土曜日の書斎 別室

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ビルマの竪琴

【土曜日の書斎】  名作断章




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  終戦前後のビルマ (現ミャンマー) を舞台とする 竹山道雄 の中篇小説 『ビルマの竪琴』 は、 児童文学として発表された作品ですが、 全篇に込められた 平和へのメッセージ は、 幅広い年代の読者から共鳴を呼び起こし、 今日まで多くの人々に読み継がれています。
  ’ 56年、 市川崑 監督によって映画化され、 海外でも高い評価を得ました ( ’ 85年にセルフ ・ リメイク) 。
  日本への帰還を拒み、 終生を 戦争犠牲者の慰霊 に捧げる決意を固める 水島上等兵 (安井昌二) 。
  常人に立ち入る事の出来ない、 孤高の精神的境地。
  そこに到達するまでの 内面の苦悩 ・ 葛藤 に焦点が当てられています。



ビルマの竪琴

(1945 (昭和20) 年8月18日)




1



  1945年夏・・・。
ビルマ戦線 は、 壊滅的様相を呈していました。
  圧倒的優勢な装備 ・ 物量を誇る英国軍の大攻勢によって、 全戦線が崩壊し、 日本軍は、 全部隊雪崩を打って潰走中でした。
  一年前・・・。
  惨憺たる敗北に終わった インパール作戦 時に、 牟田口廉也中将麾下の 第15軍 を見舞った運命が、 今や ビルマ方面軍 全体に波及していたのです。
  凄惨を極める敗残行の中で、 夥しい数の、 日本軍将兵の命が失われていきました。

  泰 ・ 緬国境を目指し、 苦難の退却を続ける部隊の中に、 明るく力強い歌声と共に行進する小隊が有りました。
『旅愁』 『荒城の月』 の様に、 叙情的な楽曲を、 見事な重唱で、 歌っています。
  小隊長が 音楽学校出身者 で、 隊内の 団結 ・ 規律 ・ 士気 を維持する手段として、 積極的に 合唱の指導 をしていたのです。
  兵士達は、 銘々、 後方に残して来た生活に思いを馳せながら、 歌の練習に励みました。
  それが、 幾多の困難を乗り越える上で、 計り知れない 精神的栄養源 となっていたのです。


・・・いつ戦闘がはじまるかもしれない、
  そして死ぬかも分らない、
  せめて生きているうちにこれだけは立派にしあげて、 胸一杯にうたっておきたい──、
  そんな気がしていたからかもしれません。
  隊の者はみな心からうちこんで練習をしました。 ・・・



  隊員の中には 水島上等兵 の様に音楽の天分に恵まれた者もいて、 自分用の竪琴を拵えると、 巧みな演奏を披露して見せました。
  水島の演奏は目覚しい上達を示し、 小隊の合唱に、 その竪琴の伴奏は欠かせないものとなっていました。

  その夜・・・1945 (昭和20) 年 8月18日
  国境近くの山村に滞在し、 合唱に興じていた小隊は、 優勢な英国軍の包囲に陥っている事に気付きます。
  友好的と思い込んでいた村人達に通報されたのでした。
  急遽、 戦闘準備を整える小隊。
  敵に気取られぬ様、 合唱を続けながら、 粛々と配置に付いていきます。
  将に、 戦闘開始が命ぜられようとした時、 夢にも思わなかった事が起こりました。
  日本軍の籠もる茅屋を包囲している英国軍 ・ 印度軍兵士達の間から、 歌声が沸き起こったのです。


・・・あかるい、 高い声で、 熱烈な思いを込めた調子で・・・


  英語の歌詞で歌われるその曲は・・・。
  つい今し方まで、 小隊が合唱していた曲・・・ 『埴生の宿』 に他なりませんでした。
  最前までの日本兵の合唱に応えるかの様に・・・。
  今度は、 英国兵達が 『埴生の宿』 の合唱を始めたのです。
  意外な展開を訝しむ日本兵達ですが、 歌声の輪は、 次第に広がっていきます。
  日本兵達は、 今は、 英国兵 ・ 印度兵達の合唱に取り巻かれている格好です。
  その合唱に合わせて、 日本兵達も、 再び歌い始めていました。


・・・月が出ていました。
  涼しげな青い光が、 あたりを一面にそめています。
  樹々のあいだは、 ガラスの柱を幾本も立てたようになっていました。
  その中を、 森から広場へ、 人影がばらばらと走り出てきました。
  よく見ると、 それはイギリス兵でした。
  かれらはいくつもの塊になって合唱しています。
  思いをこめて 「スイート ・ ホーム」 「ザ ・ ラースト ・ ローズ」 をうたっているのです。
「はにゅうの宿」 「庭の千草」 も、 日本人はこれがむかしからの 日本の歌 だと思っていますが、 もともとは イギリスの古い歌 の節なのです。 ・・・

  ・・・こうなるともう敵も味方もありませんでした。
  戦闘もはじまりませんでした。
  イギリス兵とわれわれとは、 いつのまにか一しょになって合唱しました。
  両方から兵隊が出ていって、 手を握りました。
  ついには、 広場の中央に火をたいて、 それをかこんで、 われらの 隊長 の指揮で一しょにこれらの曲をうたいました。 ・・・

  ・・・ 水島 はさまざまの合の手を入れて、 これに伴奏しました。
  これはイギリス兵からも非常な喝采をうけました。
  彼が焚火の炎に半面をてらされながら弾いている顔を見ると、 頬には涙がながれていました。
  それを見て、 どこの国の兵隊も涙をながして一しょにうたいました。 ・・・



  やがて、 日本兵達は・・・。
  三日前に戦争が終わっていた事実を告げられます。
  小隊は武装解除を受け、 南方の ムドン捕虜収容所 へ移送される事になるのですが・・・。










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