そういちの平庵∞ceeport∞

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一休禅師



白露のおのが姿をそのままに 紅葉におけば紅の玉 花を見よ 色香も共に散り果てて 心なくても春はきにけり

仏法は鍋の剃毛 石の髯 絵に描く竹のともずれの声

世の中は くうて糞して寝て起きて さて其の後は死ぬるばかりよ

 一休宗純



  一生受用する米銭の吟 
  恥辱無知にして万金を攪む
  勇色美尼 惧に混雑 
  陽春の白雪 また 哇音

 どういう意味かというと、お経を読んでいさえすれば、坊主なんてものは一生食いっぱぐれない。

適当に恥をかき、無知を承知でいれば大金は入る。

そこへもってきて男色に遊び、ついでに尼さんをものにしていれば、これは陽春(堺の陽春寺)でほとばしる「白雪」だっていつもピュッピュと飛ばせて、気持ちいいこと限りない、くだいて言えば、まあ、こういった内容だ。 

生臭坊主がしたい放題

そんな有様を取り澄ました高僧などでなく

世俗にまみれ、乞食放浪、風狂・・・・

私生児、自殺未遂、破天荒

そんな一休さんなのだが・・・・

悪を正して、善に導くべき、と説く者もいる
だがそれもまた、うたかたの熱意にすぎぬ
勝った負けたも、
個と自我の実在を信じ込ませる罠にすぎぬ

わたしはただ俗塵を離れた心でいたい
青い空に白い月
風が澄んだ空気を運んでくる

と詩情に溢れ煩悩に溺れ権力を嫌い

なおそれが人間だと開き直る

これほど人間臭い坊主もいないなあ


かたよらないこころ、

こだわらないこころ、

とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく・・・これが般若心経、空のこころなり

奈良薬師寺第127代管主高田好胤師


大正13年、裕福な家に生まれるも父が亡くなり、11歳で同寺に入り、
橋本凝胤前管主に師事、翌年得度、修行の道を進む

仏門に入る人には父親がいないとか不幸な生い立ちの人が多い


 道元禅師は名門貴族に生まれながら、三歳で父を亡くし、七歳で母を亡くした

母の弟・良観を頼って、比叡山に行き、仏道に入る。

十代半ば、人間には全て仏性があるのに、なぜ、修行しなくてはならないのか?という疑問を持った

「有心にても修行し、無心にても修行し、半心にても修行すべし」 人生は修行なしには人生とは呼べない。

人生有るところ修行有り。

今居るところが人生の道場である。

道元は、「眼横鼻直」すなわち眼は横、鼻はたて、全てのものはあるがまま、置かれたままが絶対であり、真実である。

全てのものを肯定的に受け入れ、何事にもこだわらない。「仏道を習うというは自己を習うなり。自己を習うというは、自己を忘るるなり。自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心、および陀己の身心をして脱落せしむるなり」 

あるがままに、静かに見ていけば、ものの本質を見ることが出来る。

人生は片道切符。今日という日は二度と戻らない。明日のことは、誰にもわからない。だから、今日という日を大切に生きる。

僕は一休さんに惹かれる

それはビートルズやジョンレノンに惹かれるのと似たようなことだ

それはきっと権威や偽善や嘘が嫌いでだけど自分の中にもたっぷりそんなものがあって

そんな自分や世の中とギリギリのところで生きる

そんなことかなあって気がする

どん底や絶望そんな所を突き抜けた所に何らかの境地がある

そんな風に思う

良寛さんはこんな感じだ

「昨日の是とするところ 今日また非 今日の是とするところ いづくんぞ昨非に非ざるを知らんや」 



自然に、成り行きに任せきって、一切の計らいと施為を捨て去った生き方をすることが人生なのだ。苦しみをそのまま受け入れて、その中に活路を見つけることだ


人は今この時という時しか生きられませんてなことだろうか?

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

 良寛は乞食の生活に徹底する。

托鉢で人生を生き抜いた。

全てにこだわらず、かぜのように、雲のように人生を過ごす。

「人生について我欲を働かせてもどうなるものでもない。三升の米があり、一束の薪さえあれば、名利を求めて、塵にまみれることもないではないか。夜の雨を、草庵の中で静かに聞いていれば、天地の間に、平和に生きていける」

これら今に残る坊さん達の言葉

彼らの歩みは険しく困難だった

そんな苦が彼らをして研ぎ澄まさせ

様々な境地を開き

様々な言葉を残す






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