椿荘日記

椿荘日記

先生の失敗(弘法も、筆の・・・?)


余りの寒さに、今日は予定していた外出を諦め(夫に止められなくとも、既に無理だとわかっておりましたので)、残念に思いながらも、家族で日用品の買い物をしに車で出た以外は、すっかり元気になった息子と話しに打ち興じたり、読書をして、家の中でじっとしておりました。
雨などの天候の悪い日は、気圧の所為なのでしょうか、どうしても体調が思わしくありません。
血圧も低い方ですし、風邪も全快とは行かないまでも、随分回復致しましたので、ここで我慢致しませんと、また来週に響いてしまいますので。

そう、先週前半はずっと床に就いており、マリの日本画の先生にすっかりご迷惑をお掛けしてしまいました(随分困ってお出でのご様子でした)。
マリは、先生に絵を教えて頂いている以外に、モデルを務め、助手としても(まだまだ半人前ですけれど)お手伝いさせて頂いております。
昨日は先生のアトリエで、注文の絵の仕上げがあり、何時もながらの素晴らしい出来栄えに感心致しておりました。

今回の作品は「椿図」が二種、白椿の咲き乱れる姿を描いたものと、紅白斑の椿に、雪が積もっている様を描いたもので、先に別の画廊の注文だった本画の椿と意匠は似ておりますけれど、この作品は「お軸」に仕立てる予定ですので、墨で描き上げ、部分に色を差した、本画とはまた違った趣の、枯淡といった表現が相応しい作品になりました。
この作品を納める画商は、今回が初めての、全く新しいお付き合いで、先生のお名前と経歴を「美術市場」(「美術年鑑」の方が知名度が高いようですけれど、「美術市場」には、画商の方がお付き合いをされてお出での、プロフェッショナルの作家しか載っておりません)で見て、連絡を取りつけて来たそうで、そういうことは余り珍しい事ではありません。

顔合わせと打ち合わせに先生が出向かれましたのは(お伺い致しますと、先方からの申し出がありましたのに、自ら出向かれてしまいました。きっとご性分なのでしょうね~笑)、確か10月の半ばですので、それから随分と日にちが経ちまして、流石に画商の方の、「何時でも結構です」という鷹揚な態度に変化が表れたようで、さりげない催促のお歳暮が届き(どうやら画商の方々は季節の贈り物に「画料の入金はもう少し待って下さい」や「そろそろ描いて頂けませんでしょうか」などの意味を込める様子です~苦笑)、いつものんびりとしていて、弟子のマリの気を揉ませる程の、マイペースな先生を大いに慌てさせておりました(笑)。

完成した絵を前に、お疲れ様と完成祝いの乾杯(今ではすっかり慣わしになっております~笑)をし、暫し休憩を兼ねての雑談の後、徐に立ち上がられて作業台に向かわれ、署名と落款を押されている姿を確認して、お皿(溶き皿です)洗いをする為に流しに向かいますと、暫くして悲鳴とも聞こえる落胆に満ちた呻き声が。
「どうなさったのですか?!」
吃驚して振り返るマリの目には、完成した絵を、唇を噛み締め、穴の開くほど見詰めている先生のお姿が。
「しまった、署名と落款の位置が高すぎた・・」
連日遅くまで製作されてお疲れだったのと、少しばかり飲んだ麦酒が効いてしまったのでしょうか。
繊細な日本画の作品にとって、署名と落款の位置は非常に重要で、そのような失敗をした先生を、マリは初めて見てしまいました。

恐る恐る、確認する為に、厳しい顔をされて考え込む先生の肩越しから覗き込みますと、椿の木の根元近くに書かれた葉の傍に署名、落款があり、確かにマリの目からも、高すぎる様に思えます。
「葉っぱに近すぎたんだな。やっぱり、少しぼうっとしていたのかしら」と渋い表情で考える風の先生の手には既に絵筆が握られています。
マリは、先生の集中を妨げない為、お傍を離れて再びお皿洗いを始め、終わった後も、お邪魔にならない様、先生の方は成るべく見ない様にして、その作業を背中で見守っておりました。
30分以上経過し、安堵の声とも窺える溜息の後に、「まあ、こんなものかな」との言葉が続き、固唾を呑んで待っていたマリは、本当に飛び上がるような思いで、先生の作業台に参りますと、失敗されたと仰っていた署名の周りには、新たに葉が描き加えられ、落款の朱肉には金粉が施されて、先程とは違い、少しも可笑しくはありません。
先程の絶望に近い表情とは違う、プロフェッショナルとしての安堵の表情に、弟子のマリは、失敗や困難にめげずに解決されるそのお力と姿勢に、改めてご尊敬の念を禁じ得ず、心から嬉しく思いながら、ほっとしてお笑いになっている先生のお顔とお作を眺めておりました。

平成13年12月21日(土) 記




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