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生年月日
1960年3月21日生まれ ~ 1994年5月1日没
1988・90・91年 ワールドチャンピオン
出走 161回
優勝 41回 (歴代3位)
PP 65回 (歴代1位)
FL 19回
獲得ポイント 614点
トールマン・ハート
決勝最高位 2位
予選最高位 2位
FL 1回
シリーズ 9位(13p)
◆弱小チームのトールマンでF1デビュー。第2戦南アフリカGPでは早くも6位入賞。第6戦モナコGPでは、雨の中最速ラップで上位を猛追し、トップを走るアラン・プロストを追い上げる。しかし豪雨の為、途中で打ちきりとなり初優勝はならなかったが2位入賞。セナの速さをF1に刻み込んだ。
ロータス97T・ルノー
優勝 2回
PP 7回
FL 3回
シリーズ 4位(38p)
◆ロータスに移籍後2戦目のポルトガルGPにて、初めてのポール・ポジションを獲得。そのまま、レースでも初優勝を飾る。7回のPP獲得、優勝2回、2位2回、3位2回という素晴らしい成績を残す。
ロータス98T・ルノー
優勝 2回
PP 8回
シリーズ 4位 (55p)
◆マシンは最強といえないのに、セナの速さは際だつ。PP8回を獲得。優勝2回、2位4回、3位2回、リタイアは6回あるものの、完走すればすべて入賞という速さに安定感がそなわっている。
ロータス99T・ホンダ
優勝 2回
PP 1回
FL 3回
シリーズ 3位 (57p)
◆HONDAエンジンを搭載。チームメイトに中嶋悟が加入。
ロータス99Tは初めてアクティイブサスペンションを搭載。しかし、まだ開発途上のため性能を発揮できず、同じホンダエンジンを積むウィリアムズにはかなわず、ポールポジションも1回と少ない。それでも、モナコ・アメリカと公道レースでは優勝。ドライバーの重要性の高いサーキットで実績を残す。セナとホンダの出会いのシーズン。
マクラーレンMP4/4・ホンダ
優勝 8回
PP 13回
FL 3回
シリーズ
チャンピオン
(94p)
◆マクラーレンにホンダエンジンと共に移籍。チームメイトはアラン・プロスト。
ターボエンジン最後の年。
最強のチームと最強のエンジン、そして、ベストのドライバー2人という組み合わせのマクラーレン・ホンダはこの年、最強を誇り16戦中、15勝をあげる。
セナは日本GPにおいて、スタートに失敗するも、何とか始動に成功すると、怒濤の追い上げで優勝。初のチャンピオンとなる。
マクラーレンMP4/4・ホンダ
優勝 6回
PP 13回
FL 3回
シリーズ 2位
(60p)
◆エンジン規程が変わり、自然吸気エンジン排気量3500cc。
優勝かリタイヤかというレース結果が並ぶ。プロストとの関係は悪化すると共に、戦いは激しさを増す。日本GPでは、シケインでプロストと接触。再スタートするものの、シケイン不通過として失格扱いとなり、シリーズチャンピオンを逃がす。
この、鈴鹿のシケインでの接触は、アラン・プロストとの関係を決定的なものとし、翌年の日本GPの事件へとつながっていく。
マクラーレンMP4/5・ホンダ
優勝 6回
PP 10回
FL 2回
シリーズ
チャンピオン
(78p)
◆プロストはフェラーリに移籍。入れ替わるようにゲルハルト・ベルガーがチームメイトになる。
シリーズは、フェラーリとマクラーレンが一進一退で進み、セナがリードして日本GPを迎える。ここで勝たねばならないプロストに対して、スタートで遅れたセナはプロストに突進。接触で共にリタイアとなり、結果、セナが2度目のチャンピオンを獲得する。
マクラーレンMP4/6・ホンダ
優勝 7回
PP 8回
FL 2回
シリーズ
チャンピオン
(96p)
◆開幕4連勝を飾る。
第2戦ブラジルGPで地元で初の勝利を飾る。これまで、
地元では
どうしても勝てなかったセナだったが、このレースでも終盤ギアを失い、最後は6速のみでコースを走ることを余儀なくされる。勝利後マシンを止めたセナはその中で歓喜の絶叫を続けた。
シリーズ中盤はウイリアムズが急追するも日本GPで2位に入り、3度目のチャンピオンを獲得する。
奇しくも、セナの3度のチャンピオン決定は全て、ホンダの地元で実現している。
(本田宗一郎氏死去)
マクラーレンMP4/7・ホンダ
優勝 3回
PP 1回
FL 1回
シリーズ 4位(50p)
◆ウィリアムズのナイジェル・マンセルがシリーズを席巻。
モナコGPでは伝説となるバトルを繰り広げる(注1)
。(圧倒的な速さでリードしていたマンセルがタイヤのトラブルで緊急ピットイン。その間にトップに立ったセナに対して、追い上げるマンセルのバトルはモナコという舞台を得、人々に語り継がれるものとなる。逃げ切った、セナに対して、へたり込みながらもセナをたたえるマンセルの姿が、全てを物語っていた。セナはこれで、モナコ5勝目となり、新モナコマイスターと呼ばれることとなる。
ホンダは92年いっぱいでF1活動を停止。ホンダとセナのジョイント時代が終わる。
マクラーレン MP4/8・フォード
優勝 5回
PP 1回
FL 1回
シリーズ 2位(73p)
◆
ホンダの撤退に伴い、フォードエンジンを搭載してのシーズンは、苦戦を予想させるものだったが、その環境はセナの技を一層際だたせることとなる。
ヨーロッパGP(ドニントンパーク)では、雨の中、オープニングラップで4台を抜き一気にトップに!この一周はF1の歴史の中でも、最も美しい一周として記憶される。
モナコでも、5年連続6勝目をあげ、テクニカルなコースでは追随を許さなかった。
シーズンは、ウィリアムズの宿敵プロストが制したが、マシン的に明らかに劣るなか、善戦したセナはファンの記憶に残ることになる。
ウイリアムズ FW16・ルノー
出走 3戦
PP 3回
◆
念願のウィリアムズに移籍。最強のチームに移籍した最強のドライバーは、シーズンを席巻するかと思われたが、ウィリアムズのマシンは速いが、扱いにくいもので、PPは取るものの、レースでは進境著しいM.シューマッハーが1・2戦を制する。
そして、運命のサンマリノGP。後に、呪われた週末と呼ばれたこの一戦は幕を開ける。
トップを走ったままでの突然のコースアウト・激突し死亡した。享年34歳。
続くモナコGPでは、PPのグリッドはセナの為に明けられ、幻の66回目のPPグリッドをコース上に残す。シーズンはシューマッハーが制する。
A.セナの記憶
セナを一言でいうなら、やはり、速さだろうか。
特に予選での走りは、どこか危うさが有り、見るものを魅了するものが有った。
出走161回中、ポールポジションが65回。この記録は現在でも歴代一位では有り、その内の46回はマクラーレン・ホンダで記録している。特に88年から91年の4年感で45回のPPを獲得と、圧倒的な速さを印象づけている。
最大のライバルであったアラン・プロストが、予選よりもレース中の速さでポイントを重ねたのに対し、セナはポールポジションからそのまま逃げ切って優勝というパターンが多かったのも対照的だった。
現在、最強の皇帝として評されるミハエル・シューマッハーは、強さと速さを兼ね備えていますが、セナの場合、速いがどこかもろいというイメージをぬぐうことは出来ない。
ロータス在籍時、日本人最初のF1レギュラードライバーである中嶋悟の最初のチームメイトとなったが、当時日本では一番速いと思われていた中嶋が手も足も出ない速さを目の当たりにさせられ、その差に愕然とすることが多かった。何しろ同じマシンに乗った中嶋は、レースでは1周遅れになることが多かったのだから。
私の中でセナのレースとして最も印象的なのは、1992年のモナコGP(マンセルとの死闘)と1993年のヨーロッパGP(雨中のオープニングの1周)をあげる。前者は、マシンの性能に劣るマクラーレンのセナが性能に勝るウィリアムズのマンセルを、モナコの狭いコースもあり、全力で抑えきったレースとして、そして後者は雨の中、あまりに鮮やかなパッシングを繰り返し、性能に勝るウィリアムズのプロストを置き去りにした走りとして、F1ファンに強く印象つけられている。また、1991年のブラジルGPでは、6速以外のギアを失いながら、終盤走りきるという信じられないレースも見せてくれました。
逆に最悪のレースは1990年の日本GP。意志をもってプロストに突進することでリタイアさせ、チャンピオンを獲得するという後味の悪いレースだった。
いくら前年の遺恨が有るとはいえ、ファンとして最も見たくなかったレースだった。
誰よりも速さを追い求めたセナが、現在のF1を戦っていたらどうだっただろうか。予選がレースの一部として組み込まれた現在のレギュレーション。このシステムに彼はなじむことができただろうか。いや、それでも、予選の速さは群を抜き相変わらずPPを獲得し、シューマッハーと素晴らしいレースを繰り広げていたに違いない。
好き・嫌いは別にして、最も印象的で記憶に残るドライバーだったことは間違いない。
ここに改めて彼に感謝すると共に、ご冥福を祈りたい。ありがとう、アイルトン・セナ!
アイルトン・セナ財団
http://www.senna.org.br
(英語・ポルトガル語)
アイルトン・セナ研究所
http://www.water.sannet.ne.jp/ryo-s/senna.html
(セナの記録集や、レースの記録などデータが豊富です)
SENNA RING
http://www.webring.ne.jp/cgi-bin/webring?ring=senna;id=33;list
(セナのファンたちによる、サイトのリンク集)