ダーレーの日本戦略

ミスプロの競馬三昧


 ダーレーの日本戦略


~モハメド殿下(Sheikh Mohammed)は1983年に第3回ジャパンカップ(GI)に出走した同殿下の牝馬ハイホーク(High Hawk)号のレースを観るために来日したが、トロフィーを手に入れることなく母国ドバイへ帰っていった。 しかし、おそらく、トロフィーよりも価値があり、同殿下が20年以上もかけて結実させた日本でのビジネスのアイディアの種を持ち帰った。

日本人ファンの競馬に対する情熱に感銘を受けたモハメド殿下は、外国人が参入しにくい高い障壁が設けられているにもかかわらず、世界中のどの国よりも賞金額が高く、かつ規制された日本(の競馬)へどうにかして参入を認めてもらいたかったのだ。~


 モハメド殿下は、日本文化の中で最も尊ばれている忍耐力と外交力を駆使して、先例のない競馬と競走馬生産ビジネスを日本で確立していった。 殿下の日本でのビジネスは、急速に発展を遂げたダーレー帝国を支える柱となりつつあり、また日本人以外の馬主が日本に参入する途を開拓している。

2004年中にモハメド殿下は、北海道で375エーカー(約152ヘクタール)に及ぶ5つの生産牧場を購入し、『日出ずる国』日本で事業を展開してきた。 しかしその業績は、地方自治体競馬を統括する地方競馬全国協会(National Association of Racing-NAR)という日本競馬界では第2グループに属している。
2005年10月には、モハメド殿下の日本における事業の設計者であり、日本中央競馬会(Japan Racing Association-JRA)の元職員である高橋力氏は、将来的に有望なダーレー所有の種馬場として新たな拠点となる牧場の購入に乗り出した。
高橋氏は2006年までに、日本に居住していない外国人資本の厩舎として初の馬主登録をJRAから獲得することができるだろうと考えている。  同氏はすでに、ダーレー・ジャパンの馬を次々と世界の著名な競走に参戦させるという未来像を描いており、その手始めとして、NARの2004年度2歳最優秀馬でありNARのダートの3歳馬のトップランクにあるシーチャリオット(Sea Chariot)号を、2006年にチャーチルダウンズ(Churchill Downs)競馬場で施行されるブリーダーズカップ・クラシック(Breeder Cup Classic-Powered by Dodge、米-GI)に参戦させることを考えている。

競走馬の取引にかかった何年もの年月と事業基盤を築くために使われた費用を除いて2,000万ドル(約22億円)以上の投資を必要としたこの事業の目的は、単純なことである、とダーレーを管理しているジョン・ファーガソン(John Ferguson)氏は言う。 同氏は「モハメド殿下は明確なビジョンを持った人であり、そして大変な行動力があり、できるだけ異なるバックグラウンドを持った多くの人々と競馬界で関わりたい、という強い希望をお持ちです」と述べた。

 世界のトップに立つことが目的だと解釈する人もいるであろう。
モハメド殿下がドバイ・ワールドカップ(Dubai World Cup、UAE-GI)やエミレーツ航空(Emirates Airline)、その他のスポーツイベントやベンチャービジネスを通じて、ドバイの商業振興に取り組んできた同殿下の熱い使命感と歴史から見ても、ダーレー・ジャパンという事業が、サラブレッド競馬がいかに経済全般につながっていくかというモハメド殿下の見識に基づいて行われていることが分かる。 ファーガソン氏は、「モハメド殿下がジャパンカップを観戦なさった時から、殿下は日本の競馬、そして必然的に競走馬の生産に興味を持たれました。 ドバイは日本の大きな貿易相手国です。 そのため、日本のビジネス界にパートナーが多くいます」と話した。
モハメド殿下の競馬戦略の形が見えてきたのは、同殿下が最初の競走馬を購入したわずか7年後で、イギリスにおいてリーディング馬主となった2年前であった。 殿下は当時34歳であった。


  脅威か誤解か

 モハメド殿下の参入は、同殿下とその兄弟が日本人にとって有益である長期間の競走馬生産に関する合意に基づき、種付けのために繁殖牝馬を今は亡きサンデーサイレンス(Sunday Silence)号の元に送るとともに、種牡馬を交換して供用してきたので、何年もの間、日本で歓迎されてきた。
しかしながら、今日、保守的な考えを持つ日本の馬主や生産者の多くは、日本の競馬産業へのダーレーの本格的な参入が国内競馬産業全体の土台をゆるがすのではないかと懸念している。

日本競走馬協会(Japan Racing Horse Association-JRHA)は2005年6月の書簡の中で、JRAに対し、モハメド殿下および同殿下の代理人に対する馬主登録の審査をする際には、最大の注意を払うべきであると述べた。
同協会は、「もし資本金、税制、そして競走馬生産の質の面で日本の馬主より勝っている海外の馬主が……、我が国の賞金を目当てに活発に競馬に参入しようとするのであれば……、それは日本の馬主にとって大きな脅威をもらすでしょう。 それ故に、このような優秀な海外の馬主が多くの生産活動に従事すれば、彼らが日本で馬主として登録された時、多くの優秀な競走馬を次から次へ輸入し、レースの多くを乗っとってしまうことは簡単に予想できます……。 そうなれば必然的に、日本の競走馬生産業に壊滅的な打撃を与える……、と言っても過言ではありません」と書簡で述べた。

社台グループと社台スタリオンステーションを経営する吉田ファミリーの長男で、JRHAの副会長を務める吉田照哉氏は、ダーレーの事業がもたらす影響について、より慎重に、しかし、率直に懸念を表明している。
吉田氏は、「まだわかりません。 もし彼らが(日本で)成功しなければ、それは彼らにとって残念なことであるでしょうし、彼らが大成功すれば、私たちにとって大変なことです」と述べた。

モハメド殿下の下で働くために、1991年にJRAの獣医職と種牡馬の購買の職務を辞めた高橋氏は、これまで、脅迫電話や日本の生産者にダーレーに対して敵対心を持たせるようなうわさの流布にずっと耐えてきたという。
高橋氏は、「モハメド殿下が日本に賞金稼ぎに来るのだと思っている人たちは誤解しています。 賞金が目的ではないのです。 殿下は競馬産業、競馬および競走馬の生産を支援したいのです。 日本の競走馬生産者のために殿下が力になれるのであれば、殿下は非常にお喜びになられます。 私はいつも生産者に、私のところに来て何が必要であるのか教えてください、と言っています。 我々は力になれますし、そしてそれがモハメド殿下の大きな喜びでもあるのです」と述べた。
高橋氏は、助けになれる例はたくさんあるという。 例えば小規模経営の生産者は、所有する繁殖牝馬を現在日本にいるダーレーの種牡馬5頭と割引価格で種付けできる。 その5頭とは、現在優駿スタリオンステーションで供用されているドバイ・ワールドカップ(Dubai World Cup)の勝馬ムーンバラード(Moon Ballad)号、ワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップの勝馬グランデラ(Grandera)号、およびドバイミレニアム(Dubai Millennium)号のダージー(Dahjee)号、社台スタリオンステーションにいるヨーロッパクラシックレースで2度勝利したバチアー(Bachir)号、そして凱旋門賞(Priz de l’Ard de Triomphe、仏-GI)の勝馬でイーストスタッド(East Stud)にいるマリエンバード(Marienbard)号である。

ダーレーが行っているその他の活動には、繁殖牝馬の種付けの際の輸送費補助から、船橋競馬場内の老朽化した厩舎エリアの塗装工事も含まれている。 55年前に建てられ、東京湾の近くに位置する地方競馬の競馬場である船橋競馬場には、ダーレーが拠点とする同競馬場の最優秀調教師の川島正行氏の厩舎がある。 ダーレーはまた、レースやイベント、さらにはJRHAのセレクトセールにおける表彰のスポンサーにもなっている。
ファーガソン氏は、「我々の仕事の舞台がどこであろうとも、モハメド殿下がいつでも競馬産業からの収益を上回る投資をしていることは、自信を持って言うことができます」と述べた。

モハメド殿下の競馬産業への投資はジャパンカップに訪日してすぐに始まった。 高橋氏は、モハメド殿下が日本の厩舎スタッフのためにイギリスのニューマーケットで研修制度を設けたいと考えていると同殿下から聞いた。 そして、殿下はすぐに行動に移した。 その努力は、ヨーロッパの厩舎従業員を経験のため日本へ派遣したり、日本人女性を研修生として受け入れたダーレー・フライング・スタート(Darley Flying Start)という形でも実現された。


  目標は高く

 モハメド殿下が挑戦してきたあらゆる試みと同じように、ダーレー・ジャパンは、政治的な障害や様々な行政上の規制にもかかわらず、目標を高く掲げた。 高橋氏はこれらの障害や規制が、日本を他のどの競馬国よりも「不可思議な国」にさせているという。

高橋氏は、「モハメド殿下が私に『あなたは5年以内に社台グループに続くナンバー2になります』と冗談めかして言いました。 社台には約400頭の繁殖牝馬がいますが、我々は約40頭です。 とてもかないません」とコメントの裏に真剣さをほのめかせて述べた。
誇張ではなく、高橋氏は競馬における最も複雑な仕事をしている。 牧場や競走馬、そして事業の拡大に伴うダーレー・ジャパンの従業員38人を管理するだけではなく、所有地の獲得や改築そして政府との厄介な問題に取り組んでいる。 JRAでの豊富な経験を持つ日本人として、外国人に対する規制を避けるために、同氏の名前でダーレーの業務の多くを遂行し、いわば参入するための抜け道のようなものをモハメド殿下に提供してきた。
高橋氏は、「きっと私には100台のコンピューターが必要でしょう。 けれども、全ての情報はここにつまっています」と人差し指で自分の頭を軽く叩きながら、同氏が行っている膨大な仕事量を述べた。 「そのうち、私の頭はきっとパンクしてしまうでしょう。 ですが、多くのことは私の受け止め方次第です。」

事業は、ダーレーグループが所有するダーレー・ジャパン(株)(Darley Japan K.K.)の下で行われている。 ダーレー・ジャパン(株)は同社の代表を務めている高橋氏を含む3人の手によって運営されている。 その他の2人の役員は、イギリスのダーレー・スタッド・マネージメント(Darley Stud Management)社の会計士で役員を務めているマイケル・スカントルベリー(Michael Scantlebury)氏と、ダーレー・オーストラリア(Darley Australia)社でゼネラル・マネージャーを務めているオリー・テイト(Ollie Tait)氏である。
ダーレー・ジャパン(株)はアメリカやイギリスのダーレーから競走馬や繁殖馬を購買し、ダーレー社の子会社にあたるダーレー・ジャパン・レーシング(Darley Japan Racing)やダーレー・ジャパン・ファーム(Darley Japan Farm)に売却する。 
このような内部での取引の例として、シーキングザゴールド(Seeking the Gold)号を父、ネプチューンズブライド(Neptune’s Bride)号を母、ベーリング(Bering)号を母の父に持つケンタッキー州産馬のシーチャリオット号が挙げられる。 同馬は昨年6月に大井競馬場で施行された東京ダービーで勝利し、左腕節の骨片を取り除く手術をするまでに、120万ドル(約1億3,200万円)を超える賞金を獲得した。 同馬は昨年9月より調教を再開した。

牧場を取得するにあたって、日本の法律による義務付けがあるために、高橋氏は東京に自宅があるにもかかわらず、一年のうちの300日間は北海道の牧場に滞在することを約束しなければならなかった。
ダーレー牧場は5ヵ所にある。 モハメド殿下の所有馬で2005年9月に死亡した1985年のブリーダーズカップターフ(Breeders’ Cup Turf、米-GI)勝馬ペブル(Pebble)号が埋葬された旧シンコウ牧場の跡地である富川、そして門別、平取、旭、そして海外から到着する馬の検疫をするために改修工事が大々的に行われている太平洋沿岸のビーチヤード(旧北海牧場の跡地)である。 日本経済の低迷を受けて、一部の牧場主がモハメド殿下に土地を売却することに拍車をかけたこともあり、繁殖牝馬、仔馬、そして1歳馬のためにより多くの土地を獲得するというダーレーの計画はすでに進行中である。
その上、馬の頭数は増えてきている。 2005年10月現在でのダーレー・ジャパンの所有馬は総計143頭である。 そのうちの2~3頭はセリ調教のために預託された。
ダーレー所有の優秀な種牡馬で、チャンピオン馬でもあるシングスピール(Singspiel)号の2頭の1歳馬を、タタソール10月セリ(Tattersalls October sale)で購買した。 その2頭に加え、ヨーロッパから12頭、アメリカから3頭の牝馬が輸送され、その中には、アメリカのケンタッキー州レキシントンにあるダーレー牧場ジョナベル(Jonabell)で供用されていたチャンピオン種牡馬のチェロキーラン(Cherokee Run)号の種付けをした牝馬も含まれる。

高橋氏とファーガソン氏は、どの馬をダーレーで所有し続け、そしてどの馬を手放すかについて一年のうちに何度も打ち合わせをする。 また、購買の優先順位や、毎年約30頭の2歳馬を保有して1年を開始するといった基本的な方針についても話し合う。 購買について聞くと、高橋氏は、購入する馬の約7割がヨーロッパ産馬またはヨーロッパを拠点としている馬で、3割がアメリカの馬であると話す。 というのは、獣医としての経験から、アメリカ産馬は寛容すぎる薬物投与によって能力がごまかされ、本来の力が分からないと考えるからだ。
しかしながら、高橋氏はアメリカ人のアドバイザーにも頼っている。 レキシントンにある馬のハグヤード・デビッドソン・マックジー(Hagyard-Davidson-McGee)病院のリチャード・ホルダー博士(Dr. Richard Holder)は、毎年の産駒の生産計画を向上させるために胎児性別テストを行っている。 またアイダホ州に拠点をおく馬の栄養士であるステファン・デュレン(Dr. Stephan Duren)博士は、北海道の火山性土壌における質の悪い穀類と牧草を補うための飼料プログラムを提案している。
だが、高橋氏の一番のガイドは馬であり、同氏は一日で最も大切な時間を牧場または船橋競馬場か大井競馬場で過ごしている。 何頭かのダーレーの馬が川島厩舎以外には蛯名末五郎厩舎や栗田裕光厩舎に所属している。
高橋氏は、「もし私がただ机に座って全部の計画を練っていても、よい結果は出ないと思います。 ですから私は牧場か競馬場で時間を過ごします。 そうすれば、馬が大切なことを教えてくれます」と述べた。


  将来の展望に従って

 イギリス、アイルランド、ケンタッキー、オーストラリアの牧場、そして殿下の母国の振興のために設立されたアラブ首長国連邦の砂漠にある生産牧場でしっかりと固められたモハメド殿下の競馬事業の中で、ダーレー・ジャパンがどれだけ成長するか、これからも目を離せない。 しかし、世界における成功はたいてい獲得賞金額によって評価されるので、可能性は大である。 2005年には8ヵ国に48頭の種牡馬を抱えるダーレーの職員は、日本の伝統を尊重しつつも、ビジネスチャンスを心待ちにしている。

ファーガソン氏は、「具体的な目標は他の国のダーレー牧場と同じです。 まず始めに、世界でも一流の種牡馬を作ります。 そして次にゴドルフィンの競馬事業のために馬を提供することです。 ダーレー・ジャパンがどれほど成長するかは日本人の手にかかっています。 日本人の馬主や生産者、競馬産業に従事する人々、そしてファンが、モハメド殿下に日本競馬における何らかの役割を希望すれば、もちろん、我々は喜んで応じます」と述べた。
もし、ダーレー・ジャパンがJRAの馬主登録をすることができたならば、ダーレーの国際的なライバルであるクールモア(Coolmore)やその他の厩舎にも、チャンスになるだろう。 彼らは、おそらくダーレーに続いて日本に参入する。 特に、日本が国際セリ名簿基準委員会(International Cataloguing Standards Committee)からパートIの格付けを得るにあたり、国際競馬統轄機関連盟(International Federation of Horseracing Authorities‐IFHA)は、国際競馬番組諮問委員会(international grading and race planning advisory committee‐IRPAC)を通じて、日本の競馬関係者に登録に関する規制を緩和するよう働きかけているからだ。

高橋氏はすでに、ダーレーの日本産馬や日本を拠点とする馬が、日本だけでなく世界中の競走で成功する時のことを見据えている。
同氏は、「私の大きな野望は、もし可能であれば、馬をここからゴドルフィンに送ることです。 もし、シーチャリオット号がブリーダーズカップで成功すれば、それは日本の競馬にとってよいことです。 私は常に、このようなことを考えています」と述べた。
高橋氏はまた、アジアでの拠点を増やす意向を明らかにし、ダーレー・ジャパンが、中国で将来の競走のスポンサーになることで中国での拠点作りを開始したいとの意向を示した。
モハメド殿下の事業に従事して以来、競馬関係者の誰よりも回数多く飛行機に乗っているファーガソン氏は、これからますます多くのところへ出向き、より多くの事業を監督するということを考えると、少しおじけづくほどだ。 しかし、ダーレーとゴドルフィンの社員が「ボス」と呼んでいるモハメド殿下のことをファーガソン氏は知っているので、微笑みを抑えることができなかった。

「(殿下からの)今後の指示を待ちます」とファーガソン氏は述べた。


『The Blood-Horse誌 11月26日 「Rising Run」』


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