そういちの平庵∞ceeport∞

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アルコール依存症


僕と同病、同年、の女性からだ
彼女の妹が自殺したと言う
「ちょちょちょっと待って」自分の精神状態を確認する・・・・大丈夫そうだ
妹の方は以前からのほほん工房に通所していた
死ぬ前は生活支援センターに通所していた
姉「10月5日の夜に自殺しました、薬飲んでビニールを頭からかぶりベルトで首を絞めました」
僕が死んだ人に最後に逢ったのは??思い出せない
春頃にうつが酷くなり入院して・・・その後逢ってないかな?
亡くなった人は夫婦2人で暮らし・・・お姉さんは独り者だ
残されたご主人の悲嘆も母親の悲しみに実の父親、育ての父親・・・それぞれの悲しみ
僕が最初に知り合ったのはお姉さんの方でお酒をやめる自助グループAAだ
彼女の家が酒乱の父親を抱え、その後お母さんが再婚した義父も確か酒乱だったか?・・・母親もそうで
姉もそうで・・・妹はうつで・・・かなりの家なのだ
そんなことを思い浮かべながらお姉さんの話を聞く
「私は妹を助けられなかった、何か出来る事があったんじゃ、医者が憎い」
僕は自分の姉が飛び降りた時の話やこの夏の自分の状態について話す
お互い無意識の自殺への衝動性があると知る
向こうも幼い頃の記憶が無い
幼い頃の記憶、家庭での適応僕と結構重なる人は多い
家の中で愚痴聞き役やお助けマンをやってそのまま援助職になる人は多い
医療も福祉も親が問題を抱え自らも問題を抱えてるスタッフは多い
酒に酔い感情的になる夫婦の修羅場は大人が見ても見ごたえがある
幼い子供がこんな環境にさらされるとどうなるか?
実は全然解明されていないのだ
本人の記憶が無かったり、客観的な事実を検証できなかったり
家族の修羅を見て発病する人もいるまたしない人もいる
僕はこの家の姉からも妹からも話は聞いてる
かなりの虐待があったこと、姉はアルコール依存になり妹は結婚後うつになる
いずれにしろ孤立、人と繋がれないなにかがあったという
何時、何が起こるかわからず誰も守ってくれないなかで適応する事
これが「見ない、信じない、感じない」となる
結構、偉人と呼ばれる人もこの手の家から出てくる
不幸な家で生まれ心を閉ざし生きるようになる
これに学校でのイジメや職場での不適応が加わる人も多い
こんな家がこの国の何分の何件かわからないが相当数いる
酒を飲んで暴れる人も元を辿れば似た様な環境で大きくなってる
これが所謂、世代間連鎖って奴で酒飲みの問題のある家で大きくなった子供が同じ問題を抱えたり似たような家庭を作る
人は環境から学習するからだ・・・その後、学習しなおす人もまた多い
酒が決定打か?と言えばそうでもない
父親が医者母親が看護学校の校長
そんな家の一人息子がグレル
この家の場合親に酒の問題はない
親は医療系に進めという
子供は逆らい紆余曲折を経て発病し仕事も家庭も無くし
実家に帰るそこには年老いて独り暮らす母親がいる
酒を朝から飲み病的な考えに支配されたこの人はこの家が悪いんだと家に灯油を巻き火をつける
この事が原因で母親は死ぬ
彼は精神病院の入退院を繰り返すようになる・・・・彼は社会的に成功を一時期収めていた
狭いアパートでこの人は自分を責め
最後は自分のタバコの火で焼け死んだ・・・この時の死亡記事は我が家に記念として取ってある
色々な家の色々な問題を見るにつけ
この国がどうやらかなりの重症だとわかってくる
酒飲んで暴れたりもせずそれなりに働いてる病気の人が一番多い
今の社会状況ではその数は物凄い事と思う
アルコール依存症は病気なので誰がなってもおかしくない
しかしその実態はあまりにも知られていない
子供に与える影響は計り知れないと思う
近年増える児童虐待も病理的には同じだ
人間は言葉を持ち感情を表現できれば暴力はいらない
国家間でもそうだと思うのだ
虐待を受け生き残った子供・・・殺人を犯す人も多い、聖者になる人も多い
厳しい環境の中を行きぬく事で
傷つき死んでいく人を見るにつけ
僕は悲しい感情を覚える・・・人という生物に対して・・・限りない愛情とともに
毎年確実に知っている人間が自ら命を絶ち死んでいく
死を噛みしめながら僕はしたたかに生きていきたい
今日は不思議とそう思った
悲嘆にくれる妹を失った姉の慟哭を聞きながら・・・・・



2004*11がつ14にちの日記

今日は大家さんが来て

冬囲いをする

桜の木を一本切る

僕は庭の土を掘り起こす

何だか色々な草花が植わってるので大家さんと話してからと思っていた

スコップで土を掘り起こし雑草を肥料にする

雪が積もる前にこれやっとけば来春色々やりやすい

天気もよく

腰の様子を見ながら少しずつやる

土を見るだけで気分がいい

大家さんと話してるとやはり草花が好きのようだ

わざわざひまわりやコスモスを植えに来てくれたらしい

来年は好きに使って良いというので今から楽しみだ

これからフェレも土遊びさせようっと

ウイルスにやられ前足しか動かないフェレを飼い主から預かり

そのフェレ「ねぎ」を庭で遊ばす

やつはメンコク元気一杯だったのだ

アリョーシャンなんとかというウイルスにやられ

日々体が麻痺し

もはや排尿も出来ない

体を搾るように膀胱をおさえ尿をさせる

外で元気に遊んでた面影はもはやなく

無防備で怯えながら土の上を少しだけ這う

だけどやはり土の上は嬉しそうだ

そんな「ねぎ」を見てると少し感傷的になる

死んだらこの庭に埋めて欲しいと飼い主は言う

市営住宅で庭もないから・・・

生き物たちは色々なものを僕等に与えてくれる

喜びや楽しさや癒しや悲しみや淋しさ

「ねぎ」はなんでもなさそうにうれしそうに土の上を這うのが・・・

去年死んだ相棒の「こてつ」

そして「ねぎ」

生きるもののさだめ

そんな思いは僕の感傷に過ぎず

ねぎはねぎで元気な時には数秒で走り回った距離を

数分かけて這う

嬉しそうな顔は一緒だ

家の中ではほとんど動かず

もう時間の問題だとは思うが

土の上で日の光を浴びると

少し元気だ随分動く

その目は澄み

世界の香りを味わい

風を感じ

おひさまを感じ

土の感触を味わい

今この時を生きる

少しの運動でねぎは疲れ

もう寝てる

僕の思いや記憶はあちこちを彷徨う

昔実家で飼ってたアヒルの「あひちゃん」

犬の「リョーマ」「チロ」

名も与えれれず大きくなった

夜店で買ったスプレーをかけられ

悲しい色をしたヒヨコが大きくなりニワトリとなり

死ぬまで飼ったニワトリ

このニワトリが死に父は捌いて食った

この父の判断は凄かった

知らぬ間に死に

家に帰ると父は捌いていた

僕等は『信じられねえよ!』と言ったが

我々は日々他の命を食べなきゃ生きれんのだ

そのことを強烈に教えたのが父だ

何も言わずニコニコ捌き

断っとくが教育的に父がこうしたわけじゃない

父は父の生き方でこうしたまでだ

終戦直後に父親を亡くし

長野で大きくなり

東京の下町で学校を卒業した

高校生のときには自宅の裏でニワトリを飼い

卵を売り学費を稼いだ

にわとりが死ねば食った

父にとっては当たり前の事を

子供の僕等には信じられぬ行為に映っただけ

生き物殺すにはかなりの体力と精神力がいるという

知り合いの福祉畑の人の話だ

とここで電話だ

訃報・・・7/28日の日記より採録

今回アメリカから友達が来て
友達が浦河に行き
そこで僕が施設でお世話になったYさんと逢い
朝まで語り合ったそうだ
彼はもう肝臓が機能しない
余命幾ばくも無い
施設にいたときの彼の話は壮絶だった
彼の父親は酒乱で酔えば暴力を振るう人だった
こんなやつ殺してやると思いながら大きくなったYさん
殺せる位体が大きくなった頃父親は酒で死ぬ
Yさんも父親と同じ人生の軌跡を歩み
その話もまた壮絶だ
弟は薬物で自殺、兄は酒で植物人間・・・その他にも色々な問題を抱えていた
施設で働いてたYさんが泣きながら僕に言った言葉がある
「中毒者だけとは一緒になるな付き合うな結婚するな」・・・アル中や薬中のこと
そのことで彼が苦しんでいた事を知っていた僕は謙虚に受け止めた
「とりあえず5年間酒をやめることだけ考えろ、お前ならアトはどうにでもなる」
彼は僕を含め多くの人を助けたと思う
今あるNAも彼が始めた
そしてアルコール依存の本当の恐ろしさを僕は知らないと思う
僕はスンデの所で助かったし・・・今でもそうだが相当いっちゃってるが
父は穏やかな酒飲みだ・・・穏やかなアル中も多いから一概に言えないが
僕の友達の意見じゃ父も立派な病気だそうだ・・・まそうかもな
僕の診断名はアルコール乱用との診断であった
実際PTSDだと思う・・・近しい人の死や姉の発病に対する心の傷
心の傷を酒でなんとかしようとした心
因反応の結果の飲酒行為だと思う
だけど僕は自分をアル中だと思ってる
だから酒に手を出す気には2度とならない
凍死や餓死に焼死に事故死に吐血・・・・皆ろくな死に方じゃない
そんな死を思い起こしながら
Yさんのことを親友の口から聞くとは・・・
「自分を捨てて捨てて捨てて行ったら最後に何が残るのだろう?」
彼はそんな話を僕の友達としたらしい
死を前にした仲間の言葉だ
最後に何が残るか・・・深遠な言葉だと思う
仲間に助けられた僕が仲間を助けるようになり
そしてのほほん工房でもそんな輪が広がりつつある
そんな輪が少しずつでも広がっていく事を願ってやまない
孤独なまま生き続けたり
孤独なまま死んで行きたい奴などいないのだから・・・・
ありがとうYさん・・・貴方の言葉で僕は今こうして生きてます

と書いた人が今朝亡くなった

浦河の仲間からの電話先ほど知る

御冥福を心よりお祈りいたします

浦河の牧師さんに電話して話す

牧師さんの方でも何処に電話していいのかわからないとのこと

僕の知ってる札幌の知人に電話する

古いアドレス帳を見て見ると

死んだ人やら行方不明やら

繋がった人と話せば

だれそれも死んだ

これもお決まりのパターン

身内すら葬儀にこないこともままある

今回は出来れば葬儀に行こうと思うので

古い仲間と何年振りかで話す

免許持ってる人もいないしなあ

何人か葬儀に出るようなので一緒に行こうかと思う

明日の夕刻が通夜次の日の朝が告別式

浦河教会でやるそうだ

故人の希望だと牧師さんが話していた

浦河の仲間とも何人か話す

まあいつも通りの仲間の死

尾崎豊や美空ひばりに石原裕次郎などもそうなのだが

以外と酒や薬で命を落とす人は多い

そのわりにはこの病気の実態は知られていない

毎年、毎年、年中行事のように死んで行く

最初こそこんなに簡単に人が死んでいくものなのか?

などと思ったがそのうち驚きもしなくなった

コロコロコロコロ死んで行く

生き残って酒をやめ続けてるひとも高齢化が進み

あそこもここも悪いとの話になる

ま、こんな世界もこの世にあるのだ

(メ●´_________________`●)ビローン

北海道の浦河全国的に有名なものが幾つかある

地図で言うと歌で有名な襟裳岬の近く

サラブレッドに日高昆布に浦河べてるがある

今じゃ全国的に有名な精神障害者共同体「浦河べてる」で僕は命を救われ

上記の札幌の施設サマリヤ館でお酒をやめた

太平洋と日高山脈に挟まれたちっぽけな地面に人が住み

ここに僕は平成5年に連れてこられた

山菜取りやきのこ取りに釣りとか乗馬に登山に温泉に色々楽しめる町だ

浦河での思い出

それは・・・・やっぱり地元のアル中さんのお話

いつもように酒代で消えお金もない大晦日

食料もつきた生活保護で暮らす

アル中さんが何人かが集まり

「これじゃ俺達年も越せないな、なんか良い方法ないべか?」

「あるある俺に任せろ」

狩猟民族アイヌ民族の彼は大和民族の仲間を連れ

町をうろつく

「あ!!あれだ!!あれを捕まえろ!!」

と彼が指を指した先には・・・・


~o----oU・ェ・U??   

~o----oU・ェ・Uヾ(・・*)ナデナデ゙♪


~o----oU・ェ・U       "ヘ(^ー^*)オイデオイデ♪


と手なずけられた~o----oU・ェ・U  

今は亡きアル中Aさんo(^^ )o--------⊆^U)┬┬~...ワンワン♪

どうなったかは・・・・わかりますね

きっと煮たり焼いたりしたんだと思ってますね

違うんです






YGG風

それは・・・







おー





お刺身です・・・・

⊆^U)┬┬~...のお刺身です

酒のつまみに最高だそうです

赤い犬がやっぱり良いそうです

ちなみにこの時のワンちゃんは白だったそうな

韓国でもごちそうだそうです・・・韓国でも生じゃ食わないが


こんな話を僕はまだまだ前途有望な20代半ばの頃に聞きました

:・。・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・。・え~~~~~~~~ん!!!

。・゚゚・o(iДi)o・゚゚・。うぇぇん

・゚゚・(×_×)・゚゚・。 ビエーン

僕はこのようにして生きる厳しさを知りました

こんな夕刊じゃない勇敢な男達もみんな死に

わんちゃんと一緒の所へ逝きましたとさ

(* ̄ノ ̄)/Ωチーン (* ̄- ̄)人 i~ 合掌

ヤスラカニ・・(*T-T)人 ii~~†┏┛墓┗┓†

ヽ(゚▽、゚)ノ ウヘヘヘ

とここまで書いたら

デ、色々と(絵トカ)変わっちゃいましたww

良かったらまた来て下さいネェ^

絵を描くのが趣味の中一『季優』デスwちゃんのカキコ

 ヾ(@°▽°@)ノあはは ワーイ!!

見に行こうっと

ε=( ̄。 ̄;A フゥ…

いいですね

すっかり癒されました

わたくし

C=(^◇^ ; ホッ!

ここ見て具合悪くなった人は彼女の絵で癒されてください

http://plaza.rakuten.co.jp/kiyunohana/

じゃあまあそういうことで・・・・ヽ(゚▽、゚)ノ ウヘヘヘ

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