Sky in Australia

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声が出ない



例えば毎日面会に来てくれる家族ともまともに話をすることが出来ませんでした。声を出すこともまともに出来なかったのです。全身の力を込めて声を出しても、ささやくような声しか出てきません。相手の話に相槌を打ちたくても、うなずいたり、”うん”という言葉を出すことも出来ませんでした。母が話すことをじっとして静かに聞くだけの日々でした。

調子のいい時は本も読みましたが、調子に乗ってはいけません。首を横に向けたり、ページをめくったりするとまたお腹が張りだすのです。お腹が張る、というのは子宮がぎゅーっと収縮して硬くなる状態です。つまりミニ陣痛です。この張りが来るたびに時計を見なければなりません。もしも一時間に3回以上来ているようなら、それから本当の陣痛に進んでしまうこともあるので、報告しなければなりませんでした。

張りが来ると動悸も激しくなります。無理をすると苦しく眠れない夜が待っているのです。今回入院してみて、世の中いかに流産&早産のリスクがある妊婦さんが多いかわかりました。この病院は3階から5回まで病室がありましたが、産後の普通のお母さん達が入院しているのは5階のみ。3階と4階はほとんど切迫流、早産の妊婦さんたちでした。入れ替わり立ち代りものすごい数の入院患者でした。

私の場合リスクが高いので子宮口を結ぶ手術をしなければなりませんでした。ただ、特に出産近くになると、この子宮口を結んだ糸が肉に食い込み、ものすごい痛みで動けなくなることが度々ありました。それもこの痛みは急に来るのです。入院途中からトイレには行けるようになりましたが、行きは良い良い帰りは怖い、、、。ある程度以上歩くと急に声も出ないような痛みが走るのです。

”いっっっっっ、、、、、、!!!!”

と言ったきり、一歩も動くどころか、全身固まって全く動くことができません。誰かの手を借りて何とか歩いても、そこから座ったり横になったりする動きでまたものすごい痛みが走り死にそうでした。

毎日毎日天井を眺めて過ごしました。もう一生妊婦のような気さえしてきました。よく”退屈だったでしょう。”と友人から言われましたが、退屈なんてものではありませんでした。退屈という言葉は元気な人が時間をもてあまして使う言葉なのだと思います。あの痛みと苦しみの中では”退屈”だと感じる余裕など微塵もありませんでした。

それだけではなく、妊娠中は臭いだけでなく、あらゆる刺激が100倍くらい強いものに感じました。誰かが普通に話していても大声で叫んでいるように聞こえて耳をふさぎたくなりました。例えば音に関して言えば、電話なんて耳から20センチくらい離して聞いていても、普通に大きな声で聞こえます。

光、振動、電磁波、なども同じです。テレビやPCをつけると電磁波の為、同じ部屋にいるだけでものすごく気分が悪くなり、頭痛と動悸に襲われます。普通の蛍光灯の光もまぶしすぎて不快でした。静かで暗い部屋にじっとしていたい、ただそれだけでした。車や車椅子の振動でもお腹の張りがどんどん押し寄せてきました。

一口食べただけでも化学調味料が入っているものは、まるで何かとてつもなく危険な、食品ではないものを食べているような、そんな味で吐き出しました。いつもは気付かずにこんなものを食べているのですから、本当に恐ろしいですよね。この経験から、だしなど今でも家で必ずとるようにしています。

それから、入院中に回診に来る先生が、足のむくみを見るために足に触っただけで体全体が飛び上がりそうにもなりました。体の一部に触られるだけでお腹の張りが来ることもありました。検査の為に内診をするのも最小限にしようということになりました。

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