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結婚して15年、Tさん夫妻には子どもが授からなかった。 「あと1回で、もうあきらめよう。」「夫婦2人でも十分に楽しいやん。」 そう何度も思いつつも、不妊外来に通い、もう10回以上人工授精をくり返していた。 体外受精まではしない、と2人は決めていた。それが2人のこだわりだった。 そんなTさんにおとずれた嬉しい徴候。 採血の結果、妊娠を示す血中hCGが上昇している。 「私も今度こそ母親になれるんだ。」 そんな夢のような喜びに包まれていた。 しかし超音波診察後、医師の言葉で現実に引き戻された。 「子宮内に胎嚢が見えない。すでに流産してしまっているか、子宮外妊娠の可能性もある。」 Tさんはそれを信じることなんてできなかった。 なぜなら、Tさんは前回の妊娠も子宮外妊娠だった。 人工授精で初めて妊娠した。しかし、卵管妊娠だった。 子宮外妊娠とは、その名の通り本来子宮内に着床するはずの受精卵が、子宮以外の場所に着床してしまうこと。 もっとも多いのは、卵管妊娠。他に卵巣妊娠、子宮頚管妊娠、時には腹膜に着床して胎児が発育してしまう腹腔妊娠もある。 子宮外妊娠は胎児が成長するには十分な広さがないため、自然流産してしまうことが多い。 流産せず、その場所で胎児が発育してしまうと卵管や卵巣が破裂し、大出血を起こすこともある。 そうなってしまうと、母体の生命に関わるので、その前に中絶手術を行うことも多い。 Tさんは前回、右の卵管妊娠だった。 今回と同様に、尿中・血中hCGが上昇したにも関わらず、胎嚢は確認できなかった。 しばらく様子を見ていたが、右卵管での妊娠が確認され、中絶手術をすることとなった。 卵管を摘出することもやむを得ない状況になってしまった。 Tさんは泣いて、手術を拒んだ。 不妊治療を続けても、妊娠できない。 ましてや、片方の卵管を摘出するということはさらに妊娠の可能性は低くなる。 そう言って、必死で手術を拒んだ。 しかし卵管破裂が起こってしまうと、最悪の場合子宮すら摘出しなければならなくなることもある。 そうなると、もう妊娠はできない。 卵管は片方でも十分妊娠の可能性は残る。 そう医師に説明され、なんとか手術に同意した。 あれから1年。やっと不妊治療を再開した矢先のことだった。 Tさんは目の前が真っ暗になった。 今回も同じ経過をたどったら・・・。今度は左の卵管を摘出することになったら・・・。 もう妊娠することは、できなくなる・・・? Tさんは、涙がこぼれ落ちそうなのを必死にこらえていた。 そんなTさんの不安は医師にも伝わっていた。 「まだ子宮内に妊娠していないと決まったわけではありません。もう1週間様子を見ることにしましょうか。 ただ流産や子宮外妊娠の可能性もあるので、出血があったりお腹の痛みがあればすぐに受診してください。」 そう言われてTさんはうなずいた。 家に帰っても、夫には今日のことを言えなかった。 夫も今日が受診日だったことは知っている。でも何も聞いてこなかった。 おそらく今回も妊娠がダメだったと思ってるのだろう。 こんな日は今までに何度となく経験してるのだから・・・。 なんだかんだ言いながら、夫も子どもをほしがってる。 それが痛いほど分かってるTさんは家でも泣くことはできなかった。 数日たったある夜、突然の腹痛がTさんを襲った。 夫は突然のことに驚きながらも、救急車を呼んだ。 徐々に痛みは強くなり、意識が薄れていく中で夫につぶやいた。 「また子宮外妊娠かもしれないの・・・。ごめんなさい・・・。」と。 病院に着き、産科に運ばれた。 診察室の外で待つ夫にはその時間がとてもとても長いものに感じられた。 そして、その間に考えていた。自分にすら遠慮してしまった妻・・・。 そんなに赤ちゃんが必要か・・・? 一体自分達は何にこだわっているんだ・・・? 子どもなんて、いらない・・・。いらないんだ・・・。 そのうち、夫が医師から呼ばれた。 子宮外妊娠で間違いないと考えられる。超音波での診察の結果、腹腔内に出血している。 左卵管妊娠後の卵管破裂の可能性が高い。すぐにでも手術をしたい。 そう医師から説明された。 そして、「卵管と子宮はできる限り残します。妊娠の可能性を残せるよう手術します。」と。 そうして、Tさんは手術室へと入っていった。 夫はやはり「もう子どもはいいんです。」なんて、言えなかった・・・。 手術が終わり、再び夫は医師から呼ばれ、説明を受けた。 やはり左の卵管妊娠だった。そして破裂していた。 できるだけ卵管をきれいな状態で残したかったが、かなり難しかった。 結局、一度卵管を切り、破裂した部分を切除した後、つなげた。 見た目はきれいにした。しかし卵管としての機能は果たすのはかなり厳しい状態になっている。 夫は聞いた。「それは、つまり・・・。もう子どもは無理ってことですね・・・?」 「100%無理かは分かりません。子宮はきれいに残したので。自然や人工授精では無理ですが、体外受精でなら可能性はあるとは思いますが・・・、年齢的にも厳しくなってきてますから・・・。」 意外とショックを受けない自分がいることに夫は気付いた。 これでよかったんだ、そう思いさえした。 ただ・・・、妻にはどう伝えたらいいのか・・・、それだけが辛かった。 病室に戻ると、全身麻酔からはすっかり覚めているTさんがいた。 夫はありのままを伝えようと、Tさんに話をした。 意外にもTさんはその事実を冷静に受け止めた。 「これからも2人で楽しもうね。これからもよろしくね。」 Tさんはそう夫に笑いながら言った。 夫も一緒に笑った。 1週間ほど入院して、Tさんは笑顔で退院していった。 それからTさんは不妊外来に来ることは二度となかった。 おそらくもう二度とあの夫婦に会うことはないだろう。2人で仲良く暮らしているに違いない。 医師も助産婦も看護婦もみんなそう思っていた。 ところが、1年ほど経ったある日、Tさん夫婦が産婦人科外来を訪れた。 妊娠、だった。 『奇蹟の妊娠』 医師も助産婦も看護婦もみんなそう思った。 でもTさん夫婦にとっては、きっと奇蹟でもなんでもない。 2人がお互いを愛し、支えあったからこそ生まれた命。 まだ妊娠初期。十分には安心できない週数ではある。 Tさんの年齢的にも妊娠・出産はしんどいものになるかもしれない。 でも2人はこれからもお互いを支えあい、そして新しく生まれた命を愛し、きっと素敵な家族になると思う。 |