そういちの平庵∞ceeport∞

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バングラディッシュ


庶民の足と言えば馬車や自転車それに中国製のバス
非常にわかりやすい国だ
仕事も無いので物乞いで暮らす人が多い
屋根がトタンであることが裕福な家の証だ
路上生活者も多い

国立小児病院で赤ん坊を見た
白目だけが濁り体はむくみ
赤ん坊かと思ったら「3歳児です」との事だった
答えてくれたのは日本からボランティアで来てた看護婦さん
「まだこの病院にいる子供達は良いのです。病院がある事を知らない人が多いし、知ってもバス代すら無く来れない人の方が多いのです」

普通のスラムでは女性達がにこやかに井戸端で談笑する
そう昔の日本のように・・・皆目が澄んで綺麗だ
江戸時代の長屋ってこんな感じだったんだろうなあ
飼ってる豚の肋骨が浮いて見えたり
飢餓の影は其処此処見えるものの
僕にはこの国の苦しみははっきりと見えなかった

不可触賎民のスラムにも行った
カースト制度が色濃く残るこの国でカースト外の彼等は江戸時代のエタ非人のようなもの・・・・例えが悪過ぎるが
何しろごみ捨て場でごみを拾うくらいしか生活の手段がない
子供が出来ても死んでいく
ミルクを配給しても大人が飲んでしまう
だから赤ん坊の体重を計り減っていたらミルクを渡さない
そんなこんなのこのスラムで自立支援プログラムを日本人NGOがやってる
教育を受けこのスラムから初めて公務員が誕生した
まだ15才だった彼女の清々しい目を見ると自分が恥ずかった
物凄いオーラを感じたのだ・・・・眩しかった

母子家庭の自立支援プログラムでは東大出の才援が働く
26くらいの女性だった・・・当時の僕より少し年上
彼女は英語は達者なので英語を用い現地の言葉を覚え
現地の人と同じ生活をして
衛生学の基礎や生計を立てるための裁縫、子供の教育
何から何までやるのだ・・・
僕が彼女に聞くと「何か望みは無いですか?」
「そうですねシャワーを浴びたいです」
「じゃあ僕達が宿泊しているホテルで浴びますか?」
「いいえ私はこの国の人達の為に来てるのでお断りします。お気持ちありがとうございます」
今度は心が後ろめたくなった
何しろこちらはクーラーの効いた、この国唯一の国立ホテルに住まい
免税店で買ったホワイトホースを毎晩飲んでるのだ

公立の小学校にも招待され
僕はゾウさんギターをかき鳴らし子供達に当時日本で流行してた
「踊るポンポコリン」を披露した
子供達は喜びすぐに踊り出した
その目はあくまでも澄みほがらかだ
そう昔の日本人の様に・・・・
一体?人間の幸せって何?
などと何度も考えさせられ
色々なことを思った
「しかし俺はどれだけ日本の管理社会に嫌気がさしてもこの国には住めないな」
わかった事と言えばその位だった・・・・僕が25の夏の出来事だ

何時の日かもう1度行って子供達に歌でも聞かせたいと思う

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