物です)で溶き皿の上で中指を使って溶き、適量の水で緩めます(濃度は経験です)。

胡粉は乳鉢で十分に摺り潰し、粒子を整えて、溶き皿の上で少量ずつ垂らした膠で、皿から剥がれるくらいの硬さに練り、手に取って丸めたり、ひも状にしたりして皿に叩きつけ(これが百叩きです。粘土細工のようですね)、最後に丸めて別の溶き皿に押し付け、少量ずつ水をたらして、中指で擦る様にして緩めます(かなり力が必要です)。

これから、筆を使って色塗りにはいるのですが、「暈し」や「垂らしこみ」(先生の生徒さんだった老婦人はいつも「垂れ流し」と呼んで、先生を嘆かせていたそうです~笑)などの技法や、塗り方に違いはあるのですが、概ね一緒なので、割愛しましょう。読まれている方々も、さぞお疲れになっていることと思いますので(苦笑)。
私は最初水彩、パステル、油彩などの洋画をやっていましたので、日本画がこれほど用具を必要とし、煩雑な工程を経て出来るものをとは知りませんでした(絵の具だけでも何百とあるのです)。

今回先生を嘆かせたドーサも、何百年と使われている方法にも関わらず、今だよく判らないことが多く(抜けるとは、塗布した溶液がある日突然効果を失うことで、それは描き上げた作品にも起こります→つまり絵の具が剥離してしまうのです)、その状態が何時、どうなって起こるのか未だに不明だそうです(しかも均一ではなく、まだらに抜けるので、事前に調べ様がないとは!当然、用紙や絵の具の性質状、描き直しは利きません)。
このような不確定要素が高い日本画は、描き手にも負担が激しく(描く姿勢も、床に直接正座か胡座、大物は腹ばいの時もあり、先生はこれで腸捻転になってしまいました)、細かい作業ですから目も痛めますし、作家として日夜描き続けている先生の苦労が思われます。が、ご本人は至って飄々としたお方なので、日頃側で見ている私にさえも微塵も覚らせませんが。

「・・で、他の紙も全部駄目で(ドーサを引いて、抜けた紙は、もう使えないので廃棄ということになります~泣)、仕方がないから急遽買いに行って、もう最初から描きなおし。参っちゃったよ・・」と電話で嘆く先生の声は、言葉より明るいのです。
この不屈の精神(?)こそが描き続けることの原動力にもなっているのだと、改めて感心するマリでした。

余談ですが、パネルに水張りし、そのままになってしまったくだんの「文殊菩薩」像ですが、勉強の為、マリに下さるそうです。
まあ、嬉しい!!そのことを「棚ボタですか?」と言ったら、「漁夫の利?」と言われてしまいました(笑)。

平成13年1月15日(火) 記






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