そういちの平庵∞ceeport∞

そういちの平庵∞ceeport∞

一遍上人



集まった人々と念仏を唱えていたところ、人々が念仏の喜びのあまり念仏を唱えながら踊りだしてしまったということがありました。

これが時衆の「踊り念仏」を始まりです。

神楽にしても田楽にしても、地を踏みならすことが地鎮であったり、鈴を鳴らすことが、霊フリであったり、笛を吹くことが神を降ろすことであったりしたように、「舞」は神への奉納であり、神事として行うのが起源であるから、「芸能」と「宗教」とは密接に結びついています。

名を求め衆を領すれば心身疲れ

功を積み喜びを修すれば希望多し

孤独にして境界なきにはしかず

と唄う

一遍上人は、善悪の判断を捨てろ、といいます。

信心をもっていようがいまいが、なんであろうが、あらゆる人が阿弥陀仏の力によって往生するであろうことはすでに決定されている。

あとはその人が素直な心で阿弥陀仏を求めて念仏を唱えれば、それだけでよいのだ。


自分はかつて悪事を働いたことがあるだとか、善いことをしているだとかそのような考えをもつと、素直な心の働きが阻害されてしまう。

善悪の判断を捨て、素直な心のままに念仏を唱えろということなのでしょう。

これはたとえ悪人でも素直な心で念仏を唱えさえすれば往生できるのだということにつながるのでしょう。

一遍の教えは武士階級にも広がりましたが、人殺しという悪事を職業とする武士でも極楽往生はできるのだという教えが彼らを捉えたのかもしれません。

貴賤、身分の高い低いといった社会の道理を捨てろ、といいます。

平安中期ころまでは念仏は僧が唱えるもので、それを聞くことのできるのも貴族階級に限られていました。それを在家の者でも唱えてよいのだとし、貴族だけでなく庶民にも広めていったのが、一遍が手紙に名を挙げた先人・空也上人(くうやしょうにん)であり、鎌倉新仏教の開祖たちであり、また一遍上人その人でした。

女であるから往生できないとか、身分が低いから往生できないとか、そのようなことを考えてはいけない。

素直な心のままに念仏を唱えればどんな人間であろうとも往生するのだから、その心の自然な働きを歪めるようなことは考えてはいけないのだというところでしょうか。

実際、一遍時衆を支えたのは、武士であり、農民であり、女性であり、非人たちでした。社会の最下層に置かれたハンセン病者も信徒となりました。

これは日本に於ける宗教改革であり、仏教が社会の最下層まで降りて行った始めての試みでもあったと思うのです。

鎌倉仏教の働きは概ねそういう宗教改革運動であったかと思うのです。

ヨーロッパのプロテスタンティズムに通ずるものがあります。

一遍上人はハンセン病者を「すでに罰を受け、清められ、現身のまま仏になれる者である」として、時衆(信徒)とし布教の対象にしていました。

これは当時としては革命思想でした。

当時の考えでは、ハンセン病者は、仏罰の極致などと言われれ隔離され死を待つのみだったと思います、おそらく障害者なども同じ位置にいたのかも知れません。

ハンセン病の歴史は古く、不浄の罪を背負った存在として差別されるのは、律令制の解体が進行した平安時代の頃からみたいです。

『今昔物語集』には、比叡山の僧が仏事を妨害したため仏罰によって「白癩」にかかり、「片輪者」が集まる清水坂の下に移り住んだが、間もなく死んでしまうという話があります。清水坂といえば、奈良坂とともにあまりにも有名な非人の集落地であった。

中世の非人は、癩者・乞食(こつじき)・穢多(えた)・濫僧(ろうそう)・庭者(にわもの)・清目(きよめ)・獄囚(ごくしゅう)・犬神人(いぬじにん)などと実に多様であるが、同一の集団でも重複して様々に呼ばれるます。

また暮らしの場が共同体から排除されていたが故に河原者・坂者・散所者などとも称され、近年では声聞師(しょうもじ)・傀儡師(くぐつ)・千秋万歳(せんずまんざい)・猿楽・曲舞(くせまい)・舞々(まいまい)・猿飼など多様な芸能民もこれに含まれるという考えもあります。非人を河原者(穢多)や散所・芸能民等とは区別する限定的なとらえ方もあります。

この問題を長い事考えるのですが・・・・おそらくいじめと差別と戦争と障害者差別問題そして人種差別の問題は非常に似通い同根だと思うのです。

庭者(にわもの)で言えばこの流れはずっと続きます。

おそらく徳川家のお庭番「公儀隠密」もそうでしょうし。

天皇家も似たような情報網を持っていたと思います。

特殊技能者を抱える権力の側それに使える集団。

この辺りに被差別部落問題の根源があります。

武士にとっては皮細工行う集団は常に必要でした。

被差別の問題が公家の栄えた西で根深く。

武家の栄えた東に少ない。

まあ、色々と思うことは多いです。

聖と俗が紙一重で差別のそのものが権力とともに歩んできた歴史。

天皇制の謎は差別の歴史の中にこそあるのかもしれません。

天皇制も差別も利権なんですね。

何時の時代も。

「ケガレ」と「キヨメ」という文化をインド辺りからの渡来と見たほうが僕は納得できるのですが・・・・インドのカースト制度と日本の差別問題を比較研究したら面白いと思います。

いずれにしろこの国に長い事存在し続ける天皇制と差別問題。

これらの状況下で一遍が残した言葉。

「名を求め衆を領すれば心身疲れ

功を積み喜びを修すれば希望多し

孤独にして境界なきにはしかず」


そして、善悪の判断を捨てろ、ともいいます。

この辺りに僕は日本文化の粋を見ます。















© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: