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...で、前回の日記より十日が経過し、今朝、無事この「仏教の授業のお手伝い」が終わりました!9時15分から10時まで講義をする予定のS先生(スリランカ出身・南方仏教徒)が学校に着いたのが9時半近くだったので私が付け足す部分が大幅に減りラッキーと思っていたところなんと「もし時間に急いてなければ(10時半~11時の)休み時間の後に続けてほしい」と頼まれ、結局、30分やるはめに....(しかも、横には、専門家のS先生が....ToT)仏教の教義的な事は、全てS先生が解説済みだったので私は、子供達を周囲に集めて坐らせてネットから拾って印刷していった写真を見せたり家にあった小さな仏教系グッズにじかに触らせながら質問に答えて、やり過ごしました。子供達は、ふだん馴染みの無い仏像だの、お守りだのに触れてそれなりに楽しかったかもしれませんがはっきり言って、私の方の付け足し授業は、仏教的知識とは無関係だったと思います。フォフォフォフォさて、まず子供達が授業中にS先生にぶつけた質問をご紹介しますが(括弧内は、私の心の中のつぶやき)子供達が授業で習得した仏教用語「enlightenment」「enlightened」は「成仏」だと別のイメージが湧き上るのでとりあえず「悟りを開く」と訳しておきます。中国語では「覚悟」が主に使われるようですが日本語では、どうなんだろう?「覚醒」?(だと、つい覚醒剤に連想が....??)☆質問1:「ブッダ(お釈迦さま)の息子は悟りを開いたんですか?」(ぐわっ、鋭いっ。)(確か釈迦は母に説得されて母と嫁が尼になるのを認めたって書いてあったが、出家する際生まれたばっかりだったあの王子は、一体どうなったんだ????)S先生も、一瞬、言葉につまった後、回答:「おそらく....悟りを開いた...と思います....」☆質問2:「なんでブッダのお腹は大きいんですか?」(ブッダっていうか、それ、布袋さまだっつぅのよっ)S先生の回答:「太ったブッダは中国や日本で見かけるものですが皆さん、悟りの境地に達した人は、どんな感じでしょう。悲しそうな様子だと思いますか?(子供達、首をふる。)きっと楽しげなんじゃないでしょうか?太ったブッダは、そんな悟りに達した仏の楽しげな様子を表現しているんです。」☆質問3:「なんでブッダの耳は長いんですか?」(出たっ、福耳っ)S先生の回答:「当時のインド人の王族は、貴重なイアリングを付けていたので、その重みで耳たぶが長くなっていたのです。釈迦は出家する時にイアリングを全てはずしましたが耳は、もう伸びているので、長いままなのです。」(知らなかった~~っなんて現実的な理由だっ!!)とりあえず、後で、日本や中国では、長い仏耳が福耳と言われている事を付け足しました..。☆質問4:「どうしてブッダは青いんですか?」S先生回答「いや、青いブッダは無いと思いますよ。それは、おそらくヒンズー教の神でしょう。」☆質問5:「なんでブッダには、たくさん手があるんですか?」(おぉ、千手観音か?)S先生回答:「それも、おそらくヒンズー教の神だと思います。通常、仏像の腕は二つです。」☆質問6「S先生は、誰か悟りを開いた人をご存じですか?」(おっ、どんどん核心に迫ってくるっ)S先生ふたたび一瞬絶句、う~~んと考えた末「私の導師の導師は、悟りを開いたと思います。」☆質問7「先生は瞑想中に体が浮いた事がありますか?」S先生、一瞬微笑し、まじめに回答「実際に浮いた事はありませんが、瞑想中に体が軽くなって浮いた様な感覚を味わった事はあります。」....と、ここで担任の先生が質問を打ち切ました。例の「神とブッダとの概念の違い」ってのは結局どうなったんだろうか????ともかく、かくして、私の番になったのですが最初に、これだけははっきりさせときゃなきゃなと思っていた「卍(まんじ)」の説明をしました。この日本や中国じゃ地図で寺を示す記号にもなっている「卍」欧州じゃナチの鉤十字印(ハーケンクロイツ)のせいでタブーなんです。鉤十字そのものの「逆卍」だけじゃなく向きの違う、より一般的な卍でさえも大反感を買ってしまうんです....(以前ポケモンカードも当初卍を使っていたデザインの変更を余儀無くされたそう。)(また日本の漫画&アニメ「ナルト」の額の卍印はアニメでは海外市場を考慮してX印に変更されたそう。)私も、この卍印で誤解されるのが怖くてせっかく浅草寺で買ったお守りを車にぶらさげるのを控えたくらい...大迷惑なんだよっ、ヒットラーっ!!!!いや...もっと迷惑なのは、今でも、この印を使用しているネオナチか....くやちぃぃぃ~っこの卍話に、担任の先生・S先生は大きく頷いていました。その後、怒りが収まったところで日本の仏壇の写真中国でのお墓参りの写真おみくじ結びの木の写真浅草寺の境内の写真等を見せながら以下の様な持参した仏教グッズを子供達に回覧させました。↓高さ16cmあまりで観音開きの木製の屏風に仏・菩薩が一同に会している色鮮やかな絵がかかれ開く扉の部分にお目出たい対句の書かれた置物(裏には般若心経)(夫が上海の静安寺で購入)だるま(高さ9cm・大昔東京で購入)木製仏像座像(高さ15cm・夫がどこかで買って来た骨董)白衣観音座像(高さ12cm・大昔、私が中国で購入)浅草寺のお守り浅草寺のおみくじ(おみくじをゆわく木の写真も見せました)表裏に仏像と干支の絵が彫られた金製お守りペンダント(上海の静安寺で開光したもの)浅草寺で買った水晶の数珠風お守り(これは、休み時間、校庭で隣のクラスの女の子達に見せていた時、紐が切れて散乱っっ~~、何故????)中国で墓前に供える紙製の金の延べ棒(はっきり言って仏教とは無関係だ!!)私が、ほんの若干驚いたのはS先生が日本の「だるま」を全く知らなかった事です。「Dharma」「達磨」から発展した日本の「だるま」は今回、初めて実物を見るというよりも存在自体全くご存じなかったそう。ま、そりゃそうだろうな~~禅のシンボル的な達磨だけどそもそも禅自体、北方仏教(大乗仏教)だしこのハリボテの「だるま」も、日本独特の物...(だよね?)「仏教の根本的な教義や核的概念は共通だが慣行や行事や実践は、各地域によって非常に異なる」と、S先生と相槌を打ちつつ「日本では、お寺によっては、境内に仏教とは異なる宗教である神道の神社が入っている所もあるし仏教は、中国では道教や儒教の影響を受け日本では、神道とも共存して来た事」など続けて説明したところ担任の先生、ここで何回か大きく頷きました。きっと、下調べをされていたのでしょう。そう言えば先生、私に授業の手伝いを依頼する時「日本のShinto Buddhismについて話してね」って言ってたんだよなぁ~。Shinto Buddhism...神道仏教?...っすか...その時は一瞬Zen Buddhismの間違えかと思ったがきっと先生は神道についても調べていたのでしょう。S先生の方は、ここで微笑みながら「欧州の仏教には欧州的な影響が見られるんですよね...」と付け加えられました。そう、そう!そうなんだよっっ!!欧州の仏教は欧州っぽいのだよっ!!!一神教の特徴と私には思える「神と信者との契約」を仏教徒が求めているような、そんな印象を受けるのだ。(これが違和感のもとか????)しかし、仏教ってのは、そもそも契約じゃないもんね。強いて言えば自己啓発....やっぱり哲学だよなぁぁぁでも、菩薩信仰なんかは、宗教っぽいんだけど...↑等と、心の中で考えつつ子供達の反応を探ると「ふ~ん??」といった表情が主。おそらく「プロテスタントとかカソリックとかギリシャ正教とか英国教会とかの違いみたいなもんか?」と思った子供もいることでしょうが大抵は、「よくわからんが、どうでもいいや」といったものだったかもしれません....(^^;)ともかく、気を取り直して上の質問5でも出した「腕のたくさんあるブッダ」に追加説明しなきゃと、写真を見せながら「実は、北方仏教には手が千本もある菩薩がいるんですぅ~。菩薩というのは、悟りの境地に達していながら仏にはならず、この世に留まり、衆生が成仏できるよう守ってくれるという存在です~。この菩薩信仰が北方仏教の特徴でもあります~。」と説明しつつ「色々な菩薩がいて、こんな風に手が千本、目が千個ある菩薩もあるし...」と三十三間堂の千手観音が群れている?写真を見せると「わぁ~、すごいたくさん~っ」との声少々。(ふふふ、しめしめ...)すかさず「仏像の大きさには限りがありません」と↓鎌倉の大仏の写真に移ると「大きいな~」との声がさらに増え↓その次の中国楽山の巨大石仏の全体像及び、その大仏の100人載る脚の写真の時には「わ~っ、もっと大きい~っ」との声がクラスのあちこちからあがりましたがここで終わらせずとどめに仙台?の超巨大観音像の写真を広げた私です。↓ (どうぞ、こちらで大画面でご覧下さい↓)http://members.at.infoseek.co.jp/sendaimedia/daikannon.htmもちろんクラス中から「massive!!!」との大歓声。しかし.....はっきり言って....仏教的知識に貢献する要素は....皆無...か??これって単なる私の自己満じゃんか~~っっ!!「どうだぁ、見たかぁ~~こぉんな大きな仏像があるんだぞぉぉぉ」みたいな....大きければいいってもんでもないだろっっ!!!(^^;)もちろん、仏教徒は仏像を崇拝するんじゃないのよ単に、仏像を見て楽しむとか心に平安をもたらすとかそ~ゆ~意味だからね...とは、授業でもやっているし一応、私も念を押しておきましたが....全然聴いてる気配は無かった...な....結局「仏教=でっかい仏像」で印象つけてしまったような....ま「仏教=Fat Belly (デブ腹)」の印象よりは.....まし??ちなみに、放課後、長男を学校に迎えに行くとニコニコしながら歩みよられた校長先生から「今日は子供達が大喜びしていました。仏教を生きたものとして感じる貴重な機会をありがとうございました。」とお礼を言われました。......とりあえず、良しと...するか......?...?
January 28, 2006
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っとりあえずぅぅ、明けましておめでとうございますぅっ!あぁ、もう17日だぁ。でも、まだ1月29日の旧正月前だから、いいかぁぁ~。実は年末年始と3週間どっぷり上海で過ごしたんですが無事戻って来ました。(その後、2週間経過だよ..)2005年は、姪っ子持ち込みの日本のアニメを見ているうちに外で花火を上げる音がしたんで時計を見たら、もう10分前に2006年になっていた...という、ただでさえ正月気分の無い英国よりも、さらに正月気分のかけらも無いついでにクリスマス気分も今一つ(商業的には華やかだったんだが宗教的な気分が....)いつのまにか、新年になってるぅぅぅ状態..29日で、何とか、しきり直し....する...か...???そんなわけで、手結川家恒例の新年の抱負・目標もやってないしなぁ。旧年の抱負の反省もしてないし。そもそも、覚えてないってのがマズいかもしれない。だいたい、抱負とか目標っていうのは、計画ほど具体性を持たせたくない時の逃げ口上なのよね私の場合..「実際には実行したくないけど、心の隅では実行しないとマズイと常々思っている事」が新年の抱負になるんだからさ...これじゃ「新年の言い訳」とか「新年の厄払い」とかって言葉の方がピッタリだっつぅのよね。もう抱負って言葉に既に負け入ってるし....(ToT)負う物が多すぎて、やってられないってのよぉぉっ...あぁ、でも、何も無いのは、さびしい....ここは、一発、29日に一家そろって「新年の願かけ」をする事にしよう!!!何にしようっかなぁぁ♪「願かけ」の方が「抱負」より、よっぽど楽しそうに感じるのは「願かけ」は他力本願っぽくって努力度が低いからでしょうか.....さてさて年末「折り紙」教習を依頼して来た長男の小学校新年早々、強力なのが来ました!!連絡帖を開けると.....「Are you happened to be a practicing Buddhist?」という文字が....ま、なんつぅか、毎週教会に行くキリスト教徒みたいな感じで仏教を実践している仏教徒ってことでしょうか。そこで「have not been practicing as long as I can remember」と断り書きを添えた上で「でも、一応ベーシックな知識はあるので何でもできる事だったらお手伝いしますぅ♪」と返事を書いたら、子供達を相手に日本の仏教や、日常的な仏教徒の暮しについて子供達に講義してほしいと依頼されましたわよ。今度は、仏教かよぉぉ....日本の仏教って言ったら葬式仏教かぁぁ?!で、最初は一時間でって言われたんですがよく話を聞くと、なんと、英国の仏教徒の人でこの宗教の時間用に学校に講義をしている専門家の仏教徒が講習に来ると言う。時間は45分。(専門家だって45分なんだよっ!)時間は9時15分から10時との事。すかさず、「私も、是非、拝聴したいですっ、その講義!それで、その後、10時から休み時間の10時半まで子供達に仏教道具(^^;)を見せつつ子供達の疑問に答えるというのはどうでしょう?」と持ち掛けると「それは良いアイデアだ」という事で落ち着きました。よかったぁぁ。30分なら何とかなるってのよね。うちに、それなりにある仏像や観音像やダルマや「お守り」や仏壇・大仏・観音etcの写真を印刷して見せながら話を進めれば30分なんてすぐ経つだろうしね。ただ、先生の「今までの授業で子供達が理解しにくい所や子供達の疑問に答えてほしい」という言葉が気に懸かったので、具体的に聞いてみると.....授業では、結構、しっかり深く、仏教について学習しているようなのだ。お釈迦様の一生から、輪廻から小乗仏教と大乗仏教と密教まで....ふと思ったのだが、日本の公立小学校では仏教はおろか、他宗教についてまでこんなに勉強するんだろうか????(私は習った記憶が全然無い....)小学一~ニ年生時代のキリスト教から始まってユダヤ教、ヒンズー教、イスラム教....と深く調べて行き、六年生でおそらく最後の仏教に辿りついたのだと思う。確か長男は3年生の頃、ユダヤ教の行事(ハヌカ等)について学習してたもんなぁぁ。で、なんと、子供達の疑問の第一というのが仏教に「神」がいない事(仏教の「宗教」よりも「哲学」と呼ぶのが適当な性質について)「ブッダ」という言葉が「お釈迦さま」と「仏」を表わす事。「仏(解脱・涅槃)」の概念だと.....ふ...深いじゃんか.....とりあえず、来週の金曜日までしっかり宿題しとこうと思います.....ちなみに、昨日は、学校の近辺の家の建築様式(時代)を観察しつつスケッチをする授業に付き添いました。私の担当したグループは、次男の小学校をスケッチする事に決め道路に近い一年生のクラスに聞える様な大声で喋るので授業中だから静かにするよう注意すると「一年生なんて習う事ないも~~んっ」と、どなりやがって....しかも、その時、ちょうど、一年の担任の先生が窓から、こっちを覗くし....(ToT)ま、でも楽しいですわガキども、いえ、お子様達のお手伝い。フォフォフォフォフォ
January 18, 2006
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