Happy life in Florence

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その4

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珍道中その4

フィレンツェオペラデビュー
語学学校を終了してから、音楽学校にしばらく通っていたときのこと。
個人レッスンと平行してオペラ演習のコースも取っていた。
このコースではイタリア人のバリトンとテナーとソプラノが「バスティアンとバスティエンヌ」を練習してて、私はもう一人のイタリア人のソプラノとスザンナとマルチェッリーナの二重唱を練習してた。
お3人さんはどうやら去年からこのオペラを練習していて、今年は本番がいくつかあるらしく学期の始まりにもかかわらずかなりしあがっていた。
ところが学期が終わろうとしていた6月、突然先生からお呼び出しを受け、ソプラノさんが引っ越すことになったからということで、代役を頼まれてしまった。
本番は9月だという。
学校は6月に発表会が終わったら閉まってしまって、9月末まで開かない。
リハや合わせはどうするのかと聞いたら、適当に電話連絡を取って会いましょうということだった。
いやいや、曲的にはそんなに難しくないからいいんだけど、台詞がね。
日本で8年フィレンツェで半年、日常会話には問題はないけれど、舞台で台詞って言うのは・・・。
夏休みにしっかり勉強することにして引き受けた。
8月後半になっても誰からも連絡がない。
でも、先生の電話番号も知らないし、他のメンバーの番号も持ってない。
学校に電話しても留守電が「学校は9月末までお休みです」というし・・・。
たまたま近所のバールで先生と遭遇し、合わせをしたいと言ったら、わたしの番号を控えてくれて数日後に合わせの日を決めてくれた。
おかげで何回か台詞の合わせもでき、アンサンブルも2度ほど合わせ、オケ合わせは2回できた。
オケはまだちっとも完成してなくてチョー音痴。足りない楽器を補うピアノがなければ調さえ見失うことも。
これは伴奏を聞かず指揮だけを頼りに自分の音感にしたがって歌うしかない。 しかも直前まで、どこで、どういう企画でこのオペラが上演されるのかさえ定かじゃない。
私が言葉が分からないからというより、だれもそんなこと興味がないかのようにアナウンスがないのだ。せめて当日のスケジュール表とか、どうやって現地につくかの地図かなんかのコピーとか。そんなもの期待するほうが間違ってるらしい。こういうところがやっぱりイタリア。
本番が9時ごろという話だったから7時ごろ行けばいいかなと勝手な判断で会場のフィレンツェのチェルトーザに到着。
着飾った紳士淑女がいっぱいいて、オケのメンバーもちらほら。でも、そこに行けばいいのか誰も分からずうろうろしている。
しばらくして通された部屋は大きな物置。
ここで着替えるんかい?
私はひとりトイレに行って着替えをすます。
荷物は誰でも入れるこんな大部屋に置きたくなかったので舞台脇まで持ってった。
バリトンと台詞合わせをしながらオケが集まるのをまって、軽くリハ。
ここではじめてこれはユネスコのイタリア大使就任記念式典だということが判明。
オペラは無事終わった。
当時既に29歳だったのだけれど、白いワンピースで、牧場の少女役を歌った東洋人のソプラノは若く見えたらしく、「じょうずねえ、よかったわよ。いつから歌の勉強をしてるの?」「かれこれ10年以上になります」「????」
10年若返るクリームなど必要ない私たち東洋人。嬉しいのかなんなのか?
とにもかくにも、リハがあるのやらないのやら、どこでいつやるのやら、と気をもみましたが、これがどうやらイタリア式らしい。
だって、だれも私ほど気をもんでる人はいなかったから。
やれやれ。


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