そういちの平庵∞ceeport∞

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酒鬼薔薇聖斗



対人関係・自己イメージ・感情の不安定、著しい衝動性を特徴とし、成人期早期に発病、以下の5つ以上に当てはまる

1:現実・空想の中で見捨てられることを避けようとする気ちがいじみた努力

2:理想化・こき下ろしの両極端を揺れ動く、不安定な対人関係

3:同一性障害:持続的で不安定な自己イメージ

4:自傷の可能性がある衝動で、以下のうち2つ以上に当てはまる。浪費・性交・薬物乱用・無謀運転・無謀飲食

5:自殺の実行行為、そぶり、脅迫、自傷行為の繰り返し

6:感情の不安定(不快感・いらいら・不安が2-3時間継続)

7:慢性的空虚感

8:激しい怒り

9:一過性ストレスに関連する妄想的な解離性症状

以下は彼が14歳 4月頃に書いたとされる文章

  「懲役13年」
いつの世も……、同じ事の繰り返しである。
止めようのないものはとめられぬし、殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある……
「魔物」である。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い腐臭漂う心の独房の中……
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、“何”が見えているのであろうか。俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。
魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、
あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る。
それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせるのである。とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
こうして俺は追いつめられてゆく。「自分の中」に……しかし、敗北するわけではない。
行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。
大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちであるが、事実は全くそれに反している。
通常、現実の魔物は、本当に普通な“彼”の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際、そのように振る舞う。
彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう……
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、
実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、
バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと
俺たちが思いこんでしまうように。
今まで生きてきた中で、“敵”とはほぼ当たり前の存在のように思える。
良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。
しかし、最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。
そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」
魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているのである。
「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた。」

彼についてもマスコミ、書籍、事件当時色々な人と討論したりした
家族も地域社会ももはや概念でしかなく
共同体の解体や崩壊が何処までも進み
人が孤立し憎悪が増殖し・・・なんてイメージを持った
関西大震災にオウムのサリンそのアトにこれが来た
何かが決定的に変革してる
そんな実感を持った
人は人として扱われて人になる
その人がどういう関係性の中で育ったかが大きい
もう一つ遺伝要素に環境ホルモン、食生活これも大きい
僕の感想では紙一重なんだと思う
人を殺したいと憎む事と
実際に殺す事にどれほどの隔たりがあるか?
やすやすとこの隔たりを越せるのは何故か?
彼を王国の国王と奉ずるHPがある
学校や社会に恨みをもつ人にとって彼は英雄なのだろう
何人かの精神障害当事者も彼を賛辞する
人は孤独の中で自身の心の闇に飲み込まれるのかもしれない

http://blackjack.ddo.jp/~kusogaki/index.html

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