もこっぺでいきてくんだよ

くそったれ乳児園(その1)


名前のごとく、生まれたて(新生児から3歳未満まで)預かっていた。

でも、無認可なので保育料は園長がブンドっていた。
しかし、どこにも就職がきまらなく、たまたま職安で見つけて、行ってみたら、即決で決まったので、その日のうちにそのままこのアパートをみつけて、仕事も家も一日で決めちゃった、という、激しいワシ。(新築だから、建設中で引越し当日までどういう家かしらなかった)

しかし!!この乳児園、メチャクソだった。
まず、誰一人として、資格を持った保育士がいなかった。
*えらそうにもんくばっかりたれてくる名ばかりの『主任』も、タダのアルバイトのあばさんだった。
あとは、
*食事を作る&洗濯&たまーーーに子供をみるイジワルオバちゃん(バイト)
*二重人格(精神的に逝ってるとしか思えない)園長(オンナ)

こんな平均60歳の奴らがなんとなーーーくやってるところに、何もわからず入ってしまって、一人暮らしまで始めてしまったわし。

誰も資格がない、と知ったのは入社して何ヶ月もたってから。

「あんた、資格あるんでしょ。正社員でしょ」

と、赤ちゃん全員の(つっても最大の時で13匹くらいしかいなかたけど)
オムツがえ、ミルクやり、寝かしつけ、着替え、

ぜーーーーんぶ、ワシが一人でやらされていた。
ウ○コがはみでれば、ワシがオムツも着替えもタオルはがして、ベッドを作り直すのも、その間に誰かが泣いていても、全部わしがやらされていた。

一方、オバちゃんたちは、椅子にもたれかかって、お茶をのんで、くっちゃべって、一日を終わらせていた。たまに、機嫌のいい赤ちゃんを気分でだっこして、おわり。
ミルクを万が一上げようとしても、タオルを赤ちゃんの口の位置に固定して、哺乳瓶を置きっぱであげる、という方法。
おまえらには、目を見て、話しかけながら、だっこしてミルクをやるっつー方法をしらねーーのか!

掃除も、朝わしが一人で全部やり、毎週金曜日の掃除機がけも、わしが一人でやっていた。
床を雑巾でせっせと拭き、クーラーのフィルターをせっせとそうじし、玄関のそうじをし・・王子のいない、シンデレラそのままだったね。
かぼちゃも迎えにきてくれなかったね。
迎えにきたのは、鬱だったね。あと、カラダにキてたね・・。

『正社員でしょ、資格あるんでしょ、いい給料もらってんでしょ』それだけで。


もちろん、こんなババアたちといたって、保育士として、何も学ぶことはない。
なんのカリキュラムもなく、朝きたら、子供とテレビをみて、(夕方なんか、堂々と汐留めスタイルなんて、見ていたし、夕方はニュースみたりしていた)
午前中は、園内にいるのがいやだったので、天気のいい日は

なんとなーーく近くの公園につれていき、適当にわしもベンチに座って、
時間が来るまで見ているだけだった。
雨の日はおもちゃをばら撒いて、そのまま見ているだけ。

何も製作もなし、デイリープログラムも何もなし。本当に、一緒にとりあえずいればいいんだよ!ってな「教育」だった。
それは、ババアたちが、余計な事をしたくないから。
わしが何かしようもんなら、

「あんた、ばっかじゃないの?こんなところで、そんなことしなくていーーのよぉ!わたしらもやらなきゃいけなくなるでしょ!」
そんな感じだった。

で、一番わしを苦しめた、クソ園長。
自宅でこの乳児園をやってたんだけど、(やってるのはワシですが!)
2階で『助産院』を経営していた。

そ、このババア、70近くにして、現役助産婦をしていた。
一度その2階に行ったことがあったけど、マジでキッタない、薄暗い病棟。
こんなところで、こんなババアに子供とりだしてもらうの?とおもっただけで、マジで鳥肌がたった。(何故かお客はまあ、よく来ていた>かなり謎 裏金か?)

言っとくけどね?こいつ、手袋もなんもしないで、素手で取り出してますから!
たくさんの血や、菌がついてる手をささーーっと洗った手で、平気で一階におりてきて、(血みどろの白衣きたまま)ベタベタその辺さわってるから!

しかも、何の看護婦やらの資格もないわしに、『取り出すの手伝え』と、一回のたまったから!!ばっかじゃねーーーーのぉぉぉ!!


このババア・・本当に、恐ろしいババアで何度ワシを苦しめたことか。
本当にこわい。どこで見てるかわからん。
断ることもできず、近所のワシの家までくっついて帰ってきたのでわしの家をしってる。
用もないのに、毎日(今でも)犬の散歩と理由をつけて、毎日わしの家のチェックにくる。

『昨日は7時過ぎに電気、ついてなかったわねぇぇ・・でも10時半ごろ、ついてたわね。。どこいってたのよ?あなたには、常識がないのかしら?』

と、毎日言われていた。本当にストーカーちっくな事をしょっちゅう、今でもやっている。(ときどき見かける)
今でも時々洗濯物を干しながら、ババアが目の前にいないか、おののきながらベランダにでている(マジ)

そして、このババア、ワシの履歴書を何度も読み返し、
わしが、海外に何度も出ていることを知って、英語を話せることを知って、

『あなたさ~外国から《種》もらってきてるんじゃないのぉ?エイズの検査、受けてきなさい!その手でうちの子供たちにさわられちゃ、たまったもんじゃないわよぉ!こっちは、あなたに、それなりの給料をさしあげてるんですよっ!』

とのたまった。


絶句したぜ。


お前こそ、素手で赤ちゃん取り上げてるくせに、お前の方がそういう感染しやすいだろ、このクソババア!!!!


こんなことがずーーーと毎日つづき、ワシはそのうち鬱になってしまった。
平均60過ぎの腐ったイジワルババアたちと毎日すごし、なんの保育士らしい仕事もなく、ただ雑用のようにうまいこと使われていた。

もう、ボロボロで精神的にもキテいた。カラダにもキテいた。

そうこうしてるうちに、ババア、調子に乗って、変な契約書を秋ごろにつくりだした。(お前30年以上やってて、今更かよ?わしへのあてつけにしか思えん!)

『やめた場合は、70万を返済すること』



・・・・・・・は??バカですか、ちみは?


なんかあったら、訴えてやる!とホンキで思ってたけど、このババア、この辺の産婦人科系では、有名で色んな看護学校やら、大学で特別講師に呼ばれたり、学会でお偉いさんをやってるらしく・・。
億単位の金持ちさ。(だけど、乳児園は本当におんぼろ。)


もう、考える力もなかった、わし。何をどうしてか、力をふりしぼって通っていた。心もなくしていた。

公園で大泣きしていた。そして相棒や親に訴えたところ、そんなところ、今すぐやめなさい!と厳しくいわれた。

でも、そうかな・・そうかな・・と、動く元気ももうなくしていた。
やめても、すぐ働く元気もないし、やめたら70万払わなきゃなんだよ・・

と、完全に頭がおかしくなって、生きることがわからないくらい、わしはヤラれていた。

わしが、辞めます、といったところで、食い下がるわけもなく、どんな手段でやってくるか分からない、本当に恐ろしい園長だったので。

「いいよ、おかあさんが、体調くずしてるので、実家に戻ってきたんですけど、2,3日休ませてください。検査入院なので」

って言ってやるから!と、かーちゃんがコワレタ娘を守るため、電話すると、

外面だけは恐ろしいほどの園長、
「あ~らそうでしたかぁ!いつも元気いっぱいで、そんなこととはわかりませんでしたわ。まあ、わざわざお電話いただいてありがとうございますねえ」

かーちゃんも、初めてしゃべったが、ワシが言ってるのと違いすぎて、
ほんとに、この人??て呪いにかかっちゃったような事言ってるぐらい。

そして、そのままワシはやめた。
カーちゃんもあるいみ知恵はイッチョ前なので、上手いこと言って(なんていったか詳しくはわからんが、)
「体調を崩して、このままだとそちらにご迷惑をおかけしてしまうので、こちら(実家で)療養させてください、申し訳ございません」
と、かーちゃん、仕事中に電話してくれた>ありがとう、あの時も、今も!

でも、すべて計画的。11月の後半、最後の金曜日にわしは姿を消した。



その辞める辞めないで葛藤の一週間の間に、今の保育園の募集をみつけて、新しくできたとこだし、5人も募集かかってたんだよ・・とかーちゃんにいうと、
『落ちてもいいから、とりあえず行ってみなさい。いますぐやれないなら、すこしまってから、やらせてもらえばいんだから』

と、乳児園の昼休みに面接に行き、その日の夕方には採用の電話がきていた。
その時点でまだ、乳児園では、なんのアクションもおこしてなかったので、
ワシとかーちゃんと相棒の心の中だけで次の人生がはじまりかけてたのだ。

結局、11月末に『勝手に』辞めて、(唯一の仕返し)←12月頭に市の職員が来て監査(保育士の数や、保育内容などを徹底的に調査する)ものがあったので、だれも資格を持った人もいないし、ろくに保育内容をしゃべれないだろうから、

ザマミロ!!!とちょっと元気になったわし。


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