備忘録その 19. Weingut Vols
次のフォルス醸造所は、ペーター・ラウアー醸造所と同じアイル村にあり、歩いても 5 分くらいの距離だった。以前はアルテンホーフェン醸造所といい、 2010 年にトリーアのビショフリッヒェ・ヴァインギューターの経営責任者を辞してまもないヘルムート・プルニエン氏が購入し、フォルス醸造所と改名した。

アルテンホーフェン醸造所は、
2008
年頃にオーナーが亡くなって廃業した醸造所だ。よくあると言っては何だが、代々続く家族経営の醸造所で、時々トリーアのワインスタンドに来ていたので顔見知りだった。ある時、ワインスタンドの中にいるオーナーがびっこを引いているのに気がついた。まだ
30
代だっただろうか、愛想は無かったが、誰にでも分け隔て無く接する、気楽に口のきける男だった。
「ライム病だよ」と彼は言った。細菌性感染症の一種で、脊髄にダメージを与えるので足が動かなくなる。「葡萄畑で仕事をしている時にマダニにかまれてよ。調子が悪くなったんだが風邪かと思って放っておいたのがまずかった。まぁ、気長に治していくさ」と力なく笑っていたのを思い出す。
亡くなった後しばらくして、やはりワインスタンドに来ていた甥っ子が跡を継ぐつもりだと聞いたが、醸造学校にも通うか通わないかの若さで、結局手に負えずに醸造所は売りに出た。それを購入したのがプルニエン氏だった。
2007 年にプルニエン氏がビショフリッヒェ・ヴァインギューターに来る前は、ヴュルツブルクのビュルガーシュピタール醸造所の経営責任者だった。同じキリスト教関係の醸造所で、フランケン支社からモーゼル支社に異動したようなものだろうか。ビショフリッヒェ・ヴァインギューターはモーゼルでも最大規模の醸造所で、約 100ha の葡萄畑を所有しているのだが、そこから毎年何十種類というワイン-確か 50 品目はあったと思う-をリリースしていた。
「どんなワインでも、かならず欲しがる顧客はいる」というのが、様々な品種、葡萄畑、肩書き、残糖度でワインを造り分ける生産者の一般的な言い分で、とりあえずそれで経営が成り立っていると、品揃えを変えるのは難しい。まして規模の大きな醸造所では、下手に改革されては困ると考える古株の従業員が抵抗するのも、ありがちなことだ。
プルニエン氏の実家はヴィルティンゲンにある。トリーアに異動してからは、実家で両親が協同組合に収穫を納めていたヴィルティンガー・ブラウンフェルスの畑を継いで、醸造所を立ち上げた。それがフォルス醸造所だ。最初はヴィルティンゲンの実家の醸造所の収穫を、シャルツホーフベルクの麓にあるエゴン・ミュラーの裏手のビショフリッヒェ・ヴァインギューターの醸造施設で圧搾して、カンツェムのフォン・オテグラーフェン醸造所のセラーを間借りして醸造していた。 Vols I 、 Vols II と名付けた二種類だけだったが、桃や熟したリンゴの香る、とてもアロマティックなファインヘルブと甘口で、個人的にはもうすこし辛口にならないものかと聞いたことがある。自然に発酵が止まってある程度の甘みが残るのが、ザールの伝統的なスタイルなんだ、という答えだった。
2010
年にアルテンホーフェン醸造所を購入して、葡萄畑は 7ha
となり、葡萄品種にヴァイスブルグンダー、シュペートブルグンダー、カベルネ・ソーヴィニヨンが加わった。アルテンホーフェンの前のオーナーは、ブルグンダー系の辛口に力を入れていて、確かシャルドネやグラウブルグンダーも得意にしていたはずだ。ステンレスタンクで醸造した真っ直ぐな辛口だった。
フォルスの主力はリースリングだが、ヴァイスブルグンダーとピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨンもラインナップに加わっている。辛口はザールらしくほっそりとして直線的で、繊細な酸味とミネラルが果実味を引き締めている。辛口よりも残糖が 20g 以上あるワインの方が魅力的に感じた。
試飲の後、新しく購入したショーンフェルス Schonfels
の畑に連れて行ってもらった。ペーター・ラウアーも隣に区画を所有している、ザール川沿いの急斜面の畑だ。標高約 100m
で下半分は断崖絶壁、上半分が葡萄畑になっている。新しくリリースしたそのワインは非常にエレガントで繊細でピュアで、試飲した中では最も良かった。
ショーンフェルスの斜面からは、遠くにオックフェンの村と背後に広がるボックシュタインの畑が見える。その奥の方の斜面の上に、整地されたばかりとおぼしき区画が見えるが、あれがファン・フォルクセンとマルクス・モリトールが蘇らせようとしている幻の銘醸畑ガイスベルクなのだろう。ザールは今も変わりつつある。
(つづく)
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