「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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la memoria dei cibi
『ローマ人の物語』 編
ローマ人の物語1 『ローマは一日にして成らず』 塩野七生 著
紀元前753年の建国から前270年のイタリア半島(北はルビコン川から南はメッシーナ海峡)統一まで。
初代王ロムルス、元老院を創設。
前509年、ローマ共和国誕生。王政から共和政へ。
前453~2年、元老院議員が先進国ギリシアを視察。
前312年、アッピア街道敷設。
ローマ人の物語2 『ハンニバル戦記』
紀元前264年に始まった第一次ポエニ戦役から前146年のカルタゴ滅亡まで。
前264~241年、第一次ポエニ戦役
カルタゴの武将はハミルカル(ハンニバルの父)
ローマの勝利、シチリアの獲得
前219~201年、第二次ポエニ戦役
カルタゴ支配下のスペインにいたハンニバル、イタリアに進攻
前216年ローマ、カンネの会戦にて惨敗(死者7万、ハンニバル側5,500)
その後ローマに名将スキピオ登場
前202年カルタゴ内、ザマの会戦、ローマ完勝(ハンニバル側死者2万超・捕虜2万、スキピオ側死者1,500)
前168年、マケドニア滅亡
前146年、カルタゴ滅亡(カルタゴ内で反ローマ感情⇒ローマ軍の進攻⇒カルタゴ陥落)
ローマ人の物語3 『勝者の混迷』
紀元前133年から前63年のグラックス兄弟、マリウス、スッラ、ポンペイウスの時代まで。
奴隷の反乱、スペイン原住民の反乱、同盟国のローマへの反旗、イタリア半島内での内乱等々
ローマ人の物語4 『ユリウス・カエサル ルビコン以前』
英語名 ジュリアス・シーザー 紀元前100年の誕生から前49年まで。
カエサル18歳時、独裁者スッラによる反対派一掃から逃れるためイタリア内逃避行、のちギリシアに渡り小アジアへ。
22歳ローマに帰国。 23歳弁護士開業、しかしすぐ失敗、再度国外脱出へ。 ロードス島へ留学。
27歳帰国、神祇官、会計検査間等に就任。
一方で莫大な額の借金、お洒落な着こなし、数多くの愛人で有名であった。
38~39歳、南部スペインで属州統治。
40歳、ポンペイウス、クラッススと共に「三頭政治」の成立。
42歳、北伊ガリアとイリリア(現スロベニア・現クロアチア)と南仏ガリアの三属州の総督に。
紀元前58年~51年ガリア戦役。
属州の境界を越えて遠征、ライン河を渡ってゲルマン人の地に攻め込む。
ドーバー海峡を渡ってブリタニア(現イギリス)に遠征。
蜂起したガリア人を平定。
「ガリア戦記」刊行。 ただしカエサルは戦役7年目の叙述で終了。8年目の戦役は側近のヒルティウスが叙述。
ローマでは元老院が、カエサルが政治の世界に出てからずっとカエサルを危険な存在としていた。
その“元老院派”とカエサルのそれぞれの目標とするところは・・・
“元老院派”─ 元老院主導の少数指導型の堅持。ゆえに、この現体制を倒し新秩序樹立を目指すことを明確にしてきた
カエサルを、失脚に追いやる決意。
カエサル ─ 紀元前6世紀以来続いてきたローマ型の寡頭共和制(少数の特権階級に主権がある)は、超大国になった
紀元前1世紀のローマの現状には適さなくなったとして、それに代わる秩序を確立する必要を痛感。
当時、元老院の命令に従わないのは国賊、またローマ本国と属州の境界であるルビコン川を越えて本国に攻め込むのも
国法違反とされていた。
紀元前49年1月12日 ルビコン川を渡る。
『賽(さい)は投げられた!』〔事ここに至ったうえは、結果はどうなろうとも断行するほかはない。の意〕
ローマ人の物語5 『ユリウス・カエサル ルビコン以降』
英語名 ジュリアス・シーザー 紀元前49年1月から前44年3月15日の暗殺、その後の紀元前30年まで。
反カエサル派の元老院議員らに担ぎ上げられたポンペイウスとの戦いへ。
ポンペイウス、イタリア国内を逃げ回るが、前49年3月17日本国脱出。
カエサル、ポンペイウス配下の軍団兵らが待ち受けるスペインへ。 そしてスペイン戦役。
前49年8月ポンペイウス側降伏。 配下の将たちはカエサルにより去就の自由が与えられ、ポンペイウスのいるギリシアへ。
カエサル、ポンペイウス配下の将が総督を務めるアフリカ属州(現チュニジア)の制覇を部下クリオに指示。
しかし北アフリカ進攻は完敗で終わる。
前48年1月5日、カエサル、ギリシア西岸部へ上陸。 ポンペイウスとの戦闘へ。
ドゥラキウム攻防戦を経て、ファルサルス会戦(前48年8月9日)へ。
カエサル側圧勝。 ポンペイウス、エジプトへ逃亡。
前48年9月28日、エジプトの首都アレクサンドリアでポンペイウス殺される。
その頃エジプトは・・・ 独立国家だが、ローマの同盟国。 お家騒動真っ只中。
カエサル、アレクサンドリア上陸。
アレクサンドリア戦役。 内紛終結。 クレオパトラと弟王との共同統治へ。
カエサル、クレオパトラと2ヶ月の休暇を過ごす。
カエサル、ユダヤ・シリア・キリキアで統治の再構築。小アジアに上陸、ギリシアを掌握しローマへ。
前46年、北アフリカ属州のポンペイウス派制圧。
カエサル、暦を改定。 「太陰暦」から「太陽暦(ユリウス暦)」へ。
前45年、スペインで激戦の末、ポンペイウス派を破る。
カエサル、パクス・ロマーナ(ローマによる秩序ある平和)の確立、民生の充実等を目指し改革に着手。
前44年3月15日、カエサル暗殺される。
オクタヴィアヌス(カエサルの妹の孫、後の初代皇帝アウグストゥス)を継承者とするカエサルの遺言状公開。
カエサル派だったアントニウス(38歳)とオクタヴィアヌス(18歳)の覇権争いへ。
クレオパトラ、アントニウスの愛人となり、共にオクタヴィアヌスと戦うが敗北。
前30年アントニウス自刃。 クレオパトラ自死。
(ギリシア人であるアレクサンダー大王がペルシアに勝ってエジプトを支配し始めたのが、紀元前333年。
300年続いたギリシア系プトレマイオス王朝は、最期の女王クレオパトラで終わった)
オクタヴィアヌスの時代へ。
カエサルが打倒した共和制ローマに代わる、帝政ローマのはじまり。
ローマ人の物語6 『パクス・ロマーナ』
オクタヴィアヌス(アウグストゥス)による統治の紀元前29年から紀元後14年に亡くなるまで。
軍事力の大幅な削減、国勢調査の実施、元老院の再編成(議員数1000超→600)
紀元前27年、元老院はオクタヴィアヌスに尊称 “アウグストゥス” を贈ると決議
右腕アグリッパと共にガリア、イベリア半島などローマ世界の西半分の再編成
通貨制度の改革(以前は銀貨と銅貨。金貨は凱旋式など記念鋳造で、『通貨』ではなかった。
それを金・銀・銅にし、額面価値と素材価値を一致させた)
『平和の祭壇』の建設
「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」のシンボル建築として建てられ、実際にその目的のために使われた。
紀元前5年「少年団(ユヴェントゥス)」組織の常設
肉体の鍛錬とチーム・ワークの精神の習得を目標にかかげた、9歳から17歳までの少年たちで構成される団体組織。
ゲルマニアの地のローマの防衛線をライン河より東のエルベ河にしようと試みるが、失敗。
紀元後14年8月19日没す、76歳。
ローマ人の物語7 『悪名高き皇帝たち』
第二代皇帝から第五代皇帝統治の、紀元14年から68年まで
第二代皇帝ティベリウス
初代皇帝アウグストゥスの養子。
北アフリカ、パンノニア(現クロアチア、ドナウ河辺り)、低地ゲルマニア(ライン河下流)で反乱。
⇒息子ドゥルースス、養子ゲルマニクスが鎮圧。
ローマの売上税、1%から0.5%へ引き下げ。
社会不安を招いたという理由でローマ在住ユダヤ人を一時的にイタリアから追放。
27年、カプリ島に隠遁。
属州で高利をむさぼっていた元老院議員が告発され、金融不安と地価の下落から一大金融危機発生。
⇒「公的資金の投入」などで沈静化。
ローマ “アヴェンティーノの丘” で大火。
⇒被害者救済と再建対策の実行。
37年3月16日死去、77歳。
第三代皇帝カリグラ
ゲルマニクスの三男。
ユダヤ人とギリシア人の対立激化。 それぞれの使節団と会見。
新たな水道の建設を発表。
種々の娯楽スポーツの提供等浪費により、即位から3年も経たないうちに国家財政が破綻。
ゲルマニア進攻・ブリタニア(現イギリス)進攻を試みるも断念。
41年1月24日殺害される、28歳。
第四代皇帝クラウディウス
ティベリウスの甥、ゲルマニクスの弟、カリグラの叔父。
ローマの外港オスティアに新たな港の建設を決め、着工。
国勢調査の実施。 ローマ市民権所有者数は約598万人。
52年、カリグラ時代に着工した2本の水道が完成、「クラウディウス水道」と名づけられる。
54年10月13日死去、63歳。(アグリッピーナ〔妻、ゲルマニクスの娘なので姪にもあたる〕による毒殺説)
第五代皇帝ネロ
アグリッピーナの連れ子。 16歳で就任。 補佐役はセネカ。
59年、母を殺害。
ブリタリア人、反ローマで総決起。 ローマの一個軍団(6000兵)壊滅。
⇒ブリタリア人と会戦、勝利
62年、セネカ引退。 妻オクタヴィアを離婚、流刑、殺害。
63年、ポンペイで地震発生。
64年、歌手デビュー。
ローマで大火 ⇒ 被害者救済、再建の陣頭指揮。
87年ぶりの通貨改革を実施。
65年、ネロの暗殺を謀った「ピソの陰謀」発覚。 セネカ自死。
66年、「ベネヴェントの陰謀」発覚。 青年将校を全員処刑。
歌手としての腕試しのためギリシア旅行へ出発。
68年、ローマ市民、反ネロで立ち上がる。 元老院、ネロを「国家の敵」と宣告。
近衛軍団、スペインの属州総督ガルバを「皇帝(インペラトール)」に推挙すると決定。
同年6月9日ネロ自死、30歳。
ローマ人の物語8 『危機と克服』
紀元68年から98年まで
第六代皇帝ガルバ(在位、紀元68年6月18日~69年1月15日)
暗殺により死去、72歳。
第七代皇帝オトー(在位、紀元69年1月15日~4月15日)
ライン河防衛担当のゲルマニア軍団とドナウ河防衛担当のドナウ軍団が衝突、第一次ベドリアクム戦へ。
オトー・ドナウ軍団敗北、オトー自死、37歳。
第八代皇帝ヴィテリウス(紀元69年4月16日~12月20日)
10月24日ヴィテリウス派「ライン軍団」とヴェスパシアヌス派「ドナウ軍団」が衝突、第二次ベドリアクム戦へ。
12月15日ヴィテリウス派兵士が降伏、12月20日フォロ・ロマーノでヴィテリウス殺害される、54歳。
その一方で・・・・紀元69年夏、ライン河一帯のゲルマン民部族、半ローマで起つ。
ゲルマン系ガリア人も加わり「ガリア帝国」の創設を求める。
⇒紀元70年ローマ軍勝利。 秋反乱終結。
第九代皇帝ヴェスパシアヌス(在位、紀元69年12月21日~79年6月24日)
70年 ユダヤ戦役
71年 コロッセオ建設開始
73年 国勢調査の実施
79年 死去、70歳
第十代皇帝ティトゥス(在位、紀元79年6月24日~81年9月13日)
ヴェスパシアヌスの長男
79年8月24日 ヴェスヴィオ火山大噴火
80年 ヴェスパシアヌス着工のコロッセオ完成
81年 死去、40歳
第十一代皇帝ドミティアヌス(在位、紀元81年9月14日~96年9月18日)
ヴェスパシアヌスの次男、ティトゥスの弟
ゲルマニア防壁の建設に着手
85年 ドナウ河下流部の北岸一帯に住むダキア族がローマ領に侵入、ダキア戦役へ
88年 ダキア族に大勝
その他在位中にドミティアヌス競技場(中世以降はナヴォーナ広場に変身)の建設をはじめ、多数の公共施設の建設、
インフラストラクチャーの整備等を行った。
96年 暗殺され死去、44歳
第十二代皇帝ネルヴァ(在位、紀元96年9月19日~98年1月27日)
トライアヌスを後継者に指名
98年 死去、71歳
ローマ人の物語9 『賢帝の世紀』
紀元98年から161年まで
第十三代皇帝トライアヌス(在位、紀元98年1月27日~117年8月9日)
101年 第一次ダキア戦役(ダキアとは現在のルーマニアあたり)
103年 ドナウ河に渡した「トライアヌス橋」が完成
105年 第二次ダキア戦役
106年 ダキアの首都サルミゼゲトゥーザ落城。 ダキアはローマの属州に。
112年 「トライアヌスの市場」完成
113年 ダキア戦役を描いた「トライアヌス円柱」公開
その他本国イタリアだけでなく帝国全域で公共工事を行う(浴場、橋、市場、港湾等)
117年 死去、63歳
第十四代皇帝ハドリアヌス(在位、紀元117年8月9日~138年7月10日)
121年 ガリアに向け最初の巡行開始。 ブリタニアで「ハドリアヌス防壁」の建設指示
その後アフリカやアテネ、シリア、ユダヤなど計3回巡行する
131年 「ローマ法大全」完成
131年 ユダヤ教徒の反乱勃発
134年 ローマ軍によりイェルサレム陥落
反乱に加わったユダヤ教徒をイェルサレムから追放、属州名を「パレスティーナ」に変える
この強制的「離散(ディアスポラ)」は、20世紀半ばのイスラエル建国まで続くことになる・・・・
ローマにあるパンテオンはもともと紀元前1世紀末にアグリッパ(初代皇帝アウグストゥスの右腕)が建てた神殿であったが、
割りと多くの木材が使用されていたため、何度か火災の被害に遭っていた。
それをハドリアヌスが一切木材を使わずに建て直した。
神殿の正面に「アグリッパの建造」と刻まれているが、これはハドリアヌスが初代の建造者を尊重して刻ませたもの。
また現在世界遺産に登録されている、ローマ近郊ティヴォリにある「ヴィッラ・アドリアーナ」はハドリアヌスの別邸である。
138年 アントニヌスを養子に
死去、62歳
第十五代皇帝アントニヌス(在位、紀元138年7月10日~161年3月7日)
トライアヌスによってドナウ河の防衛線が確立され、ハドリアヌスによって防衛体制全体が再構築された後の
帝国を維持した平穏な時代
139年 「ハドリアヌス霊廟」完成。(後に法王庁の城塞に変えられサンタンジェロ城とよばれることになる)
142年 ブリタニアの反乱、鎮圧後、ハドリアヌス防壁のさらに北に「アントニヌス防壁」を建設
161年 死去、74歳
ローマ人の物語10 『すべての道はローマに通ず』
ローマ人が築き上げたインフラストラクチャー(社会資本、基礎設備、下部構造)の紹介
インフラストラクチャー(英語)は、
ラテン語の「インフラ」(下部ないし基盤を意味する) と
「ストゥルクトゥーラ」(構造・建造を意味する)を現代になって合成した言葉
ハードなインフラ ─ 交通手段としての街道。橋。港湾。神殿。
宗教施設としては、集会や裁判が行われ公共図書館もあるところから、市民生活の中心であったとして
よいフォールム(広場)とバジリカ(公会堂)。
娯楽施設としては、ギリシア式そのままの楕円形競技場・半円形劇場。ローマのコロッセオスタイルの
円形闘技場。
上水道。下水道。公衆浴場。
ソフトなインフラ ─ 安全保障。治安。税制。通貨制度。郵便制度。
貧者救済のシステム。育英資金制度。
医療。教育。
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