2017 10 月 ドイツ出張備忘録 4. Weingut D. Loosen
知る人ぞ知る、ここを知らなければ、モーゼルを知っていることにはならない生産者。現在に至る、テロワールの表現を目指すワイン造りの原点をなす、と言っても過言ではない。だが、 1987 年の収穫直前に現オーナーのエルンスト(通称アーニー)・ローゼンが醸造所を継いだ当時、彼の考えは誰にも理解されず、従業員は次々と醸造所に来なくなっていったという。醸造所の所有する区画がどこにあるかもわからなかったので、とりあえずブドウが収穫されずに残っている場所がそうではないかと見当をつけて、収穫していったとどこかで読んだ気がする。

アーニーは、もともと考古学者になりたかったのだ、という。だが、考古学部を出ても、博物館の学芸員しか道はなく、学生は 1000
年いても、ポストは年に 5
つ、空きが出るかどうかというほどの狭き門だった。だから醸造所を継ぐことにしたのだが、それ以前、 1980
年頃から、戦前の、祖父の時代のワイン造りに興味があった。それは 20
年間木樽で寝かせるワイン造りだった。実際 1981
年のリースリングを 2008
年まで 27
年間、フーダー樽で澱とともに熟成したそうだ。それは酢にならず、毎年若返ったかのような、クレイジーなワインになったそうだ。
そしてまた、こんなことがあったという。 2008 年に父方の祖父の顧客-アーニーの父はユルツィヒの醸造所の跡取りで弁護士だった。祖父は大企業の監査役で、もっぱら辛口ワインを醸造していた-がアーニーを訪れ、 1947 年産のユルツィガー・ヴュルツガルテンの辛口リースリングを贈った。 50 年以上熟成した辛口のリースリングを飲んだことはなかったが、「あれはまさしく神の雫だった」とアーニー。父方の祖父、曾祖父-母方はヴェーレンの Joh. Jos. プリュム家で、今も甘口しか醸造しない-は、常にラッキングなしで長期間樽で熟成し、 1920, 1921 年のような最上の年は、最上の樽を 8 年以上、樽で熟成したという。ベントナイトやフィルターが登場する以前は、卵白で清澄作業を行っていたが、不純物が沈殿するまで 12 ~ 15 カ月かかったから、樽で 2 年間熟成するのは当たり前のことだった。

Dr.
ローゼンの辛口のフラッグシップは、樹齢 100
年を超える自根の古木の収穫を、木樽で 24
カ月熟成したグローセス・ゲヴェクス・リザーヴである。 VDP
で足並みをそろえてやっているのはグローセス・ゲヴェクスまでで、規約では収穫翌年の 9
月 1
日以降のリリースとなっているが、アーニーは自主的に木樽で 24
カ月熟成して、さらに 3
年瓶熟してリザーヴと称している。 30
万本を超えるワインが二つあるセラーで熟成中で、 20
年寝かせてから市場に出すのだそうだ。

一方で、アーニーは Dr. L
を世界 85
カ国に輸出し、ファルツにはヴィラ・ヴォルフを所有。北米のシャトー・サン・ミッシェルなどとコラボする国際的な醸造家である。年に 250
日間は出張していて、我々が訪れた時も、前の週末に醸造所に戻って来たばかりで、次の週末にまた海外に出るという。アメリカなどで問題なのは、リースリングは甘口だと思い込んでいる人が未だに多いことだそうだ。「オハイオ州のイベントで年配の女性にリースリングを勧めたら、『あたしは辛口しか飲まないの』という。そこで黙った甘口リースリングを試飲させたら『これまで出会ったどんな辛口リースリングよりも素晴らしいわ!』と、喜んでいた。そこで言ってやったね。『イエース、ディス・イズ・”オハイオ・ドラーイ”!』」と言い、ガハハと笑った。

饒舌なアーニーは、間違いなく切れ者だと思う。細かい数字や出来事も頭に入っているし、思ったことをズバスバと、歯に衣を着せず言い切るようなところがあって、それがまたツボを突いていて面白い。また、この醸造所ではファン・フォルクセンの初代醸造長ゲルノート・コルマンも研修していたことがある。そして英国出身のワインジャーナリスト、シュトゥアート・ピゴットがドイツに移住した時、最初の執筆の拠点を提供したのは、アーニーだった。
いろんな意味で、モーゼルを代表する生産者の一人なのである。

(つづく)
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