Minami’s クラブ

波乱万丈人生ー序幕ー



と大きくふたつにわけると、”波乱万丈”になります。

でも一言で「波乱万丈」と片付けられないストーリーがここにあります・・・


私が子供の頃、東京でフラメンコギター会社を経営していた父は、
芸能人との交流もあり、一方宝くじ評論家として
雑誌やテレビ、ラジオなどに出演するなど、華やかな生活を
送っていました。


母は音大を卒業し、生徒を何十人も抱えるピアノの先生で
私たち姉妹にはいつも百貨店で買ったワンピースを着せ
お洒落な靴をはかせ、私たち家族は外食が当たり前の世界で育ってきました。



小学生1年生の頃、東京・中野の家が全焼。

風呂の空焚きが原因でした。(昭和の時代のお風呂は木で出来ていました)

命からがら私と妹を抱きかかえ燃えさかる炎の中
脱出した母。

一方カバンと枕を間違え、枕を抱え一人飛び出した父。。。

そこから私達の運命の歯車が狂い始めました。



全て焼けてしまったので、ご近所や学校から寄付のように
いろいろなものをわけてもらいました。
衣類であったり、文具であったり
ダンボールいっぱいに集まった寄付が今でも覚えています。。



とりあえず仮家として高円寺に住んだ後、1年後
両親から埼玉県に家を購入したから引っ越すよと教えられました。


通っていたスイミングスクールも泣く泣く辞め、
杉並区高円寺の小学校でせっかく出来たお友達とも別れ
母親も生徒さんとお別れして、埼玉の新しい家で一から始める事となったのです。



新しい家ではピアノ教室の生徒さんも続々と集まり、
母はピアノ教室に大忙し。私は「東京から来た女の子」と呼ばれ
ものめずらしさからか大人気。お友達もすぐにできました。


何もかも順風満帆に思えていました。。。。



中学生の頃から、度々母親の実家がある熊谷まで家族で出かけることが多くなった
Minami一家。そこでは祖母を始め、親戚家族と家族会議が何度も開かれていました。


何も事情がわからなかった私たち姉妹ですが、
父の「大丈夫だから」と何やら説得している姿と

母親が涙を時折見せながら何度も頭を下げている姿が
目に焼きついています・・・・




中学生になった私はある日、部活から戻るとサラ金からの電話を取ってしまいます。


「金返せ!!この野郎!!!!」


相手は電話口で怒鳴っていました。。。。


母親は泣きながら「ごめんね、、ごめんね」というばかり。

子供心にもなんだか

「やばいんじゃない?うち・・・・」

と思うようになりました。


サラ金からの電話は日増しに多くなり
私も負けじと電話口のサラ金業者に向って怒鳴り返したりしていました。



数日後、両親からお父さんの会社が倒産して多額の借金を作ってしまったことを
聞かされました。

両親が離婚したらどちらについていくか?とその時きかれました。


でも親戚のおばさんが「子供がかわいそう」という事で
救いの手を差し伸べてくれたようです。
今思えば、親戚家族が何百万も援助してくれたみたいです・・・・



借りられる所から全てお金を借り、親戚や祖母にも頭を下げ
借金を返しても、返しても追いついていかず
またサラ金から借りる・・・・


いつしか購入した埼玉のマイホームも知人に売り
その人からレンタルするという形で住んでいたという事を
後から聞きました。


自転車操業に陥っていた我が家は、とうとう最終決断を下します。
何十年も続いていた老舗喫茶店だった祖母の家を担保に
何千万も銀行から借りたのです。


返せるあてがあったのでしょうか?返さなかったらもちろん差し押さえ。
祖母は追い出され、母親の実家はなくなります。。。


父も母も一生懸命仕事をしていたはず。

私や妹のお年玉やおこづかいも全て親に渡しました。

「Minamiちゃんは何も心配せずに
ピアノさえやっていてくれたらいいからね。。」

母親はいつもそう言っていました。






そして最悪の事態は起こりました。。





母が生まれてからずっと育ってきた実家が
取り押さえになってしまったのです・・・・




年老いた祖母は泣きながら

「死んでも恨んでやる」

と父を恨んでいましたが、
結局埼玉のわたしたちの家で祖母を引き取ることになりました。


私は祖母から父がどんなに汚い人間か毎日聞かされる事となりましたが
高校生の私はとにかく音大へ行く為にピアノピアノの毎日で
家族の危機的状況を見て見ないふりをしていました。


2歳の頃から親の敷いたレールの上を走り続けた私。
母親と同じ武蔵野音大に進むことが
私の道なのだと教えられてきたのですが


しかし

家族のいろいろな問題がしだいに私の心まで揺らがすようになったのです。。



せっかく高校から推薦してもらった音大の面接試験の当日、

親に内緒で密かに遊んでいた新宿のディスコで知り合った

彼の元へ行き、面接試験をすっぽかしてしまいました。



母親は号泣、父親は驚愕、学校からは呆れられ、
どうやって卒業したのか今でも記憶にありません。。。。


16年間ピアノ人生を歩んできた私が、

自らの手で自分を解放した瞬間でした。




高校卒業後は友達と一緒に暮らし、昼はデパート、
夜はスナックでバイトするようになりました。



デパートで仕事を始めてから、ある男性と知り合いになりました。
笑顔の素敵な宅配便のお兄さんです。私より2歳年上でした。


最初は私が強引に彼にアタック。


私のアタックに半ば負けたという感じでお付き合いが始まりました。
2年間付き合ったけど、遊び盛りの私には
彼の真面目さが次第につまらなく感じるようになり
彼に内緒で何度も浮気を繰り返しました。


ある日、私の秘密のスケジュール帳を彼に見られて、大喧嘩。

「浮気してたのか~~!!??」

と寝ているそばで怒鳴られ、本当にめんどくさくなってしまった私。

その後も何度も何度も衝突を繰り返し、

いつしか彼とは喧嘩別れになってしまいました。






それからしばらくして、夜のバイト中お店に彼から電話。


「Minamiごめん。。」


受話器の向こうから、震える彼の声が聞こえてきました。


ものすごい胸騒ぎがしたけれど、バイト中だったので

明日電話をしてみようと思っていました・・・





翌朝、





新聞には小さく彼の記事が載っていました。

マンションの8階から飛び降り自殺でした。。。

私に電話をしてきた直後に飛び降りたようです・・・



私は頭が真っ白になりました。




彼の家へ行くと、

彼のテーブルには私と彼が付き合っていた頃の写真が置いてありました。

そして死を覚悟した彼が最後に声を聞きたかったのは私の声でした・・・



彼を振り回し、彼につらい思いをたくさんさせて

私は彼になんてことをしてきたんだろう。。。涙が止まりませんでした。。。


「私こそごめんなさい。。。」


彼の遺影の前でそっと手を合わせました。。。。



1話へ続く。。。



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