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早いもので師走も半ばとなり、週刊誌各誌も今年一年の回顧モードに入っているが、「週刊現代」(講談社)の最新号(12/26・1/2合併号)が、「人気ではなく、実力で選んだ 決定! 日本のいい役者ランキング・男優篇」という特集記事を載せている。映画・演劇通の26人の目利きが、現在の旬な俳優の実力を厳正に選考しており、いわゆる人気や興行収入・視聴率などに左右されない「なるほど納得」な内容だと感服したので、結論のみ簡単にご紹介する。 俳優 年齢 最近の代表作/評価の要約 1 香川照之 44 「トウキョウソナタ」「剱岳 点の記」「坂の上の雲」* 市川猿之助と宝塚・浜木綿子の息子のサラブレッド。得難い役者。2 三浦友和 57 「東京DOGS」「沈まぬ太陽」*“山口百恵の旦那”と言われ続けて苦節30年、大器晩成の花開く。3 大森南朋なお 37 「ハゲタカ」「笑う警官」*「大駱駝鑑」の舞踏家・磨赤児の次男。男の色気で女性ファン悩殺。4 渡辺謙 50 「硫黄島からの手紙」「ラストサムライ」「沈まぬ太陽」* 日本人離れしたスケール。「独眼竜政宗」の頃から大物だった。5 岸部一徳 62 「死の棘」「フラガール」「僕らはみんな生きている」* ワン&オンリー。“曖昧という存在感”を演じ、何でも出来る。6 本木雅弘 43 「おくりびと」「シコふんじゃった。」* クールで熱い。距離を持って、自分を作れている。“銀幕の人”。7 阿部寛 45 「自虐の詩」「結婚できない男」* 味のある“アベカン・ワールド”を醸し出せている。8 西田敏行 62 「釣りバカ日誌シリーズ」「功名が辻」* 何でも出来る役者バカ。芸人の匂いも持っている大スター。9 山田孝之 26 「電車男」「クローズZERO」* カッコつけず、自分をさらけ出せる。腹の据え方が違う。10 山崎努 73 「おくりびと」「クライマーズ・ハイ」* 別格。年齢を重ねるほどに深みを増し、もはや人間国宝級の大御所。10 佐藤浩市 49 「壬生義士伝」「ホワイトアウト」* 父親は名優・三國連太郎。大物感を漂わせる職人気質(かたぎ)。10 柄本佑たすく 22 「子宮の記憶 ここにあなたがいる」* 演技派役者・柄本明の長男。唯一無二の存在感。13 松山ケンイチ 24 「デトロイト・メタル・シティ」「銭ゲバ」* 今風の妙な存在感。訛ってるところもいい(笑)。13 石橋蓮司 68 次週の「週刊現代」は、待望の「女優篇」だそうである。わが女神降臨の真木よう子さまは入っているのだろうか。・・・こりゃ何があろうと買わにゃあなるめえ
December 17, 2009
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文春文庫版の「日本映画ベスト150 ──大アンケートによる──」(文藝春秋、昭和64年・1989刊、絶版)という本に、今は亡き現代短歌の巨匠・塚本邦雄氏の日本映画ランキング・ベスト10が載っている(当時66歳とクレジットされている)。■参考:文藝春秋版・日本映画ランキング塚本氏といえば、短歌愛好者の世界では、ほぼ神様といって過言でない方である。小さなアンケートの書き込みであるが、きわめて示唆に富み、興味を惹かれる方も少なくないと思うので、ここにご紹介することにする。 タイトル 公開年 監督 主演俳優1 祇園の姉妹 昭11/1936 溝口健二 山田五十鈴、梅村蓉子2 ツィゴイネルワイゼン 55/1980 鈴木清順 原田芳雄、藤田敏八 大楠(安田)道代3 太陽の墓場 35/1960 大島渚 津川雅彦、炎加世子4 日本の悲劇 28/1953 木下恵介 望月優子、桂木洋子 上原謙5 限りなき前進 12/1937 内田吐夢 小杉勇、轟夕起子6 生きる 27/1952 黒澤明 志村喬、小田切みき7 戦場のメリークリスマス 58/1983 大島渚 坂本龍一、ビートたけし デイヴィッド・ボウイ8 怪談 40/1965 小林正樹 岸恵子、仲代達矢9 幕末太陽傳 32/1957 川島雄三 フランキー堺、左幸子 石原裕次郎、南田洋子10砂の女 39/1964 勅使河原宏 岡田英二、岸田今日子【歌人・塚本邦雄氏「祇園の姉妹きょうだい」評】同時期に同じく溝口監督の「浪華悲歌なにわエレジー」というのもありましたが、「祇園の姉妹」は当時としては最も鋭い感覚をもって美しい京都の景色の中に風俗を描き、世相批判をしている、そういうところを評価します。山田五十鈴が、本当に美しい梅村蓉子という女優さんと姉妹役で、昨今のいいかげんな関西弁でなく、完璧な京都弁をしゃべっています。脇役も溝口監督の常連で、生彩を添えています。なるほどな~と唸らされる。僕は、3位の「太陽の墓場」、4位の「日本の悲劇」、5位の「限りなき前進」、8位の「怪談」を見ていないが、ほか6作品は劇場やテレビ、ビデオで見たことがある。やはり、耽美的で濃密な作品がお好きらしいとお見受けでき、納得できる。■参考:鈴木清順「ピストルオペラ」トレイラー
December 12, 2009
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今年のNHK大河ドラマ「天地人」が、歴史に詳しい方々のブログなどでは悪評サクサク、絶不評だったのは記憶に新しい。全般的に時代考証をあまりにも無視して綺麗事に流れすぎ、話も小細工を弄してご都合主義で作りすぎ~、一部では当時の戦国時代・封建主義社会の通念からしておよそあり得ない設定で、捏造だ~というような意見も散見された。まあ、こういったあたりが、おおよそのブーイングの中身だったようである。歴史は好きだが、マイナーな部分までさほど詳しいわけではない僕は、最初は「そんなにヒドイかな~? まあまあじゃないすかね~?」ぐらいに思っていたが、徐々に、ナンボなんでもこれはないだろ~と、見ていておケツがこそばゆくなるような場面が次々と出てくるに至って、批判はけっこう正鵠を射ているのだろうと思うようになった。あんまり作り話が多いと、これだけのネット社会、それはどこかで誰かに見透かされ周知され、結局白けてしまう。ドラマだから、多少のデフォルマシオンや演出で盛り上げるのはいいとしても、全体的にもうちょっとリアルに作った方がいいのではないだろうか。歴史は、それ自体が十分に面白いのだから。・・・なお、受信料きちんと払ってますから、このぐらい要求する権利はあると思うさて、それはそれとして、誰が何と言おうと、とにかく最高に良かったのは、主人公・直江兼続が60歳の還暦で、まことに穏やかな死を迎えるラストシーンである。うわ~、いいなあと、素直に思った。人生の幕切れはかくありたきものよと、涙がとどまることを知らなかった。今もなお、録画したDVDを繰り返し見ては、ウルウルしている有様であるわが妻よ、大事にしますから、その際はよろしくね~紅葉(もみじ)舞い散る、更け行く秋の庭に面した縁側の露台で、妻・お船(せん)が拾った、鮮やかに色づいたひとひらの楓の紅葉を両掌(てのひら)に挟んでもらい、万感迫る面持ちで看取られ寄りかかられながら、戦乱の世を駆け抜けた大いなる男の魂は、故郷・越後の大地に向って飛び立って行くのだった。ラストシーンの中でも、特にラストショット(カット)は、まさに一幅の名画のようだった。老け作りのメイクをした常盤貴子の、黙(しじま)の中の静かな涙の演技が、超絶の美しさであった。
December 1, 2009
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NHK大河ドラマ「天地人」の最終回のラストシーン近くで、主人公・直江兼続が隠居して、妻・お船(せん)と連れ立って郷里の越後(新潟)に冥土の土産の旅に出る。そこで、自分たちを育んだふるさとの滋味溢れる光景に包まれて、深い感動に言葉を失う。ほぼ映像だけで語る、心象風景的な涙のラストシーンといえば、例えばあの名作映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(山田洋次監督)を思わせる。なお、全編を通じて、大島ミチルさんの場面場面に対応した入魂の音楽が、終始見事に鳴り響いていて、本当に心に沁みた。今年の大河の音楽は、特筆大書されるにふさわしい出来だったと思う。最初の頃から何度も伏線として張られてきたキーワード、「肝心かなめの幹を守るために美しく散るという“紅葉(もみじ)の家臣”」の譬えが語られる。これらは史実とは到底思えないが、それはこの際どうでもいいだろう。完全にドラマとして許容限度内の脚色。・・・しみじみとした情感が溢れて、いいシーンだったなあ。思わず僕も、久しぶりに女房と鬼怒川温泉あたりに湯治に出かけたくなった最後は、郷土愛を絡めつつ、定番の夫婦愛に持ち込んだというところだが、やっぱりこれは安心立命、日本人の魂のふるさとであり、当然泣けた泣けた。最期に「死に水」を取ってくれるのは配偶者、男にとっては妻である。お互い、くれぐれも奥さんは大事にしませうねさて、今回の大河については、多くのドラマ目利きの皆さんのブログなどを覗くと、「いろいろなテーマやモチーフを盛り込みすぎて、焦点がぼやけた。」という評が多いように見受けられる。また、「脚色し過ぎ(話を作り過ぎ)だった」という意見も多い。歴史通の方々からは、かなり評判が悪い。あまりの悪評嘖々(さくさく)ぶりに、若干ビビるほどである。なるほど、言われてみれば、僕もある程度同感するところもある。愛、義(儒教的イデオロギー)、主従・夫婦・親子の絆、また、地方政治(上杉家内)における権力継承・統一過程やら、中央政治、特に戦国末期の動乱と天下統一の過程。あまりにも様々な事象を詰め込みすぎて、やや散漫だった印象は確かにあった。極力「夫婦愛」の一点に絞り込んだのが印象的で今なお記憶に新しい「功名が辻」などと比べると、確かに少々テーマが拡散していたのは否めないと思う。・・・が、これは秀吉の子飼いとして手取り足取り導かれ、その後は鮮やかに寝返って家康に忠誠を誓い可愛がられ、比較的分かりやすい動きで戦国を生き抜くことが出来た山内一豊と、天下の形勢をもうかがう大大名・上杉家の執政であり、あらゆる深慮遠謀の渦中にあった直江兼続との格の違いにもよるものであり、やむを得ない面もあったのだろう。だが、若き名優・妻夫木聡の、苦悩する表情や、それと裏腹の満面の笑顔も似合う品格溢れる二枚目ぶりが、全ての場面で生き生きと画面を統一していた。・・・何はともあれ、すばらしい一年間だった。
November 25, 2009
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今年のNHK大河ドラマ「天地人」が、11月22日の「いい夫婦」の日(・・・別に関係ないけど)、ついに完結した。詳しいレビューは、楽天ブロガー仲間ののの雪さんのブログや、そこに付けられた多数のトラックバックに譲るとして、本当にすばらしい一年間だった。直江兼続という人は、あの天下分け目の関ヶ原の合戦の口火を切った「直江状」という激烈なアジテーション・ビラ(アジビラ)を書いた人として、歴史ファンには夙(つと)に知られており、この時代を扱ったこれまでの大河でも毎回必ず登場していたが、やはり藩主・主君たる上杉景勝の陰に隠れて、かなり地味な存在だったのは否めない。中央公論新社の、あの詳細厖大な「日本の歴史」にも、もちろん登場はするが、扱いは地味である。関ヶ原で、結果的に敗者となった西軍側(豊臣方)に付き、危うく取り潰しこそ免れたが、一藩の安泰をも危うくしたという、政治家としての致命的な判断ミスも相まってのことである。やはり、悲劇的な生涯であるという傾きは、どうあっても拭い去れないだろう。その人に、初めてスポットライトを当てたコンセプトがまず新基軸で、意外性があった。その悲劇的な境遇にありながら、決して捨て鉢になることなく、精いっぱい生き抜いて世のため人のために尽力した「愛と義の人」の生涯が、くっきりと浮き彫りにされたといえる。主役を演じた妻夫木聡が、これ以上ないぐらいのはまり役で、同時代の誰もから好かれ尊敬され一目置かれたと伝えられる知将を具現化してくれた。僕の考えでは、この役を演じられる男は、日本演劇界にもう一人だけいたかも知れない。先日、大往生で天寿を全うされた森繁久弥の若い頃である。森繁氏の30~40代ぐらいなら、見事に演じられただろう。直江兼続は、口下手な社長に代わって大企業・上杉家を取り仕切る、智謀・教養・実務能力を兼ね具えた実力派筆頭専務といった役回りの人であったといえる。豊臣側に付き、石田三成と刎頚の友となり、太閤秀吉にも重く見られたいきさつは、ドラマの展開を見ながら十分納得できた。むろん脚色はあろうが、確かに、大筋あんな感じだったのだろうと思われた。信長という巨人に射竦(いすく)められ、その天下を継いだサル殿には垂らし込まれ、その寵臣・石田三成と肝胆相照らすようになっていく過程は、全く無理からぬ運否天賦というべきであり、次第に家康と敵対関係になってゆくのも、やむを得ざる仕儀であった。・・・いったい誰が、敢えてこの流れに抗し得たであろうか?ところで、歴史上の巨人・徳川家康が、これほどはっきりと敵役・悪役として描かれたのも、大河史上初めてではないだろうか。山岡荘八の大著「徳川家康」以来、隠忍自重と果断実行の大いなる偉人のイメージが定着しているだけに、この思いっきりDONな人物造形にはビックリした。松方弘樹が、東映任侠映画の大親分のノリで、ケレン味たっぷり貫禄十分に演じ、文句なし、さすがの名演だった。・・・あんなヤツに本気で睨まれたら、まず助かる見込みはあるまい見ていて息苦しくなるほどの狸親父の実悪ぶり、折しも天下を制した小沢一郎氏と二重写しに見えたのは、僕ばかりではあるまい。最終回で描かれた、臨終間近の家康を、兼続と独眼龍・伊達政宗が(うち揃ってかどうかは知らないが)見舞ったのは、史実であるという。そこで、あのような会話が交わされたのも、十分にあり得たことだと思った。役者同士の火花が散った、見事なエピローグだったといえる。思えば、太閤秀吉の晩年には、無益と言わざるを得ない朝鮮の役や、無慈悲・無思慮な近親者の排除・失脚・処刑、また大阪城築城はともかくとしても、途方もない贅沢三昧やモラルの荒廃など、豊臣政権の信望はすでに地に墜ちており、長年の戦乱に疲弊しきった全国民にも厭戦気分が浸透し、社会の安定を切望していた。関ヶ原前夜ともなれば、着々と諸大名・小名を掌握しつつあった家康の物言わぬ「義」の方が遥かに広汎な民心を得ていたと思われる。家康の信仰・浄土宗も温和な教えで、無理がなかった。その後営々と制度を整え、儒教の朱子学を公式イデオロギーとして、政権の正統性も獲得していった。秀吉が、いわば現在の内閣総理大臣に当たる関白まで上り詰めた以上、豊臣政権の正統性に問題はないとは言え、兼続や三成の言うところの「義」は、成立していたというにはどうも無理があり、抽象的観念に過ぎるのではないかな~と思いながら見ていたが、やはり歴史は収まるべきところに収まったのであろう。徳川260年の天下泰平は、やはり伊達ではなかったと思った。
November 24, 2009
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【参考】 日本映画「火垂るの墓(1988)」に関する、アメリカの著名な映画評論家・ロジャー・エバート氏(「シカゴ・サン・タイムズ」紙記者)の評論文(2000年3月19日発表)第二次世界大戦末期、米軍爆撃機が日本の都市にナパーム弾(焼夷弾)を投下し、空襲火災を引き起こしていた。ナパーム弾は空き缶よりはちょっと大きいぐらいで、光を曳きながら落ちていく様は美しくもある。地表に衝突した瞬間、一瞬静寂が支配し、爆発と共に轟音と炎をまき散らす。日本の住宅地における脆弱な木と紙で作られた家屋は、火に対抗する術を持たなかった。「火垂るの墓」は、空襲によって住む家を失った、神戸の周辺都市の子供たちを描いたアニメーション映画だ。清太は10代の少年で妹の節子は5歳に満たない。彼らの父親は帝国海軍に従軍しており、母親は空襲で犠牲になった。清太は救急病院で熱傷に覆われた彼女の遺体に対面する。彼らの家も、隣人たちも、学校も、全てが失われた。いったんは小母が彼らを受け入れるも、彼らを食べさせることに残酷になり、結局は清太は二人で住むことの出来る丘の防空壕を見つける。清太は食料を調達するために、両親に対する節子の質問に答えるために、彼の出来ることをする。映画の冒頭において、清太が地下鉄の駅で死ぬ場面が描かれる。そして、我々は節子の運命を想像することができる。我々は少年の魂に導かれて過去を回想するのである。「火垂るの墓(Grave of the Fireflies)」は、アニメーションに対する再考を迫る圧倒的な感動すべき体験(emotional experience)をもたらす。当初アニメーションは子供向けの漫画に過ぎなかった。「ライオンキング(The Lion King)」や「もののけ姫(Princess Mononoke)」、「アイアン・ジャイアント(The Iron Giant)」等の最近のアニメーションはより深刻なテーマを扱っており、「トイ・ストーリー(Toy Story)」や「バンビ」のような古典は数人の観客を涙に誘うこともある。しかし、これらの作品は安全な一線を越えることはない。それらは涙を誘いはするが、痛みを伴うことはない。「火垂るの墓」は力強くドラマチックなアニメーション映画で、批評家アーネスト・リスター Ernest Risterが「火垂るの墓」を「シンドラーのリスト(Schindler’s List)」と比較して「この映画は今まで見た映画の中で最も深遠なヒューマンアニメーション映画である」と批評したことがよく理解できる。「火垂るの墓」は生き残ることをシンプルに描く。少年と彼女の妹は住むところと食べ物を見つけ出さなくてはならない。戦時において彼らの親類は親切でも寛容でもなく、彼らの小母が兄妹の母親の着物を米を買うために売り払ったときには、彼女はその多くを独り占めにした。結局清太は彼女の元を離れる時だと決断する。清太は少ないお金を持っていて最初は食料を買うことができたが、すぐに買えるものがなくなる。節子はどんどん衰弱していく。彼らのストーリーはメロドラマとしてではなく、シンプルに、ダイレクトに新写実主義の様式で語られる。そしてその中には静寂の時がある。この映画のもっとも素晴らしい贈り物の一つはそれが要求する忍耐にある。映画のショットは我々がそれらについて考えることが出来るよう留め置かれ、プライベートな時間の中にキャラクタの個性が覗き、雰囲気と本質はそれが確立するのに十分な時間を与えられている。日本の歌人は休止と区切りの中間のような「枕詞」を利用する。偉大なる映画監督小津安二郎は「枕ショット」──詳細な自然の描写を、つまり、2つのシーンを分割するために利用した。「火垂るの墓」もそれらを利用する。そのビジュアルはある種の詩を形作っている。中には爆弾が雨のように降り、通りを埋め尽くす人々を恐怖に陥れる時のように素早いアクションのシーンもあるが、この映画はアクションを乱用せずそれがもたらす結果を重視する。この映画は最も偉大な日本のアニメーションの供給元である「スタジオジブリ」の高畑勲によって監督されている。彼の同僚には宮崎駿(「もののけ姫(Princess Mononoke)」「魔女の宅急便(Kiki's Delivery Service)」「となりのトトロ(My Neighbor Totoro)」)がいる。彼の映画は通常このようにシリアスではないが、「火垂るの墓」はそれ自体でカテゴリを形成する。「火垂るの墓」は野坂昭如による半ば自伝的な要素を含む小説に基づいている。彼は焼夷弾が降った時代に少年時代を過ごしており、彼の妹は飢餓によって死亡していることから、彼の人生は罪の意識と共にあった。その原作小説は日本でよく知られており、実写による映画化の方がより容易く想起されるかもしれない。これはアニメーションの典型的な題材ではない。しかし、「火垂るの墓」にとって、私はアニメーションは正しい選択であったと思う。実写映画は特殊効果、暴力とアクションの重荷に悩んできた。アニメーションにすることによって、高畑はストーリーの本質に集中することができた。彼のアニメキャラクタにおける視覚的なリアリズムの欠如は、我々の想像力をより刺激する。現実の俳優による過度のイメージを排除し、我々は容易にキャラクタを我々自身に重ねることができるのだ。ハリウッドアニメーションは、矛盾した表現に見えるかもしれないが、数十年間「写実的アニメーション」の理想を追求してきた。描かれる人々は撮影された人々のようには見えない。彼らはより形式化され、より明確に記号化され、(ディズニーが骨の折れる実験の末発見したように)彼らの動きはボディランゲージを通して気持ちを伝えられるように誇張されている。「火垂るの墓」は「ライオンキング」や「もののけ姫」のリアリズムを追求していないが、逆説的には「火垂るの墓」は私が今まで見たものの中で最も写実的なアニメーション映画だ──心情的な面で。舞台と背景は18世紀の日本人浮世絵師、安藤広重と彼の現代の弟子エルジェ(タンタンの冒険旅行の作者)の影響を受けたスタイルで描かれている。その中にはアニメーションの枠に留まらない素晴らしい美しさがある。キャラクタは大きい目と子供的な体型、素晴らしい柔軟性の特徴(口は閉じているときには小さいが、子供が泣くときには巨大になって、節子ののどちんこまで見える)をもつ、現代的な日本アニメーションにおける典型的な描き方をされている。この映画は、アニメーションは必要ならば、現実を模倣することではなく、それを誇張し単純化することで、感情的な効果を与えることができることを証明している。そのため、映画のシークエンスの多くは経験描写ではなく、感情表現に割かれている。そこには圧倒的な美しさを伴った数多くのシーンがある。あなたは、子供たちが蛍を捕まえて、彼らの防空壕を光で照らした夜の中にいることに気付くだろう。翌日には、清太は彼の妹が虫の死骸を埋めているところを見つける──そのとき節子は彼女の母親が埋葬されたことを思い起こしていた。節子が泥を使っておにぎりと想像上のごちそうを作り食事を用意するシークエンスがある。砂浜で彼らが死体を見つけ、そして空の彼方にさらなる爆撃機が現れるシークエンスのタイミングと静寂の活用は注目すべきである。リスターはまた別のショットを挙げている。「清太がタオルで空気の泡を閉じこめ水中に沈めて解放することで、節子が破顔する瞬間がある。そのとき、私は特別な何かを見つけた気がした」「火垂るの墓」の表層の奥には古い日本の文化的な流れがあり、それらは批評家であるデニス・H・フクシマ Jr.Dennis H. Fukushima Jr.によって解説されている。彼はこのストーリーの源流を心中の伝統の中に見出した。清太と節子は公然と心中を約束したということではなく、人生が彼らの生きる意思をすり減らしたのだ。彼は彼らの防空壕と丘陵の墓との類似点についても言及している。フクシマは、著者の野坂昭如のインタビューを引用している。「たった独り生き残った。彼は妹の死に罪の意識を持っていた。食料をあさる時にも、彼はしばしばまず自分が食べ、妹は次に回した。妹の死因が飢餓であったことは否定できず、その悲しい事実が野坂を長年に亘り苦しめてきた。贖罪の意識が彼が体験を元に小説を書くモチベーションとなった」「火垂るの墓」はアニメーションであって日本の作品であることから、(米国では)あまり見られていない。アニメファンがどれだけこの映画が素晴らしいと主張してもだれもそれを真剣に受け取らない。しかし、今なら英語の字幕や吹き替え付きのDVDが簡単に入手できるし、もしかするとこの作品が受けるべき注目を得ることが出来るかもしれない。その通り、この映画はアニメーションであり、子供たちの目は皿のように大きいが、これは今まで作られた最も優れた戦争映画のあらゆるリストに加えられるべき作品である。〔この翻訳文のソース〕
May 10, 2009
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「短歌人」7月号原稿の短歌の締切りで、ここ数日間は完全に煮詰まっていたため、ブログの方はなんか気合いが入ってなくてすいません。・・・そのせいか、割と練れた、というか煮詰まったというか、まあ何とか形にはなったと思う。・・・出来た作品は、歌誌掲載後に発表します。さて、きのう9日付の読売新聞夕刊ライブラリー面の「愛書探訪」という連載読書評欄に、作家の石田衣良が、野坂昭如の名作「火垂るの墓」について書いていて、その関連で、アマゾン・コム・サイトの英語版「火垂るの墓 Grave of the Fireflies」DVDと、そこに付けられた、現在実に587本に及ぶ厖大なカスタマーレビュー(全て英文)について触れていた。・・・さっそく覗いてみると、これはもう驚くほどの絶賛の嵐である。しかも、多くのレビューが実に見事な名文で、力が入っている。僕の貧しい英語力でも十分分かる。特に、「最も役に立ったカスタマーレビュー Most Helpful Customer Reviews」欄に掲載された「全てのメディアの中でも、最も悲しい表現形態の超絶的なアニメ Transcends Anime to be one of the saddest forms of any media」という論文や、「心揺り動かされるほどパワフルで、心奪われるほど詩的な反戦アニメ Emotionally powerful, hauntingly poetic, anti-war anime」などは、そのまま英語の教科書級であると言えるだろう。ご存知の通り、一定の事象に対する、例えば日本文化に対する世界の評価を知るのには、今やインターネットに敵うものはない。この圧倒的な高評価は、そのまま日本文化の底力を示していると言って差し支えないだろう。ちなみに僕は、野坂昭如が直木賞を受賞した原作を、最初の雑誌掲載時ではないが、中学生の頃、新潮文庫収録時のほぼリアルタイムで読んだと思うが、まぎれもなく現代日本文学の名作だと思う。火垂るの墓/アメリカひじき(新潮文庫)文庫に同時収録された「アメリカひじき」も、戦後アメリカ軍(進駐軍)の軍需物資のあるものを「アメリカひじき」だといって料理して、美味い美味いと食ったという老婆の、悲惨にして、ある意味では今でいう“イタい”ユーモアも感じさせる名作。ちなみに、石田衣良の同記事によると、「火垂るの墓」は、作者の野坂氏が売れっ子作家の絶頂期にあって複数の締切りに追われていたある日、午前6時に書き始め、午後3時には完成稿を編集者に手渡したのだということだ名作が生まれる過程というのはえてしてそんなものであり、夏目漱石は、かの「坊ちゃん」をノリノリで1週間で書き上げたと言われるし、ドストエフスキー、バルザックらは博打でこさえた莫大な借金返済に追われ、借金取りの目をかいくぐりながら次々と世界文学の最高峰を生み出した。・・・これぞ人間精神の不可思議だ~。「締切り」って偉大~?火垂るの墓 完全保存版サクマ式ドロップス
May 10, 2009
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日本映画「おくりびと」が、映画界最大の祭典・米アカデミー賞の外国語映画賞に輝き、世界映画の頂点に立ったことは、紛うことなき快挙であり、日本の誇りである 慶賀の念に堪えない。滝田洋二郎監督、本木雅弘さん、広末涼子さんはじめ、多くのキャスト・スタッフの皆さま、本当におめでとうございました~っ!!この映画をきちんと評価するとは、アメリカ人も、なかなかやるもんだね~(笑)■第81回米アカデミー賞オフィシャルウェブサイト(英文)先日の記事で、「嵐」の大野君のダンスを絶賛したばかりだが、ジャニーズ事務所の大先輩(現在は独立)の、あのヤンチャだったシブガキ隊のモックンが、世界の MASAHIRO MOTOKI になっつまったよ~ん!!モックンも広末涼子ちゃんも、アイドル出身でありながら、今や堂々たる役者になったね~♪この映画の企画・原案自体がモックンの発案だったというところが、一番の驚きだった。一種のプロデューサー的才能もあることを示したね。モックンはさらにこの秋から、昭和の大作家・司馬遼太郎の代表作を原作とする、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主演も控えている。・・・このドラマの登場人物で、明治の大歌人・大俳人の正岡子規を神のごとく仰ぎ見る僕としては、絶対に見逃せない。さて、こちら「おくりびと」は、日本人の死生観を、山形・庄内地方の美しい風景とモデレート(穏やか)なユーモアに包んで見事に表現し、世界に認められたということのようだ。確かに、この短い予告編を見ているだけでもウルウルして来る。そういえば、名作「ゴッドファーザー」で、長男サンティアゴ(ソニー、ジェームズ・カーン)が銃弾の嵐を浴びてむごたらしく殺され、ドン・ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)が葬儀屋に、「頼むから彼(遺体)をきれいにしてやってくれ。・・・このままでは母親に見せられん」と言って、全編の中でほぼ唯一慟哭する名場面があったのを思い出した。イタリア人と日本人の感情って、似てるのかな~と思った。・・・ただ、実は僕は「おくりびと」を恥ずかしながらまだ見てないので、マスメディアの受け売りで今エラソ~にあれこれ書くのは自粛しておきます~それにしても、歌詠みの端くれとして言うと、「おくりびと」ってタイトルは、絶品だなあ。葬送を指して、古来「野辺の送り」という雅な言葉があるのを思い出した。純粋に言葉としてだけ見ても、美しいよね~。もともとは「納棺夫日記」という仮題だったようだが、事実上の原作者の青木新門さんという納棺師さんとの細かい調整が出来ず、大人の事情で「おくりびと」になったという。これは、かえって怪我の功名だったと思われる。誰もみな、おくり、おくられ、おくりびと。近いうちに本編を必ず見るつもりだ。ところで、日本勢ダブル受賞となった、短編アニメーション部門の「つみきのいえ」もおめでとうございます。加藤久仁生監督の受賞スピーチの締めの「ドモアリガト、ミスターロボット」には笑えた~。これは僕ら中年世代には懐かしい、ロックグループStyx(スティックス)の、当時の日本人を揶揄した作品“MR.ROBOTO”の一節だった。■「おくりびと」オフィシャルウェブサイト■国内地方紙47NEWS関連記事■「おくりびと」映画評■映画生活「おくりびと」評■米ロサンゼルス・タイムズ「日本の『おくりびと(Departures)』外国映画で驚きの勝者」Los Angeles Times;Japan's 'Departures' is a surprise winner for foreign film(英文) おくりびと おくりびと ノベライゼーション おくりびと オリジナル・サウンドトラック
February 24, 2009
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大成功裡に完結した昨年の「篤姫」に続き、今年のNHK大河ドラマ「天地人」も、ここまで視聴率は絶好調で推移しているという。データは→こちらです~ 第4回「年上の女」は26.0%。■NHK「天地人」公式ウェブサイト僕も3回目からハマって、5回目まで見て、とっても楽しんでいる。確かに面白い。主演の妻夫木聡の芝居も、躍動感があって楽しい。これから1年弱かけて、次第に重厚な年輪が刻まれてゆくのだろう。その過程も楽しみ~。ロッカーにして、最近は歴史評論家(?)でもある吉川晃司の信長、いいっ!!あの、あまりにも有名な信長の肖像画から抜け出て来たみたいだ。広島出身で吉川といえば、もちろん彼の中にも戦国武将・毛利元就の血が伝わっているのだろう。今回はそのご先祖の敵方・サル殿のお屋形様の役、真っ向アウェーの不思議なめぐり合わせ。「結婚できない男」だった阿部寛は、今や結婚しない謙信だ~ビックラこいたのは、病気がちな兼続の生母(聖母?)お藤の方の田中美佐子。も~、猛烈にタイプです~!!ヒ~、このオヂサン殺し~!いつの間にこんないい女になってたんだ~!?・・・毎週うっとり見とれてまする~。ただ、歴史や大河ドラマ通の皆さんに言わせると、時代考証がメチャクチャだったり、役者の演技が軽量級だったりと、ツッコミどころ満載であるらしい。通のたまり場は→こちらです~しかし、皆さんお詳しいな~。え~? 長沢まさみの初音って、真田幸村のお姉さんなの~っ!?しかも、妹から姉に設定が変更になったって、そんなのアリ~!?(・・・すいません、ネタばれでした?)通というより、歴史オタクの皆さんというべきか。まあ考えたら、去年の皇女・和宮さまも明治天皇の叔母さまだったりして、歴史のつながりってスゴイよね。僕なんか(皆さんもそうだろうけど)、直江兼続って人自体をよく知らなかったぐらいで(「直江状」という、徳川家康を激怒させた書状の逸話が、これまでも大河にチョコチョコ出てきたので、名前だけは知っていたが)、上杉家内部の人間模様なんて今回初めてドラマで勉強してるようなもんだ。・・・で、この記事の結論ですかい?別にありません短歌人「4月号」の原稿締め切りが迫って来て、個人的に緊迫してきているところなので、今日のところはこの辺で~
February 2, 2009
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けっこう歴史は好きな方だけど、直江兼続(なおえ・かねつぐ)なんて武将、これまで名前ぐらいしか知らなかったし(・・・今もよく知らない)、全然期待してなかった今年のNHK大河ドラマだったのだが、3回目、4回目のオンエアを見て、早くもハマってしまった(・・・初回、2回目は見逃した)。疾走感と爽快感のあるダイナミックなテーマ曲、いいっ!!歴代大河ドラマのテーマ曲の中でも、5本の指に入る名曲ではないだろうか。ちょっと黒澤明監督「隠し砦の三悪人」(音楽:佐藤勝)を思い出した(・・・ジョージ・ルーカス監督が「スター・ウォーズ」シリーズの下敷きにした日本映画)。勇壮で華麗なファンファーレから始まって、ドイツロマン派的な疾風怒涛と甘美なバラード風のモティーフを展開していく曲の構成は、映画史上の不朽の名作「ベン・ハー」(ウィリアム・ワイラー監督)のテーマ曲(音楽:ミクロス・ローザ)のテクスチャーを思わせる。タイトルバックの、実写と組み合わされたCG映像、スゲ~っ!武田双雲の「天地人」の題字、カッコいいっ!大の男が、も~これだけで若干ウルウルしちゃう~^^;ドラマの方はまだ始まったばかりで、状況・人間関係の説明と“若い頃の苦労は買ってでもせよ”的な逸話ってところで、まだまだこれからだが、今後大いに期待できそうだ。生き生きした、ヴィヴィッドな躍動感溢れる演出も、第一級であると見た。主演の妻夫木聡をはじめ、常盤貴子、北村一輝、阿部寛などなど抜群のハマリ役揃いで、見てる方もノリノリ~っ!役名や話の流れから見ると、今後、宍戸錠が義理のお父さんになるってことかな~?それも面白い展開だね~。ただ、要所要所で「これはしたり」という決め台詞が目立つな~。「利家とまつ」の時の信長の「・・・である」みたいな感じ?・・・ど~も、今後これが口癖になっていくような、ちょっといや~な予感もするね~■NHK大河ドラマ「天地人」オフィシャルウェブサイト
January 26, 2009
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東京で間もなく1月17日(土)に封切りになる、純然たるアメリカ製のハリウッド映画(!)「ラーメンガール The Ramen Girl 」(ロバート・アラン・アッカーマン監督)というのが、なかなか悪くないという前評判なので、ちょっとご紹介します。巨額の製作費をかけた大作ではなさそうだが、予告編などを見ると、なるほど、これはけっこう面白そうなヒューマン・コメディって感じ~。しかも、あの天下のハリウッドが、「下から目線」で謙虚に来てるみたいだよ~ん。世界も変わったもんだね~。ジャパニメーションが Cool Japan なら、こっちは Hot Japan(熱い日本)かな~?Oh! Rising Sun!!西田敏行も、ついにハリウッド進出と相なったか~・・・似合わね~けど、カッコいい~っ!それに第一、このラーメン屋の佇まいが、ニャンともいいね~。今どき、こんな店、重要文化財クラスだよ性格女優・余貴美子が演ずる、貧乏臭いけど優しそうな女将さんの佇まいも、メチャクチャすてき~!まさに、生きた異文化交流のモティーフ。「ブラックレイン」とか「レッドブル」の、東京ラーメン版かな。“ラーメン道”つながりか、故・伊丹十三監督「タンポポ」の主役だった山崎務も重要な役で出てる。・・・というか、脚本家自身が、「タンポポ」を下敷きにしたと言っているようである。そりゃそうだろうね。ついでに、その時の共演者で、今や国際スターである渡辺謙も出ればよかったのに~とか、ちょっと思うけどね~しかし、関東地区では(・・・というか、日本全国でかな?)、当面は東京・テアトル新宿の単館上映だけらしいんだよね~「小品佳作」タイプの映画ではよくある興行形態。まあ、ヒットすれば、順次、全国拡大ロードショー公開ってなこともあり得るんだろうけどね。なお、皆さまにご紹介しておいて何ですけど、僕は一本の映画を見るためだけに、この冬空のもと、わざわざ上京する時間も気力もありゃませんので、悪しからず、ごめんちゃいね~東京や近郊に在住の方は、よろしければご照覧下さいませ~。僕はもともと、ラーメンよりは日本蕎麦の方が好きなのだけれど、このラーメンに限っては、本当に美味そうだな~と、否応なく認めまする~これはもう、間違いないね~伝統の東京ラーメンそのものだ。ところで、実を言うと僕は、よく洋画に出てくるちょっとヘンテコリンな日本を見るのがけっこう好きである。・・・日本って、本当に魅力的な、不思議の国だと気づかせてくれるから~■作品情報■英語版作品評(ただし筆者は日本人らしい)■産経ニュース;ニューヨークで本格「Ramen」ブーム? 有名店出店、地元メディアも特集■ロバート・アラン・アッカーマン監督・日本滞在日記
January 5, 2009
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Floraとfauna誰もがひたむきに生きて光に包まれてゐる 拙作あっそっか~、そういえば大河ドラマって、主人公が亡くなって終わるんだよな~と、先日やっと気がついて、一瞬慌てふためいた~・・・考えたら当たり前の話なんだけど。楽天ブロガー仲間のの雪さんから何気に教えてもらうまで、篤姫が亡くなるなんて全然思っていなかった、暗愚なバカ殿くまんパパめなのでありました~あのお方だけは、何となく永遠に生きると思ってた。・・・火の鳥かよっ!!しかし、終(つい)に昨夜、天璋院篤姫は亡くなり、大河ドラマは完結した。最終回の詳しいあらすじや解説は、のの雪さんのブログ「ふわゆら生活」にまもなく掲載されるであろうレビュー記事と、そこにおびただしく付けられるトラックバック群に譲ります~のの雪さんは、僕の知る限り、おととしの「功名が辻」から、昨年の「風林火山」を経て、今年も(・・・たぶん来年も?)毎週欠かさず月曜日に大河ドラマのレビューを載せていらっしゃる、すばらしいブロガーのおひとりです。そういえば、けっこう長い付き合いですよね~いつも楽しみにしています。尊敬してます~・・・なのですが、昨晩、のの雪さんはあいにく忘年会の真っ最中で、リアルタイムでは見られなかったらしいので、珍しくブログ更新が遅れている模様です~――さて、何はともあれ、すばらしい一年間だった。初めの方の1~2回を見逃したほかは、全て見たと思う。今や若き国民的大女優となった宮崎あおいが、激動の時代をひたむきに生きた一人の女性の生涯を、驚嘆すべき演技力で見事に演じきった。最後の方の重厚な貫禄を湛えた演技と、最初の方の田舎のキャピキャピお転婆娘の回想シーン(フラッシュバック)とのギャップのすごさにも、改めて気づかされビックリした。今年の大河ドラマの成功の要因は、メディアでいろいろ語られている。若手・ベテラン俳優たちの名演、シンデレラ・ストーリー、ホームドラマ的味付けや、いつの世も変わらぬ嫁姑問題などの橋田壽賀子的要素、さらに大奥という“異世界”への興味、などなどである。これに加えて言うならば、僕ら歴史ファンから見ても、篤姫という縦糸を一本通したことで、幕末・明治維新全過程の全体像がはっきり見えて、くっきり分かりやすかったといえる。また、これまで島津斉彬・久光兄弟、西郷・大久保らの陰に隠れて地味な存在だった小松帯刀を、準主役としていわば“抜擢”した炯眼にも、恐れ入谷の鬼子母神だった。小松帯刀が、国主・久光と西郷・大久保の板挟みで苦悩し、ついには体を病んで死んでゆく悲劇の過程が、しかしながら、覚悟を決めた武士ならではの爽やかな描写で描かれ、きのうの最期のシーンなどは、ほとんど神々しいほどだった。瑛太くん、よくやった。一年間、本当にすばらしかった。・・・君が望むなら、僕は何をされてもいいむろん、本格的な歴史書などの記述と比べれば描写は大幅に省略されているが、テレビドラマとしては出色の出来だったといえるのではないか。宮尾登美子の原作は読んでないので何とも言えないが、田淵久美子の緻密きわまる完全脚本は、誰でも気づくことだが、縦横無尽に伏線が張りめぐらしてあって、ほとんど一流推理小説作家の資質ではないかと思った。・・・すごい才女は、ひとり宮崎あおいだけではなかったのだ。前回の、天璋院と小松帯刀の最後の再会シーンでの「お守り袋の見せ合いっこ」なんてのは、その典型例だだった。あのお守り袋を最後に見たのはいつだったっけ~と思った。最終回の回想シーンで思い出したが、婚礼のために江戸に下向する薩摩での別れのシーンだった。何と、半年も前の伏線だった。・・・視聴者として、やられた~っとも思ったきのうの最終回での、当時西洋舶来最尖端文明の利器「フォトグラフィー(写真術)」での記念撮影なんかもそうである。ずいぶん前に、家茂・和宮との絡みのシーンで、見事な伏線が張ってあったよね。以前のシーンを思い出させられてさらに泣かされるという、まさに脚本家の罠に心地よくハメられて泣くようなカタルシスがあった。さて、その最終回は、明治改元後の篤姫の暮らしぶりと、多くの愛する人たちとの再会と別れを描き、滂沱の涙が止まらなかった。・・・年寄ると涙もろくってね~勝海舟邸などで、皇女・和宮と再会し、一緒に会食したり外出したりしたことは記録が残っているという。激動の時代をともに似たような境遇で生き抜いた二人は、大変仲がよろしく、とても楽しそうだったといわれる。さて、天璋院の享年は49歳だった。今から見れば若すぎる死だが、当時としてはまずまず天寿を全うした方かな~。特に女性の場合は、白粉(おしろい)の「鉛毒」ってのもあったしね~。ただ、強いて言えば、中にはこれ史実なのかな~?と疑うようなエピソードも多少あったのは否めない。例えば、ともさかりえ演じる妻・お近が、病床に臥した夫・小松帯刀(瑛太)に会いに、遠路はるばる薩摩から大阪までやって来るってんだけど、当時の交通事情やライフスタイルを考えると、かなり眉唾物だと思うけどね~。一般的には、小松帯刀は京都の妾・お琴に看取られて亡くなったとされている。渾身の演技はすばらしかったが、その点は多少ウソくさかったやっぱり、みなさまのNHKとしては、こ~なっちゃうわけね~とはいえ、最後の顔見世興行としては実によく構成されており、懐かしい顔がいっぱいで、見てる方も胸がいっぱい。最後まで元気で愉快でかしましい姑・高畑淳子さんのコメディ・リリーフ部分も、ちょうどいい息抜きになっていた。なお、音楽もテーマ曲をはじめとして本当に良かった。重厚さと優雅さを兼ね備えた重層的なスコアがもたらす響きが、要所要所の情感をきわめて力強く盛り上げていた。「音楽とは感情を表現するもの」という観念があると思うが、まさにそれを思い起こさせた。篤姫さま、一年間感動をありがとう、そしてさようなら・・・ところで余談だが、32歳で夭折した和宮さまの死因は、脚気(かっけ)による心不全だったってさ~。脚気とは、ビタミンB1欠乏症にほかならない。精製された白米を常食し、豚肉やウナギなどを食べないことが原因になる。いわば栄養失調の一種である。当時は、船乗りなどが罹る壊血病(ビタミンC欠乏症)などともに、原因不明の「江戸わずらい」として恐れられていた。玄米を時々食べるとか、今ならサプリメントを数粒でも摂れば、一発で治る病気である。・・・な~んてこといっても、今さら詮無いことだけどね~。おいたわしや~■NHK公式ウェブサイト■産経新聞■朝日新聞■毎日新聞・宮崎支局■J-CASTニュース
December 15, 2008
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昨夜は、NHK大河ドラマ「篤姫」最終回マイナス1回目に当たる第49回「明治前夜の再会」。ストーリーなどの詳しい解説は、楽天ブロガー仲間・のの雪さんのブログ「ふわゆら生活」に譲りま~す天璋院(篤姫)と小松帯刀(尚五郎)の今生の別れのシーンに、滂沱の涙を禁じえなかった。若き男女の名優が渾身の芝居を見せて、大河ドラマ史上に永遠に銘記される名場面となったことは疑いない。「亡き夫、家定に相談いたします。」「あっはっは、ずるいなあ(笑)」の軽いジャブを経て、「人はいなくなるのではなく、また会う時の楽しみのために、ひと時、離ればなれになるだけのことです。」「・・・そうですね。」に至るやりとりを、息を詰めて見た。そして泣いた。見事だった。もし、このブログの読者で見ていない方は、今週土曜日午後1:05からの再放送を見逃さない方がいいんじゃないかと思う。宮崎あおいが上手いことはかねがね分かっていたが、普通の中年男にとっては今回初めて知った若手俳優・瑛太が、ここまでやるとは思わなかった。もっとも、天下のNHKたるものが、看板番組の大河でそうそうミスキャストをするはずがないとも思っていたけどね~。こんなヒョロっとした、よく言えば飄々としたセンシティヴな感じの青年に、天下の大河ドラマの準主役が務まるのかな~?と危惧していたが、全くの杞憂だった。そういう個性が、激動の時代に真摯に向き合い、苦悩し尽くした果てに病を得て夭折した悲劇の貴公子にまさにドンピシャリはまって、毎回泣かされた。先週の「(江戸)無血開城」が歴史ドラマとしてのクライマックスだったとすれば、今回は人間(青春)ドラマとしてのクライマックスだった。最高、至高。田淵久美子の完全無欠な脚本は、幕末・明治維新の全体像をも立体的に浮かび上がらせて、しかも血の通った人間像を構築して、毎回完膚なきまでに僕ら視聴者を魅了した。西郷隆盛(吉之助)の覚悟というか、「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」(中島みゆき「空と君の間」)的な真情も、かつてないほど描ききったのではないか。これは書いていいかどうか、かなりの躊躇を覚えるが、腹にあることは書いてしまおう。歴史マニアの間では、この時期の西郷隆盛が“鬼”になっていたという説は、かねてから有力である。あのお方も、その人も、この人も、西郷と大久保、さらに後ろ盾の岩倉具視公らが手を回して殺害した可能性が強い。もっと言えば、邪魔者を消した、「削除(デリート)した」のであろう。確乎たる証拠はないが、状況証拠は限りなく真っ黒に近い。手法は、毒殺だったり、襲撃だったり、さまざまである。当時、砒素は防腐剤として簡単に入手可能だった。そうして、歴史の歯車を大きく回転させた。維新回天の偉業である。そういう事情が、十分にほのめかされて、明治維新のきれいごとでは済まなかった過程がはっきりと読み取れる構成になっていた。一時は、天璋院をも滅ぼす覚悟があったという説もある。そして、維新の偉業を成就したのち、西郷どんその人も、それらの罪を一身に背負って、西南戦争終焉の地、熊本・田原坂(たばるざか)の血の涙を経て鹿児島・城山の露と消えた。心理学的に見てみると、大奥の存在こそが倒幕の原動力であり、そこに同じ薩摩出身の姫君・天璋院がいたことが、西郷らをして最後の一線を越えることを踏みとどまらせたといえる。歴史の奇蹟であり、天の配剤であった。いや、これこそが島津斉彬公の深慮に基づく配剤だったか。大奥とは、事実上の(家康を神とする神授の)絶対王権に近い一人の王(将軍)のためのハーレムにほかならない。血筋がいいだけの一人の凡庸な男が、1000人ものいつでも召しだせる女を抱えるという、世界史上でも希に見る、うらやましすぎる奇形的なシステムであった。比肩できるものといえば、おそらく、清朝までの北京・紫禁城と、ご存知イスタンブールのモスクぐらいのものであろう。確かに、近代国家にはありえない、あってはならないものだと感じるのは、僕だけではあるまい。精神分析学でいうリビドー(エロスの力)の典型的な発動である。それが激しいジェラシー(嫉妬)を呼び起こし、殺意・破壊衝動を励起したと考えられる。そういった心理が、はっきりと読み取れる見事な脚本だったと、言葉を操る者の端くれの端くれとして、僕は満腔から讃えたいと思う。
December 8, 2008
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何となくネットサーフィンなどしていたところ、どこからどうたどり着いたのか分からないが、「それゆけスマート Get Smart」の本格的な大作映画化の情報に突き当たった。全米では6月に公開される。日本では秋に公開が決定した模様。邦題「ゲット・スマート」。主演は、現在ハリウッド若手トップのコメディアンと目される、芸達者なスティーブ・カレル。すでにユーチューブ上では、多数の予告編がアップロードされていて、いくつか見るだけでも全体のタッチがかなり分かる。1960年代、僕らが子供の頃夢中になって見た人気テレビシリーズである。日本ではNETテレビ(現・テレビ朝日)で放映され、毎週欠かさず見ていた。アメリカのテレビでは、オリジナル・キャストその他で何度もリメイクされているようである。以下は、そのテレビシリーズの方の思い出話である。僕にとってメチャメチャ懐かしい・・・「Get Smart(それゆけスマート)」旧テレビシリーズ・タイトル某国の秘密諜報部員(エージェント)、マックスウェル・スマートの活躍を描く、抱腹絶倒のスラップスティック(ドタバタ)サスペンス(?)コメディである。主役ドン・アダムスの、ニコリともしないハリウッド伝統の喜劇演技で、クソマジメで一見バカではなさそうなのだが、考えれば考えるほど考えがあらぬ方向に行き、猪突猛進一本槍でもなく考え深そうなのだが、何をやってもやることなすことドジでマヌケな男の人物像が、もうムチャクチャおかしい。しまいにゃ、も~顔見ただけでおかしいという、往年の古今亭志ん生師匠みたいであった。相棒の聡明な美人エージェント・99号(ナインティナイン)の助けもあって、なんだかんだの大混乱のうちに結局最後はすべて上手く行く、というようなストーリーだったと思う。ただ、ドタバタとは言っても、当時の日本の泥臭いドタバタ喜劇とは明らかに違う、おしゃれで洗練されたギャグの数々に、口をポカンと開けて見ていたと思う。・・・いや、日本のもあながちダメとは言わないけれども。「靴底の電話機」映像クレジット・タイトルによると、原案(Created by・・・)にメル・ブルックスが名を連ねており、当時一世を風靡していたショーン・コネリーの“初代”007シリーズをパロディ化したと聞いて、なるほどな~、と思ったしだいである。メル・ブルックスといえば、70年代に至って、笑いすぎて腹の皮がよじれるほどのハチャメチャな喜劇の監督・俳優として大輪の花を咲かせた、その売出し中の仕事だったようである。ところで、そこでついでに、ひょんなことを思い出してしまった。さきほどもちょっと触れたが、バーバラ・フェルドンという女優が演じた、スマートの無二の相棒のおしゃれでエレガントな美人スパイ「99号」こそ、僕の初恋の人だったな~と思い出してしまったのである。一生懸命だがドジでお間抜けなスマートをいつも助けつつ、いつでもどこまでもついてきてくれて、最後はラブラブのハッピーエンディングになり(・・・なりかけると必ず邪魔が入って、またシッチャカメッチャカな展開になるのだが)。・・・あ、これは大人の男の理想の女性像なんだろうなと、子供心に思った記憶がある(・・・と思う)。僕は小学校低学年から中学年ぐらいだったから、今思えば恐れ入ったマセガキだとも思うが、事実だからしょうがないのである^^;中高年のアメリカ人にとっても、おそらく同じような思いがあるのではないだろうか。今回の「99号」も、天下の美人女優アン・ハサウェイである。一生懸命やっていれば、必ず君を見守っていてくれる一人の女性はいる。そんな、ひそかなメッセージが込められている、元気が出るコメディであると、(・・・まだもちろん本編は見ていないが)ほぼ断言していいだろう
March 17, 2008
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子育てに忙殺されて、早いもので丸4年、いや、それ以前の妻の妊娠から数えれば5年弱、(幼児番組やアニメを除き)ほとんどまともにテレビを見られない生活が続いている。・・・というより、最近ではテレビがないのが当たり前という生活習慣がすっかり板に付いてしまって、見たいという気持ちそのものが薄れている。習慣というものは恐ろしいもので、たまにバラエティ番組など見てみても全然面白くない。これはこれで、すがすがしい気分である。ニュースなどの受容は、新聞、ラジオ、インターネット、たまに週刊誌ぐらいで十二分だと思う。むしろ、世間で言われる通り、ネットの方がよほどディープな情報が入手できるというのが、最近の実感である。そういった中でも、NHK大河ドラマだけは何としてでも毎週見てるのだから、我ながらけっこうビョーキだと思う。その大河ドラマ「篤姫」であるが、内容、視聴率ともに絶好調を維持している。先日2日放送分の視聴率は、ついに25%を超えたという。近年の大河としては特筆される数字である。確かに、うなづける話である。事実、見ていて非常にヴィヴィッドで面白いのだ。大筋は史実に沿っているのは当然として、部分的には時代考証的におよそありえない、奇想天外とさえ言える設定で話を盛り上げたりしていて、一部週刊誌で叩かれたりしているが、NHKといえども、やはり勝てば官軍というところじゃないだろうか。その篤姫、男勝りの秀でた才覚と度量を見込まれ、薩摩・島津家の分家から本家の当主で藩主の島津斉彬の養女になり、ついでいよいよ江戸・徳川宗家の当主、すなわち天下の将軍・公方様の御台所(みだいどころ)に祭り上げられるという“とんでもシンデレラストーリー”の、前半の山場に差しかかって来ているところである。宮崎あおいの演技の緩急自在の上手さと可憐さに加え、松坂慶子の「怪演」がお見事。これからますます大奥モノ的な波乱万丈が期待され、ワクワクドキドキ。往年の二枚目・草刈正雄も、いつの間にか性格俳優として上手くなったな~。詳しいストーリーについては、楽天ブロガーのの雪さんのブログの毎週日~月曜日の記事と、そこに付けられた大量の詳細なトラックバックに譲ります。毎週欠かさない熱心な記事に感服してます~。さて、ここまで見ていて思うのは、このストーリー、どうも何かを思い起こさせてやまないな~ということである。皆、口に出しては言わないが、内心同感の方は多いのではないだろうか。・・・おそれながら申し上げると、現在の皇太子妃雅子さまの境遇である。そこに二重写しになる意趣が感じられると思うのは、僕だけではあるまい。NHKというのは、言うまでもないことだが、バカの集まりではない(当たり前だ)。それどころか、公共放送として受信料を払っている視聴者、「国民の皆様」にどう受け止められるか、日頃からこれほど神経をすり減らしている小心翼翼たる組織も、ほかにそうそうないのではあるまいか。大河ドラマにも毎年、きっちりとした企画意図があり、世相や折々の思潮にからめた問題意識・意義が必ず盛り込まれており、マスメディアやネットを通じて発表されている。そこに、国民各層の重大関心事である皇室の問題が密かに滑り込まされていても、なんら不思議ではないどころか、さすがNHK、鋭い炯眼であるとすら言えると思う。・・・ではあるが、お察しの通り、あまりにも差し障りのある話題なので、僕の意見などがもしあるとしても、とても軽々に言えないのみならず、これ以上のいかなる発言も控えたいので、この辺で筆を擱くことといたします
March 8, 2008
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寄る辺なき二羽のインコを肩に乗せ水島上等兵は佇たちにきにつぽんにともに帰らう水島と戦友ともら叫おらべりビルマの大地 (拙作) © Nohara Sakamoto 2008 All rights reserved.とうとう来るべき時が来てしまった。日本映画を牽引してきた巨匠だった市川崑監督が、昨13日死去された。享年92歳の大往生だった。この場をかりてご冥福をお祈り申し上げます。大ファンだった。主要な作品はかなり見ているし、1973年の「股旅」(萩原健一主演、谷川俊太郎脚本)以降は、リアルタイムでほとんど全部見ていると思う。誰からも尊敬される不世出の天才監督だった。しろうと目にも明らかな失敗作・凡作もあったが、いわゆる失敗作であってさえ、どの作品にも鮮烈でスタイリッシュ、グラフィック、モダーンでフォトジェニックな映像美と実験精神が脈打っていた。自然なユーモアがにじみ出て軽妙洒脱でありながら、時に重厚深刻でもあり、変幻自在。映画の底知れない面白さと美しさに酔わせてくれた。ここ一番に強かった。ここぞという時は、けっしてハズさなかった。「東京オリンピック」(1965)という空前絶後の大舞台で、見事映像的実験と前衛感覚の「市川節」満載で、自分のスタイルを貫いて見せた。この作品の観客動員数1800万人(!!!)は、日本映画史上断トツトップの不滅の記録で、未だに破られていないし、今後も破られることはないだろう。「ビルマの竪琴」(1956/1985自らリメイク)、「細雪」(1983、谷崎潤一郎原作)は、それぞれ思い出しただけでウルウルしてくる。「炎上」(1958、三島由紀夫原作「金閣寺」)では、貴公子のような大スターだった市川雷蔵に、驚くほどいじけた内向的な現代青年を演じさせ、その「内なる辺境」の寂寥が「絶対的な美への嫉妬」の爆発となるまでを緻密に描き、雷蔵の代表作とした。折りしも、ソウルでは韓国国宝第1号の南大門が放火され炎上するという事件が起こった。引き続き雷蔵との市川コンビで望んだ「ぼんち」(山崎豊子原作)も関西「母系制社会」の中に置かれた男の悲喜劇を“重厚洒脱”に描いて見せた。「犬神家の一族」(1976)に始まる金田一耕助シリーズは、もはや晩年といっていい巨匠が、満を持してそのテクニックを思う存分発揮した連作で、毎回本当に楽しかった。やりたいことはすべてやった幸福な一生だったと言えるのではないだろうか。その反面、一貫した(政治的ないし思想・哲学的などの)テーマやメッセージ性は希薄だった。あっても、それは「映像言語」として伝えられ、明瞭ではなかった。いわば、テーマがないのがテーマであり、それは本人の意識的なポリシーだったと伝えられる。そういう意味でも大人だったといえる。あえていうなら、プチ・ブルジョワジー(小市民)的なコモンセンスを基軸にした、ごく穏健な立場だったと思われる。市川監督の斬新な感性がもたらした影響は、映画・映像に留まらず、きわめて広範囲に及んでいると思う。岩井俊二監督、ピチカート・ファイヴの小西康陽のみならず、崇拝者は数多い。僕も一ファンとしてその末席を汚す一人だ。私生活のライフスタイルでもダンディ居士であり、舶来物を偏愛するモダニストだった。いつも飄々としていて、周囲には笑顔が絶えなかったという。本当に、最後までカッコいい人だった。脚本家・故和田夏十(なっと)夫人と
February 14, 2008
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NHK大河ドラマは子供の頃から大好きなのだが、今のところ僕と妻は、幼稚園前の娘たちの子育てに日夜忙殺されており、DVDデッキも幼児向け番組に鉄壁占拠されているため、土曜日昼の再放送を録画して見るという、「ほぼ一週間のご無沙汰」な視聴習慣なのである・・・ま、それはともかくとして、今年の大河「篤姫」は、なかなかいい直弼なすべり出しである。まだ2回目までなので、まとまった感想と言えるほどのものはないが、脚本も演出も俳優も快調と見受けられる。幕末・維新物は、陰々滅々とした権謀術数と凄惨なテロリズムの嵐が渦巻き(早くも「毒殺」を疑われる事件が連発している)、比較的現代に近いこともあってリアルで生々しすぎ、一般的には人気がないといわれるが、今回はホームドラマ風ほのぼのコメディタッチで、視聴率も、初回、2回目と20%超えを確保。今のところさして大きな事件も起こらず、登場人物紹介を兼ねて、桜島を見遥かす薩摩の大自然の中で、喜怒哀楽全開ですくすくと育つ「鹿児島の少女ハイジ」系のお約束な展開ではある。・・・が、脇を固める重厚な演技陣の存在感にも引けを取らない、大河史上最年少主役となった宮崎あおい(22)の軽妙、悲愴とりまぜた緩急自在な芝居の上手さに、改めてびっくり納得なのであった。なにやら、すでにして大女優。野育ちのわがまま勝手なワイルド・チャイルドかと思いきや、武家の娘の矜持はしっかりと持ち、勝気で好奇心旺盛なお転婆娘でありつつ、すっくと背筋を伸ばした立居振舞いに、自らの天命に殉ずる予感と覚悟を色濃くにじませたお姫様の居ずまい、佇まい。ドンピシャリのキャスティングであり、見ていてそこはかとなく胸キュンな今日この頃である・・・けっこう、おぢさんキラーどすついでに言えば、西郷吉之助(隆盛)役の小澤征悦が、「義経」の木曽義仲役以来の大河出演で、早くも貫禄十分。今後の展開が楽しみである。
January 20, 2008
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NHK―BS2(衛星第2)で、今日10日(月)から13日(木)まで、名優・三船敏郎の主演映画特集がオンエアされる。(詳しい放送スケジュールと解説は、NHKのホームページをご覧下さい。)若い世代の方にはマニアックな話題と思われてしまうかも知れないが、僕の世代以上の日本映画・時代劇ファンには、こたえられない好企画であり、狂喜乱舞の態である。“世界のミフネ”といえば、言わずと知れた“世界のクロサワ”であるが、今回は黒澤明監督作品は放映されない。しかし、ほかの監督の作品でも、三船のスケールの大きさは十分に発揮され、日本映画にとって彼がいかに巨大な存在であったかが再認識される。今年のNHK大河ドラマと同一の、井上靖原作に基づく大作映画「風林火山」(稲垣浩監督、1969)は、山本勘助に三船敏郎、武田信玄に中村(萬屋)錦之助、上杉謙信に石原裕次郎、由布姫(諏訪御料人)に佐久間良子と、当時の大スター揃い踏みで川中島の決戦に至る日々を描く、大型スペクタクル歴史ロマン。名バイプレイヤー(助演者)だった土屋嘉男が、実際のご先祖様であり、金丸信元副総理と共通の祖先でもあるという土屋昌次を演じている。武田勝頼には、現・中村勘三郎。当時、小学生だった僕は、リアルタイムで見た記憶があるが、正直、よくは覚えていない・・・が、確か、面白かったと思う。「日本の一番長い日」(岡本喜八監督、1967)も長大な力作である。この作品については、このブログの今年8月15日前後をはじめとして、折々触れてきたが、一国が滅ぶとはどういうことかを絵で見せてくれた。昭和天皇(先代松本幸四郎)は、白いハンカチーフでおん自ら涙を拭いたもうた。重臣(三船敏郎)は、(死の)供をするという側近(高橋悦史)に渾身のビンタを食らわせ、「生き残る方が大変だが、君は生きるんだ。」と諭して、従容として切腹し果てた。意気盛んな青年将校(黒沢年男)は右往左往した挙句、NHKアナウンサー(加山雄三)に銃口を向けた。こうして大日本帝国は滅んだ。さて、この中で僕なりのイチオシ作品は、「上意討ち 拝領妻始末」(1967)である。いわゆる芸術作品ではないから、映画史的にはやや軽視されているが、映画通の間での評判は上々であることが、ネット上でも分かる。当時も今も、日本で最も権威のある映画賞である「キネマ旬報ベストテン」の67年度1位に輝いている。先日12月6日付の読売新聞・別刷りテレビ面「Y&Y」の映画評でも、5点満点の4.5点が付いているのが嬉しい。ずいぶん前に一度見て感服し、割と最近もう一度見て、やっぱり凄い作品だったと再確認した。この記事を読んだ人は、だまされたと思ってぜひ見てほしい。自信を持ってお奨めする。ただ、前半部分はやや退屈かも知れないが、名作と言うものは小説でも演劇でも映画でも、退屈な部分を含むからこそ、クライマックスが際立つのだ、という格言めいた言葉もある。この作品のストーリーはこちら。ただし、このリンク先サイトには、結末などの核心部分(いわゆるネタバレ情報)が書かれていますのでご注意下さい。ストーリーは、そう難しく入り組んだものではない。「人間の條件」、「切腹」、「化石」、「東京裁判」などを残した巨匠・小林正樹監督の演出は、むしろ単純だが残酷なシチュエーションの中で、一人の男がどう苦悩し、行動したかを、重厚な人間ドラマとして描ききることに最大のエネルギーを傾注している。長い、暗い、人生、重厚、白黒、真面目、深刻、様式美、そして凄惨なクライマックス。何拍子も、揃いも揃った諸条件が、これこそが日本映画だということを示している。むろん、僕も現代日本の同時代の(コンテンポラリーな)時を生きている人間である。すっかり豊かに成り果てた現代日本都市文明の、爛熟したアンニュイな文化も大好きである。だが、そのほんのちょこっと以前には、こういう息苦しい重苦しい空気が、この国を支配していたことも、はっきりと記憶している。僕らの世代(40代終盤)は、その双方を知る、恵まれた世代なのかも知れない。・・・間もなく訪れる確実な死、滅びの刻(とき)、メメント・モリを前に、悠揚迫らず、倅(せがれ)加藤剛に、「まあ、お前も一杯やれ」とかなんとか、この世の名残の酒を旨そうに飲む三船敏郎の貫禄。痺れた。その酒の味は、絶品だろうな。脚本は橋本忍、音楽は世界のタケミツこと武満徹。スタッフも含めて、改めて当時の日本映画の持っていた凄みが思い出される。息詰まる、長い長い緊張感のトンネルを抜けると、ギリシャ悲劇のような見事なカタルシスをもたらすクライマックスの大立ち回りが待っている。主人公を演じる大俳優・三船敏郎と一緒に2時間、我々は理不尽な運命を耐え、耐えに耐え、そしてついに耐え切れなくなって、最後に爆発する。筋道の通らぬことへの怒りによって、ついに反抗の道を選択する主人公。滅びの道をひた走る男の姿を描いて、日本映画の独壇場である。「ブチ切れる」などという言葉を、安易に使ってはいけないのだと、逆に思い知らされる。父の決意に、唯々諾々として従う孝行息子に、若き日の加藤剛。哀しい運命に弄ばれる薄倖の美人“拝領妻”の司葉子が可憐である。そして、酷薄な命を下す殿様に、松村達雄。この人は、寅さんの「おいちゃん」役に見られるように、穏やかで朗らかな好々爺の役も似合うが、一面、どこか屈折してひねくれたインテリ役で凄みを発揮することもあったと思う。黒澤明の遺作「まあだだよ」の内田百間役は典型で、好々爺の風格の中に、どこかに持っている狂気みたいなものを滲ませて、絶品だったと思う。「まあだだよ」は妻と一緒に見たが、所ジョージの熱演もあいまって、黒澤作品を日頃あまり解しない彼女も、泣いて感激していた。それにしても、これは、実話・・・とまでは言わずとも、これに似たようなことが実際にあったんだろうか? やはり気になる。分からないが、たぶんあったんだろうな、封建時代には。くわばらくわばら。・・・と、ここまで書いた。これは実は、僕の意図としては、ある記事のマクラというか、壮大な前フリに過ぎないのだ。その本題とは、・・・安倍晋三前首相の唐突すぎる引退の、見るも無残なテンマツである。もう疲れたので、くどくど書かなくても、僕の言いたいことを大体察してもらえると思うが、ひとかどの男の出処進退の決断ってのはホントに一大事であり、いかなることをさて置いても最優先課題であり、“タイミングいのち”だと思う。映画「上意討ち 拝領妻始末」や「日本のいちばん長い日」の結末は、凄惨で無残ですらあるが、無念ではない。むしろ、主人公にとって望むところであったろう。国民の、理不尽な投票行動の審判によって死を宣告された安倍氏は、その時点で間、髪を入れず抗議の切腹をすべきだった。「アベする」と言う言葉が「流行している」などと、朝日新聞に「アサヒられる(捏造記事を書かれる)」前に潔く辞任しておけば、安倍氏は政界に影響力を残すことすら可能だった。ちょっと引き際のタイミングを間違えただけで、こういうおマヌケなことになる。これは珍論だろうか? 僕は必ずしもそうは思わない。くわばらくわばら。
December 10, 2007
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テレビ朝日開局50周年ドラマスペシャル・松本清張原作・ビートたけし主演「点と線」が、一昨夜、昨夜の2日間に亘ってオンエアされた。良かった(・・・らしい)!!ビートたけしの鬼気迫る演技、脇を固める重厚な演技陣、そして、初めて狡猾・老獪・非情な計画殺人犯役に挑んだ柳葉敏郎。その犯人の、世を儚む病弱な妻を演じた夏川結衣は大好きな女優だが、クライマックスシーンの入魂の演技が絶賛されているようである。犯人役を、主演級の大物俳優が快く受諾するあたりは、さすがに巨匠・松本清張の原作というべきであろう。むろん、自他共に認める松本の代表作であり、発表当時の日本人を驚愕させた傑作である。 松本清張 点と線清張ミステリーの映画化で、不朽の名作と言われる「砂の器」なんかも、殺人事件の被害者が緒方拳、犯人が大岡越前の加藤剛だもんね。これを追う刑事に、丹波哲郎と森田健作という豪華キャスト。監督の野村芳太郎氏は今年お亡くなりになったんだっけ?この犯人役は、テレビドラマでも、田村正和と中居正広がそれぞれ演じている。――福岡・香椎(かしい)の街はずれの、玄界灘に面した暗く寂しい海岸で発見された、若い男女の一見ありふれた情死と思われる二つの死体。余談だが、僕は日本語の固有名詞では「香椎」という言葉が一番好きだ。もし僕が小説を書くとしたら(書かないけど)、主人公には「香椎なにがし」と名付けたいとかねがね思っている。その、“ゼロの原点”である。「点と線」は、それだけでも感涙モノの巨大オープンセットを投入し、最新のコンピューターグラフィックス技術を駆使して、僕の生まれた頃でもある昭和30年代前半を完璧に再現。・・・そして、涙なくしては見られない、日本推理小説史上に燦然と輝く、黄昏の東京駅13番線プラットホームの「空白の4分間」の映像化!!!テレビ朝日はよくやってくれたと思う。今年は「アサヒる」ということばが大ブレークして「現代用語の基礎知識」に収録されるなど、朝日系メディアはケチョンケチョンだったが、これで帳消しと言えるかも知れない!?!・・・いかん、また朝日の悪口を書いてしまった。朝日のファン層も分厚い。物言えば唇寒き秋の風(芭蕉)である^^;・・・確かに、僕が生まれて始めて見た日本は、こんな感じだった。人の心も、とりわけ戦争という惨禍を引きずっていた男たちの荒ぶる激しさも、確かにこんな感じだった。町内にすら、あの凄惨な死の島・ガダルカナル(餓島)帰りのおじさんがいて、眼光鋭く、恐ろしかった。・・・その孫とは、飲み友達だけど祖母と母が、推理小説、とりわけ松本清張のファンだったので、その作品を収めたカッパブックス(光文社)は、リアルタイムでずらりと揃っていた。小5か6ぐらいで、「点と線」、「ゼロの焦点」、「Dの複合」、「黒い画集」、「黄色い風土」、「眼の壁」、「影の車」など主だった作品は全て読破していた恐るべきマセガキだったが、ゾクゾクするような面白さと同時に、“大人の世界”の悲しさ、はかなさと恐ろしさ、醜さに身の竦む思いがしたことをはっきりと記憶している。それは、男の子が成長する過程の、必須の人生教養課程だったと思う。ありがとう、松本清張。また、清張ミステリーは、鮮烈なイメージ喚起力が特徴で、「点と線」の東京駅の奇跡の4分間はもちろん、「ゼロの焦点」で、新妻が見つけた本に栞(しおり)として挟んであった北陸の寒村の謎のあばら家の一葉の写真とか、「砂の器」の「カメダ」という地名など、読んでいて本当に怖くてゾクゾクする。それでいて、やめられない止まらない。昔はよく夜中にトイレに行けなくなって往生したものだ。僕の書く文体に古めかしい堅さがあるとすれば、それはまぎれもなく子供の頃の松本清張の読みすぎによるものである・・・それにしても、早く録画を見たいな~。実はまだ、通しでは見てないのだ!!幼稚園前の可愛い娘たち三人の世話に追われて、本編はほんのちょこっとしか見られなかった。子供たちがせがむので、「プリキュア5」や「ケロロ軍曹」などの録画を見ていた・・・ま、これはこれで面白かったけど「点と線」で検索して、いろんなブログを覗いてみると、もう絶賛の嵐だね。ただ、飛行機を使ったもう一つのアリバイトリックは、現在の眼で見るとさすがに古めかしい時代背景を感じてしまうし、ブーイングもあるようだが、僕の世代には当時のリアル感覚として十分成立している。庶民が飛行機に乗るなんてことは、およそあり得なかったし、思いつきもしなかった時代である。タクシー(当時は、主にハイヤーと言った)に乗ることすら贅沢だったのだから。一般読者がまず思いつかない以上、トリックは成立していた。むろん、地上波デジタルからハードディスクに録画は取ったので、空きDVDにダウンロードして、明日あたりから細切れで見ることになるだろう。最近の大容量DVDデッキって、ほとんどパソコンだね。しくみも、操作性もね。
November 26, 2007
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中学・高校の同級生で畏友の片島一貴という男が、映画監督・プロデューサーとして活躍していますので、最新作をご紹介しておきます。なお、彼の父上(地元で建設会社を経営)は、僕の仲人であり、囲碁の師匠でもあるという、浅からぬ因縁があります。彼は、秀才ながら家業を継がずわが道を行きましたので、一時事実上の勘当(今どき珍しい!!)の憂き目に合い大変苦労しましたが、現在では映画・テレビのアクション物などの監督・プロデュースで一家を成しており、父親も認めて和解しております。先日若くしてお亡くなりになった絶世の美女・山口小夜子さんが出演した「ピストルオペラ」(鈴木清順監督)のプロデュースも彼がやりました。監督としては、アヴァンギャルドな持ち味で、自作ではかなりワケの分からない作品を作っております・・・僕の短歌もワケ分からないので、人のこと言えないか片島一貴プロデュース(製作指揮)映画 スピードマスター 監督:須賀大観 中村俊介 内田朝陽 北乃きい 大友康平 全国ロードショー(順次公開興行形態)絶賛公開中! 上映館など、詳しくは click here.[ENTER]、[THEATER]などをクリックしてお入りください。・・・ただ、この作品に関しては、正直言ってネット上での評判はそれほど良くもないようですので、無理にはお薦めしません。 映画監督・プロデューサー片島一貴(いっき)フィルモグラフィー
September 2, 2007
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一つ前のエントリーに付けていただいた www.teleplay.infoさん のトラックバックによると、ドラマ「菊次郎とさき」の第3シリーズが、テレビ朝日系全国ネットで7月5日(木)午後9時より放送開始されるという。全然知りませんでした。トラバまことにありがとうございます。この知らせ、はっきり言って、私はヒジョ~にうれしい! ビートたけし 菊次郎とさき たけしくん、ハイ!原作になっているこれらの小説も、ビートたけしの計り知れない才能を示す好著である。僕の周辺で、このことを一番喜ぶのは、誰あろう、我が妻であろう。これまでも、赤ちゃんだった我が子らの子育て中にもかかわらず、このドラマだけは欠かさず見ていた。前回・前々回シリーズを見ている時は、演技派女優・室井滋が見事なハマリ役で演じるビートたけし(北野武)の元気な母・さきに、妻は感情移入し、放送されていた数ヶ月間は完全に彼女になりきっていた。わが家における、妻の僕に対する呼称が「とうちゃん」に固まったのは、全くこの番組のおかげである北野菊次郎の陣内孝則も、上手いとは言えないが、これ以上ありえないぐらいのハマリ役で熱演。青年期のたけしに扮するのは、シャープな切れ味の若手人気二枚目俳優・塚本高史で、当然ながらイケメンすぎるのだが、これが意外にも、売り出し中だった若い頃のたけしのギラギラした凄味をよく出していて、好演。――ビートたけしという男が、現代日本文化(そして今や世界)に与えた影響の大きさは、改めて僕があれこれ言うまでもなかろう。まあ相当表現に癖があるから、人によって好き嫌いはあるだろうが、まさに天才、巨匠の名にふさわしい。さすがに最近は寄る年波には勝てず、パフォーマーとしての盛りは過ぎたと言わざるを得ないだろうが、まだまだこれからもひと花、ふた花、何かやりそうな雰囲気は濃厚に持っている。巨人である。また、男の中の男である。最後のマッチョと言うべきかも知れない。こういう不世出の人物を生み出した時代と家族のドラマが面白くないはずがない。――昭和30年代、ドブ川の臭いが立ち込める東京の最果て(?)足立区の場末の貧乏なペンキ塗り職人の家には、破天荒なまでに元気で明るくて口が悪くて、そのくせ「婦人公論」を毎月購読しているような上昇志向のかたまりの母親と、酒を飲むとちゃぶ台をひっくり返して暴れるが、酒さえ入らなければおとなしくて気が弱い無口な父がいた。その子供たち、三男一女のうち長男、長女、次男は、いずれも母の薫陶を受けて優等生の秀才で、長男・重一は後に東大卒のエンジニア、次男・大(まさる)も後に大学教授になるような大秀才だった。だが、酒乱の父・菊次郎が、こいつだけはと可愛がった三男坊・武は、下町の野球好きのガキ大将としてすくすく育っていったが、思春期に入ると母への反発や兄たちへのコンプレックスから次第にグレ始め、浅草の芸人を夢見るようになっていた。その頃――。テレビ朝日 木曜ドラマ「菊次郎とさき」公式HP昭和30年代。僕はたけしよりもかなり年は下なので、まだほんの幼児だったが、ギリギリその時代は知っている。その延長の40年代半ばぐらいまでを含めて言えば、それはたまらなく懐かしい、夢のような別世界だった。ほとんどの家庭が、今思えば信じられないぐらい貧しかった。戦争に負けて、一度国が滅んだという虚脱感・無力感と、誰もが努力すれば豊かになれるという、希望に満ちた行け行けドンドンの空気が同居していた。誰もが善意と、素朴な人情を持っていた。気違いのお兄さんがそこらへんの街角でニタニタ笑って突っ立っていても誰も咎めなかったし、彼が変な事件を起こすこともなかった。世間全体が、お天道様に照らされて明るかった。そんな時代のエッセンスを、ギュ~っと詰め込んだ、必見のドラマである。
June 22, 2007
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おかげさまで本業の年末商戦はまずまず好調で、けっこう忙しいので、思いついたことをテキト~に書きます。ヨロピクね。さて、相変わらずくまんパパが知ったかぶりの変なことを書いてるよと、お笑いくださいまし。主道楽の和歌短歌の方は、ぽつりぽつりとは詠んでますが、完全Dr.スランプです。そのうち新境地をと、胸に秘めたいとは思ってますが、ご期待なさらずお待ち下さい。豊臣方・淀君が数年間も言を左右にして逃げ回り、やっと実現した京・二条城における家康と秀頼の会見。冷徹で忍耐力はありながらも、内実は執念深く短気であったともいわれる家康にしてみれば、「力関係も分からず、もったいぶりやがって」と、はらわたが煮えくり返っていただろう。そして気取った作法での献杯の儀。・・・“この瞬間、家康は秀頼の若さに嫉妬した”と、三宅民夫アナウンサーの音吐朗々たるナレーション。見事な心理描写だ。脚色の大石恵氏の創作か?いや、たぶん、読んでないが司馬遼太郎の原作にあるのであろう。さすが、“最後の国民作家”の書くことは違うね。鋭すぎ。かたや家康の若いころなんて、忍従・屈辱の運命に翻弄され、笑い者にされ嘲弄され、信長に臣従してやっと道が開けたと思いきや、実家・今川家の残党に通じているとの容疑で、正室・築山殿と長男・信康への信長の排除(殺人)命令に唯々諾々と従わざるを得ないという悲惨・苦渋・臥薪嘗胆の青年時代。さらに尾張の山猿・秀吉に鼻毛を読まれ、絶対に長生きしていつかこの意趣返しをと、それだけを楽しみに道楽の薬草(サプリメント)三昧。心から笑ったことはなかったろう。それに引き換え、こなた目の前に座ったこの若造の、苦労を知らぬ白面のボンボンぶり。それだけならまだしも、世間知らずの母親ともども、昔の虎の威を笠に着て、なおもこちらを家来扱いしかねない時代錯誤(アナクロニズム)ぶり。・・・この時、殺意が芽生えたのか。なるほど、あり得る。今でもそうだと大新聞にもよく書かれているが、政治というのは男のジェラシーで動いている。男のジェラシー、それは陰に籠っておそろしくもおぞましい。この場面の、一見静かだが激しくも老獪な敵意を秘めた西田敏行のドアップの映像ほどこわいものも、そうそうないであろう。ホラー映画も裸足で逃げ出す演技であった。むろん、若さへのジェラシーだけで豊臣家を滅ぼした、というのは極論に過ぎるけれども、現在のあらゆる深層心理学者が指摘する通り、人間が自分で意識し得ないマグマのようなエネルギーの下意識(無意識)に突き動かされていること、大政治家の場合など時に重大な誤謬を犯すことがあるというのは、現代人の常識であろう。その根底にエロス(=リビドー、性的衝動)があるというのは、現代心理学の常識である。こうしたメカニズムは、仏教などでは、聖徳太子も深く関与した法相宗の「唯識論」で、千年も前にほぼ同様のことが論ぜられていて、現在各方面で見直されている。特に短歌・俳句の世界で、「アニミズム」の課題と並んで見直されており、21世紀の知の尖鋭的な問題という人も多い。エロス、すなわち無難な言葉で言えば“若さ”である。逆にいうと、これは若さへの嫉妬に容易に転化する。正直に言おう。多少、身に覚えもある。現在40代後半の筆者は、まだまだ老け込んでいないつもりだが、“人生の残り時間”ということが頭の片隅にはちらつき始めている。ふと20代前半ぐらいの若い男女が、人前で幸せそうにイチャイチャしているのを見たりすると、苦笑程度で素直に祝福できる気分のことも多いが、虫の居所が悪いときなど、この野郎、人前でネチョネチョしやがってと、殺意まではともかく、かなりの反感と嫉妬のような感情を持つことがないとはいえない。修行が足りないと言われればその通りだが、これ、若さへの嫉妬といってもいいだろう。まして、70を閲した戦国武将の家康。己の衰えとやがてくる死の予感の中で、メラメラと燃え上がるものが心の奥底に宿っても、全然不思議じゃなかった。破壊衝動は、性的衝動と脳内の管轄部位が隣同士で、きわめて近いものだといわれる。最終回で、ゾクッとしたのは、またしても家康という人物の、端倪すべからざる恐ろしさであった。ところで、20万石の歴とした大名の危篤・臨終となれば、一族郎党・重臣・侍医・侍女などがうち揃い、代わる代わる四六時中付きっ切りで看病したはずであり、千代がたった一人で最期を看取るなんてことは、時代考証的にありえないが、そういう野暮なことを言うのはよそう。こうした周辺の捨象によって、まれに見る美しい別れのシーンになった。亡くなったのかどうなのか一瞬よく分からないところが、いかにも日本映画・ドラマの伝統の“あいまい描写”でよかった。なお、出雲・松江藩の堀尾家が取り潰されたのは、だいぶ後の三代将軍・家光の時だから、時代が合わないのではないかと思ったが、久しぶりに茂助も顔を見せたし、これで最後だし、ま、いいか。松江藩はこのあと、江戸時代最大の趣味人・文人墨客として知られる松平治郷不昧公を生んだことで知られる。ちなみに、千代が剃髪して名乗った「見性院(けんしょういん)」の「見性」については、内藤湖南さんのブログ、アヴァンギャルド精神世界に詳しいが、すごすぎて、今イチよく分からない。
December 12, 2006
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ついに完結。すばらしかった。最終回は、やはり感無量の予定調和的な気分で、波乱万丈の生涯の回想録・ミニ総集編といった趣きの予想通りの展開で、結構でした。大河ドラマファンとして、これまでずいぶん長い間いろいろな作品を見てきたが、この一年間を振り返ってみて、これほど感情移入できて充実感のある大河もそうそうなかったと断言していいだろう。しかもあんまりカネはかかっておらず、徹頭徹尾、数年前の「葵 徳川三代」のいくさのシーンの使いまわしが有効利用されていた。これで高視聴率とは、NHKはほくほくエビス顔。また、日曜夜の一家団欒の場に“夫婦愛(家族愛)”というテーマがふさわしいことも、改めて確認された。今年がよかっただけに、来年はかなりつまんなそうだと、もっぱらの評判である。特段に言うこともないが、臨終間際に水を口移しにする一種のラヴシーンは、清冽で厳粛で思わず襟を正すほど。見事だったね。僕ももう若くはないので身内親戚の死にずいぶんと接してきたが、そういう悲しみの場面の記憶がどっと押し寄せてきて、目頭が熱くなるのを禁じえなかった。イガッタイガッタ。
December 11, 2006
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いよいよ今宵、大団円(フィナーレ)を迎える。一年間、本当に楽しかった。高い受信料払ってる価値は十分にあった。山内一豊は1605年(慶長10年)に逝去しているので、1614-15年の大阪夏の陣・冬の陣は、その目で見ていないわけだ。予告編でそれらしいシーンがちょっと映ったのは、夫の死後剃髪した千代が見ることになる運びなのか。いずれにしても、波乱万丈、つらいことも多かったが、たわわな実りの中で迎えた最晩年。天下もおおむね治まり、立派な高知城(河中山城)も出来て、弟・康豊を後見に後継者・忠義も定まり、夫婦も仲直りし、まず思い残すことはなかったろう。すばらしい人生だね~。本当に万人の憧れ、夫婦(めおと)の鑑であったよ。これほどの歴史的人物でも、その人生を要約すれば、1年(というか、実質オンエア時間40時間ぐらい)でおおよそ十分なアウトラインは描けてしまう。まして我々凡人においてをや。人生とは、かくも儚(はかな)い。・・・みんな、一生懸命生きようね。俺はいったい、何を書いてるんだ???しかしながら however、だから、小説やドラマは、表現として今一つなのだ。・・・と詩歌陣営の者が言うのも、なるほど肯ける。「人生を要約してしまうことに逆らって」(谷川俊太郎「世間シラズ」)。やっぱり、人生の煎じ詰まった本当のところ、魂の叫びみたいなものは、詩とか短歌とかロックとかじゃないと表現できないのだ、・・・と、そういう表現者たちは主張する。大きな声では言わないが、正直、僕も賛成である。それはさておき、最終回-1の前回面白かったのは、やっぱり、というべきか、徳川家康がらみのシーンだった。黒田官兵衛孝高(よしたか)如水と家康の、狐と狸の化かし合い。どっちが善でどっちが悪だなんてとても言えない。勝ったものが正しいという、ある意味いつの時代にも通底している残酷な真実が、ひときわ鮮烈に際立っていた時代を必死で駆け抜けた智将策士の晩年。家康を演じる西田敏行は、回を重ねるごとにメイクも芝居もジジむさくなり、威圧的で粘着性の執念深いしつっこい性格をユーモア味も含めてプンプンと臭うがごとく演じ、なるほどこの人物を敵に回したら俺の明日はないな、と思わせるド迫力に満ちている。それにしても、“如水”とは、なんとまあセンスのいい法号であろうか。インテリジェンスが滲み出ている。これは仏教というよりも、道教の老荘思想の方であろう。「老子」に、そのものズバリ「上善如水(じょうぜんじょすい・じょうぜんはみずのごとし)」という名句がある。また、老子の思想的影響下にある兵法書の古典中の古典「孫子」にも、「その疾きこと風の如く(其疾如風)」で始まる有名な「風林火山」の条(軍争篇3)のすぐ前に、「それ兵の形は水に象(かたど)る」などの語句を持つ「虚実篇」がある。この前後では、まさにその虚々実々の軍事哲学の中で、無形の「水」のイメージが兵法の至上のものとして展開されている。 孫 子兵法者であった黒田如水にとって、「孫子」は聖書のようなものであり、暗記するぐらい読み込んでいただろう。人間としても、「水の如く」あることがひとつのイデア(理念)であったか。こういった雅号を持つかたわら、この人物は、また早くからキリシタンでもあり、クリスチャン・ネーム(ラテン語)はシメオン(英語:サイモン)。しかも和歌にも秀でており、秀吉の和歌の指南もしたようだ。ニャンとも多彩、かつ不定形な、捉えどころのない人物であり、謎めいており、しかも現世においても成功しており、実に魅力的な人物だ。あの、人の10倍は頭が回った秀吉の顧問格・ブレインとして智慧を絞り、また武将としても東奔西走し名を馳せ、おのれに勝るとも劣らぬ豪腕のせがれ・長政にもめぐまれ、関ヶ原のどさくさには上手く立ち回り、なんだかんだの末に、筑前(福岡)52万石の大国に封ぜられた。・・・アッパレ策略家。そういえば、長政が子供の頃(幼名・松寿丸)、山内家の庭で遊んでいるシーンとかが、なにげにあったね。その様子を千代が手紙にしたためて戦場(いくさば)に送り、父・官兵衛(如水)を感激させたりして。今回も、跡取りの嫁探しを家康に依頼しつつ、言外に忠節を示してゴマすり行進曲。全く、如水ない、いや如才ない奥様だね、千代は。ウチの女房も、この100分の1でも気が回ったら、・・・。家康じゃないが、うらやましい。
December 10, 2006
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巨匠も老いたとか、二番煎じだとか、柳の下だとか、“昔の名前で出ています”だとか言うなかれ。犬神家の一族が帰ってきた。石坂浩二の金田一耕助、松嶋奈々子の野々宮珠世と聞いただけで一見の価値がある。特に松嶋は、女優として“珠世適齢期”だ。今をおいてほかにないと、市川監督が白羽の矢を立てたのだろう。若い人は知らないかも知れないが、同じ市川崑監督、石坂浩二主演で30年前の1976年に映画化され、爆発的な大ヒットを記録した作品のリメイクである。その時、僕もまだ10代だった。・・・いや~大昔だな~。当時、テレビに押されて沈滞のどん底にあった日本映画界は、この作品の大成功で息を吹き返したといっても、決して過言ではない。そういう映画史的な意義もあった大ヒットであった。原作者・横溝正史は、当時ほとんど忘れ去られた存在だったが、映画と大々的にタイアップした角川文庫版の原作本やその他の作品も大ヒットし、レトロ(懐古)趣味の感覚とともに、大ブームとなった。この作品の大胆で流麗な構成、雰囲気の醸成、カメラワーク、斬新な編集(カットバック)、コメディリリーフ部分の闊達なユーモアなどは、その後の日本映画の規範となったとさえ言われる。事実、ちょうど先ほどNHK「スタジオパークからこんにちは」でやっていたが、大河ドラマ「功名が辻」で、重臣・後藤吉兵衛(武田鉄矢)が山内一豊(上川隆也)の頬に刺さった矢を抜く悲痛なシーンなどは、完全に市川演出のカット割りなどの呼吸のパクリで、痛いユーモアに転化していた。市川氏の大きな影響は、こういうところまで及んでいる。詳しい情報は、ウェブ上でいくらでも検索できるのでそちらに譲るが、文句なしに楽しみな、ビッグなクリスマス・プレゼントである。おまけに御大・市川監督、ニャンと91歳。まことにお元気ながら、そう言っては失礼だが、これが遺作になってもおかしくないおん年。黒澤明、溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男など、日本映画の巨星たちの影で、市川氏はやや過小評価されてきた憾みがあったが、日本映画界随一のモダニズムとダンディズム、そして華麗でシャープな映像感覚をもって鳴る巨匠の最晩年の円熟、あるいは枯淡の境地かも知れないが、ぜひ見てみたい。
December 8, 2006
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なんかホントにまとまりのない文章ですが、せっかく書いたので一応載せます。お笑いくださいませ。――もう思い出したくもない、という人も少なくないのではないかと拝察いたしまする。29日オンエアのNHK大河ドラマ「功名が辻」第47回を僕は見ていないのだが、のの雪さんたちのブログのおかげで、筋書きはほぼ完璧に分かった。普通、大河ドラマというと、途中でいろいろあっても、最後はおおむねハッピーエンド系で、主人公は功成り名遂げ周囲にも幸せを分け与え、幸福な生涯をまっとうしました、というのが通り相場だと思っていたが、最終回も間近い今、これはまた大河の常識にイチジルシク反する悲劇的な事態である。・・・なして、こんだらことになっちまっただに?言うまでもないが、僕は山内一豊に何ら恩義はなく、弁護する筋合いもないのだが、やっぱし一年間感情移入し、共感し、親しんだ人物である。ちょっと山内一豊被告人の弁護の論陣を張ってみたくなった。我ながらホントにお節介というか、いろいろ考えるよ。自分であきれるね。さて、まず言えることは、この時(1601年)の日本の主権者は天皇であり、豊臣家はそれを輔弼(ほひつ)する大権を与えられていた。“民主主義”とか“国民主権”なんてものは影も形もなかった。一方、徳川家康はまだ征夷大将軍にはなっていなかったが、豊臣家の筆頭大老であった。天皇を“日本株式会社”の会長にたとえれば、豊臣氏は実権と人望を失った雇われ社長、家康は実力派の筆頭専務取締役兼CEO(最高経営責任者)兼営業本部長みたいなものだった、・・・かも知れない。家康はまもなく(1603年)悲願の将軍(社長)職に就くのだが、すでにそのことは村上春樹がノーベル文学賞を獲るより確実視されていた。しかも、この会社には強大な兵力という暴力装置も付いていて、いざとなれば命令一下、組織的殺人も辞さない恐怖の軍隊組織であった。だから本当は、ヤクザ組織になぞらえる方が適切じゃないかとも思うが、かえって話がややこしくなるような気がするので、一応会社組織にたとえることにする。山内一豊は、もともと創業者の織田信長ワンマン会長の主流派に属し、豊臣社長に可愛がられた叩き上げ・生え抜きの課長だったが、豊臣社長の凋落振りを見てすかさず鮮やかに派閥を鞍替えした功績もあって徳川専務の覚えめでたく、定年間近ながら専務肝煎りの厳命で、西日本の情報偵察(インテリジェンス)含みの高知支社長に抜擢されたノンキャリアの星であった。ところが、この高知支社、もともと豊臣派の重鎮・長宗我部部長の息の根がかかった独立採算の子会社を強引に合併した経緯があり、組合の勢力が非常に強く、実力行使に訴えることも平気の平左の戦闘的組織になっていて、社会党をバックにした上田哲委員長の労働組合が一時番組内容まで支配したNHKみたいな状態であった。これを抑えるのに、政治部生え抜きだったシマゲジこと島桂次NHK会長のような豪腕が強く期待・要請されている状況であった。これを、JR東日本と新左翼過激派・革共同革マル派(日本革命的共産主義者同盟・革命的マルクス主義派)の関係にたとえて論ずるのは命がけの行為となり、私も命は惜しいし、そんなリスキーなことをする義理もないので、やめておく。ただ、町内に、もと莚旗(むしろばた)を掲げた動労青年部のオジサンがいて(今は平凡な良民)、祭りや会合のたびに、あの空前絶後の「スト権スト」をはじめ、華麗なる戦闘歴の思い出話を聞かされている。・・・ま、楽しかったんだろうな。ちなみに、町内には「一領具足」の渡辺哲みたいなごっつい顔をした元陸上自衛隊幹部あがりのお爺さんもいて、東アジア政治経済軍事情勢など、話が合うこと合うこと。喋っててすごく楽しい。今度の防衛庁の省昇格には、これで安心して死ねると、大喜びのご様子。・・・というワケで、過激化した組合を、宣撫工作であわよくば沈静化させ、どうしてもまつろわぬ(服従せぬ)勢力があれば、弾圧してでも沈静化させることが、徳川新社長の強い要請であり、山内支社長がこれを拒めるはずもなかった。しかも、説得工作をするにしても、手持ちの駒はいくらもなかった。失脚し、浪人の悲哀をかこつ長宗我部前部長が詫びを入れ、罪一等を減じられ、他日を期す可能性が生まれたぐらいの事実しか、慰撫の材料はなかった。左傾過激化した高知組合側は、長宗我部前部長への会社の経営権の分割など、無茶な要求を繰り返し、もはや体制側としても刑法の内乱罪と破壊活動防止法(破防法)の適用に踏み切るしか方法がないところまで追いつめられていた。・・・・ここまで書いて、このブログ、ヤバイ、失敗だと思った。もうちょっと面白くなるかと思っていたが、もののたとえがきわめて恣意的かつ不正確で、かえってワケが分からなくなったざんす。ともあれ、そんなこんなで、現代の感覚から見れば残虐非道な大量虐殺事件である今回の顛末だが、当時の武士社会の大義名分や政治意識の上では、たぶんそれなりに筋が通っていた。やむを得ないものとして映っていたんだろうなと思う。また、上川隆也さんだと若く見えるが、考えてみれば山内一豊公の寿命も、あとわずか4年の最晩年。実際は、もうかなりヨボヨボの爺さんだっただろう。こういう罪深い所業を、最終的には全て自分が引っかぶって地獄に落ちる覚悟だったのだろう。間もなく、山内家は弟康豊を後見に甥・国松への家督相続の禅譲の運びだった。人心一新で、民衆の気分も変わるだろうというのは、今回の小泉氏から安倍氏への政権移譲でも見られたことである。当時主導的だった仏教思想では、俺の極楽往生は到底無理だろうな~、と覚悟していたのだろう。ある意味、潔(いさぎよ)いとも言えるかも知れないね。やっぱし、戦国時代って、後に“任侠の徒”の皆様があらゆる意味で真似したように、元祖ジャパニーズ・マフィアの世界だったんだろうね。その辺の現状を詳しく知りたい方は、「アサヒ芸能」とか「週刊実話」を読めば、毎週微に入り細をうがって報じられています。以上、山内一豊被告人の弁護でした。
November 29, 2006
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子育てに忙殺されてほとんどテレビも見られない生活の上に、きのうはビデオのタイマー録画のスイッチも入れ忘れ、「功名が辻」を見られなかったよ~ん。ですが、のの雪さんのふわゆららいふの毎週月曜恒例の大河ドラマ評や、それにくっ付いてる多数のトラックバックのおかげで、あらすじはほぼ完璧に分かりました。ありがとう&ご苦労さまです。とんでもないことになってしまったようですね。悲劇だね~。しかも、後味悪そう。前に書いたが、この怨みが数百年続いたとも言われていることは、歴史ファンなので、知識としては知っていたけどね・・・。見なくてよかった、・・・かも知んない。
November 27, 2006
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前回のオンエアで、NHKの時代劇の殺陣(たて、武術指導)を一手に引き受けている林邦史朗さんが、土佐の土着的武士集団「一領具足」の頭領みたいな役で1、2シーンだけ出演して、山内康豊一行相手に啖呵を切り、土佐の重臣らの寝返りでバッサリ斬られたのは、哀れにも面白かった。以前「腕に覚えあり」(原作:藤沢周平「用心棒日月抄(じつげつしょう)」)でも、海坂藩からの刺客の役で、主役・青江又八郎(村上弘明)にバッサリ斬り捨てられた。この人はこんな形で時々ちょこちょこっと出てきて、いつも斬られて死ぬのが、「蒲田行進曲」みたいな昔の活動屋魂に溢れていて楽しい。さて、思えば千代って、少なくとも二人の男に命がけで愛されている果報者だね。みんなにも慕われてるし。やっぱり人間、世の中で生きている以上は、好かれたほうが嬉しいよね。武将の妻というと、あえて現代で似た例を探すと、まずはやはり政治家の妻であろうか。奥さんに人望・人徳があるかないかは、今でも政治家の選挙(=いくさ)の行方や出世や派閥・組織の構築を大いに左右するといわれている。選挙に落ちれば、現代では死にはしないまでも、あわれタダの人。少なからぬ者が失業者。選挙ばかりは必死の形相で戦いまする。政治家の妻は、いくら才能見識があっても冷たい美人(クール・ビューティ)では旦那への女性票が入らず絶対駄目で、十人並みにちょっと毛が生えたぐらいの健康・明朗で親しみやすい“オカメ顔”がいいとされている。この世界は、表と裏、光と闇のコントラストがブラック&ホワイト。表ではきれいごとを言っていても、一皮剥けばジェラシー(嫉妬)とルサンチマン(怨念)ですべてが動いているのは公然の秘密。・・・そういう意味では、安倍昭恵首相夫人は、あの愛嬌あふれる風貌とオッチョコチョイそうな言動で、かなりいいセンを行っている。女性週刊誌の扱いを見ても、なんだかんだ言われながらも、結果として安倍氏の得がたいサポーターになっているように思う。藤原紀香が出馬するとかしないとか下馬評が盛んであるが、美人すぎて、政治家としてまず大成はできないであろう。あるいは、相撲部屋のおかみさんとか、旅館・ホテルの女将とか、梨園の奥さんとか、営業関係の女性管理職とか、その采配が注目される現代ウーマンたちの、さらにスケールを大きくしたような感じだろうかね。生きるか死ぬかの戦国時代、武将の妻の才覚たるや、一族郎党・一国の運命をも左右した。側室ながら、豊臣を背負って立つ羽目になった淀の方と秀頼の運命を見れば如実ですね。家康も関が原以後、豊臣家に対しては「敵の出方論」だったとも言われている。大阪城の外堀を埋め、方広寺の梵鐘の銘文に言いがかりの因縁などつけ、淀君ら豊臣方を猫じゃらしよろしく試しにいびってみて、それでも隠忍自重して恭順の意を示せば、大阪冬の陣は起こらず、浪速・和泉の一大名としては生き残れたかも知れない。まあ、歴史に「たら・れば」はナンセンスだともいうし、ましてしろうとが考えるだけ無駄だけど。現に家康は、加賀100万石の前田家に対しても対立を深め、あの手この手で嫌がらせの波状攻撃を加えたが、先の読める利口なせがれ・利長らがグッとこらえて我慢し、旧知の間柄で気丈な芳春院(まつ、前田利家未亡人)が江戸へ人質として来たのを見て、存続を決したとも見られる。ところで、秀吉の没後、家康が井伊直政に向かって、「これ以後は、一手一手が面白う打てそうじゃのう。」と碁を打つ手つきで、戯れ言めかして言うシーンがあった。大河ドラマを見ていると、武人(もののふ)たちが無聊しのぎ(ひまつぶし)に碁を打っているシーンがとても多い。戦国武将たちは、例外なく囲碁を愛した。その奥方たちも、武家の嗜みの一つとして、嫁入り前に碁の手ほどきを受けていた。テレビもラジオも映画も雑誌もウェブもない時代、夜長を夫婦で碁を楽しんで過ごすことも多かった。囲碁の天才であり僧侶であった初代・本因坊算哲が、本能寺の変の直前に信長と碁を打ち、世にも珍しい「三劫(こう)」(劫:いつまでたっても終わらない、互いに袋小路の手。その局面はご破算にするのがルール)が出来たのを見て、変事の予兆を察知したのは有名な話として語り伝えられている。本因坊はその後、秀吉・家康と天下人に重用され、家康には家禄を貰い、江戸城・将軍面前での「御城碁」の栄誉も拝し、この名跡が現在も続いていることはご存知の通り。私は、父の友人かつ同級生の父君で日ごろ世話になっている建設会社の会長さんから、半強制的に碁の手ほどきを受けたが、この人はプロ顔負けの強豪で、名目はアマ4段しか持っていないが、実力は6段クラス(プロ初段に相当)ともっぱらの評判で、明治以降の棋譜はあらかた研究し尽くしてしまい、今は江戸期の天才で、史上最強といわれる本因坊秀策の研究などしている。栃木県で指折りの人である。しかるに、僕は勝負の才覚がなく、習い始めたのが40も過ぎてからであったせいもあり、いつまで経ってもヘボ碁で、ご迷惑ばかりお掛けしているのが、まったく情けない。ただ、その楽しさは理解している。話がだいぶ逸れまくっているが、やったことのある人は分かるだろうが、大胆に言ってしまえば、囲碁はいわば真綿で首を締め合うような意地悪・謀略ゲームである。それが絵も言われず楽しいから困る。中毒になる。僕はハマるレベルに達していないが、ハマる人の気持ちは大いに分かる。これを、戦国武将・武人たちは子供の頃から戦略・戦術の稽古の一環としてみっちり仕込まれた。皆相当な腕前だったであろう。子供のうちに仕込めば、脳力開発になることは間違いない。事実、大脳生理学的研究でも、「囲碁脳」という神経シナプス回路の発達が明らかに認められると言われる。読みの深さの能力開発になるし、一種のポーカーフェイスの訓練にもなる。また、きわめて高度な論理性が確かにあるのだが、われわれ凡人から見ると、初歩的な手はともかく一定以上のレベルでは、あまりにも高度すぎてほとんど非論理的・神秘的とさえ感じることが多い。プロの碁打ちなんていうのは、ほぼ天才といって差し支えない頭脳の持ち主である。将棋の方だが、米長邦雄氏が、「兄貴たちはバカだから東大に行った」と豪語したのもうなずけてしまう、恐ろしい天才集団である。また、競り合った勝負だと、最後に数えて見るまで勝敗が分からないことも珍しくない。相手が大きな一手を打ち間違ったのを、澄ました顔で内心ほくそ笑みながら見つめる快感は、ちょっと隠微な快楽かも知れない。・・・というわけで、日ごろから囲碁に親しんでいた武将たちは、読みの深さ・先見の明・伏線の張り方・謀略・意地悪・パワーハラスメント・嫌がらせゲームを競い合っていた。状況・形勢を読んで読んで読みまくった。プロ野球で言えば、野村監督タイプみたいなのが揃っていた。苦労人・山内一豊も例外ではあるまい。千代の手のひらの上の凡庸バカ殿説は、相当に誇張されていると見る。その中で、たった一人だけ例外がいた。豊臣秀吉・長嶋茂雄である。天衣無縫の天才は確かに万人に愛され、力があるうちは誰も手出しができなかった。現代のいじめられっ子も、戦国武将の忍耐力・辛抱の100分の1でもあればな~、と思うが、ここで軽く扱うには問題が重すぎるので、御免。さて、蜂須賀小六正勝の嫡男・家政は、四国平定の功績で、自ら切り取った阿波一国を秀吉から与えられた。阿波となったのは、偶然に近いと思う。関が原では苦慮の末東軍に属し、領地はそのまま安堵されたようだ。山内一豊が土佐一国を与えられたのは、家康一流の深慮遠謀が垣間見えて、絶妙な感じがするね。ドラマでは一豊が関ヶ原をめぐる小山評定直前の最後の最後まで東軍か西軍か迷ったように描かれたが、これはドラマ的脚色に過ぎず、実際は掛川での会談で話はついており、“密約”は出来ていたと思われる。天下の帰趨と命を賭ける大いくさを前に、研ぎ澄まされた全神経を以って真意を見極めつつ、その時点から、家康は一豊を一定程度信用していたであろう。しかし、所詮は外様。よしんば本人は信用できたとしても、2代目、3代目になったらどうなのか、そこまで家康の深読みは自動的に作動したであろう。わが子や徳川御三家に対してさえ、全幅の信頼は与えなかった。というわけで、当時交通不便で、一種の僻地であった土佐は、家康の一豊に対する、“確かに深く感謝はしているが、完全無欠に信用しているわけではないぞ”というビミョ~かつギリギリの練りに練った意思表明として、格好にして絶妙の配置と思われまする。
November 24, 2006
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NHK大河ドラマ「功名が辻」もいよいよ大詰め。振り返ってみれば、けっこうジェットコースタームービー的展開で、一年間本当に楽しかった。お名残惜しゅうござりまする。ここ数年の大河は力作が目白押しで、本当に充実していた。見ている方としては、若干息切れを感じるほどであった。幸い来年は、久しぶりにつまんなそうなので、やっと一息吐けるかな~、などと思っている今日この頃なのでありんす。武田信玄・上杉謙信はどうも暗いし、“上洛”も出来ないし、悲劇的な終わり方が予想され、なんとなくあんまり食指が動かない。・・・Gacktのファンは垂涎だろうけどさ。のの雪さんがブログふわゆららいふで、1年間毎週月曜日に律儀・実直・正直・廉潔に続けてこられた大河ドラマ評と、それに大量にくっ付いてる関連トラックバックも楽しかったざんす。本当にありがとう&ご苦労様です。僕ごときが屋上屋を付け加えることもない気にさせられまするが、それにしてもなるほど、まだ一山ハードルがあったとは、お釈迦様でも気が付かなかった。関ヶ原で土佐20万石を拝領して、“めでたしめでたし、一豊さまと千代さまは末永く幸せに暮らしましたとさ”、で終わるのかと思ってたら、そうは問屋が卸さなかった。本当に死屍累々の戦国時代だね。「斬られりゃ痛えぞ。」(黒澤明「用心棒」のセリフ)こうした犠牲の上に歴史が成り立っている、・・・とは月並みな感想ではあるけどね。どうも不吉な予告編だったね。六平太は何を噛み潰したんだろう?もしや、例のいわく因縁付きの弾丸だろうか?昔“弾丸を噛め”というタイトルの西部劇があったが、噛むとどうなるんだろう?一豊ももう若くないが、六平太も同様だ。設定から見ると、だいたい同年輩なのだろうか。どうやら六平太は、山内家(と、密かに愛してやまない千代)の弥栄(いやさか)のために、おのれの一身を犠牲にし、政(まつりごと)における悪役さえも引き受ける腹を固めたことが濃厚に匂ってきた。忍びの者の美学だな~。カッコイイぞえ。どうも彼は死ぬらしいという恐怖情報が乱れ飛んでいる。われわれ視聴者は、その純粋にして至誠なる生き方と最期を見届け申し上げまするよ。
November 22, 2006
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画面がフリーズしたかと思った。ウチはケーブルテレビを入れてるので、コンピューターめいたチューナーが時々本当にフリーズして静止画面になってしまう。大いくさの覇者・徳川家康と敗者・石田三成、直(じか)の対面。さすが中村橋之助、歌舞伎役者の修練を見せつける、微動だにしない無言の芝居。万感が込められた、究極の腹芸。日本文化のエッセンス、“もののあはれ”が漂った。ある意味、ローマ帝国ユダヤ総督カヤパスの前に引っ立てられ、「真理とは何ぞ?」(新約聖書マタイ伝福音書・文語訳)と問われたイエス・キリストのよう、などと言ったら、クリスチャンからクレームがつくか。家康も、それを演じる西田敏行も、ダブルでタジタジ、気おされた。関が原の戦闘場面は、今作では割にさらりと片付けた。このシーンに関しては、確か「関ヶ原戦役400年記念」という触れこみがあったから2000年だったか、大河ドラマ「葵 徳川三代」でたっぷりと手間と金をかけた壮大な描写があり、その総集編はビデオで録画してあるから、僕としてはもういいのだ。ジェームス三木脚本が見事だった。ウェブを覗いてみると、やはり評価はきわめて高いようである。今年のは、前にも書いたが、信長・秀吉・家康3代ダイジェスト版てところだね。その時の家康は津川雅彦で、松村邦洋が民放でやたらと披露したモノマネも似ていて面白かった。その子の2代将軍・秀忠に西田敏行。妻のお督(ごう、お江。浅井長政と市の三女で、淀の方の実妹)に極妻・岩下志麻。妻に頭が上がらない、やや頼りないコミカルな味がハマっていた。三成は、怪優・江守徹。豊臣家を守るという信念が昂じて、ややパラノイック(偏執病的)になったような演技が絶品だった。この時、囚われの三成に陣羽織を着せてあげたのは黒田長政(山下真司)で、山内一豊は影も形もなかった。いずれにせよ、突き放して言えばいくさのシーンなんてどれを見ても大同小異であるし、本当はもっとへっぴり腰でおっかなびっくり戦ったのが実相であろうから、いわば作り物であり、講釈師見てきたような嘘を言いの類いである。生きるか死ぬかの瀬戸際であんなに堂々とチャンチャンバラバラ渡り合えるワケがない。映画の方では、例えば黒澤明の「羅生門」の斬り合いのシーンや「七人の侍」の戦闘場面、市川崑の「股旅」(谷川俊太郎脚本)の集団抗争場面、山田洋次の「たそがれ清兵衛」の壮絶かつのたうち回るような戦いのシーンに、リアルな描写が出てくるが、これらは金を払わなければ見ることはできないざんす。山内一豊への戦後の論功行賞は、きのうのオンエアによれば、20万2,600石だそうだ。これまで私は、拙文の中で“土佐24万石”と書いてきたが、これも典拠のあることで、歴史の本にはそう書いてあるものも多い。ただ、「広辞苑」の山内一豊の項にも20万石とある。NHKの時代考証の正確さは信用できるから、転封された時点では事実なのであろう。その後に、何らかの加増か編入があったか、検地のし直しで増収があったということも考えられる。我が宇都宮藩も、廃藩置県時には15万5000石だったとされるが、18万石と書いてある本もあり、はっきりしない。時代によって変遷があったのかも知れない。いずれにしても、この表高というのは、名目・目安に過ぎず、それほど正確なものではない。また稲作以外の収入も算出されておらず、その後はますます有名無実なものになっていった。家康が秀吉から封ぜられた関東(関八州)にしても、実質は“七州以下”に過ぎなかった。上州(群馬)・野州(栃木)などには古い抵抗勢力が残存していた。我が宇都宮でも、少なくとも平安時代に遡る古い豪族で、代々地元・二荒山神社の宮司を兼ねており、鎌倉幕府の御家人でもあり、あの歌聖・藤原定家と姻戚関係にあったほどの名家・宇都宮氏が最後まで抵抗したが、玉突き矢折れ、この時代に流散した。これが現在の全国宇都宮氏の先祖である。けっこう有名な人も出ている。さて、山内一豊の前途にも同じハードルが待ち構えている。一豊の寿命もあと5年。ドラマも残りわずかとなったが、老骨に鞭打って、ご苦労様なことであります。家康が事実上天下を手中に収めたとはいえ、まだまだ気分は戦国時代。土佐には、長くこの地を支配し土着してきた長宗我部氏の残党が跳梁跋扈しており、黙って国を明け渡すとは思われぬ。後世の忠臣蔵のセリフではないが、事と次第によっては「城を枕に討ち死に」というぐらいの“美学”と、“武士の一分”の気概もあったであろう。移封されて栄転する方は嬉しいだろうが、される方は堪ったものではなかった。太閤検地に見られるように、この時期、検地の技術・ノウハウは急速に進歩したが、それは支配される側から見れば、事実上苛斂誅求な“大増税”にほかならなかった。いわば“第一次一揆ブーム”といえることが、この時期起こっている。山内・土佐藩は、まつろわぬ残党を力で抑えつけようとし、懐柔工作も試みたが、この遺恨は幕末まで残り、一説によると、戦前、いや現代ですら消え去っていないとも言われている。ただ、移封に伴うこうした軋轢は、当時多かれ少なかれどこでもあったことであり、戦国武将であれば常識として知っており、覚悟していたであろう。例えば、秀吉が最初に拝領した近江(滋賀)今浜は、それまで浅井家の領地であり、水上交通が盛んであった当時、“ドル箱スポット”であったといえる。秀吉は、「今浜(新開の波止場)」の名を、おそらく信長から一字貰って、縁起のいい「長浜」と改めてご機嫌を取っている。全く日本歴史上まれに見る、気が利く男である。抜け目のないゴマスリの天才である。浅井家といえば、千代の父・若宮喜助の主筋であり、千代の胸中も感無量であったろう。家康自身、関東移封後は、江戸城や城下のほとんど一からの構築をはじめ、新領地の経営には相当苦しんでいる。家康が一豊に感謝していたのは真情であり、特に腹黒かったというのは言い過ぎだろう。六平太の言い方にも一理はあるが、ドラマツルギー的誇張であり、ちと家康に酷である。この時弾圧され屈従した側の郷士の末裔の一人が、かの坂本龍馬である。同じ苗字の誼(よしみ)でちょっと触れると、この坂本家は土岐氏の明智光秀の流れを汲んでいるらしい。坂本の苗字にしても、光秀の居城であった近江(滋賀)坂本にちなむものであるといわれる。幕末の動乱の中、大政奉還への志を同じうしながら、一豊の子孫である山内容堂と龍馬には、身分の違い以上の微妙な険悪さが漂ったといわれるのは、このためかも知れない。龍馬を尊敬してやまない元・海援隊の武田鉄矢が、今回の出演を最後まで渋ったというのも肯ける話ではある。・・・ところで、家康側近の井伊直政を演じている篠井(ささい)英介という役者、音吐朗々としてなかなか上手く、どこかで見たことがあるけど誰だっけなあと思っていたところ、先ほど放送された「スタジオパークからこんにちは」を見て氷解した。現代劇の女形として脚光を浴びている旬の人であった。さすがNHK、心憎い配役をするなあ。相変わらず、まとまりのない文章ですんまそん。
November 13, 2006
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大河ドラマ「功名が辻」前々回の、細川ガラシャ(グラーシア、英語グレイスに相当)夫人の辞世の歌「散りぬべき時知りてこそ世の中の花は花なれ人も人なれ」は見事であった(逐語訳:散ってしまうであろう時を知ってこそ、この世の花は花である、人も人である)。辞世の歌に、係り結び(こそ・・・なれ)で、しかも「花なれ」と「人なれ」の両方に係るという、高度なテクニックを用いている。誤解を恐れず言えば、おしゃれである。優雅の極みである。ついでに言及すれば、太閤秀吉の辞世「つゆとをちつゆと消えにしわが身かな なにはのことも夢のまた夢」(露と生まれ露と消えてしまった我が身だなあ、大阪のことも夢のまた夢)もすばらしい。下手な和歌の代名詞「腰折れ」(上3句と下2句が切れている)の典型であり、何となくギゴチなくてヘタウマなところが好感が持てるし、第一意味内容が驚くほど謙虚というか、謙遜と韜晦と自嘲と、それでも夢のように楽しい人生だったという満足・至福感が綯い交ぜの真情の吐露になっていて、泣ける出来になっている。日本の政治家の歌として出色といえる。晩年はちょっと独裁的傾向が目立ったが、本当はやっぱりいい奴だったんだなと思わずにはいられない。・・・それも彼一流の情報操作の一環かも知れないが。誰しも、明日何が起こるか分からない。日本人なら辞世の一首を用意しよう。気位が高いといえば、浅井攻略ののち近づいた秀吉に、「寄るな、汚らわしい」と一蹴したお茶々姫(現・淀の方)もカッコ良かったよね。ベビーフェイスの演技派怪優・永作博美がばっちりハマっている。昔も今も、こういうツンケンした険のある美女に、男は神秘性を覚えちゃうし、虜になる奴はなるから不思議だ。大河ドラマ「功名が辻」の“巧妙”な構成は、さすが国民作家・司馬遼太郎の原作を仰いだことが最大の勝因であろう。第一に、山内一豊の妻を主人公に据えたことで、信長・秀吉・家康の日本史三英傑による天下統一過程がダイジェスト版で通観できること。当然、歴史マニアから見れば、いかにもドラマの進行は駆け足であり、物足りないと思うところが数多いが、これはやむを得ない。これまで見てきて、やっぱり巧いな~と思うのは、六平太という謎めいた神出鬼没の人物の跋扈である。実は、最初のほうでは、千代と六平太の絡むシーンは、うるさいな~、こんなシーンやってる暇があったらもっと歴史的事実を丹念にやってくれよと思っていたぐらいだったが、千代も一豊も六平太も年を重ね、長い付き合いになればなるほど、一つの風情というか、感無量というか、重い思いというか、浮かび上がってくるものがあるのだった。もちろん架空の人物であろう。歴史の大河の流れの中に無数にいた無名の声なき勇者である。設定によれば、千代の父で近江(滋賀県)の浅井家郎党・若宮喜助の子飼いの部下だったが、六角家とのいくさに敗れ、伊賀で忍者の修行を積んだということになっている。なお、千代の母親役は、絶世の美女・木村多江さま。ワタスはこういう繊細系のスレンダー美女、ド真ん中ストライクでありんす。女優として、なぜもっと売れないのか不思議だす。古来、伊賀者といえば、家康が重用した服部半蔵正成をはじめ、一種の美学があったとされ、そのスタイリッシュな風貌・身のこなし・不言実行の生き方は今に伝えられている。文藝春秋編江戸こぼれ話(売り切れ)を読んでいたら、伊賀出身の武士であった俳聖・松尾芭蕉は、狭い意味での隠密・忍者ではなかったが、「上忍」であったろうという記述があり、ハタと膝を打った。・・・なるほど、上手い表現だ。精神的なものを含み、確かに彼の漂白の生き方と研ぎ澄まされた表現は「しのび」の心を体現している。最高傑作 古池や蛙とびこむ水の音 は41歳で詠んでいる。私はその年を疾(と)うに超えた。己の菲才を嘆くのみ。日光東照宮で呼んだ雄句 あらたふと青葉若葉の日の光 は確かに徳川家康を太陽に喩え、併せて日光に掛けている。なお、辞世の歌を話題にした流れで、芭蕉の辞世の句にも触れると、これは有名な旅に病(やん)で夢は枯野をかけめぐるである。決まった。完璧である。1句目の字余りさえ完璧である。何も言うことはない。さて、六平太は何を思って、これほどまでに千代(と山内家)に尽くしてくれるのであろうか。ドラマを見る限り、昔世話になった若宮家の恩返し(義理)に加えて、千代への思慕の念だけが見える。忍の者にふさわしい忍ぶ恋である。現代の言葉遣いで言うと、千代への純粋な愛、純愛である。ただ配役が香川照之のせいか、今一つロマンチックさには欠けるが、ドラマに艶(つや)をもたらしている。さまざまなシーンで、蔭ながら命がけで千代と山内家を支えているように見える。一豊様も律義者かも知れんが、立身出世という巨大な報酬がある。六平太の“誠”は至純である。・・・とすると、これは“騎士道”である。御家大事・男尊女卑の日本の“武士道”にはきれいさっぱり欠落している要素である。月光の中、窓辺のバルコニーに佇む身分違いの姫君への愛を心に秘め、身は土くれに還ろうとも一命を賭して守る西洋騎士道精神が、この忍びの者の中には息づいているのである。・・・実はこういう気分、かなり分かる、と言わざるを得ない。身分というものが表向きなくなった現代ですら、忍ぶ恋というのは十分ありうるという実感がある。「ボヴァリー夫人」以降の近代西洋文学なら、間違いなく不倫の恋に発展するだろう。・・・そういう意味では、かの石田純一の名言「不倫は文化だ」も、言い得て妙である。しかし「山内一豊夫人」の場合は、さすがにそうはならない。ここは日本であり、戦国時代だからである。「無法松の一生」なんていうのも、豪快な明治男の人情話に見えて、実は亡き軍人の妻への秘めたる愛が通奏低音になっており、明治以降摂取された西洋文学の典型的産物であるといわれる。田村正和の父・坂東妻三郎の代表作であり、子役の沢村アキオは、歩く日本映画史、現・長門裕之である。脚本は伊丹十三の父、万作。戦後のリメイク、三船敏郎(東宝)バージョンもすばらしい。なお、三船版の無法松の子供の頃の回想シーンに、ワンシーンだけ出てくるその父が、「バカボンのパパ」のモデルではないかと、僕はニラんでいる。作者・赤塚不二夫が非常な映画狂であり、無数のアイディアを邦洋の映画から採っていることは周知の事実である。“ベシ”は「七人の侍」の村の長老のパロディであることを公にしており、飼い猫には同じく「七人の侍」の主人公・菊千代と名づけるほどであるから、ありうる想定だと思う。ともあれ、源氏物語という傑作を持つわが国の軟派系文化とロマンティシズムは、壇ノ浦で平家とともに海の藻屑と消え去り、マッチョな平家物語の登場とともに血沸き肉踊る軍記物・講談話に取って代わられたのである。
November 2, 2006
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小山評定(おやまひょうじょう)で東軍・西軍の陣容が決し、いよいよ決戦・関が原の佳境を迎える。筆者の地元、現・栃木県小山市役所付近で執り行われたこの歴史的会議に先だって、徳川家康は政治家・武将としての老獪な力量の全てを投入して天下取りへの布陣を固め、東西はほぼ互角の形勢となった。西田敏行が圧倒的に素晴らしい。役者として脂の乗り切った芝居を見せ、画面からはみ出しそうな顔のクローズアップと緩急自在な科白廻しで、永い忍従の幾星霜への感無量の思いと、威圧感溢れる大人物のオーラを遺憾なく醸し出している。ただ、だいぶ前に書いたが、今に残る肖像画やその言動・事跡などを総合すると、もう一段ミステリアスで知的な三國連太郎(の若い頃)がベストのキャスティングであったろうという僕の持論は変わらない。ついでに僕の頭の中の配役思考実験では、信長はユニクロ・ファーストリテイリングの柳井正CEOその人で決まりだ。キッツイ目をした体制破壊・価格破壊の英雄は、時を超えて瓜二つである。・・・それはさておき、これまでの山内一豊の半生を顧みて、妻・千代の掌で踊らされる無能な無骨者という巷説の評価は全く当たらないという歴史ファンの根強い見方がますます正しく思えてきた。生き馬の目を抜く戦国時代、親の仇だった織田信長に迷わず仕え、秀吉のもとで何でもありの情報操作と謀略戦を実地で学び、すでに晩年は民心を失っていた秀吉の没後は、すかさず速やかな天下の形勢観望をして掌を返し、即座に徳川家康に寝返った。しかも、一豊が小山評定の場で、いち早く家康全面支持と掛川城・掛川6万石の所領明け渡しを表明して家康を感激させ、関が原戦後に土佐24万石に封ぜられるきっかけとなった言動が、長年の盟友・堀尾茂助吉晴のアイデアをパクったものであることは事実であり、徳川8代将軍・吉宗の侍講(儒者)室鳩巣はこのことを以って、一豊を「ずるい人であった」と著書「駿台雑話」で非難している。とはいえ、敵も味方も知恵を絞って命がけで功名を挙げようとしている時に、不用意にピカピカのコンセプトを漏らす方にも油断がある。人生、要領も必要だね。ただ、「仏の茂助」の異名を取るほどに温厚篤実な人物で、人望があった堀尾吉晴が、このことを知って泰然と笑って許したのもまた事実であろう。猪右衛門(伊右衛門)も茂助も、生きるか死ぬかの戦国の世を、徒手空拳から身を起こして大名として立派に生き抜くことが出来たんだから、ま、多少のことはいいやね。(もっとも堀尾家は、3代将軍・家光時代に堀尾忠晴が出雲・松江藩から改易処分になっているが、これはまた別の話である。)なお、1石というのは、当時の成人男子1人が1年間食いつなげる米の量であったという。24万石というのが、いかにとてつもない果報であったか分かろうというものだ。命を賭けるだけの代償はあった。ところで、掛川城を明け渡したとはいえ、山内家一行が“野宿”の憂き目に遭ったというのは本当かね?(ドラマとしては、降りしきる雨の中での、一豊の火を噴くような叱咤激励の言葉に、見ている方まで鼓舞される見事なシーンだったけど)ちとバカ正直にも程があると思ったのは僕だけではあるまい。まあ、NHKの時代考証といえば正確さで定評があるから、裏付ける文書(もんじょ)でもあるのかも知れないが、にわかには信じられないね。めいめい、城下に自宅があるわけなんだけどね、それまで明け渡したのかえ?ちなみに彼らの住まいは、そこはいやしくも支配階級、足軽などの下級武士でさえ、庶民から見れば“広大な”といっていいほどの広壮な敷地を有していた。読者の皆さんが城下町に住んでいるなら調べてみれば分かる。例えば筆者の住む宇都宮は古くより二荒山神社の門前町であったが、29日オンエアの大河ドラマで家康の腰を揉んで、「豊臣恩顧の武将たちを試してみてはいかがでしょう」みたいな悪だくみを進言した本多正純(のち、幕閣内の派閥争いで2代将軍・秀忠時代に失脚)をはじめ、徳川譜代大名が治めてきたので、典型的な城下町の構造を今に留めている。現・西1丁目~3丁目・一条付近(旧・一条町~四条町)は江戸時代の中級武士の居住地区の碁盤目の町並みをほぼそのまま残しているが、この一区画が丸々武家の一世帯である。広いなんてもんじゃない。正確に測ったわけではないが、見た目400坪ぐらいあるんじゃなかろうか。建坪はせいぜい40~50坪ぐらいだったので、広大な庭があった。また、現在の宇都宮市立中央小学校の敷地は、江戸期の地図に照らし合わせると、丸々家老級の一上級武士の邸宅である。また現・大寛(旧・代官町)は、徒歩(かち)足軽などの下級武士の居住区だが、これも同様である。江戸時代も後半になると、彼らはインフレーション経済の中で貧困に喘ぎ、敷地の大半は自給自足の野菜畑や果樹園に様変わりしたわけだが、猫のひたいの安普請に押し込められていた町人から見れば、夢のように豪壮な邸宅だったといえる。なお、「代官」とは、将軍・藩主の代わりを務める役人の意味。ついでに言えば「奉行」も、上意を「奉(たてまつ)り行(おこな)う」役との意である。――いくさの前に、こういう邸宅で、明日の命も知れぬ妻子・家族との別れを惜しみ、辞世の和歌など詠み、水盃など交わすのが当時の武家の作法だったと思うが、ドラマツルギー的省略かな。話がそれたが、この“戦前の政治戦”で大きな勝利を収めた一豊は、すでに「我が事成れり」という気分だったのだろう。関が原ではほとんど大した働きもせず、兵力を温存してやり過ごした。機敏である。恐ろしいほど目端の利く男である。“女大名”千代の言いなりになっている朴念仁などという評価は、講釈師見てきたような嘘を言い、の類いである。・・・というか、確証はないが、たぶん一豊が自分で言いふらした情報操作である。徳川家康という人は、その不幸な生い立ちや、あまりにも長い忍従の日々の中で、極めて猜疑心が強く、疑り深い、石橋を叩いてなお渡らない、煮ても焼いても食えないタヌキ親父だったことは周知の通りである。こういう性格の権力者の特徴は、自分の前に立ちはだかる“有能”と思える者は、潜在的な敵と見なして全て潰すということである。長男・信康を信長の命で殺したあと、秀吉の人質になっていた次男・結城秀康を生涯信じず、いびり殺した。加賀120万石の前田家の3代目・利常には、三男で2代将軍・秀忠の娘・玉を娶わせた。もちろん政略結婚である上に、侍女を含めて公然たる間諜・隠密・スパイである。利常は玉が夭折するまで、“バカ殿”を演じつづけたといわれる。加賀藩には、その後も陰に陽に圧力と謀略の魔の手が繰り出され続けた。こういう例は、御三家に対しても同様であり、由比小雪の乱やいわゆる「柳生武芸帖」伝説など、枚挙に暇がない。水戸黄門こと徳川光圀が諸国を漫遊したなどとはもちろん作り話であるが、その話の元になったような文化人こと隠密が各地に放たれて、陰険に各藩の内情を探ったことは事実だ。奥州雄藩、とりわけ仙台伊達家に対する“松尾芭蕉忍者説”も、伊賀出身の武士であることも併せて、決して荒唐無稽とは言い切れない。こういう徳川幕藩体制の管理的体質が、権現様こと家康のパーソナリティをその淵源に持つことは明らかだ。もっとも、徳川政権によるこの高度な管理社会が、早くも近世において近代を準備し、戊辰戦争の最小限度の犠牲でスムーズな明治維新革命を実現させ、アジアで最初の近代化に成功するパラダイムを用意したことはきわめて高く評価される。例えば、一種独特な響きのある兜町の株式用語などは、ほとんど江戸時代に出来ていた。誇るに足ることである。一豊も、一種の“バカ殿”を演じ、自分から言いふらしたのだろうと思われる。これが独裁的な体制において中間管理職的な立場のものが生き延びる賢明な道であることは、旧共産圏諸国を見るまでもなく、現代ですらよくあることである。さて、こうした一豊の情報操作は、おそらくかつての上司、秀吉に学んだものだと思われる。母なか(大政所)の太陽の夢の妊娠伝説、日吉神社と日吉丸伝説、その他、後世「太閤記」伝説となるような多くの逸話の中核部分は、自らの威厳(ディグニティ)を高めるために秀吉が生前に作らせ、言いふらし、吹聴させたものであるという。それは一定の効果があった。直接の部下として長く秀吉に仕え、その振る舞いをつぶさに見てきた一豊が、何も学ばなかったはずはないと思われる。・・・ちょっと忙しいので、まとまりに欠ける文章で、すんまそん。
October 30, 2006
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ユニクロを展開するファースト・リテイリングの柳井正CEO(最高経営責任者)を見る機会があると、いつもあの有名な織田信長の肖像画を連想してしまう。キッツイ目をしていて、いずれ劣らぬ破壊の英雄である。一方は価格の、かたや日本国の旧秩序の、である。両のこめかみに、©赤塚不二夫の怒りのマーク がいつも書いてあるような、鬼のかんばせである。慶大ラガーあがりの爽やかなやり手の青年を後継者にしながら、僅か1年ぐらいで更迭し自ら復帰した水際立った独裁者ぶりも、まさに天下を取る男の烈しい魂の挙措であった。安売り・価格破壊の元祖で、歴史的魁(さきがけ)役であった故・中内功ダイエー会長は、自らの戦略と成功体験に溺れ、非業の末路といっては言い過ぎだろうが、失意のうちに世を去った。柳井氏の今後はどうなるのだろうか、興味は尽きない。さて、信長が戦略 strategy の人だったとすると、秀吉は戦術 tactics の人だったと言えようか。両者とも、旧秩序(アンシャン・レジーム)の破壊と再構築(リストラクチャー)を強権的に推進したが、その手法はかなり違っていた。これは政治経済学的には、両者の置かれた天下統一の過程における段階の違いによって説明される。武田信玄が「天魔」と呼び、輿論を踏まえてその上洛への大義名分を得、遠因を生ぜしめたとも解される信長の比叡山焼き討ち、一向宗徒への苛烈な弾圧、その反面キリスト教の擁護、大量殺戮兵器・種子島の躊躇ない導入など、この人は、全く日本人離れした突然変異(アルピナ)のような感覚の人であった。同情するわけではないが、群雄が割拠し、「天下布武」の夢も海のものとも山のものともつかないどころか、自らの生命も常に脅かされていたような信長の段階では、過剰な防衛、過剰な攻撃、過剰な破壊の中で恐怖を克服するしかなかった。現に家臣の明智光秀に叛かれた最期を見れば、信長自身、生きた心地のしない生涯であったろう。また、’60~’70年代の激烈な政治闘争の時代を、子供ながらにリアルタイムで見てきた僕らの世代には、別段の感慨も喚起される。比叡山延暦寺といえば、言うまでもなく最澄が建立した天台宗の総本山であり、長きに亘り朝廷の厚い尊崇と庇護を受けてきた、「親方日の丸」な巨大組織であった。また当時の学問の中枢であった。これを現代に置き換えて見れば、まさに旧帝大系国立大学、わけても東大であるといって差し支えない。’69年の東大・安田講堂で、「共産革命」を標榜する過激化した反日・反体制マルクス主義全共闘学生が籠城した事件は、全く歴史のアナロジーとも思われる。これへの権力側の対応の陣頭指揮をとったのが、信長の家臣の武将で、越中(富山)の一向一揆「革命勢力」への対応に苦しみ抜いた佐々成政の末裔である佐々淳行氏であったとは、ふるっている。「ひたむき」をワープロで変換すると「直向」という字になる。そのように、一心一向に南無阿弥陀仏を唱え、来世での極楽往生を念ずる一向宗(浄土真宗)は、そのストレートで求心的な教義もあって、古くからきわめてラディカルな部分を具えていた。信長、秀吉、前田利家らも各地の一向宗の「解放区」の反乱に苦しんだ。こうした下克上の「芸風」は、真宗周辺には現在でも程度の差はあれ遺伝しており、方向性を見出せないまま、鬱勃たるエネルギーを秘めているとも評されている。なお、筆者は法然の浄土宗の檀家であり、宗祖・親鸞の段階から厚い友好関係にある真宗には、そこはかとなく親しみを感じている。そんなこんなを総合すると、国家権力から見た当時の比叡山が、オウムの「上九一色村」に擬(なぞら)えられるような存在であったと言っても、あながち的外れではないだろう。信長を憎む四面の敵と対峙しながら、ああいう殲滅作戦に打って出ることができた背景には、声なき民草の一定の支持があったとも見られよう。秀吉も、その常人離れした脳細胞を以って、しょっちゅう謀略・策略・駆け引きの類いをしていたことは言うまでもないが、彼の場合、政治的統一段階が、かなりの程度信長によって地ならしされていた時点で天下の権を掌握し、いわば美味しいところだけ掻っ攫った感がある、時の利があった。このスムーズ、円滑な権力掌握については、かてて加えて彼自身の陽気な性格・キャラクターによるところが大きい。「太閤記」などで、あることないこと脹らませられつつ、今に伝わっている通りである。クレッチマーの正統派ドイツ性格学に依拠すれば、信長は粘着性気質に内閉性(統合失調性)と偏執性が加わったような、相当しつこくて粘っこい、闘志型の性格であろう。まさに乱世の英雄にふさわしい。フランス革命のロベスピエールなど、しばしば時代の激動期をリードして去っていく、彗星のような人物が多い性格だ。逆に平時には活躍の場を見出しがたいことが多いといわれる。秀吉は、どう見ても循環性・同調性・躁鬱性の典型だろう。古今東西、お調子者に傾くが、きわめて有能な執行・実業者を輩出してきた性格傾向である。現実・実利的であり、強い信念は見出しがたいが、場合によっては自らの人生を賭けるような大勝負さえも楽しむことができる。ただ、典型例とされる文豪ゲーテに見られる通り、酒色の誘惑に弱く、女難の相であることが多い。平たく言うと、助兵衛である。どこかの市長もそのようである(笑)。秀吉政権下では、信長の苛烈な破壊活動によって分散・潜伏していた旧敵・一向宗の本願寺勢力の残党や、足利義昭などに再び所領を与え、なだめつつ飼い殺しにするような余裕さえ見せている。また、太閤検地・刀狩りで農民の身分を固定化し、封建制度・身分社会の礎を築いたのも、おそらく自分がその出自である、半農半武士の危険性を、誰よりもよく知っていたからだとも見られる。また秀吉が無学文盲といわれる伝説も後世の粉飾であって、確かに真筆書状などでも漢字を書くのは面倒がったが、本人の猛烈な努力によって、少なくとも晩年は、無筆であったといわれる徳川家康などよりよほど教養人であったと見るのが、大方の歴史家の見解のようである。家康も学者・宗教人は尊重したが、自らはやはり文系知識人というには程遠かった。このビヘイビアは、8代将軍・吉宗によって、そっくり模倣された。秀吉という天賦の才人・知恵者に、ほぼ子飼いに近い形で仕えていた山内一豊が、妻の言いなりの凡庸な男のはずはなかろう、という見立てもある。つゞく
June 25, 2006
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戦国から安土桃山、江戸時代初頭まではやっぱり日本史の華であり、ワクワクするとともに、本当にいろいろなことを考えさせてくれる。善も悪も、モラリティへの顧慮はほとんどなく、ただ力(先見力、武力・軍事力、人心収攬力、組織力)と運に秀でたものだけが局面を制し、生き残り、のし上がれた。アナーキズムと価値ニヒリズムの状況の中での、瀬戸際の人間の姿が、ドラマチックでないわけがない。巨匠・黒澤明監督が、頓(とみ)に戦国時代を好んで描いたのも、そこに理由があるだろう。今回の大河ドラマでは、不祥事続きのNHKとしては謹慎の意趣でか、非常に低予算の、カネをかけてない表現が目立つが、大いくさ「長篠の戦い」も、たった3分ぐらいで片付けられてしまった。・・・が、これは黒澤監督が、映画「影武者」で、クドイぐらい徹底的に描写し尽くしたから、もういいのだ。そんな中、家康って人は、いうなればゴッドファーザー、(ドン)ヴィトー・コルレオーネみたいな男ではないかと、かねてより思っていたが、ヤクザ/マフィア映画の文脈で捉えると、やっぱりドンぴしゃりだと思う。こなた大国・尾張と駿河に挟まれた、ビルの谷間のラーメン屋のごとき三河国の片田舎・松平郷の土豪、かたやイタリア・シチリア島の片田舎コルレオーネ村の出身である。孤独な少年時代を過ごし、忍従の中で陰性な性格となり、人間不信を心の奥底に育て、荒涼たる冷徹な世界観と謀略をも辞さないマキャベリズムを身に付け、同時に、密かに不屈の闘志の種火も燃やしつづけていた。長じては、血のつながった者への情愛は誰よりも強かった。勝気で向こう見ずな長男・信康と、長男サンティアゴ(ソニー)を夙(つと)に死なせたことに、生涯深い悔恨と責任を感じていた。親孝行、わけても父思いの怜悧な三男・秀忠と三男マイケルがいて、晩年に助けになった。懐刀の大番頭・本多正信とロバート・デュヴァルがいて、あらゆる謀略と情報戦略をこととした。朽ちた巨木が崩れ落ちるような大往生の最期、童心に帰り、ともにトマト菜園で遊んでいた孫に、家光の俤(おもかげ)が重なる。晩年の大親分・清水次郎長が、近所の子供に駄菓子など買い与えて遊ぶのが何よりも楽しみだったといわれる史実を思い起こさせる、映画史上に残る名シーンであった。両者とも、人間、とりわけ男の一生というものを考えさせずには置かない。西田敏行は昔から大好きな役者であり、今回の家康も流石の貫禄だとは思うが、敢えて難を言えば、「いい人」臭が強すぎてちと凄みに欠ける。映画「釣りバカ日誌」のパートナー三國連太郎が、若い時にやっておくべき役だったかもしれない。あるいはその倅(せがれ)佐藤浩市も、やや男前に過ぎるが、一度は家康を演(や)ってもらいたい役者である。家康には、「悪――巨悪」の要素が絶対に必要だ。昔で言えば、映画では巨悪をよく演じた新劇の総帥・滝沢修みたいな感じだね。話は先走るが、家康の死後、大御所・大権現を失った幕閣内では、かなりの混乱が起きている。本多正信の子・正純は、我が宇都宮藩の江戸期の初代藩主として、日光道中のカナメとなり、奥州(特に伊達家)へ睨みを利かせる位置にあったが、幕府内の、急速に力を付けてきた文治派と武断派の派閥争いに敗れ、遠く奥州に左遷され、むなしく没した。仔細が分からなかった当時、「宇都宮城・釣天井」で二代将軍・秀忠を暗殺しようと謀ったなどの、「講釈師、見てきたような嘘を言い」的伝説も生まれた。さて、そんなこんなで、聡明そうではあるが何を考えているのか分からない陰性な家康は、山内一豊のような秀吉子飼いの武将たちにも、秀吉晩年の失政が相次ぐ中、その巨姿を以って無言のプレッシャーを加えるようになっていた。諸大名・武将・庶民を苦しめた朝鮮の役と並んで、秀吉晩年の大失政の一つ、秀頼への盲目的愛情に溺れ、甥・秀次を関白に就けながら梯子を外し、窓際族にしてノイローゼ状態に追い込み、挙句の果てに側室や頑是ない子供もろとも京・三条河原で処刑するという専制・朝令暮改・老害振りは、秀次の守役であった一豊にも、厭世観とPTSDめいた嫌気をもたらしたに違いない。「・・・次は、三河殿かな」と、親友・堀尾茂助吉晴あたりと声をひそめてコソコソ話し合ったとしても、誰も責められないであろう。つづく
June 11, 2006
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山内一豊の妻を主人公(プロタゴニスト)にするということは、男がおおむね大好きな、信長、秀吉、家康の三傑による日本の再統一過程を通観することであり、しかも庶民の目線や斜に構えた眼差しではなく、はたまた巨匠・黒澤明の「神の視線」でもなく、その同時代を強い上昇志向を堅持しながら生き抜いた当事者としての「インサイダー」目線でヴィヴィッドに活写されるということである。見ていて楽しいわけだし、とってもコンビニエントな歴史ダイジェスト絵巻である。この点で比肩されるのは、源頼朝の妻・北条(平)政子を主人公に据えた、永井路子の「草燃える」である。吉田松陰の言う「草莽屈起」を思わせるタイトルのこの作で、保元・平治の乱に始まり、承久の乱で後鳥羽上皇を隠岐に島流しにして収束した、武家政権成立(鎌倉幕府樹立)過程を通観できる。古代天皇制が瓦解した承久の乱の前夜、尼将軍・北条政子が、動揺する多数の御家人たちに向かってブッたという歴史的大演説のクライマックスも伴って、見事な構成である。やはり、この時代に関しては、義経一代記だけでは歴史好きとしてはどうにも物足りない。消化不良である。これは昭和54年(1979)NHK大河ドラマになっている。頼朝に石坂浩二、政子に岩下志麻、義経に国広富之、北条義時に松平健など豪華キャストであったようだが、惜しむらくは、当時僕は酒も覚え、半生の中でも最もテレビを見なかった時期なので、この作品も見ていない。ちなみに、評判の高かったその前年の作品は「黄金の日日」であった。信長から家康の政治的統一過程は、現代の我々から見れば、まことに辣腕、強引、残忍、暴力的、独裁的であるのはもちろんだが、民主主義のミの字も知らなかった当時の民衆の天下統一・泰平への願いにそれなりに応えたものだといえよう。脚本の大石恵が、ヤクザ映画のノリで書いているという趣旨の発言をしているが、尤もである。時系列的には、後世の任侠の徒の皆さんが、この時代の武士の振る舞いをなぞり、模写してきたことはいうまでもない。秀吉は、「仁義なき戦い」の、一将功なり万骨枯る大親分の金子信雄みたいに、ますます小ずるくなってきた。出世するヤツというのは、昔も今も、このように煮ても焼いても食えないほど抜け目がないものなのであろう。僕などは縁なき衆生である。演技派・柄本明の面目躍如である。演技の上手い柄本明が、演技の上手い秀吉の演技を演技する。――演技のメタ構造というか、マトリョーシュカ入れ子細工構造である。・・・一豊の戸惑いと、微妙な違和感もよく表現されている。これがのちに、我が栃木県小山市の現・市役所付近で行われた「小山評定」での、一豊一世一代の大芝居の伏線になっているわけである。ただ、山内一豊って人が、無骨で(この言葉の語源は、「骨法を知らない、無粋である」ということなので、表記はこれでいいのだ)愚直一本槍の馬鹿正直な男で、操(みさお)なる妻に操(あやつ)られ、その才覚に唯々諾々と従う、お釈迦様の掌の上の孫悟空よろしく凡庸な恐妻家だったという伝説も、歴史好きとしては当然疑って掛かりたいところだ。歴史ファンの心性は、ベテラン刑事に似てるのヨン。山内一豊は、実は稀に見る目端の利く男だったのではないか、という疑問は、歴史ファンの間ではけっこう耳にするところである。愚鈍説は、もしかすると、一種の情報操作で、自分で言いふらしたのではないか?誰に対してか?端倪すべからざる謀略家、徳川家康その人に対してである。
June 9, 2006
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ところで、3人の幼い娘を鋭意子育て中のくまんパパとしては、NHK教育テレビのシュールな教育バラエティ(?)番組「あいのて」のレギュラー・森迫永依(もりさこ・えい)ちゃんが、一豊と千代の一人娘「与禰(よね)姫」役で出てきたのも嬉しい。現在9歳。すごく明るくてクレヴァーな感じのする芸達者な子役で、この夏のイギリス映画「ハイジ」(実写版)吹き替え版では、主役ハイジの声を担当、この冬オンエアの、テレビ朝日伝家の宝刀・伝説のドラマ「氷点」(三浦綾子原作)では、主役の少女時代を演ずる予定など、ブレイクしている。天才子役・安達由実の後継者が現われた。松本明子演ずる、秀吉の異父妹・旭姫にしてもそうだが、こういう明るくて素直な個性の配役と、これから彼女たちを待っている悲しい運命の対位法が(ネタバラシになるといけないから詳しくは伏せるが)、涙をそそる、チョチョギレる、ざんす。
June 8, 2006
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昨夜、日本史の通史(読売新聞社版「日本の歴史」)を読んでいたら、恰好の旁証に出くわした。米の量との換算で、安土桃山時代の1両(金)は50~60石に相当したということだ。江戸後期の1石は約1両(約10万円)とされているので、僕の勘違いでなければ、米の価値を一定と仮定すれば、貨幣価値は実に50~60倍あったことになる。しかも米は、江戸期を通じて生産・流通の発達を重ね、供給が増す(価格が下がる)方向へのベクトルが働いたはずだから、なおさら驚きである。常識的に見て、ちょっと高く見積もりすぎではないかと、いささか疑問には思う。・・・が、このぐらいの通貨膨張は、長い歴史の中では十分にありうることではあろうと思う。けっこうビミョー。ちなみに1石は100升=10斗(約150kg)の米に当たる単位で、一人の人間が1年間で食べる量とされていた(1俵は3斗5升。つまり1石は概ね3俵)。詳しくは「米 1石とは」などのキーワードで、いくらでも検索できる。――すると、山内一豊の名馬の値段は、現在の購買力平価で、5000~6000万円!?途方もない金額になってきた。ロシアあたりの旧式の戦車なら買えるのではないか。ただ、流通経済が未発達な時代の話でもあり、上記の計算にはかなりの誤差があろうし、この話自体に多少の粉飾が加えられていることも古文書の例としてよくあることであるから、まあ、とにかく豪気なことだと言っておくに留めよう。山内一豊が「千石取り」の時点で、彼の年収は、約20両弱ということになる。1両=100万円の、きわめて控えめな見積もりを用いて、2000万円。50石取り(赤貧洗うがごとき、年収100万円?)の身分から見れば、夢のような地位である。ただ、これで一族郎党を養い、武具・兵糧も蓄え、ということになると、まだまだそう楽ではなかったろう。なお、本能寺の変の直前、織田信長が徳川家康と穴山梅雪一行らを迎え、明智日向守光秀に接待役を命じた饗応時に、家康は信長に、三河などの所領安堵の礼として「黄金3000両」を献じたという。その際、中国攻めで毛利勢の逆襲を受けた羽柴筑前守秀吉から援軍の要請があり、饗宴は急遽中止となったが、信長は家康に、京・大坂見物の費用(今でいう「お車代」)にと、1000両のお返しをしたという。これって、今なら一体いくらなんだ?…などと考えるのがメンドくさくなってきた(笑)。とにかく、昔の「勝ち組」の凄さと貧富の差(ジャパニーズ・ドリーム?)がよく判る。
June 6, 2006
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商業経済がかなり発達した江戸時代中後期の貨幣の価値については、多くの学者の研究があり、結論から言えば、1両(小判)が今の10万~12万円といったところが定説のようで、われわれの生活実感とも合致する。ちょっと敷衍すれば、1両(金)が4分(銀)であり、1分が1000文に当たる。したがって、1両=4000文である。「二八蕎麦(そば)」という言葉は今も使われているけれども、現在ではそば粉とつなぎの小麦粉などの配合比率をいうものと解されている。が、語源的にいえば、これはもりそば一杯の相場であった16文を九九の洒落で表わした、江戸っ子らしい言いまわしである。(この種の洒落は枚挙に遑(いとま)がないが、今は俄かには思い出せない(笑)。ただ、例えば、kiteの「凧」は、古くは「いかのぼり(烏賊幟)」、通称「いか」と呼ばれていた。確かにあれはどう見てもタコよりはイカに似ている。これを江戸時代の江戸っ子が、文化の中心だった上方への対抗意識も手伝い、洒落のめして「タコ」にしてしまった。)そんなわけで、もりそば一杯は16文というのが、長きに亘って当時のデファクト・スタンダード(事実上の標準)であった。これは後世、懐かしきジャイアント馬場の決め技「16文キック」の名にまで響いていたというわけである。さて1文は、約25円から30円とされている。早起きは3文の得というのは、75円~90円の得ということである。したがって、1分は2500円から3000円、1両は10万から12万円となる。すなわち、16文のもり蕎麦一杯は、今でいう400円から480円といったところであったろう。これは現代の生活感覚からも首肯される。安手の時代劇で「千両箱」なんて軽く言うが、今でいうなら1億円以上の巨額である。また、当時の封建主義的身分制度下で、庶民は、1両小判などには一生お目に掛かれなかったろうともいわれる。以下は僕の思いつき的持論だが、現在、1000万円といえば、10万円の100倍の価値である(当たり前である)。・・・が、当時の貨幣価値体系において、額面と価値が y=ax の、正比例のリニアリティー(直線性)を有していたかどうかはけっこう疑問だと思う。数次方程式みたいな曲線や、1両のところで階段を上がるような不連続性があったのではないかとすら想像してしまう。どなたか数学にも通じた経済学者の方がいれば、この着想の著作権は放棄しますので、この研究でノーベル賞を取って下さい。いつもながら、話が脱線しまくりであるが、本題は山内一豊の馬の話であった。前のログで述べたが、現代の40年弱で、物価は約5倍になっている。江戸時代にあっても、これほど急激でないにしても、物価はかなりの変遷を遂げている。ほぼ全過程においてインフレーション基調であると言っていいであろう。すでに元禄時代の文書に「諸色高直(しょしきこうじき・諸物価高騰)」の文字があり、八代将軍・吉宗が米相場と経済調整(引き締め)に腐心したことは有名である。徳川260年を通して、物価が10倍以上になったと見てもおかしくないし、自然だと思う。つまり、江戸後期に現在の10万円となった1両は、安土桃山時代の百数十万円と見てよかろうと思う。――するってえと、やっぱり、賢妻・千代が用意した10両で購入され、山内一豊の令名が一躍天下に轟くに到った例の名馬「鏡栗毛」は、今でいうベンツSクラス1台なのであった。当時の奥州(東北地方)はまだまだ外国みたいなところだったから、そこからエッチラオッチラばくろう・博労が引いてきた馬は、まさに舶来の外車みたいなものであった。わが宇都宮にも、旧・奥州街道沿いに博労町というのがあり、今に名を残しているのヨン。・・・めでたしめでたし。
June 5, 2006
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昭和44年(1969)に起きた「3億円事件」は、子供ながらにリアルタイムで見聞きした我々の世代には懐かしいが、東芝・府中工場の従業員全員のボーナスが巧みに強奪された事件だった。当時、犯人を本気で指弾する者は(マスメディアも含めて)ほとんど皆無で、誰もが、うまくやりやがったな、あやかりたい、といったニュアンスで喋っていた。世の中には本音と建前があるという、いい学習になった。逃げきったかに見える犯人像をめぐっては、狐狸庵先生・遠藤周作が早々と「ただいま浪人」という一種の青春小説に仕立て、すぐフジテレビでドラマ化され、その後も今に至るまで、ドラマや映画の好素材を提供している。(ところで、「ただいま浪人」の監督は、巨匠・市川崑じゃなかったっけ?カメラワークや編集がいかにも市川節で、斬新だった。主人公で犯人の浪人生役は、当時インテリ系人気青春スターで、今や東映社長になっている岡田裕介が飄々と演じていて、楽しかった。)この事件の真相は様々に語られているけれども、やはり犯人は、警視庁現役刑事(当時)のプータローのせがれで、後に自殺したとささやかれているのが定説か?・・・その辺はともかく、この被害金額は、現在でいうと15億円に当たるという。37年間で物価は、約5倍になっているわけだ。小難しくいうと、当時の3億円は、現在の購買力平価で15億円に当たる、という。「功名が辻」で、山内一豊は、妻・千代の持参金・黄金十両を以って、誰も手が出せなかった、のちに鏡栗毛と名付けられることになる天下の名馬を購入、一代の梟雄・織田信長の太く短い人生の最後の光芒となった京都馬揃えの前夜に、その信長の目に留まって激賞を受け、のちの出世の嚆矢となったという有名な逸話が、ついに登場した。大河ドラマではひとひねりが施され、千代の才覚溢れる計らいを「小賢しい」と見た愚直な戦国武士の一豊が激怒、千代があっけに取られて泣き出し、魂の叫びを経て、やがて和解・抱擁するというドラマチックかつ若干コミカルな愁嘆場を展開。折りしも不慮の捻挫で山内家に逗留中であった信長の正室・濃姫が、それを物陰でそっと聞いて夫婦愛に涙するという、時代考証的にはおよそありえない荒唐無稽な設定ながら、絶妙のご都合主義で盛り上げて見せた。今年の大河は日本史上の「良妻賢母」の代表格が主人公ということで、ジェンダーフリー・フェミニスト陣営の方からはかなりの反発がある(一方、細木数子女史など伝統・保守主義陣営は泣いて喜んでいる)らしいが、聞きしにまさる賢婦ぶりに、我々男性陣もタジタジなのである。この件(くだり)の功績が、原作の司馬遼太郎に帰するのか、脚本の大石恵に属するのかは、原作を読んでないのでなんとも言えないが、ナイスであった。さて、この逸話、すなわち千代の持参金(+ヘソクリ?)で名馬を買った話は、多少の粉飾はあるとしても、信頼できる史料に載っており、千代が黄金を隠していたという鏡箱は、貧窮時代にひっくり返した底をまな板替わりにしていたという枡とともに、先の戦災で失われるまで高知・山内家の家宝として伝わっていたというから、おおむね事実といえそうだ。ここで考えてみたいのは、あの名馬は、今ならいくらか、ということである。メルセデス・ベンツS500 Long、1,400万円かな?やっぱし。それとも、戦車1台、1億5千万?・・・まさかね。つづく。
June 4, 2006
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ホリエモンが日の当たる場所に帰って来ることはもうないだろうが、山内伊右衛門(イエモン)一豊は、姉川の合戦から奇跡の生還を果たした。その時歴史が動いた、という場面は多いが、姉川の戦いもそうだったんだなと思う。浅井・朝倉連合軍側の勝機も十分にあり、もし織田・徳川連合軍が敗北していたら、その後の歴史は全く変わっていた。まあ、歴史に「たら・れば」はない、という通り、どう変わっていたのかは、考えても無意味だが・・・。――なにしろ、信長も秀吉も家康もいない日本史になってたわけだから。脚本の大石恵は、男性視聴者層のニーズに応え、歴史の教科書でも特筆大書されているこの日本史三英傑が絡むシーンを毎回のように登場させ、楽しませてくれる。しかも3人とも、なんとまあ、はまり役であることよ。ワクワク血湧き肉躍る。最近の大脳生理学の知見では、この3人は神経伝達物質の分泌と性格傾向の連関の典型例に当たるという。すなわち、それぞれの励起状態での作用は、信長:ノルアドレナリン分泌優勢(闘争ストレス反応)秀吉:ドーパミン分泌優勢(面白がり昂揚)家康:セロトニン分泌優勢(冷静沈着・北村弁護士)であるという。役に立たない雑学知識でした。それにしても、哀切極まった一豊と千代の再開シーンは、前半のクライマックスというべく、すでに事前の番組宣伝素材として、昨年暮れからこの正月あたりに新聞などで写真を見ることが多く、楽しみにしていた。豪雨の設定はいいのだが、カメラワークの技術的にいうと、「風と共に去りぬ」の、あの有名なラヴシーンなどを念頭に置くと、もうちょい「寄り」で、しかも千代の表情を捉えるように右に回った方がよかった。ラブシーンというのは、古来女優を見るものである。・・・とかなんとか言いつつ、ほんと、良かった良かった。世は移り、時代は変わっても、夫婦ってものはかくありたいものですね。という、至極平凡な結論に達するのであった。重畳至極。
March 14, 2006
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「山内一豊の妻」という成句は、両親の世代以上の人は当たり前に口にしていた。また、山内家が徳川260年の間、土佐24万石の太守として存続し、幕末には坂本龍馬、中岡慎太郎などの勤皇の志士を輩出し、藩主・山内容堂自身も明治維新の重要局面に体を張った大きな貢献をしたことなどは知っていたが、藩祖・山内一豊自身は立志伝中の人物であるにもかかわらず、信長・秀吉・家康という三英傑の陰に隠れて、地味で存在感が薄く、今一つ興味が持てなかった。そんなわけで、今年の大河ドラマは見ないでいいかな~、一昨年の「新選組!」、去年の「義経」と力作が続いて見る方も疲れたので、ちょっとパスして休憩かな~、なんて思っていたのだが、とりあえず初回、2回目と見るにつけ、目が離せなくなってしまったのが恐ろしい。「千代紙」の語源とも云われる、日本史上の「賢婦・良妻賢母の鑑」である千代であるが、そのままドラマにすると、夫を立て控えめでありながら聡明で優美な、一分の隙もなくよく出来た、完璧すぎる女になってしまい、細木数子氏が泣いて喜ぶような説教臭いものになってしまう恐れがあるといわれる。現に司馬遼太郎の原作はかなりの程度そうなっていると聞く。脚本の大石恵氏は、この原作の人間像に、いかに快活で明るく、オッチョコチョイなところさえある親しみやすいふくらみを付け加えるかに腐心したと語っている(本年元日各紙インタビュー記事)。この若さで、すでに大女優の風格さえ漂わせる仲間由紀恵が、持ち前の「驚異的なテンションの低さ」と評される落ち着きで、じっくりと人物造形に取り組んでいて、引き込まれる。晴れの婚礼に至るくだりでは、不覚にも涙が零れてしまった。年取ってくると涙もろくてね。私事であるが、アララギ派風の短歌など詠み、文学・映画好きだった祖母の名も千代と言い、商人の家で祖父・両親ともに忙しく立ち働いていたので、いきおいお婆ちゃん子として育った僕は、この名前には格別の親しみがあるのである。また、僕には三人の娘がいるのだが、三女には「千(ち)」の付いた名を付けた。千代という名の女性のように聡明に育ってほしい。それはさておき、よくもまあ重量級の芝居巧者が揃いも揃ったものだ。大河ドラマでの秀吉役経験者が、西田敏行(おんな太閤記)、武田鉄矢(徳川家康)、香川照之(利家とまつ)と3人も揃って準主役級で絡み、まだ本格的には登場しないが家康にはその西田敏行が廻り、家康経験者(葵 徳川三代)の津川雅彦が育ての父親役で、お寧(寧々)経験者(おんな太閤記)の佐久間良子が一豊の母役。何やら「戦国同窓会」みたいな布陣である。「司馬史観」の見事な原作とよく練れた脚色による演技戦を、古参役者たちが実に伸び伸びと自然に楽しんでいるのが画面から伝わってくる。武田鉄矢と前田吟・両ベテランのコメディー・リリーフの掛け合いも、噺家の「フラ」を思わせるとぼけた味わいで、ニャンともいとをかし、である。主役の二人も、ただ美男美女なだけの大根役者では決してなく、若手演技派の面目躍如だが、何といっても白眉は、藤吉郎・秀吉役の柄本明の熱演であろう。ここまでの展開を見ても、秀吉が、各シーンと全ての登場人物を繋ぐ狂言廻し/クラウンの役割をになっていることが明らかだ。この重責に、演技派・柄本が、一挙手一投足、台詞廻しの隅々まで緻密に計算し尽くしながら、しかもそれを付き抜けた躍動感を感じさせる驚嘆すべき熱演で応えている。台詞の活舌、呂律が若干聴き取れないところもあるが、勢いが七難隠す、である。柄本明って今幾つだ?――と、思わず問わずにはいられないほど、走る、走る。笑えつつ、共感できる。館ひろしの、冷酷で陰性で神経質で、時にヒステリックにさえ見える、下からの視線の「畏怖される信長」も、かなりいい。上手すぎる柄本明と絡むと、どうしても食われてしまって、芝居が少々下手に見えがちなのがお気の毒だが、信長の実像って、こんな感じだったのではないかと思わせてくれるリアリズム信長が、なかなか悪くない。本能寺の悲劇まで楽しめそうだ。しかし、現実に上司がこんな男だったら、毎日生きた心地がしないざんすな。本能寺といえば、耐える女がドンピシャリ嵌っている和久井映見の濃姫をめぐって、信長と明智光秀の間に感情のトライアングル関係の鞘当てがあったとする新解釈が今回のストーリーの一つの目玉で、考えただけでゾクゾクしてしまふ。信長の芝居で記憶に残っているといえば、古くは東映映画の「風雲児信長」の中村(萬屋)錦之助の歴史的名演に始まり、近年では渡哲也(秀吉)、役所広司(徳川家康)、反町隆史(利家とまつ)などの例があるが、今回の館ひろしヴァージョンは、冷たい感触とリアルな独裁者ぶりで秀でている。・・・その反面、自らをキリスト教的神に擬(なぞら)え、その思想的背景のもと、安土城に初の「天守閣」を造らせたともいわれる、信長晩年の静かな狂気とおいうべきある種不気味な部分と包容力の表現は渡哲也版が出色で、今なお記憶に残る。が、今思うと、全体的に「人間味」がありすぎたかも知れない、とも思う。石原プロの後輩で、渡に心酔しているといわれる館はもちろん気合十分であるが、どこまで迫れるか、楽しみである。トップランナーのクリエイティヴ・ディレクターといわれる菱川勢一によるタイトルバックのCGアニメーションも素晴らしく、動く美術品の趣すら湛え、こういうのはさすがにNHKの独壇場だな~と思う。苗字から察するに、浮世絵の大家・菱川師宣の末裔でもあろうか。ともあれ、高い受信料払っている甲斐があるというものである。話は逸れるが、報道によるとNHK受信料を3割が払っていないという事実には、唖然としつつ、ほんとトサカにくるざんす。地上波デジタル化を契機に、ぜひ、スクランブル(お金払わない人には見せない)化を実現すべきだ。WOWOWにできて、NHKにできないワケがない!CGでは、金色(こんじき)に光る糸が、夫婦と人間の絆、いのちの彷徨を示し、安土桃山の花鳥風月の美術を惜しげもなくサンプリングして盛り込みつつ、有名な馬の逸話を示唆し、春(桜)、夏(白波のしぶき)、秋(菊、桔梗などが乱れ咲く花野、銀杏の黄葉など)、冬(雪景色)を経て、着々と城下町が整備されてゆくのを見下ろして聳える高知城、そしてその高知城から見遥かす土佐の海に照り映える亮(さや)かなる望月(もちづき)のもと、いまや何本にも増えたいのちの糸は絡み合い、融け合いながら消えてゆく。夫婦・家族・家臣らのいのちの紐帯を象徴させつつ、人間の一生の儚(はかな)さも感じさせて、堂々たるデジタル絵巻になっている。個人的には、安土桃山時代のファッション・風俗が一番好きだ。男も女も、最も自由で美しい。典型が女性の髪型や衣装。のちの日本髪や呉服のような型に嵌ったものが少なく、ナチュラルである。江戸期に入ると、様式化・形骸化が進み、万事堅苦しくなってくる。政治的にも戦国の世は実力による下克上と自由狼藉の謳歌した時代だったが、社会風俗的にも自由の風が吹き渡っていたのだろう。小六礼次郎の音楽は、正確には何分の3拍子というのか知らないが、3拍子系のワルツ(舞踏曲)の趣向で、華麗さと激しさを伴いながらも、女性的な優美さが勝っていて、千代が主人公の内容にふさわしい。単純でない美しさがある通好みのテーマ曲といえよう。・・・つづく、かも知れない。
February 6, 2006
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