NO13 ゆうの25年間の記録

kosumosu8


ゆうが、4年生に成った頃から・・・激しい頭痛が 頻繁に起こるようになり、学校も お休みが多くなって来ました。

原因は、8歳から10歳ぐらいにかけて、人間の脳が一番発達するとの事で・・・ゆうの、頭蓋骨は 生後すぐに入れたシャントのせいで、普通の人より多すぎるくらいの 髄液がいつも流れ過ぎているために、今度は狭頭症と言う 病気に成ってしまい・・・脳が 強く圧迫された状態になっていました。


そこで、脳外科の先生達が 色々と話し合われた結果・・・ゆうの 後頭部の頭蓋骨を、ところどころに 穴を開けて、脳に掛かる圧力を、軽減する手術をする事になりました。

(その頃は、減圧術は まだ 進んでいなかったので・・・)

11月に、入院して 12月の始めに、手術をしました。
時間的には、4時間ぐらいの 手術で、終わると 別室で ゆうの手術中の写真を 見せていただきました。(真赤で、あまり 良くわかりませんでした)

「今回は、減圧のために 後頭部に3箇所 穴を開けましたら・・・脳が飛び出してくるほど、圧が上がっていました。
この手術で、少しは 痛みが減ってくればと、願っていますが・・・」

と、説明を 受けました。


年が明け退院してしばらくしたら、ゆうの状態は、 一見 良くなったように、思えましたが・・・


あっという間に、また 元に戻ってしまい 退院後も、ほとんど学校に行けない状態になりました。

おまけに、頭蓋骨に穴を開けた ためか、大好きだった 花火も音が 頭に直接 響き 痛みが起こるようになって 花火見物も、できなくなりました。


4年生から6年生まで・・・何日 学校に行けたでしょうか・・・
(入退院が、今までより 多くなりました)

出席日数より、欠席日数の方が 遥かに多く、修学旅行も 行けずに 寂しくお見送りをしました。


たまに学校に行って・・・ 参観日と重なると、後ろから見ていて ゆうが、先生の言葉に 着いていけず 何をして良いのか分からずに・・・まるで 浦島太郎状態で、必死に隣や 周りを見て 戸惑っている姿に 心を揺さぶられ 一瞬、ゆうを抱いて 教室から飛び出したい衝動に駆られました。
(この時ばかりは、本当に 涙を堪えるのに 苦労しました・・・とても、見てはいられなくて)

そんな状態でしたので、中学は 普通中学に決まっていましたが 私もゆうも、中学には 席だけ置いて 通うつもりは ありませんでした。


そんな時、「しいのみ学園」で、5年間、担任をして頂いた、M先生が

「中学は 義務教育だから、就学相談会に 行って 訪問教育を受けられるように、教育委員会に 相談しては・・・」 と アドバイスを受け 

早速、行動に移しました。

『訪問教育とは、寝たきりで学校に 通えないお子さんが受ける教育の事で、先生が週3回 家庭を訪問して 教育を受ける事が出来るシステム・・・ただし受ける為には、養護学校に席がなければならない!』
(その頃は、まだ高等部には、訪問教育が無かったな・・・現在はある。)


就学相談会の日、しいのみの子供達も 相談を受けるので、M先生も一緒に行くことが出来 とても心強く 落ち着いて相談(訴え)を、する事ができました。

教育委員会の先生方に、今の状態を必死で、説明して・・・


それから、しばらくして 教育委員会からの連絡で、養護学校に入学が認められ、訪問教育も受けられるように なりました。

訪問教育を受ける子供で、歩けて 話せる子が認められたのは、ゆうが初めてでした。


小学校で、 相談さえ聞いて頂けなかった ゆうでしたが、「しいのみ学園」のM先生のお陰で 暗く閉ざされていた 進路を明るく照らして頂き、希望の光が見えてきました。



                    明日へつづく 

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